クロード・モネとは?出身・本名・代表作と生涯をわかりやすく解説

クロード・モネとは?出身・本名・代表作と生涯をわかりやすく解説

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こんにちは!ユアムーン株式会社 編集部です!

突然ですが、皆さんはクロード・モネという画家を知っていますか?

20世紀を代表するフランス印象派の画家で、特に有名なモネの「睡蓮」という作品を聞いたことがある方も多いと思います。

この記事ではクロード・モネの『人生』と『作品』についてご紹介します!

クロード・モネとは?

クロード・モネは、1840年11月14日にフランス・パリで生まれ、5歳頃からノルマンディー地方のル・アーヴルで育った、フランス出身の画家です。本名はオスカル=クロード・モネ(Oscar-Claude Monet)で、後に画家としては「クロード・モネ」と名乗りました。

印象派を代表する画家として知られ、光や大気の変化をとらえた連作『積みわら』『ルーアン大聖堂』『睡蓮』などで知られています。

1926年12月5日、ジヴェルニーの自宅で86歳で亡くなるまで、生涯を通じて自然の光を描き続けました。

基本情報

本名オスカル=クロード・モネ(Oscar-Claude Monet)※後年「クロード・モネ」と名乗る
国籍/出身フランス(パリ生まれ、5歳頃からノルマンディー地方ル・アーヴルで育つ)
生年月日1840年11月14日
分野/芸術動向 印象派
学歴/出身大学などアカデミー・シュイス

クロード・モネの代表作

作品名制作年所蔵先
印象・日の出1872年マルモッタン・モネ美術館(パリ)
積みわら(連作)1890〜91年オルセー美術館、シカゴ美術館など複数館に分蔵
ルーアン大聖堂(連作)1892〜94年オルセー美術館など複数館に分蔵
睡蓮(連作)1897年頃〜1926年、約250点とされるオランジュリー美術館(パリ)など世界各地に分蔵。国立西洋美術館(東京)も《睡蓮》《睡蓮、柳の反映》(いずれも1916年)を所蔵

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モネについてもっと知りたい方はこちらの書籍もおススメです!特に、図説 モネ「睡蓮」の世界は図解でモネの作品を説明しているため、初めて絵を学ぶ人にもわかりやすくなっています!

印象派ってなに?

印象派とは19世紀後半のフランスから発した芸術動向です。筆のストロークや時間による光の変化の緻密な描写、日常性、斬新な構図等の特徴を持ちます。画面全体が明るく、それまで芸術アカデミーが良いとしてきた作品とは対照的でした。初期の頃の印象派はあまり評価を受けませんでしたが、次第に市場が広がり、アメリカに渡ると大衆に一挙に人気になりました。

印象派と一言で言うものの新印象派や後期印象派(ポスト印象派)など、印象派の中でもいくつか分類があります。印象派の代表的な画家にはエドガー・ドガ、クロード・モネ、ベルト・モリゾなど、今日でも高い人気を誇る画家が多くいます。

 

▼印象派についてはこちらでも詳しく解説しています!▼

【まるっと理解!】印象派ってなんですか? -歴史から読み解く印象派-

クロード・モネの作品

クロード・モネ年表

年出来事
1840年パリで誕生(本名オスカル=クロード・モネ)
1845年頃一家でノルマンディー地方のル・アーヴルへ移住
1858年ウジェーヌ・ブーダンと出会い、戸外制作を学ぶ
1870年カミーユ・ドンシューと結婚、普仏戦争を避けてロンドンへ
1872年『印象・日の出』を制作
1874年第1回印象派展に参加
1878年次男ミシェル誕生
1879年妻カミーユが32歳で死去
1881年ポワシーへ移住
1883年ジヴェルニーへ移住
1890〜91年連作『積みわら』を制作
1892〜94年連作『ルーアン大聖堂』を制作
1892年アリス・オシュデと再婚
1923年白内障の手術を受ける
1926年12月5日、ジヴェルニーの自宅で死去(肺がん、86歳)
1927年オランジュリー美術館に『睡蓮』の大装飾画が公開(没後)

少年時代 パリに生まれ再びパリに戻る

クロード モネは1840年11月14日、フランス パリで生まれました。1845年頃、一家でフランスのイギリス側の海沿いの地域、ノルマンディーに引っ越します。父親は卸売業をしており、自身の仕事を継いでほしいと考えていましたが、モネは芸術家を志していました。

1851年4月1日、ルアーブル中等芸術学校に入学し絵画の勉強を始めます。ジャック=フランソワ・オチャードという美術教師のもとで学んでおり、この頃から高い才能を見せていました。この最初の美術教師は人物の石膏を使った伝統的な指導法を行うことが知られています。日本や韓国の美術大学の入試で必ず行う石膏デッサンをモネも練習していたのかもしれません。

View At Rouelles Le Havre 1858

View At Rouelles Le Havre, 1858 - Claude Monet

1858頃、モネは屋外で初めて絵を描いたと言われる画家の1人、ウジェーヌ・ブーダンから「En Plein Air」(オン プレ ネール:外でアート活動をするという意味のフランス語)を教えてもらいます。この頃のモネはまだ印象派と言われるような絵を描いてはおらず、フランスアカデミー的な写実的な作品を描いています。

少し絵画に詳しい方はご存知かもしれませんが、当時は産業革命まっただ中でようやくチューブの絵具が発明されたころでした。それまでの絵具は顔料と言われる色の着いた粉末を使用していたため、室内でしか絵が描けませんでした。産業革命後の絵画が一挙に鮮やかになるのは、この絵具チューブの発明により外で絵が描けるようになったことに由来します。

Haystack 1865

Haystack, 1865 - Claude Monet

16歳で高等学校を卒業した後の1858年から1860年、モネはパリに戻りアカデミースイスで絵画の勉強を続けます。ここで後にともに印象派を牽引していく存在になるカミーユ・ピサロに出合います。
※ちなみにアカデミースイスは非常に人気な美術学校で、お金のない学生でも通いやすい仕組みで運営されていました。近くには死体安置所があり、学生たちはそこでアナトミー(美術解剖学)を学んでいました。

また、この頃にモネは兵役にも服しており、アルジェリアにあるアフリカの騎兵連隊に配属されました。アフリカの光景の美しさは、モネの作品の中で大きな影響を与えます。

Lunch on the Grass (central panel) 1865

Lunch on the Grass (central panel), 1865 - Claude Monet

(作者:クロード・モネ/作品名:《草上の昼食(中央部分)》/制作:1865〜66年/所蔵:オルセー美術館(パリ))

兵役が終わると再び絵画の制作を本格化します。1865年、初期のモネの最も重要な作品として知られている「草上の昼食」が制作されました。この年からサロンに作品を出品するようになります。「The Headland of the Heve at Low Tide」や「Mouth of the Seine at Honfleur」など、いくつかの作品はサロンで入選することが出来ました。しかしその後1870年まで毎年サロンに作品を応募するものの、入選することはほとんどありませんでした。

※19世紀の画家が有名になるためには、サロンで入選することが欠かせませんでした。

The Headland of the Heve at Low Tide 1865

(サロン入選作品)

The Headland of the Heve at Low Tide, 1865 - Claude Monet

(作者:クロード・モネ/作品名:《ラ・エーヴ岬、引き潮》/制作:1865年/所蔵:キンベル美術館(米国フォートワース))

Mouth of the Seine at Honfleur 1865

(サロン入選作品)

The Seine Estuary at Honfluer, 1865 - Claude Monet

(作者:クロード・モネ/作品名:《オンフルールのセーヌ河口》/制作:1865年/所蔵:ノートン・サイモン美術館(米国パサデナ))

アカデミーからの独立と印象派展

モネは普仏戦争が勃発する直前、カミーユと結婚し兵役を逃れるためにロンドンに住んでいました。このロンドンに住んでいる期間、JMWターナーとジョン・コンスタブルの作品に出合いモネに大きな衝撃を与えます。特にターナーの光の色使いやテムズ川の霧の表現に感銘を受けたと言われています。

The Beach at Trouville 1870

The Beach at Trouville, 1870 - Claude Monet

(作者:クロード・モネ/作品名:《トルーヴィルの浜辺》/制作:1870年/所蔵:ナショナル・ギャラリー(ロンドン))

普仏戦争が終わった後の1874年、パリに戻ってからモネは仲間と共にサロンから完全に独立した展覧会を開きます。この時、印象派の中でも特に重要な作品と言われる『印象・日の出』が展示され、後にこの展覧会は第一回印象派展と呼ばれるようになりました。モネ以外にも、エドガー・ドガ、ルノワール、カミーユ・ピサロなど、印象派を代表する画家が参加し、合計165点の作品が展示されました。会期はサロンに対抗するためにサロンが始まる2週間前から始めましたが、来場者数はサロンが40万人に対し印象派展は3500人と悲惨な結果に終わりました。

一部の批評家からは「絵画の革命」と言われ称賛されましたが、社会やほとんどの批評家からは酷評を受けました。この「印象派」という名前も美術評論家のルイ・ルロワが未完成な絵という皮肉的意味を込めて呼んだもので、決して称賛されているものではありませんでした。

Impression, sunrise 1872

Impression, sunrise, 1872 - Claude Monet

(作者:クロード・モネ/作品名:《印象・日の出》/制作:1872年/所蔵:マルモッタン・モネ美術館(パリ))

その後第二回、第三回と印象派展は開催されますが、まだまだ評価は芳しくなく、モネは次第に経済的に困窮していきます。1878年には次男ミシェルが生まれますが、その後妻のカミーユの健康状態はさらに悪化。1879年に32歳の若さで、子宮がんが原因とされる病により亡くなってしまいます。この頃から印象派の技法を放棄し始め、自然そのものの要素に焦点を当て、絵画を制作し始めました。

The Promenade, Woman with a Parasol

The Promenade, Woman with a Parasol, 1875 - Claude Monet

(作者:クロード・モネ/作品名:《散歩、日傘をさす女性(カミーユと息子ジャン)》/制作:1875年/所蔵:ナショナル・ギャラリー(ワシントンD.C.))

Japan’s (Camille Monet in Japanese Costume)

第二回印象派展で好評を受けた作品

Japan's (Camille Monet in Japanese Costume), 1876 - Claude Monet

(作者:クロード・モネ/作品名:《ラ・ジャポネーズ(日本の衣装を着たカミーユ・モネ)》/制作:1876年/所蔵:ボストン美術館(米国))

再びサロンへ

1880年、モネは10年ぶりにサロンに作品を出展します。ルノワールが高い評価を受けていたことに加え、経済的に困窮していたことが決め手となりました。しかし、第4回まで印象派展に参加していたモネがサロンに作品を出品したことで印象派展の解体は決定的になり、ドガはからも裏切りと捉えられました。

モネはサロンに作品を2つ出品しましたが、片方の比較的伝統的なスタイルで描いた「ラヴァクール」のみが入選しました。

ラヴァクール

(※サロン入選作品)

La Seine à Lavacourt, 1880 - Claude Monet

(作者:クロード・モネ/作品名:《ラヴァクールのセーヌ川》/制作:1880年/所蔵:ダラス美術館(米国))

1880年6月、モネは初めて個展を開きます。「解氷」などの風景がの作品が展示され、おおむね良い評価を受けました。「解氷」はモネがセーヌ川を主題として描いた作品です。1879年から1880年にかけての冬は例年に比べ特に寒く、セーヌ川が完全に結氷してしまうほどでした。この現象をモネはつぶさに観察し、時間や見る角度などによる光の変化を絵画として描きました。

Floating Ice on the Seine 1880

Floating Ice on the Seine, 1880 - Claude Monet

Floating Ice on the Seine 02 1880

Floating Ice on the Seine 02, 1880 - Claude Monet

Breakup of Ice 1880

Breakup of Ice, 1880 - Claude Monet

(作者:クロード・モネ/作品名:《セーヌ川の解氷》/制作:1880年/所蔵:ミシガン大学美術館(米国))

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葛飾北斎の影響 国会議事堂/積みわら

1881年、モネはポワシーに引っ越します。しかし、土地柄が合わず、1883年にはジヴェルニーに家族で引っ越します。この頃にはパトロンも安定して付くようになり、経済的に困窮することはなくなっていました。モネはなくなるまでこのジヴェルニーで絵を描き続けます。

モネは葛飾北斎や歌川広重などの浮世絵を愛好していたと言われています。モネの作品の中に見られる連作(同じモチーフで複数の絵を描く)は「富岳三十六景」や『名所江戸百景』から着想を得たのではないかと言われています。1890年から91年にかけての連作、「積みわら(Haystacks)」は25作品の本格的なものとなりました。

Haystacks

Haystacks, 1890 - Claude Monet

Grainstacks, Bright Sunlight

Grainstacks, Bright Sunlight, 1890 - Claude Monet

(作者:クロード・モネ/作品名:《積みわら、強い日差し》/制作:1890年/所蔵:ヒル・ステッド美術館(米国コネチカット州ファーミントン))

Grainstacks, White Frost Effect

Grainstacks, White Frost Effect, 1888 - 1889 - Claude Monet

(作者:クロード・モネ/作品名:《積みわら、霜の効果》/制作:1888〜89年/所蔵:ヒル・ステッド美術館(米国コネチカット州ファーミントン))

Grainstacks in the Sunlight, Morning Effect

Grainstacks in the Sunlight, Morning Effect, 1890 - 1891 - Claude Monet

(作者:クロード・モネ/作品名:《積みわら、朝の陽光》/制作:1890〜91年/所蔵:個人蔵)

1899年から1901年にかけて数回、モネはロンドンを再訪しました。ここでは普仏戦争のときの訪れたロンドンで見たテムズ川の霧の効果に着目。国会議事堂を様々な角度から描く連作を描きました。最終的にロンドンでは国会議事堂に加え、チャリングクロス橋、ウォータールー橋を主題とした約100の作品を制作しました。

House of Parliament Sun 1903

House of Parliament Sun, 1903 - Claude Monet

Houses of Parliament 1904

Houses of Parliament, 1904 - Claude Monet

(作者:クロード・モネ/作品名:《国会議事堂、霧の中の陽光》/制作:1904年/所蔵:オルセー美術館(パリ))

Houses of Parliament, Westminster  1900 – 1901

Houses of Parliament, Westminster, 1900 - 1901 - Claude Monet

(作者:クロード・モネ/作品名:《国会議事堂、ウェストミンスター》/制作:1900〜01年/所蔵:シカゴ美術館(米国))

晩年と睡蓮

モネは晩年、ジヴェルニーの家の庭に睡蓮の池と太鼓橋を作りました。庭師を雇い、細かくデザインとレイアウトを指示していたと言われています。そうして出来上がった庭をモチーフに描かれてた連作がモネの代表作と言われる睡蓮です。現実と抽象、創造力の究極とまで評された作品で、モネの集大成ともいえる作品群となりました。

そしてモネは1926年12月5日、肺がんにより86歳でこの世を去りました。

Water Lilies

Water Lilies, 1905 - Claude Monet

(作者:クロード・モネ/作品名:《睡蓮》/制作:1905年/所蔵:ボストン美術館(米国))

Water Lilies, 1906 - Claude Monet

(作者:クロード・モネ/作品名:《睡蓮》/制作:1906年/所蔵:シカゴ美術館(米国))

The Japanese Bridge (The Water-Lily Pond)

The Japanese Bridge (The Water-Lily Pond), 1897 - 1899 - Claude Monet

(作者:クロード・モネ/作品名:《日本の橋(睡蓮の池)》/制作:1899年/所蔵:ナショナル・ギャラリー(ロンドン))

クロード・モネに関するよくある質問

クロード・モネの出身はどこですか?

1840年11月14日にフランス・パリで生まれ、5歳頃に家族でノルマンディー地方のル・アーヴルに移り、少年時代をそこで過ごしました。国籍はフランスです。

クロード・モネの本名は何ですか?

本名はオスカル=クロード・モネ(Oscar-Claude Monet)です。後に画家として「クロード・モネ」の名前で活動しました。

クロード・モネはどんな人物でしたか?

筆のストロークで光や大気の変化を描く印象派を代表する画家で、同じモチーフを時間や季節を変えて繰り返し描く「連作」の手法を確立しました。晩年はジヴェルニーの自宅の庭に睡蓮の池を造り、生涯の集大成となる『睡蓮』の連作に取り組みました。

クロード・モネの代表作は何ですか?

印象派の名前の由来となった『印象・日の出』(1872年)、連作『積みわら』(1890〜91年)、『ルーアン大聖堂』(1892〜94年)、そして集大成といわれる『睡蓮』が代表作として知られています。

おわりに

いかがでしたか?

今回は印象派の巨匠、クロードモネを紹介しました。数多くの代表的作品を描き、今でも多くの人に愛されています。

クロードモネを気に入った方は、下の画集なども買ってみてはいかがでしょうか!?


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