こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。
皆さんはフィリダ・バーロウという人物をご存知ですか?
フィリダ・バーロウ(Phyllida Barlow)は、1944年にイギリスのニューカッスル・アポン・タインで生まれ、2023年3月にロンドンで亡くなった彫刻家です。段ボール、布、合板、ポリスチレン、セメントといった安くて身近な素材を組み合わせ、今にも崩れそうに見える大きな彫刻やインスタレーションをつくりました。ロンドンの美術学校で40年にわたって教え、2009年に教職を退いてから国際的に広く知られるようになった、遅咲きの作家としても語られます。2017年にはヴェネツィア・ビエンナーレのイギリス館代表を務めました。
本記事ではそんなフィリダ・バーロウの人生と作品についてご紹介します。内容は、2026年10月時点で確認できたテート、トロント現代美術館(MOCA)、英国政府美術コレクション、森美術館などの公式情報にもとづいています。作品の画像は、著作権法で認められた「引用」の範囲で、作品を解説している段落のあとに所蔵館の公式サイトの画像を掲載しています。
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Toggleフィリダ・バーロウって?

バーロウの彫刻は、台座の上で静かに立つ記念碑のような彫刻とは、ほとんど反対の方向を向いています。木材の骨組みに布やセメントをかぶせ、色を塗り、積み上げたり吊るしたりした作品は、重そうなのに軽く、しっかりしていそうなのに不安定に見えます。テートは、バーロウの構造物が重力やバランス、左右の釣り合いのルールに従わず、今にも倒れそうに見えることで、彫刻の美しさについての私たちの思い込みに問いを投げかけると説明しています。
この記事では、学生時代から教員としての長い時期、そして退職後に世界の美術館で大きな展示を重ねた晩年までを、時代順にたどります。専門用語は、そのつど短く説明します。
基本情報
| 本名 | フィリダ・バーロウ(Phyllida Barlow)。2021年にデイム(大英帝国勲章DBE)に叙され、英語ではDame Phyllida Barlowとも表記されます |
| 生年月日(没年月日) | 1944年生まれ〜2023年3月没(ロンドン)。生まれた月日と亡くなった日は、本記事では公式情報で確認できた範囲に留めています |
| 国籍・出身 | イギリス。イングランド北東部のニューカッスル・アポン・タイン生まれ |
| 学歴 | チェルシー・カレッジ・オブ・アート(1960〜1963年)、スレード美術学校(1963〜1966年) |
| 分野 | 彫刻、インスタレーション、ドローイング |
| 傾向 | 安価な日用品や建築資材を使う。崩れそう、倒れそうに見える不安定な構造。作り方の跡をあえて見せる |
| 師事した人物・影響を受けた人物 | ニュー・ミュージアムは、イタリアの「アルテ・ポーヴェラ」やアメリカの彫刻家エヴァ・ヘスに触発されたと紹介しています。スレード美術学校での教え子には、レイチェル・ホワイトリードらがいます |
バーロウが学び、のちに教えた学校については、こちらの記事で詳しく紹介しています。
同じく鉄や大きな素材で空間をつくった彫刻家の記事も、あわせてどうぞ。
経歴と作品
1. ニューカッスルに生まれ、ロンドンで彫刻を学ぶ(1944〜1966年)
フィリダ・バーロウは、1944年にイングランド北東部の都市ニューカッスル・アポン・タインで生まれました。テートの展覧会図録に収められた年譜によると、1960年から1963年までロンドンのチェルシー・カレッジ・オブ・アートで学び、1963年から1966年まではスレード美術学校で学んでいます。スレード美術学校は、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)に属する美術学校で、バーロウはのちにここで長く教えることになります。
同じ年譜には、スレードに在学中の1965年、ロンドンの現代美術研究所(ICA)で開かれた若手作家の展覧会「Young Contemporaries」に、作品『Table』が出品されたことが記されています。学生のうちから、すでに展覧会に作品を出す活動を始めていたことがわかります。
ニュー・ミュージアムの解説は、バーロウが1960年代半ばに制作を始めたとき、アンソニー・カロに代表される、それまでのイギリス彫刻の形式的な抽象から離れていったと説明しています。カロは、鉄板や鉄骨を溶接して色を塗った抽象彫刻で知られる作家です。バーロウはそれとは別の道を選び、イタリアの「アルテ・ポーヴェラ」や、アメリカの彫刻家エヴァ・ヘスに触発されて、作品と作家の身体のつながりをより強く意識する作り方に向かったとされています。アルテ・ポーヴェラは「貧しい芸術」という意味で、1960年代のイタリアで、土や木、布などのありふれた素材を使った美術の動きを指します。
2. 教えながら、素材を試し続けた時代(1966〜1980年代)
1966年、バーロウはロンドンに最初のアトリエを構え、ウェスト・オブ・イングランド・カレッジ・オブ・アートで彫刻を教える非常勤の職に就きました。翌1967年にはチェルシー・カレッジ・オブ・アーツでも非常勤の職を得ています(テートの年譜より)。ここから約40年にわたる、教えながらつくる生活が始まりました。
テートの年譜は、1970年代のバーロウについて、とくに手間のかからない簡素な組み立て方を中心に、さまざまな作り方を試した時期だと書いています。捨てられた素材を大量に使って大きな作品を組み立てるようになり、伝統的な画廊の空間ではない、さまざまな場所で作品を見せはじめました。1971年にはロンドンのカムデン・アーツ・センターでのグループ展に、『View』『Chair』『Wardrobe』という、家具や身近なものを思わせる題の作品を出しています。
1980年代の半ばから後半にかけては、安い日曜大工用の材料や家庭用の素材を新たに使うようになりました。テートの年譜によれば、この時期のバーロウは作品を手元に残さず、展示が終わると素材を再利用して新しい作品をつくることが多かったといいます。作品を置く場所との関係、つまりその場所のためにつくることも、制作の中でますます大切になっていきました。ロンドンのアーチウェイ・ロードの空き家や、フィンズベリー・パークの学校の校庭など、ふつうは美術作品が置かれない場所で展示したことも記録されています。
教える場所も、何度か移り変わりました。テートの年譜によると、1978年にチェルシーの職を離れ、1984年にブライトン・ポリテクニックの美術学科で彫刻を教えはじめます。同僚には彫刻家のアリソン・ウィルディングらがいました。1986年にはキャンバーウェル美術学校の非常勤に移り、1987年にはケンブリッジのケトルズ・ヤードで滞在制作を行っています。1984年のアーチウェイ・ロードの空き家での『Scar』、1985年のフィンズベリー・パークの校庭での『Strangers』、1987年のケンブリッジの教会墓地での『Oracle』と、場所そのものを相手にした仕事が、この時期の記録に並んでいます。そして1988年、スレード美術学校で彫刻を教える職に就きました。
ニュー・ミュージアムは、バーロウの素材がコンクリート、フェルト、木製のパレット、ポリスチレン、布などであり、それらは作家が暮らし働く都市の環境を映していて、しばしば街から直接集められたと説明しています。会場で組み立てた作品は展示のあとに解体され、次の作品に再利用されることが多いため、作品は一時的で、状況に左右される性質を持つとも述べています。
3. スレード美術学校の教授として(1988〜2009年)
MOCAの紹介によると、バーロウは1988年に母校のスレード美術学校の教員になり、20年以上教えたのち、2009年に退職しました。テートの年譜では、1992年に彫刻科の科長代行、1997年に学部課程の責任者、2004年に美術の教授兼学部課程ディレクターに就いたことがたどれます。退職後も名誉教授として名を残しています。
テートは、バーロウがロンドンの美術学校での長い教育経歴を通じて若い世代の作家に大きな影響を与えたと書き、スレードでの教え子として、ターナー賞を受賞したレイチェル・ホワイトリードや、同賞の候補になったアンジェラ・デ・ラ・クルスの名前を挙げています。教員として過ごした時間は、のちに作家としての評価と並べて語られることになります。
教えるかたわら、バーロウは制作と展示を続けていました。1995年にはロンドンのミュージアム・オブ・インスタレーションでの作品でエレファント・トラスト賞を受け、2006年にはロイヤル・アカデミー・オブ・アーツから女性作家に贈られるデュプリー家賞を、2007年にはアーツ・カウンシル・イングランドとポール・ハムリン財団からそれぞれ個人の作家への賞を受けています(いずれもテートの年譜より)。ポール・ハムリン財団は、バーロウが亡くなった際の追悼文で、この賞について本人が「40年の制作の中で、作品にとって最も大切な出来事になる」と語った言葉を紹介しています。
『Untitled (Yellow Rack)』(2006年)
この時期の作品のひとつが、テートが所蔵する『Untitled (Yellow Rack)』です。素材は木材、亜鉛めっきした鋼、石膏で、題名のとおり「棚」や「ラック」を思わせる骨組みの立体です。黄色く塗られた角材が格子のように組まれ、斜めに張り出した棚の段が何段も重なっています。表面には塗料のむらや下の色が見え、工場でつくられた製品ではなく、手で組み立てたものだとすぐにわかります。テートの解説は、バーロウの作品が家や舞台、日よけ、ラックといった現実のものに似ていながら、どこか奇妙に変えられていると述べています。この作品は、そのことを最もわかりやすく示す例のひとつです。

4. 65歳からの国際的な評価(2010〜2013年)
2009年にスレードを退職したあと、バーロウの名前は急速に世界に広がっていきます。英紙ガーディアンは、バーロウが4つの年代にわたる教職を2009年に退いてから、彫刻家として国際的に注目されるようになったと伝え、公立のギャラリーでの最初の大きな展示は翌年のサーペンタイン・ギャラリーだったと書いています。テートの年譜でも、2010年にロンドンのサーペンタイン・ギャラリーで「Nairy Baghramian and Phyllida Barlow」展に参加したことが確認できます。
2011年には、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの正会員(ロイヤル・アカデミシャン)に選ばれました。ロイヤル・アカデミーは、ロンドンに本拠を置くイギリスの美術団体で、作家が会員として運営に加わっています。翌2012年には、ドイツのアーヘン美術賞を受けています(テートの年譜、MOCAより)。
2012年5月2日から6月24日まで、ニューヨークのニュー・ミュージアムで個展「Phyllida Barlow: siege」が開かれました。ニュー・ミュージアムによれば、これはバーロウにとってニューヨークで最初の個展で、美術館の4階の展示室のために新しい作品がつくられました。解説では、バーロウの作品が、柵や足場、防護フェンスなど、私たちの動きを導いたり妨げたりするものに着想を得ていて、それらが荒々しい手作りの構造物と、勢いよく塗られた表面に置きかえられていると説明されています。同じ年には、イギリス・リーズのヘンリー・ムーア・インスティテュートでも個展「Bad Copies」を開いています。
ニュー・ミュージアムの解説は、バーロウが彫刻をすばやく直感的に組み立てるため、作品はものを忠実に再現したものではなく、ものの遠い記憶のようになると述べています。小さな作品が部屋の隅や廊下に置かれることもあれば、見る人を圧倒するほどの大きさになることもあり、そうした展示は、先行する世代の英雄的な記念碑らしさに挑み、それをもじってみせるとしています。そして、彫刻が人生の喜び、ばかばかしさ、はかなさを的確にとらえうることを、バーロウは示していると結んでいます。
『untitled: upturnedhouse2, 2012』(2012年)
同じ2012年の作品『untitled: upturnedhouse2, 2012』は、テートとスコットランド国立美術館が共同で管理する「ARTIST ROOMS」のコレクションに入っています。素材は軟材、合板、ハードボード、鋼、発泡ポリウレタン、セメントのモルタル、塗料です。題名には「逆さまの家」という言葉が含まれていて、画像のように、赤、黄、灰色、黒、薄緑などに塗り分けられた板が寄せ集められ、大きなかたまりをつくっています。下からは、セメントを塗ったような角材が階段のように突き出しています。テートは、バーロウが木の構造物に薄いセメントの層をかぶせ、実際より重く見せることがあると説明しています。見た目の重さと実際の重さのずれも、バーロウの作品を見るときの手がかりになります。

『untitled: awnings, 2012』(2012年)
ここで出てきたARTIST ROOMSは、近現代の作家ひとりひとりの作品をまとめて紹介する、イギリスの巡回コレクションです。テートの説明によると、テートとスコットランド国立美術館が管理し、2008年の「ドフェイ寄贈」によって基礎となるコレクションがつくられました。イギリス各地の美術館と協力して、作家ごとの展示を行っています。
『untitled: awnings, 2012』も、ARTIST ROOMSにかかわる作品で、テートの作品ページには「Artist Rooms Foundation 2017 collection」からの貸与(Lent by)と記されています。「awning」は店先などに張り出す日よけのことで、素材は鋼、合板、ポリスチレン、フェルト、セメント、塗料、防水シート、布と記録されています。壁から8つの台が段違いに突き出し、その上に赤、ピンク、オレンジ、黄、茶色などの布がかけられて、裾が垂れ下がっています。台の側面はセメントのような灰色のざらざらした質感で、布の鮮やかさと対照をなしています。テートは、バーロウが絵の具だけでなく、布やテープ、建築用の発泡材で色を加えると説明しています。この作品は、布そのものが色の役割を果たしている例です。

テートのARTIST ROOMSの解説は、バーロウが1960年代の終わりから、切る、のこぎりで挽く、壊す、巻く、折る、覆うといった、素材を扱う経験そのものに魅せられてきたと述べています。そして、観察とドローイングが制作の中心にあるものの、バーロウの意図は目の前の世界をそのまま記録することではなく、思い出す行為と、思い出すときに失われる細部に関心があったと説明しています。現実の題材は、ドローイングと彫刻の中で、それ自体の抽象的な姿に変わっていきます。
2013年には、アメリカのデモイン・アート・センターでの個展「scree」、フロリダのノートン美術館での個展「HOARD」、ピッツバーグのカーネギー美術館の国際展「カーネギー・インターナショナル」への参加、第55回ヴェネツィア・ビエンナーレの企画展への参加と、各地で展示が続きました(テートの年譜より)。
5. テート・ブリテンの「dock」(2014年)
2014年3月31日から10月19日まで、ロンドンのテート・ブリテンで「Tate Britain Commission 2014: Phyllida Barlow」として、作品「dock」が展示されました。テート・ブリテン・コミッションは、毎年1人の作家に、テートの収蔵品と、館の中心にある大空間「デュヴィーン・ギャラリー」に応える作品の制作を依頼する企画です。テートは、これがロンドンでのバーロウにとって、それまでで最大で最も意欲的な作品になると紹介していました。
テートの紹介文によれば、バーロウは40年以上にわたり、段ボール、布、木材、ポリスチレン、石膏、スクリム(目の粗い布)、セメントといった安価な日用の素材で、威圧感のある大きな彫刻を手がけてきました。周囲にある身近なものの記憶を手がかりにした、触れたくなるような、それでいて不安定に見える彫刻は、伝統的な記念碑の永続性と対照をなすとも書かれています。
同じ紹介文は、それ以前の代表的な展示にも触れています。2004年にイギリス・ゲーツヘッドのバルティック現代美術センターで見せた『Peninsula』や、2008年にウォリック・アーツ・センターのミード・ギャラリーで見せた『Stint』では、形と色と素材がひしめき合うように空間を埋めました。直前のカーネギー・インターナショナル(2013年)に出した『TIP』では、網とセメント、鮮やかな色の布のリボンで包んだ大量の角材が、美術館前の広場から入口へとなだれ込むように置かれたと説明されています。「dock」は、こうした大きな空間を相手にした仕事の延長にある作品でした。
制作にあたってバーロウは、何十年にもわたってその空間が変わっていくのを見てきたこと、そして新しい作品を考えるうえで、墓のような展示室の内部と、その先にいつも感じられる川という、相反する2つの面を強く意識したことを語っています。「dock」という題名は、船をつなぐ「波止場」や「ドック」を指す言葉です。
『untitled: black 3, 2014』(2014年)
彫刻と並んで、バーロウは紙の作品も数多く残しました。『untitled: black 3, 2014』は、紙にアクリル絵具で描かれたドローイングで、ARTIST ROOMSのコレクションに入っています。テートには同じ「untitled: black」の題を持つ2014年から2015年の作品が何点も収められています。画面はほぼ全体が黒く塗られ、その上に白い線で、箱や板が折り重なり、積み上がったような形が描かれています。線は太く、かすれ、何度も引き直された跡が残っています。トロント現代美術館(MOCA)は、紙の作品が彼女の制作にとって欠かせない一部だったと紹介しています。立体を組み立てるときと同じように、形を重ね、ずらし、崩しながら考える手の動きが、この1枚からも伝わってきます。

6. イギリス館の代表、そして晩年(2015〜2023年)
2015年、バーロウは芸術への貢献により大英帝国勲章(CBE)を受けました(MOCA、英国政府美術コレクションより)。同じ年には、アメリカ・ダラスのナッシャー彫刻センターや、スイスのクンストハレ・チューリッヒ(2016年)でも展示を行っています(MOCAより)。
『untitled: torque, 2015』(2015年)
『untitled: torque, 2015』は、ARTIST ROOMSのコレクションの壁かけの作品です。素材は鋼、ポリウレタンフォーム、セメント、羊毛、布、塗料、PVA(合成樹脂の接着剤)です。壁に固定された角形の鋼材の先に、赤やピンク、オレンジの布や毛糸を巻きつけた太いひものような輪が、何重にも絡み合ったかたまりとなってぶら下がっています。題名の「torque」は「ねじる力」という意味の言葉です。巻きつけた布の隙間からは、セメントのような灰色の層ものぞいています。素材を巻く、覆うというバーロウの手の動きが、そのまま形になった作品だといえます。

2017年、バーロウは第57回ヴェネツィア・ビエンナーレのイギリス館の代表に選ばれました(森美術館、英国政府美術コレクション、MOCAより)。ヴェネツィア・ビエンナーレは、イタリアのヴェネツィアで開かれる国際美術展で、各国がそれぞれのパビリオン(国別の展示館)で代表作家を紹介します。イギリス館での展示は、イギリスの文化交流機関ブリティッシュ・カウンシルが手がけました。次の動画は、ブリティッシュ・カウンシルの公式チャンネルが、展示の開幕前に公開したバーロウの紹介映像です。
2017年、ガーディアンの取材でバーロウは、遅れてやってきた評価について、率直に言えば自分にとってタイミングは完璧だった、自分も作品もその準備ができていた、と語っています。そして、関心があるのは自分自身ではなく作品に何ができるかであり、物事はうまくいかないこともあるが、取り戻すこともできると今は確信できる、とも述べています。
2019年には、ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで展示「cul-de-sac」が開かれました。ハウス・デア・クンストの資料には、このとき展示された作品『untitled: canvasracks』(2018〜2019年)の記録が残っています。英国政府美術コレクションは、ロイヤル・アカデミーでの2019年の個展を、晩年の主な個展のひとつとして挙げています。
2021年には、大英帝国勲章のデイム・コマンダー(DBE)に叙されました。同じ年の3月10日から7月25日まで、ドイツ・ミュンヘンのハウス・デア・クンストで、大規模な回顧展「Phyllida Barlow. frontier」が開かれています。ハウス・デア・クンストは、この展覧会を、彫刻の限界と境界をめぐる議論へのバーロウの大きな貢献を、その広がりの全体で見られる初めての機会だと紹介し、伝統的に男性が多かった彫刻という分野で、バーロウが中心的な役割を果たしてきたことを改めて示すものだと述べています。同じ2021年には、ロンドンのテート・モダンのARTIST ROOMSの展示室でも作品が紹介されました(MOCAより)。
ハウス・デア・クンストの解説は、木材、段ボール、セメント、粘土、塩化ビニールの管、色とりどりの布が積み重なり、広がり、来場者の行く手をふさぐバーロウの構造物を、日用の素材でできた「風景」にたとえています。見る人の視線は、どこに手がかりを求めればよいかわからないまま、その巨大な大きさをつかもうと上へとさまよう。作品はまるで自分の命を持っているかのように空間を占め、見る人に空間を考え直し、量を感じ、建築の言葉を聞くよう促すと説明されています。
日本では、2021年4月22日から2022年1月16日まで、東京・六本木の森美術館で開かれた「アナザーエナジー展」(副題「挑戦しつづける力」。世界の女性アーティスト16人を紹介した展覧会)に参加し、『アンダーカバー 2』(2020年)が展示されました。森美術館の作品情報では、素材は木材、合板、セメント、スクリム(布)、石膏、ポリウレタンフォーム、塗料、PVA(合成樹脂)、キャラコ、鉄で、大きさは「サイズ可変」とされています。展示する場所に合わせて大きさが変わる作品だということです。
森美術館はバーロウを、物質の表面や形の美しさではなく、時間や質量、バランスやリズムといった物質の状態に関心を寄せ、崩れ落ちそうな構造体や立ち上がりそうな形状など、変わりつつある状態の立体作品をつくってきた作家だと紹介しています。コンクリートや集合材、段ボールなどの安価な工業用の材料を使い、むき出しの素材どうしが生む絶妙なバランスが作品に通じているとも述べています。日本の美術館の言葉で読むと、バーロウの作品が「完成した形」よりも「変わっていく途中の状態」に重心を置いていることが、よくわかります。
MOCAの紹介によれば、晩年のバーロウは国際的な賞も相次いで受けています。主なものを表にまとめます。
| 年 | 受賞・叙勲 |
|---|---|
| 2011年 | ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの正会員に選ばれる |
| 2012年 | アーヘン美術賞(ドイツ)。第1回キーウ国際ビエンナーレで「現代美術の発展への最も重要な貢献」賞 |
| 2015年 | 大英帝国勲章(CBE)。芸術への貢献による |
| 2019年 | マリア・アント&エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン賞(女性作家のための美術賞、ポーランド・ワルシャワ) |
| 2021年 | 大英帝国勲章のデイム・コマンダー(DBE) |
| 2022年 | ニーダーザクセン貯蓄銀行財団のクルト・シュヴィッタース賞(ドイツ) |
ガーディアンによれば、最後の展覧会は、教え子のレイチェル・ホワイトリード、彫刻家のアリソン・ウィルディングとの3人展「Hurly-Burly」で、2023年1月にパリのガゴシアンで始まりました。開幕前にホワイトリードは、バーロウが本当に刺激を与えてくれる先生であり、彼女に教わった何百人もの学生が、彼女こそ最高だと思っていると語っています。
バーロウは2023年3月にロンドンで亡くなりました。78歳でした。MOCAによれば、その時点でバーロウは、トロント現代美術館の建物のための新しい作品を館と緊密に準備していました。建物の1階に並ぶ柱に強く惹かれていたといいます。同館では2023年、バーロウが打ち合わせの中で言及していた作品を集め、『untitled: eleven columns; standing, fallen, broken』(2011年)を含む展覧会「Eleven Columns」が開かれました。同じ年には、ニューヨークのシティ・ホール・パーク(パブリック・アート・ファンド)や、スペインのチリーダ・レク(エルナニ)でも個展が開かれています(英国政府美術コレクションより)。
7. バーロウの作品を見るときの手がかり

ここまでの作品を踏まえて、バーロウの彫刻を見るときの手がかりを3つにまとめます。
ひとつめは、素材です。段ボール、合板、ポリスチレン、布、セメントなど、バーロウの素材はどこでも手に入る安いものばかりです。MOCAはバーロウの彫刻を「anti-monumental(反記念碑的)」と紹介しています。テートも、その彫刻が伝統的な記念碑の永続性と対照をなすと書いています。高価な石や青銅でつくる記念碑とは反対の場所から、大きな彫刻を立ち上げているといえます。素材の名前を作品ラベルで確かめてから見直すと、見え方が変わるかもしれません。
ふたつめは、見た目と実際のずれです。テートは、木の構造物に薄いセメントをかぶせて実際より重く見せることがあると説明しています。重そう、崩れそう、倒れそうという感覚そのものが、作品の一部として組み込まれています。継ぎ目や組み立ての跡が見えるのも、作り方を隠さないバーロウの特徴です。
みっつめは、場所との関係です。バーロウにとって「彫刻は落ち着きがなく、空間の使い方が予測できない。それは必ずしも心地よく、安心できる体験ではない」とテートは本人の言葉を紹介しています。作品は周りの空間に割り込み、見る人の動きや視線を導きます。作品のまわりをどう歩かされているかに気づくことも、ひとつの見方だと思います。
まとめ
いかがだったでしょうか。フィリダ・バーロウは、1960年代にロンドンで彫刻を学び、約40年にわたって美術学校で教えながら、段ボールや布、合板、セメントといった身近な素材で作品をつくり続けた彫刻家です。2009年にスレード美術学校を退職したあと、サーペンタイン・ギャラリー、ニュー・ミュージアム、テート・ブリテン、ヴェネツィア・ビエンナーレのイギリス館と、大きな舞台で次々に作品を発表し、2023年3月に亡くなりました。
記事で紹介した『Untitled (Yellow Rack)』『untitled: upturnedhouse2, 2012』『untitled: awnings, 2012』『untitled: black 3, 2014』『untitled: torque, 2015』は、いずれもテートの公式サイトに作品ページがあります。展示の予定は時期によって変わりますが、各作品のページで記録を見ることができます。重そうで軽い、崩れそうで立っているという、図版だけでは伝わりにくい感覚を、機会があればぜひ実物の前で確かめてみてください。
Euphoric " " の視点
バーロウは、ロンドンの美術学校で約40年にわたって教えながら、制作と展示を続けました。展示が終わると素材を再利用して次の作品をつくることも多かったといいます。国際的に広く知られるようになったのは、2009年にスレード美術学校を退職した後、65歳を過ぎてからでした。
評価が遅れてやってきても、つくることをやめなかった数十年が、テート・ブリテンの「dock」やイギリス館の大きな展示を支えていたのだと考えます。最後の展覧会が教え子のレイチェル・ホワイトリードらとの3人展だったことも、その歩みをよく表しています。
すぐに結果が出なくても手を動かし続けることには、それ自体に大きな意味があるのかもしれません。
この作品を見に行くには
記事で紹介した作品は、次の館などで公開されています。展示替えがあるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。
テートの作品ページには、展示中かどうかが表示されます。お出かけの前に、各作品のページで最新の展示状況をご確認ください。






