こんにちは、ユアムーン株式会社 編集部です。
皆さんは、オスカー・シュレンマーというアーティストをご存知でしょうか?
彼は、絵画や彫刻、ダンスなど様々な分野で活躍し、バウハウスの教師としても有名で、実験的な作品が多くみられる多彩なアーティストです。
今回はそんなシュレンマーの経歴を作品とともにご紹介していきます。
オスカー・シュレンマーってどんな人?
基本情報
本名 | オスカー・シュレンマー(Oskar Schlemmer) |
生年月日 | 1888年9月4日 |
出身 | ドイツ シュトゥットガルト |
分野/芸術動向 | 構成主義、バウハウス |
職種 | 画家、彫刻家、デザイナー、振付師 |
作品と経歴
生まれと環境
オスカー・シュレンマーは、1888年9月4日、ドイツのシュトゥットガルトに生まれます。
シュレンマーは6人兄弟の末っ子で、両親は1900年頃にどちらも亡くなり、姉と共に自給自足の生活を少年期から経験していました。
1903年頃に、15歳のシュレンマーは完全に独立し、象嵌細工の工房で見習いとして生活し、1905年から1909年にかけて寄木細工の見習いとして生活しました。
この間、シュレンマーは奨学金制度を使用し、シュトゥットガルトの美術学校に入学して、美術に関する勉強も並行して続けていました。
ここで彼は、「フリードリッヒ・フォン・ケラー」や「クリスチャン・ランデンベルガー」の指導の下、田舎に赴きキャンバスに直接絵を描く、それまでの前衛芸術家に近い方法で絵を描いていました。
1910年にベルリンに短期滞在した後、シュレンマーはシュトゥットガルトに戻り、抽象画家「アドルフ・ヘルツェル」に師事し、印象派から脱しキュビズムに傾倒した作品を制作するようになります。
また、この時期にシュレンマーは演劇やダンスにも興味を持ち始めるようになります。
1914年、第一次世界大戦が勃発すると、シュレンマーは西部戦線で戦うために進んで入隊し、負傷したのち、コルマール軍の地図製作部隊に移され、1918年まで在籍しました。
彫刻作品
翌年、シュレンマーは初めて彫刻の芸術に触れ始めます。
キュビズムを彷彿させる、人体を幾何学的なセクションに分割したシュレンマーの「Relief H-6 PA」は、ヨーロッパの前衛芸術、主にキュビズムを彼自身の人間像への執着に基づいて再解釈しようとした試みと見ることができます。
シュレンマーは実験的なレリーフ作品を通じて、身体と空間との関係を再考し、幾何学を抽象的ではなく擬人的に利用する彫刻を作り上げました。
この作品は、後に彼が制作する演劇やダンスに幾何学が用いられる起源であったようです。
バウハウスで教鞭を執る
シュレンマーが彫刻の実験と作品発表を始めると1921年、バウハウスの創設者「ヴァルター・グロピウス」に見出され、バウハウスで教鞭を執ることになります。
そこで彼は、バウハウスのロゴの制作や、壁画や彫刻の工房を担当したり、身体と物理的・時間的環境との複雑な関係を研究する「Der Mensch(人間)」と題するコースを開講しました。
その後シュレンマーは、バウハウスの重要な教師の一人として語り継がれていきます。
関連記事
【まるっと理解!】モダンデザインってなに? -バウハウス編-
演劇とダンス
シュレンマーは1922年に、彼のダンス作品の代表作である「The Triadic Ballet」を発表します。
シュレンマーは画家としてだけではなく、演劇やダンスの振付師・衣装デザイナーとしても活躍していくことになり、その作品は実験的かつ破壊的と呼ばれるほどのものでした。
彼は、意図的に演劇やダンスの制約やルールを破り、全く新しいスタイルを完成させ、その後のパフォーマンスの世界に多大な影響を与えています。
彼の作品の特徴は人体の表現への関心と運動学、演者と空間の関係などを結びつけた、抽象・幾何学・機械的な振り付けと衣装が特徴です。
「The Triadic Ballet」は、鮮やかな黄色、ピンク、黒といった印象的な背景色に覆われた3つのシーンで構成された作品で、幾何学的な衣装を着た3人のダンサーが、ニーチェの「アポロン的・ディオニソス的」な考えの対比、つまり「形式的・秩序的・厳密的」な考え方と、「陶酔的・創造的・激情的」な考え方の対比を演じています。
バウハウスから追放
この作品はシュレンマーが1932年に描いた絵画で、1932年9月30日にバウハウスが閉鎖されたことに対する抗議として制作しました。
彼はこの作品を「最高の作品」と言っており、彼のキャリアの中で最後の大作となりました。
階段にいる人物に加え、右上の階段の下部にある窓の格子の奥にも人物が描かれており、赤い服を着ている人物と目が合っています。
これは階段の空間が外に広がっており、階段の空間が「現実の空間の想像上の続き」であることを表現しています。
造形作家である「カリン・フォン・モール」は『現実(鑑賞者空間)から虚構(絵画空間)、超越(好奇心を喚起する不確定な背後)』へと明確に構成された3段階の深度の探求は、バウハウス時代のシュレンマーの絵画の特徴であると書いている。(wikipediaより)
1933年にシュレンマーは芸術家に「ロマン、写実主義的で英雄的な芸術」を求めるナチス政権からの圧力により、教職を辞しました。
その他の近代芸術家達も、芸術院や教職から追放された上、制作活動を禁じられ、シュレンマーたちの芸術作品は1937年に「退廃芸術展」として全国の展覧会で晒し者にされました。
追放されたことにより彼は1933年から1935年にかけて作品を制作せず、また退廃芸術展によっても彼の憂鬱なムードは一層強まりました。
晩年の活動
その後シュレンマーはヴッパータールにある絵具工場で働きます。
この工場はシュレンマーに迫害の恐れのない絵を描く機会を与えてくれて、「Window Pictures」と呼ばれる彼の最後のシリーズを制作します。
これは自宅の窓から近所の人たちの家事を見ながら描いた非常に小さな絵となっています。
そして1942年の夏、シュレンマーは病に倒れ、1943年4月にバーデンバーデンで亡くなりました。
シュレンマーが与えた影響
シュレンマーのダンスやデザインなどは「ニュー・オーダー」、「レディー・ガガ」、「デヴィッド・ボウイ」などのミュージックビデオや「アレキサンダー・マックイーン」のファッションデザインなどにも影響を与えました。
New Order – True Faith (1987) (Official Music Video) [HD REMASTERED]
Lady Gaga – Bad Romance (Official Music Video)
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は絵画のみでなく、彫刻や演劇、ダンスにも興味を持ち、才能を発揮したアーティスト、オスカー・シュレンマーについてご紹介させていただきました。
彼の絵画や演劇、ダンスなどに興味を持った方は、さらに調べてみてはいかがでしょうか!