こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。
皆さんの部屋にはマンガが何冊ありますか?
近年は漫画アプリやWeb漫画といった電子媒体で楽しむスタイルも普及してきていますが、それでも一冊も持っていないという人は少数なのではないでしょうか。
すっかり大衆娯楽として私たちの身近なものになったマンガ。
日本は世界でもトップクラスのマンガ産業国として知られ、海外の文化に大きな影響を与えています。
そのようなマンガの歴史は、どのように始まり、どのように発展してきたのでしょうか。
本記事ではマンガの発祥と発展の歴史をご紹介します。
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マンガの誕生〜壁画、巻物、あるいは葛飾北斎〜
マンガの意味と定義
マンガはいつ、どのように生まれたのでしょうか。
そのためにはまず、「マンガとは何か」を定義する必要があります。
一般的なマンガのイメージとしてコマ割り、吹き出し、ストーリーといった要素があることが挙げられます。
これらは程度の差こそあれ、読者がマンガを楽しむための手がかりとなる表現方法で、作者に求められる技術として挙げられる要素でもあります。
しかし、マンガの成り立ちから現在までの歴史を見ていくと、必ずしも備えられているものではないことがわかります。
ここで辞書を引いてみましょう。
デジタル大辞泉によると
1 単純・軽妙な筆致で描かれた、こっけい・誇張・風刺・ナンセンスなどを主とする絵。
2 絵を連続させ、多くは台詞(せりふ)を伴って物語風にしたもの。「少女―」
という語釈が書かれています。
主な意味である1には、先ほど挙げたコマ割りや吹き出しのような表現技術については書かれていません。
「単純・軽妙な筆致」といった絵柄の軽重、「こっけい・誇張・風刺・ナンセンス」といった描き手の意図や読み手の感情に焦点を当てた意味となっています。
特に「こっけい」という言葉は重要に思えます。
マンガに使われる漫という言葉には「心のおもむくまま」や「これといったあてや根拠がない様子」という意味があります。
文字通り解釈すればマンガとは、堅苦しい文化的後ろ盾や、論理的整合性を必要としない自由な表現と読み取ることができます。
漫画の神様として知られる手塚治虫は
漫画は、その表現がおもしろければ、どんなデタラメを描いてもいいというおスミつきがある。
という言葉を残しています。
このようにマンガの魅力は、その自由さ、荒唐無稽さといった非現実感に寄りかかっているものだと言えるでしょう。
また、英語表現にも目を向けると興味深いことがわかります。
近年では日本のマンガカルチャーの浸透によって、MANGAとして定着しているようですが、一般的にはマンガを英語に翻訳するとcomicとなります。
このcomicの意味には、上記のマンガの意味に加えて「喜劇的な、滑稽な」という意味もあります。
comicの語源がギリシア語で喜劇を表す「komikos」で、漫画表現の誕生によって単語があてがわれたと考えられます。
英語圏でもマンガの中心的な意味は「こっけい」であることがわかります。
ちなみに同様の使われ方をするカートゥーン(cartoon)はどうでしょうか。
カートゥーンはイラストの下絵に用いられた厚紙(カートン)が語源で、元々は原画やラフスケッチのことを指しました。イギリスの風刺雑誌が連載しているイラストを自らカートゥーンと表現したことをきっかけに定着したようです。一枚絵マンガの中で、特に事実や特徴を誇張・カリカチュアライズしたものを指します。
カートゥーンでは、マンガの中核である「こっけい」が風刺、誇張を特徴とするものであると説明されます。
マンガの意味と比較すると1と部分的に重なるものの、2については一枚絵マンガという点で反しています。
マンガを描くネアンデルタール人
マンガの必須条件を「こっけい=非現実的で面白おかしいこと」と捉えると、マンガの誕生は実に旧石器時代に遡れてしまいます。
人類の芸術の始まりと言われる、アルタミラ洞窟をはじめとする先史時代の洞窟には、通常より多い頭や足が描かれた壁画が見つかっています。これは筆致などから動物が速く走っている様子を表現したものと考えられています。
私たちにお馴染みの漫画的表現のはじまりは、ほとんど人類史における芸術のはじまりと同じであると言えるでしょう。
下は約3万年前に描かれた『ショーヴェ洞窟』のバッファロー。
明らかに足と残像が筆圧によって書き分けられている。
意外とインテリ向けだった鳥獣戯画
日本における最古のマンガとして知られる作品に『鳥獣人物戯画』が知られています。
『鳥獣人物戯画』とは平安時代末期から鎌倉時代にかけて描かれた絵巻物で、100年近く複数の描き手が受け継ぎ、現在の四巻が成立しました。
『鳥獣人物戯画』の特徴は擬人化された動物や、アニメーション表現に加え、滑稽な描写に富むエンターテイメント性にあります。
一方で『鳥獣人物戯画』を嗜む読者はいわゆる貴族や僧侶といった知識層であり、現在のマンガのような大衆娯楽ではありませんでした。
作者不詳『鳥獣人物戯画』
60年以上出版されたスーパーロングセラー『北斎漫画』
さらに時代が進み、江戸時代になると出版業が生まれました。
大衆向けの出版物が爆発的に出回り、表現方法も急速に発展していきました。
今やマンガに欠かせないコマ割り表現の発祥は、江戸時代初期の『一休骸骨』に見ることができます。
これは一休さんとして知られる室町時代の僧侶・一休宗純が仏教の教えを説いたもので、1675年に戯画を加えた改訂版が出版されます。
この戯画ページには、四分割されたコマに骸骨のキャラクターと文章が書かれており、かなりマンガに近い形式になっています。
さらにこの形式を広めることになったのが葛飾北斎による『北斎漫画』です。
道ゆく人の素描にはじまり、色々なポーズをとって見せるキャラクターや、変顔のバリエーションを描き留めたようなスケッチが描かれています。
セリフや文章はなく題名やキャプションが書かれているものがほとんどですが、コマ割りによって時系列や場面の転換を示す技法はすでに確立されており、なによりユーモアあふれるイラストの数々は、見ていて飽きません。このエンターテイメント性が人気を呼び、江戸時代後期(1814年)から明治(1878年)まで刊行が続きました。
葛飾北斎の作品は他にも、集中線やハッとするような構図など現代のポップアートに通じる技法を数多く描いています。
当時の「漫画」という言葉はスケッチのような意味でしたが、はじめに挙げた漫画の要件をほとんど見たしていると言ってよいでしょう。
葛飾北斎『北斎漫画』
マンガは社会を写す鏡だった〜風刺漫画の時代〜
社会の教科書でおなじみのあの人がマンガ文化の立役者だった?
明治時代になると、近代化に伴って世界三大マンガ大国であったイギリス、フランスと影響を与え合い表現方法に発展が見られました。
木版印刷が欧米からの技術流入によって亜鉛凸版印刷に変化し、量と質が向上しました。
これによりジャーナリズム、新聞、雑誌、広告といったメディアが躍進し、伴ってマンガの需要が急激に高まりました。
そんな明治時代に、マンガ文化に影響を与えた外国人が二人います。
一人目はイギリス人の報道画家であるチャールズ・ワーグマンです。彼は日本の風俗や事件を描いて本国に送る仕事をしていました。
当時のイギリスではヘンリー・メイヒュー、マーク・レモン、エビネザー・ランデルズによる風刺漫画雑誌『パンチ』が人気を博し世界中に出回っていました。
これに倣ってワーグマンは横浜で風刺漫画雑誌『ジャパン・パンチ』を創刊し、メディアとしてのマンガ需要に乗りました。
雑誌名から漫画的表現を指す「ポンチ絵」という言葉が流行し、新聞や広告など他媒体にも漫画的表現が取り入れられました。
もう一人はフランス人画家のジョルジュ・フェルディナン・ビゴーです。
ビゴーという名前にピンと来た方も多いのではないでしょうか。
彼は社会の教科書でお馴染みの風刺画「魚釣り遊び」を手がけた人物です。
彼は、ジャポニズムを通じて日本に関心を持ち来日。横浜で画塾を開いたのち画学教師、通信士などのキャリアを経験しました。
その中で在日ジャーナリストとして風刺画を多く手がけ、風刺漫画雑誌『トバエ』を創刊します。これは平安時代の僧・鳥羽僧正覚猷にちなむ戯画を指す言葉「鳥羽絵」に由来するようです。
『トバエ』自体は第一号のみの短命雑誌でしたが、フランス大使館の手伝いによって二次出版されるほどの人気を博し、ビゴーの風刺漫画も広く知れ渡ることになりました。
ビゴー『魚釣り遊び』
マンガ形式の完成
二人による推進力は、日本人のマンガ文化も大きく発展させていきます。
風刺漫画やポンチ絵の人気を受けて、元士族・野村文夫による『団団珍聞』や戯作家・仮名垣魯文、浮世絵師・河鍋暁斎による『繪新聞日本地』などが発行されました。
特に『圓圓珍聞』は政治風刺を得意としており、イギリスの『パンチ』から強い影響を受け、表紙や漫画の新鮮な表現で人気を博しました。代表的な描き手に洋画家の本多錦吉郎、最後の浮世絵師として知られる小林清親がおり、ジャーナリズムの世界で力を発揮した表現者が数多くいました。
日本における風刺漫画雑誌がさらなる発展を迎えるのは、1905年に北澤楽天が創刊した『東京パック』の人気がきっかけでした。
アメリカの漫画雑誌『PUCK』に影響を受けた『東京パック』の刊行をきっかけに、雑誌名にパックやポンチと付いた漫画雑誌が次々生み出され、未曾有の漫画雑誌ブームを巻き起こしました。
北澤楽天が新聞『時事新報』で連載した「凸坊漫画」は日本における最初の子どもマンガと言われます。
2〜6コマで区切られた紙面に架空の子供キャラクターによるこっけいな場面を描いた「凸坊漫画」はセリフの吹き出しもあり、読み味は現代のマンガとほとんど変わりません。
1921年に楽天は定期刊行物『時事漫画』を創刊。新聞紙サイズでカラー4ページの週刊雑誌で、アメリカの人気マンガを翻訳連載したり、クロスワードパズルも掲載されました。
また1918年には漫画研究会「漫画好楽会」を設立して漫画家の養成にも力を入れており、あらゆる方面でマンガ文化の発信を行いました。
時期を同じくして、マンガの表現を先に進めた人物が岡本一平です。
彼は東京美術学校を卒業後、夏目漱石の紹介で東京朝日新聞に「漫画記者」として務めコマ画の制作を始めます。
岡本は洒脱な絵に軽妙な文章を配した漫画漫文と言うスタイルを確立しました。コマを縦に配置することで物語を読み進める方向を明らかにすると共に、文章にも力を入れストーリーの重要性を説きました。
縦配置の4コマ漫画というスタイルは、現在まで受け継がれている表現方法です。しかし当時は田の字配置が普通で、3コマを二列に配置した6コマ漫画なども見られました。
大正時代にマンガ文化を支えた作品に、織田小星・作、樺島勝一・絵の『正チャンのぼうけん』、麻生豊による『呑気な父さん』があります。
両作品とも、日本で先行する作品や外国のマンガから強く影響を受けつつ、当時の世相を反映させた内容を描いた、日常に寄り添う作品です。
これまで文章はコマの余白にそのまま書いたり、キャプションのように隅に小さく書かれたり、あるいは吹き出しの形で書かれるなどまちまちでしたが『呑気な父さん』がセリフを吹き出しで書くことを徹底したため、以降の作品はほとんどがこの形式に倣うことになりました。
彼ら新聞欄で活躍した漫画家によって生まれた作品は、私たちも知る『サザエさん』や『コボちゃん』の大先輩と言って差し支えないでしょう。
伝説のマンガ『のらくろ』の功績
昭和初期になると、新聞で発展してきたマンガが雑誌に戻り再度ブームを起こします。
その立役者こそ、現代でも知る人の多い田河水泡による『のらくろ』です。
『のらくろ』は雑誌連載ということでコマ数に制限されずページを跨いでストーリーを展開することができ、現代のストーリーマンガに通じる形式が誕生しました。
1909年に野間清治が設立した大日本雄弁会(後の講談社)が創刊する『少年倶楽部』に連載された『のらくろ』は連載・書籍ともに好評で、1932年の総合ベストセラーに登るほどでした。
講談社が広告や『のらくろ』グッズで人気を後押ししたことも功を奏し、本格的なキャラクタービジネスの走りとなりました。
手塚治虫をはじめとするトキワ荘メンバーや、長谷川町子の『サザエさん』が世の中に進出し、大衆娯楽としてのマンガが定着したのが昭和初期でした。
田河水泡『のらくろ二等卒』講談社,1931年
戦後日本に芽生えた少年マンガブーム
戦争を終え、検閲とプロパガンダから解き放たれた日本の出版業界の復興が巻き起こります。
紙に印刷されていれば何でも売れた時代だったようです。
漫画雑誌が次々創刊、復刊され、中でも『漫画少年』が新人の登竜門として存在感を放っていました。
読者投稿のコーナーから入選した者を掲載する『漫画少年』には、今ではレジェンドと呼ばれる漫画家が大勢いました。
手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、寺田ヒロオ、つのだじろう、松本零士など。
さらに『ガロ』で活躍したつげ義春、小説家の筒井康隆、写真家の篠山紀信、美術家の横尾忠則、和田誠、田名網敬一など他誌や他分野で活躍する人物も投稿経験があり、広く表現者を惹きつけていました。
1959年3月17日、『週刊少年サンデー』と『週刊少年マガジン』が同時に刊行されます。同日は今でも「漫画週刊誌の日」に定められ、戦後のマンガ文化に大きな影響を与えた出来事です。
その影響とは、テレビの普及によるライフスタイルの変化でした。
テレビによってリアルタイムの情報にアクセスできるようになり、月刊誌では情報が遅いと言う感覚に変わったのです。
これを受けて『週刊現代』や『週刊文春』といった大人向け週刊誌が次々と刊行され、その流れで少年漫画誌も週刊に踏み切りました。
小学館が幼児向け雑誌『よいこ』や児童向け雑誌『小学五年生』『小学六年生』を創刊、読者層を明確にしたブランド戦略を行います。
1970年頃には競争が収斂し『少年ジャンプ』、『少年キング』、『少年チャンピオン』を加えた五大誌時代が幕を開けます。
戦後日本の非・少年マンガ
一方、戦後の少年誌ブームにより「漫画は子供が読むもの」が根強く残っていくことになります。
当時その風潮に逆らって生まれたのが、サブカルチャーの殿堂である『ガロ』誌でした。
青年・大人を見据えたブランディングは少年誌の陰に隠れながらも人気を博し、後の青年コミック(ヤングコミック)の誕生を牽引します。
1970年代に盛り上がりを見せたもう一つのサブカルチャーに少女マンガがあります。本来マンガに年齢や性別の差はないものの、娯楽マンガの火付け役である『のらくろ』のブランディングや学年誌・少年誌ブームにより子ども、特に男子が読むものという風潮はどうしてもありました。
少女を読者に据えた娯楽雑誌は1902年の『少女界』をはじめ明治時代末期に一斉に創刊され、手塚治虫の『リボンの騎士』や水野英子の『白いトロイカ』などが少女マンガシーンを牽引しました。
そんな少女マンガの歴史の中で、特筆すべきは池田理代子の『ベルサイユのばら』ではないでしょうか。
『リボンの騎士』のヒロイン・サファイアを思わせる男装の麗人・オスカルの存在は幅広い少女読者を惹きつけました。
『ベルサイユのばら』の大ヒットを受けて美内すずえの『ガラスの仮面』や大和和紀の『あさきゆめみし』といった金字塔が生まれ、少女漫画の黄金時代を確固としたものとしました。
ラブロマンスを主戦場とする少女マンガの人気は少年マンガにも影響を与え、あだち充の『タッチ』や高橋留美子の『めぞん一刻』など恋愛要素を取り入れた作品が誕生しました。
池田理代子『ベルサイユのばら』集英社,1972年
『少年ジャンプ』を救ったあのマンガ
今でこそ少年マンガ誌の代名詞となった『少年ジャンプ』ですが、1970年代はビッグネーム作家を押さえることができず、トキワ荘メンバーを擁する『少年サンデー』と劇画作品という新基軸を取り入れた『少年マガジン』の競争に押しつぶされていました。
そんな中、『少年ジャンプ』に現れた救世主が永井豪の『ハレンチ学園』と本宮ひろ志の『男一匹ガキ大将』でした。
『マガジン』と『サンデー』とは差別化された良い意味での子どもっぽさが功を奏し、『ハレンチ学園』は驚異の支持率70%を記録。以降、部数を着実に伸ばしていくことになります。
天下の『少年ジャンプ』を救ったのがエロと不良というのは、意外な歴史ではないでしょうか。
70年代後半には鳥山明の『Dr.スランプ』、秋本治の『こちら葛飾区亀有公園前派出所』が連載開始されます。
その後の『少年ジャンプ』は波こそあれど、挙げればキリがないほどの人気作品を輩出し、日本の少年誌の中心へと上り詰めていきます。
永井豪『ハレンチ学園』集英社,1969年
マルチメディアの片翼としてのマンガ
一般家庭にパソコンが普及し、若年層がインターネットにアクセスできるようになりました。
また2010年後半には電子書籍(Webマンガ、マンガアプリ含む)が本格的な浸透を迎え、2017年には電子が紙を追い越すことになります。
アニメの影響力が高まり、人気のマンガがアニメ化する流れが定石となったことに加え、ライトノベルやネット小説のコミカライズという需要がマルチメディアと強く結びつくようになります。
そんな現代のマンガのあり方を象徴するムーブメントとして吾峠呼世晴の『鬼滅の刃』を取り上げます。
『少年ジャンプ』での連載開始は2016年、それから3年経って放送されたアニメ版の人気を受けて2019年に爆発的な売り上げを記録しました。
電子書籍によりゼロ年代から縮小を続ける出版物の中で、コミックだけは伸長を続けています。
『鬼滅の刃』はそんなマンガコンテンツの強さを象徴する作品として、これからも存在感を高め続けることでしょう。
吾峠呼世晴『鬼滅の刃』集英社,2016年
まとめ
いかがだったでしょうか。
壁画から鬼滅の刃まで、約3万年のマンガの歴史を振り返ってきました。
物心ついた頃から現在まで、何気なく身近に存在していたマンガ。
その文化の光は数えきれないほどの表現者と作品、そして読者によって途切れることなく続いていることを痛感しました。
本記事では特に文化への影響が顕著な作品だけを取り上げましたが、観察の目を細かくしてみれば、無限大のディテールが見えてきます。
そして、そのディテールを最も細かく観察できるのは今、リアルタイムのことではないかと思うのです。
3万年から先のマンガ文化を楽しみに、ポップカルチャーを堪能しましょう。
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日本マンガ全史 「鳥獣戯画」から「鬼滅の刃」まで
本記事でご紹介した内容の多くをこの本に拠っています。特に少年マンガの項は多くの紙幅が割かれており、著名な作品の影響や歴史が事細かに解説されています。
マンガの教科書 マンガの歴史がわかる60話
鳥獣戯画を出発点としたマンガの歴史を辿りながら、それぞれのムーブメントと影響を明らかにした本です。
コンビニコミックやマンガ表現の危険性など『日本マンガ全史』では触れられていないトピックも扱われており、『日本マンガ全史』の副読本として読むと更に理解が深まることでしょう。
マンガビジネスの生成と発展
日本におけるマンガビジネスについての研究がまとめられた本です。時代ごとのマンガ文化の変遷や、海外進出と海賊版の流通といった社会的な問題意識まで折り混ぜた本です。













