【徹底解説】葛飾応為ってどんな人?人生と作品に迫る

【徹底解説】葛飾応為ってどんな人?人生と作品に迫る

こんにちは。ユアムーン 編集部です。

皆さんは葛飾応為(かつしかおうい)という人物をご存知ですか?

葛飾北斎の娘として知られており、その才能を受け継いだ彼女は美人がで高く評価されています。

本記事ではそんな葛飾応為の人生と作品についてご紹介します。

葛飾応為(かつしかおうい)とは?

葛飾応為 基本情報

実は2016年に映画化されています!よろしければこちらも見てみてはいかがでしょうか!?

本名 葛飾 栄(かつしか えい)
国籍/出身 日本/武蔵国(江戸)
生年月日 生没年不詳
分野/芸術動向 浮世絵
学歴/出身大学など 浮世絵師
公式サイト/関連サイト 太田記念美術館

浮世絵って何?

「浮世絵」とは、江戸時代初期に成立した日本独自の技法の絵画を指します。江戸中期ごろから明治まで、庶民を中心に親しまれた日本美術の一つです。

西洋画に多く見られる、紙に直接描く手法を日本では「肉筆画」と呼びますが、浮世絵で主流だったのは肉筆画ではなく現代で言うところのコピー、印刷物である「木版画」によって広く流通しました。木版画はその特性から何枚も印刷することができたので、大量生産によって低価格で手に入れることができたのです。江戸当時、木版画の浮世絵の価格は蕎麦一杯程度だったと言われています。

庶民でも手軽に楽しむことができた為、ときには世絵に描かれた俳優や美人画のファッションや髪型が流行することは珍しいことではありませんでした。そうして広く、長く庶民に愛される芸術としての地位を確立したのです。

浮世絵師とは

浮世絵の木版画では、企画を担う版元(出版)から、絵師(作画)、彫師(原版彫)、摺師(印刷)の分業体制で制作されているため、厳密にいえばこの工程全てに関わる職人を広義では「浮世絵師」とも呼べますが、一般的には今回紹介している葛飾応為を始めとした、作画を担当する「絵師」を浮世絵師としています。

今世に名が残る浮世絵師には、葛飾北斎、歌川広重、歌川国芳、喜多川歌麿、東洲斎写楽が挙げられ、19世紀を生きたクロード・モネやフィンセント・ファン・ゴッホなど、ヨーロッパの画家にも構図や色彩、技法などに影響を与えた芸術です。現代でも浮世絵への海外の評価は高く、日本を象徴するグラフィックとして知られています。

葛飾北斎の娘として知られる浮世絵師

先述した葛飾北斎こそが、今回紹介する葛飾応為の父であり、師である人物です。

北斎には息子2人、娘3人おり、葛飾応為は三女にあたります。浮世絵界で「鬼才」として知られる北斎譲りの画才で、特に美人画の美しさは北斎も認めており、「余の美人画は阿栄におよばざるなり。彼女は妙々と描き、よく画法に適っている。(美人画にかけては応為には敵わない。彼女は妙々と描き、よく画法に適っている。)」と語ったと伝えられています。

自身の作品づくりだけではなく、北斎の肉筆美人画の代作をしたり、春画の彩色を手伝ったりと北斎の右腕としても活躍していたようです。
また、画号である「応為」の由来は葛飾北斎が「オーイ」と呼んだので、それをそのまま画号とした、逆に北斎を「オーイ、オーイ親父ドノ」呼んだからという説や、北斎の号の一つ「為一」にあやかり、「為一に応ずる」の意を込めて「応為」を画号としたとも言われており、どの説も北斎との関係性を感じさせる名であることに変わりはありません。

経歴と作品

同じく北斎の娘と言われている画人、葛飾辰女(かつしか たつじょ)がいますが、北斎の娘の内、誰を指しているのかは不明とされてきました。

近年では、落款(署名)における「辰女」と、「栄女」の「女」が上の字より小さいなどの筆跡が類似し、手や指、頭髪などの細部の描写が酷似していることから、応為の若いころ、特に同じく絵師であった南沢等明に嫁していた頃の画号とする説が有力となっています。

ただし、辰女時代の作品を入れても、現存する応為が描いたとされる作品は10点程度しか確認されていません。

応為は一度は町絵師、南沢等明に嫁いだものの生活力がなく、夫の画力を鼻で笑うなど、男気質が原因で離縁されたといわれています。実家に戻った応為は、葛飾北斎という絵に魅入られた父を尊敬し、影で支える絵師として働く道を選びました。

父を支える絵師として生きた道

晩年の北斎を助けていたため、北斎の80代の頃の作品の多くに応為の代筆が含まれています。北斎の晩年の肉筆画は、80歳を過ぎた老人にしては彩色が若々しく、緻密な描写が含まれる作品が多く残っており、このような作品を応為の代筆とみる意見もあります。

「唐獅子図(からじしず)」は、嘉永2年(1849年)の作品と推定され、葛飾北斎と葛飾応為の合作とされています。中央の唐獅子は、晩年脳梗塞を患った葛飾北斎のリハビリのため、日課として描かれたもので、比較的大味な作風と見て取れますが、唐獅子の周りの牡丹の線の緻密さや色使いの鮮やかさなどから見て、葛飾応為の意図の方が大きかったと考えられます。

この唐獅子図のように、晩年の北斎の作品でも作品には北斎の名だけが刻まれ、応為は決して北斎の作品に自分の名を刻みませんでした。

そのため、既存する応為の作品は少ないものの、「北斎作」とされる作品の中にも、実際は応為の代筆作、もしくは北斎との共作が他にも多くあると考えられているのです。

1「三曲合奏図さんきょくがっそうず

三曲合奏図」のタイトルが指す「三曲」とは、地歌三味線(三弦)、箏曲、胡弓のことをいいます。これらの楽器はもともと視覚的に障害のある盲人が扱う楽器で、その合奏や作曲は盲人の中で最高位である検校(けんぎょう)が行っていました。

検校は貸金業が許され、大名と同じくらいの地位が認められていたため吉原などの遊郭との関わりも多かったようです。

この作品で描かれている着物や髪型、簪などから、演奏しているのは、花魁、芸者、町娘の三方だとわかります。

こういった三曲合奏は浮世絵のモチーフとしてよく見られるものの、花魁などの遊女は年季明け(奉公の期限が切れて独立すること)以外の理由で遊郭の外に出ることは許されておらず、町娘たちは遊郭への立ち入りを禁じられていたため、実際にこの肩書の三者が合奏するということはあり得ないことでした。

幻想であるからこそ「儚くも美しいもの」として、人気モチーフである三曲合奏が、指先やおくれ毛まで美しく描かれた今作は、美人画を得意とした応為の代表作の一つとなっています。

2.吉原格子先之図

葛飾応為の作品の中で最も人気がある肉筆画に、「吉原格子先之図」があります。

応為が60歳を過ぎた頃、西洋画にも精通していた応為はその画風をとりいれ、今まで日本の浮世絵師が全く気付かなかった「影が万事を形づけ、光がそれを浮かび上がらせる。この世は光と影でできている」という新しい真実・画風に到達したのです。

日本の住居の照明や窓ガラスが未発達だったことから、明るくはっきりとしたコントラストの画面が好まれていたことが一因とも言われていますが、江戸以前の日本絵画では、夜を暗く表現すること自体珍しいことでした。(参考資料:歌川広重/蒲原 夜之雪-かんばら よるのゆき)

吉原遊郭の妓楼・和泉屋を舞台に、暗闇の中に浮かび上がる遊女と客を描いた肉筆浮世絵「吉原格子先之図」は、闇に明かりを放つ室内と外壁に掛けられた行灯、そして大小の提灯が描かれています。それぞれの明かりが放つ光が当たる部分だけ顔や着物の色彩が浮かび上がり、幻想的な江戸の情景が表現されています。

この陰影を強調した表現を、「光と影の魔術師」と呼ばれた17世紀オランダの画家、レンブラントのようだとも評され、国内外ファンの多い作品です。

深さの異なる陰影によって生まれる、日本画らしからぬ描写と際立つ立体感は、応為が北斎にはない独自の優れた光に対する感性を明らかにし、あらたな日本画の道を灯した作品でもあります。

 

3.春夜美人図(しゅんやびじんず)

「春夜美人図」(別名「夜桜美人図」)は、絹本着色(けんぽんちゃくしょく)という、絹に色を施す日本画の代表的な技法を用いた作品で縦長サイズの肉筆画の浮世絵です。

この作品は落款がないものの、描かれたのが江戸時代後期である19世紀(1801年~1900年)中頃のものと推察され、葛飾応為の得意な光と影の演出がみてとれることから、応為の作品だと認められています。前述の「吉原遊郭格子先之図」でも用いた、行灯の人工的な光の表現に加えてさらに、自然的な星の光を加えられていることが大きな特徴です。

なおかつ、この星は光の強さ、位置なども正確で、一等星などが5種類程度に描き分けられています。江戸時代では妙見信仰(北極星または北斗七星を神格化し、その仏を信仰すること)が盛んで、葛飾北斎の「北斎」という名も、北斗七星に「北辰」「七政」などの別称があり、そこから北斎辰政と名乗ったことから後に、北斎という画号が生まれました。

応為の作品と言われている春夜美人図で、星の位置や光の強さなどが緻密で書き分けられていることから、葛飾応為も同じくこの信仰に造詣が深かったことがわかります。

葛飾応為の逸話

また応為も父・北斎と同じく弟子がおり、たいてい商家や武家の娘でした。弟子といっても、いわゆる家庭教師として自宅に訪問して絵を教えていたといわれています。

ある弟子が、「先生に入門して長く画を書いているが、まだうまく描けない」と愚痴ると、応為が笑って「おやじ(北斎)なんて子供の時から80幾つになるまで毎日描いているけれど、この前なんか腕組みしたかと思うと、猫一匹すら描けねえと、涙ながして嘆いてるんだ。何事も自分が及ばないといやになる時が上達する時なんだ」と言い、そばで聞いていた北斎も「まったくその通り、まったくその通り」と賛同した。という話は北斎のストイックさと葛飾親子の関係性が見える、有名な逸話として知られています。

まとめ

今回は、幕末に活躍した浮世絵の巨匠、葛飾北斎の娘である葛飾応為を紹介しました。

父・北斎の師事のもと、父親譲りの画才に加えて、新たな浮世絵の芸術性を見出したことでも知られる応為。西洋美術を取り入れた独特の作風は、当時の日本、江戸では目新しく、海外の画家たちにも大きな影響を及ぼしました。

現存の作品数が少なく、文献もあまり残っていないながらもファンの多さに応為の作品の芸術性を図ることができますね。葛飾北斎の右腕として働いた謎めいた女性として、ドラマ化、映画化されている人物でもあります。

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