【徹底解説】クロード・モネとは?作品と人生を理解しよう!

【徹底解説】クロード・モネとは?作品と人生を3分で理解しよう!

こんにちは!ユアムーン株式会社 編集部です!

突然ですが、皆さんはクロード・モネという画家を知っていますか?

20世紀を代表するフランス印象派の画家で、特に有名なモネの「睡蓮」という作品を聞いたことがある方も多いと思います。

この記事ではクロード・モネの『人生』と『作品』についてご紹介します!

クロード・モネとは?

基本情報

本名 クロード・モネ(Claude Monet)
国籍/出身 フランス パリ
生年月日 1840年11月14日
分野/芸術動向  印象派
学歴/出身大学など アカデミー・シュイス
ポーラ美術館 https://www.polamuseum.or.jp/language/english/collection/highlights1/

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モネについてもっと知りたい方はこちらの書籍もおススメです!特に、図説 モネ「睡蓮」の世界は図解でモネの作品を説明しているため、初めて絵を学ぶ人にもわかりやすくなっています!

印象派ってなに?

印象派とは19世紀後半のフランスから発した芸術動向です。筆のストロークや時間による光の変化の緻密な描写、日常性、斬新な構図等の特徴を持ちます。画面全体が明るく、それまで芸術アカデミーが良いとしてきた作品とは対照的でした。初期の頃の印象派はあまり評価を受けませんでしたが、次第に市場が広がり、アメリカに渡ると大衆に一挙に人気になりました。

印象派と一言で言うものの新印象派や後期印象派(ポスト印象派)など、印象派の中でもいくつか分類があります。印象派の代表的な画家にはエドガー・ドガ、クロード・モネ、ベルト・モリゾなど、今日でも高い人気を誇る画家が多くいます。

 

▼印象派についてはこちらでも詳しく解説しています!▼

【まるっと理解!】印象派ってなんですか? -歴史から読み解く印象派-

クロード・モネの作品

少年時代 パリに生まれ再びパリに戻る

クロード モネは1840年11月14日、フランス パリで生まれました。1845年頃、一家でフランスのイギリス側の海沿いの地域、ノルマンディーに引っ越します。父親は卸売業をしており、自身の仕事を継いでほしいと考えていましたが、モネは芸術家を志していました。

1851年4月1日、ルアーブル中等芸術学校に入学し絵画の勉強を始めます。ジャック=フランソワ・オチャードという美術教師のもとで学んでおり、この頃から高い才能を見せていました。この最初の美術教師は人物の石膏を使った伝統的な指導法を行うことが知られています。日本や韓国の美術大学の入試で必ず行う石膏デッサンをモネも練習していたのかもしれません。

View At Rouelles Le Havre 1858

View At Rouelles Le Havre, 1858 - Claude Monet

1858頃、モネは屋外で初めて絵を描いたと言われる画家の1人、ウジェーヌ・ブーダンから「En Plein Air」(オン プレ ネール:外でアート活動をするという意味のフランス語)を教えてもらいます。この頃のモネはまだ印象派と言われるような絵を描いてはおらず、フランスアカデミー的な写実的な作品を描いています。

少し絵画に詳しい方はご存知かもしれませんが、当時は産業革命まっただ中でようやくチューブの絵具が発明されたころでした。それまでの絵具は顔料と言われる色の着いた粉末を使用していたため、室内でしか絵が描けませんでした。産業革命後の絵画が一挙に鮮やかになるのは、この絵具チューブの発明により外で絵が描けるようになったことに由来します。

Haystack 1865

Haystack, 1865 - Claude Monet

16歳で高等学校を卒業した後の1858年から1860年、モネはパリに戻りアカデミースイスで絵画の勉強を続けます。ここで後にともに印象派を牽引していく存在になるカミーユ・ピサロに出合います。
※ちなみにアカデミースイスは非常に人気な美術学校で、お金のない学生でも通いやすい仕組みで運営されていました。近くには死体安置所があり、学生たちはそこでアナトミー(美術解剖学)を学んでいました。

また、この頃にモネは兵役にも服しており、アルジェリアにあるアフリカの騎兵連隊に配属されました。アフリカの光景の美しさは、モネの作品の中で大きな影響を与えます。

Lunch on the Grass (central panel) 1865

Lunch on the Grass (central panel), 1865 - Claude Monet

兵役が終わると再び絵画の制作を本格化します。1865年、初期のモネの最も重要な作品として知られている「草上の昼食」が制作されました。この年からサロンに作品を出品するようになります。「The Headland of the Heve at Low Tide」や「Mouth of the Seine at Honfleur」など、いくつかの作品はサロンで入選することが出来ました。しかしその後1870年まで毎年サロンに作品を応募するものの、入選することはほとんどありませんでした。

※19世紀の画家が有名になるためには、サロンで入選することが欠かせませんでした。

The Headland of the Heve at Low Tide 1865

(サロン入選作品)

The Headland of the Heve at Low Tide, 1865 - Claude Monet

Mouth of the Seine at Honfleur 1865

(サロン入選作品)

The Seine Estuary at Honfluer, 1865 - Claude Monet

アカデミーからの独立と印象派展

モネは普仏戦争が勃発する直前、カミーユと結婚し兵役を逃れるためにロンドンに住んでいました。このロンドンに住んでいる期間、JMWターナーとジョン・コンスタブルの作品に出合いモネに大きな衝撃を与えます。特にターナーの光の色使いやテムズ川の霧の表現に感銘を受けたと言われています。

The Beach at Trouville 1870

The Beach at Trouville, 1870 - Claude Monet

普仏戦争が終わった後の1874年、パリに戻ってからモネは仲間と共にサロンから完全に独立した展覧会を開きます。この時、印象派の中でも特に重要な作品と言われる『印象・日の出』が展示され、後にこの展覧会は第一回印象派展と呼ばれるようになりました。モネ以外にも、エドガー・ドガ、ルノワール、カミーユ・ピサロなど、印象派を代表する画家が参加し、合計165点の作品が展示されました。会期はサロンに対抗するためにサロンが始まる2週間前から始めましたが、来場者数はサロンが40万人に対し印象派展は3500人と悲惨な結果に終わりました。

一部の批評家からは「絵画の革命」と言われ称賛されましたが、社会やほとんどの批評家からは酷評を受けました。この「印象派」という名前も美術評論家のルイ・ルロワが未完成な絵という皮肉的意味を込めて呼んだもので、決して称賛されているものではありませんでした。

Impression, sunrise 1872

Impression, sunrise, 1872 - Claude Monet

その後第二回、第三回と印象派展は開催されますが、まだまだ評価は芳しくなく、モネは次第に経済的に困窮していきます。1874年には次男が生まれますが、その後妻のカミーユの健康状態はさらに悪化。1879年に32歳の若さで子宮頸がんにより亡くなってしまいます。この頃から印象派の技法を放棄し始め、自然そのものの要素に焦点を当て、絵画を制作し始めました。

The Promenade, Woman with a Parasol

The Promenade, Woman with a Parasol, 1875 - Claude Monet

Japan’s (Camille Monet in Japanese Costume)

第二回印象派展で好評を受けた作品

Japan's (Camille Monet in Japanese Costume), 1876 - Claude Monet

再びサロンへ

1880年、モネは10年ぶりにサロンに作品を出展します。ルノワールが高い評価を受けていたことに加え、経済的に困窮していたことが決め手となりました。しかし、第4回まで印象派展に参加していたモネがサロンに作品を出品したことで印象派展の解体は決定的になり、ドガはからも裏切りと捉えられました。

モネはサロンに作品を2つ出品しましたが、片方の比較的伝統的なスタイルで描いた「ラヴァクール」のみが入選しました。

ラヴァクール

(※サロン入選作品)

1880年6月、モネは初めて個展を開きます。「解氷」などの風景がの作品が展示され、おおむね良い評価を受けました。「解氷」はモネがセーヌ川を主題として描いた作品です。1879年から1880年にかけての冬は例年に比べ特に寒く、セーヌ川が完全に結氷してしまうほどでした。この現象をモネはつぶさに観察し、時間や見る角度などによる光の変化を絵画として描きました。

Floating Ice on the Seine 1880

Floating Ice on the Seine, 1880 - Claude Monet

Floating Ice on the Seine 02 1880

Floating Ice on the Seine 02, 1880 - Claude Monet

Breakup of Ice 1880

Breakup of Ice, 1880 - Claude Monet.

葛飾北斎の影響 国会議事堂/積みわら

1883年、モネはポワシーに引っ越します。しかし、土地柄が合わず、二年後にはジヴェルニーに家族で引っ越します。この頃にはパトロンも安定して付くようになり、経済的に困窮することはなくなっていました。モネはなくなるまでこのシヴィルニーで絵を描き続けます。

モネは葛飾北斎や歌川広重などの浮世絵を愛好していたと言われています。モネの作品の中に見られる連作(同じモチーフで複数の絵を描く)は「富岳三十六景」や『名所江戸百景』から着想を得たのではないかと言われています。1890年から91年にかけての連作、「積みわら(Haystacks)」は25作品の本格的なものとなりました。

Haystacks

Haystacks, 1890 - Claude Monet

Grainstacks, Bright Sunlight

Grainstacks, Bright Sunlight, 1890 - Claude Monet

Grainstacks, White Frost Effect

Grainstacks, White Frost Effect, 1888 - 1889 - Claude Monet

Grainstacks in the Sunlight, Morning Effect

Grainstacks in the Sunlight, Morning Effect, 1890 - 1891 - Claude Monet

1899年から1901年にかけて数回、モネはロンドンを再訪しました。ここでは普仏戦争のときの訪れたロンドンで見たテムズ川の霧の効果に着目。国会議事堂を様々な角度から描く連作を描きました。最終的にロンドンでは国会議事堂に加え、チャリングクロス橋、ウォータールー橋を主題とした約100の作品を制作しました。

House of Parliament Sun 1903

House of Parliament Sun, 1903 - Claude Monet

Houses of Parliament 1904

Houses of Parliament, 1904 - Claude Monet

Houses of Parliament, Westminster  1900 – 1901

Houses of Parliament, Westminster, 1900 - 1901 - Claude Monet

晩年と睡蓮

モネは晩年、ジヴェルニーの家の庭に睡蓮の池と太鼓橋を作りました。庭師を雇い、細かくデザインとレイアウトを指示していたと言われています。そうして出来上がった庭をモチーフに描かれてた連作がモネの代表作と言われる睡蓮です。現実と抽象、創造力の究極とまで評された作品で、モネの集大成ともいえる作品群となりました。

そしてモネは1926年12月5日、肺がんにより86歳でこの世を去りました。

Water Lilies

Water Lilies, 1905 - Claude Monet
Water Lilies, 1906 - Claude Monet

The Japanese Bridge (The Water-Lily Pond)

The Japanese Bridge (The Water-Lily Pond), 1897 - 1899 - Claude Monet

おわりに

いかがでしたか?

今回は印象派の巨匠、クロードモネを紹介しました。数多くの代表的作品を描き、今でも多くの人に愛されています。

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