【まるっと理解!】ブランデーワイン派ってなんですか?

【まるっと理解!】ブランデーワイン派ってなんですか?

こんにちは!ユアムーン株式会社 編集部です!

突然ですが、みなさんは「ブランデーワイン派」を知っていますか?

アメリカのイラストレーションの礎を築いた画家たちで、「何それ!? 初めて聞いた!…」という方も多いかもしれません。

この記事ではブランデーワイン派の『歴史』と『代表的な作品』をご紹介します!

ブランデーワイン派とは?

ブランデーワイン派とは、アメリカのイラストレーションの父と言われるハワード・パイルと彼が教えた弟子たちの作品、スタイルの総称です。小説や雑誌などの挿絵、表紙を中心に、多くの作品が制作されました。

また、ブランデーワイン派はアメリカのイラストレーションの礎を築いたとも言われており、アニメーション映画やディズニーのプレビズなどのインスピレーションになっています。

ブランデーワイン派の歴史

1900年、ハワード・パイルはブランデーワイン川のほとりに美術教室を開きました。ドレクセル美術科学産業協会(現・ドレクセル大学)でイラストレーションを教えていましたが、そこでの美術教育に満足することが出来ず、自身で美術教室を開くにあたりました。

初年度にパイルの学校に入学を申し込んだ学生は500人に上り、そのうちわずか12名のみが入学を許可されました。実に約41倍の高倍率で、日本で一番入るのが難しいと言われる東京藝術大学美術学部絵画油絵専攻が約16倍であることを考えると、その難易度、人気度がわかりますね(笑)。

その後10年に渡り、パイルは教育の第一線で教え続け、最終的に75人の学生がパイルのスタイルや教えを学びました。1911年にパイルが亡くなった後は、学生の1人であるアーサーズ(Stanley M. Arthurs)が引継ぎ、1950年まで美術学校を続けました。

ブランデーワイン派の与えた影響は非常に大きく、マックスフィールド パリッシュやノーマン ロックウェル等の他のアーティストたちにも影響を与えました。

ブランデーワイン派の特徴

ブランデーワイン派の特徴の一つとして、アメリカの芸術スタイルを確立を目指したことがあります。

当時のアメリカは建国からわずか120年程しかたっておらず、工業力は徐々に高まっていたものの、文化的側面についてはまだ発展しているとは言えない状況でした。国家が一つにまとまるためには、自己を規定するための神話やアイデンティティとなりうるものが必要で、アメリカにはこうしたものが圧倒的に不足していました。

また、当時のアメリカの美術を学ぶ学生の多くはヨーロッパへ留学しており、アメリカで美術を学び成功する画家は少ないのが現状でした。

このため、ブランデーワイン派の創始者であるハワード・パイルはアメリカの芸術スタイルを確立の必要性を感じ、弟子/学生たちに自国の風景や革命の歴史を学ぶよう勧めました。また、作品には自国とアメリカで育った自身の人生をインスピレーションにするようにも勧めました。

こうしたパイルの教育によりブランデーワイン派の学生たちは雑誌の表紙や小説の挿絵に加え、アメリカの歴史や風景を題材とした作品が多く描かれています。中でもN・C・ワイエスは独自にアメリカ先住民の文化をリサーチし、それをもとに様々な作品を発表しました。

代表的なブランデーワイン派の画家と作品

イラストレーション史に残る功績の遺しただけでなく、後のアメリカのイラストレーターたちに大きな影響を残したブランデーワイン派。ここからは、そんなブランデーワイン派の画家たちと作品を紹介していきます!

N・C・ワイエス(N. C. Wyeth)

N・C・ワイエスは1882年10月22日、アメリカ マサチューセッツ州に生まれました。ワイエスの先祖はイギリス出身で、なんと南北戦争に参加した有名人だそうです。幼少期は狩りや釣り、農場のなどをして育ちました。この自然と触れ合う経験がワイエスの観察力、観察感覚を伸ばし、後のイラスト/絵画制作の地盤となります。

Tam On The Craig Face

Tam On The Craig Face - N.C. Wyeth

出典:Tam On The Craig Face, WIKIART, https://www.wikiart.org/

One more step, Mr. Hands, said I, and I’ll blow your brains out

1903年2月、ワイエスは「サタデイ・イブニング・ポスト」の表紙でデビューを飾ります。この頃からハワードパイルのもとで助手としても活動しており、実務をこなしながらパイルの様々な技術を学びました。パイルのもとで学んだ後は、仕事の依頼もあり、アメリカ西部を旅しイラストのモチーフとなる資料や知見を集めました。

One more step, Mr. Hands, said I, and I'll blow your brains out - N.C. Wyeth

出典:One more step, Mr. Hands, said I, and I’ll blow your brains out, WIKIART, https://www.wikiart.org/

▼N・C・ワイエスについてはこちらでも紹介しています!▼

【徹底解説】N・C・ワイエスとは?作品と人生を3分で理解しよう!

フランク・スクーノヴァー(Frank Schoonover)

フランク・スクーノヴァーは 1877年8月19日、アメリカ ニュージャージー州に生まれました。パイルの古くからの弟子の1人で、ドレクセル美術科学産業協会(現・ドレクセル大学)で教えていたころからパイルのもとで学んでいました。パイルが美術学校を開くときには、スクーノヴァー自身もドレクセル美術科学産業協会を辞め、助手として行動を共にしました。

Alapocas Woods 1959

スクーノヴァーは、60年以上にわたるキャリアの中で130 冊を超える書籍と2200以上の挿絵を制作しました。また、こうしたイラストレーション以外の活動でも、インマヌエル教会のステンドグラスの窓のデザインやデラウェア美術館の発展へ寄与するなど、様々な作品を制作しています。

出典:(2501) Alapocas Woods 1959, The Rockwell Center for American Visual Studies/Norman Rockwell Museum, https://www.frankschoonover.org/

ウォルター・ハント・エヴェレット(Walter Hunt Everett)

ウォルター・ハント・エヴェレットは1880年8月20日に生まれました。ニュージャージー州ハドンフィールドの農場で幼少期を過ごした後に、ペンシルベニア工業芸術学校へ通い始めます。しばらくするとドレクセル大学のハワード・パイルのもとで学び始め、ハワードが新しくブランデーワイン学校を開設するとそこに入学します。自宅から学校が40キロも離れているにも関わらず、自転車でパイルのもとへ通っていたそうです。

PAN PLAYING FLUTE

出典:COLLECTION, WALTER H EVERETT, http://www.walterheverett.com/

TREES ON THE FARM

初期のころはハワード・パイルの後継者になると言われるほどの才能を見込まれており、ノーマン・ロックウェルと肩を並べるほどだと言われていました。(ノーマン・ロックウェルはアメリカの大衆から絶大な人気がある画家です。)しかしながら、どういうわけか有望視されていたキャリアの途中で注目されなくなり、1946年に静かに息を引き取ります。彼の死後、自宅から25個の油絵の作品が見つかり、これが彼の唯一最大のコレクションとなっています。

出典:COLLECTION, WALTER H EVERETT, http://www.walterheverett.com/

▼N・C・ワイエスについてはこちらでも紹介しています!▼

【徹底解説】ウォルター・ハント・エヴェレットとは?作品と人生を3分で理解しよう!

まとめ

いかがでしたか?

ブランデーワイン派は日本ではあまり知られていないと思いますが、素晴らしい作品が多く遺っています。印象派で知られるゴッホもブランデーワイン派のハワード・パイルを非常に慕っていたようです。

ブランデーワイン派に興味を持ったからは下記の画集を買ってみてはいかがでしょうか!?