こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。
皆さんはジョセフ・コスースという人物をご存知ですか?
ジョセフ・コスース(Joseph Kosuth)は、1945年にアメリカのオハイオ州トレドで生まれた美術家です。日本では「ジョゼフ・コスース」とも表記されます。本物の椅子と、その椅子の写真と、辞書に載った「椅子」の定義を並べた『One and Three Chairs』(1965年)で知られ、コンセプチュアル・アート(作品の「考え」を何よりも重んじる美術)を代表する作家の一人です。
コスースは作品をつくるだけでなく、1969年の論文「Art After Philosophy」(「哲学のあとの芸術」という意味)などで、美術とは何かを言葉で問い直した理論家でもあります。辞書の定義、ネオン管の文字、壁いっぱいの文章。コスースにとって、言葉そのものが作品の素材でした。
「この作品のどこが美術なのか」と戸惑うところから、コスースの作品は始まります。本記事ではそんなジョセフ・コスースの人生と作品についてご紹介します。
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基本情報
| 本名 | ジョセフ・コスース(Joseph Kosuth)。日本では「ジョゼフ・コスース」の表記もあります |
| 生年月日(没年月日) | 1945年1月31日生まれ(2026年10月時点で存命) |
| 国籍・出身 | アメリカ/オハイオ州トレド |
| 学歴 | トレド美術館付属デザイン学校(1955〜1962年)、クリーヴランド美術学校(1963年入学)、ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツ(1965〜1967年) |
| 分野 | インスタレーション、写真、ネオン、文章、美術理論 |
| 傾向 | コンセプチュアル・アート。辞書の定義や引用文など、言葉を作品の素材にする |
| 師事した人物・影響を受けた人物 | ベルギーの画家ライン・ブルーム・ドレイパーに個人的に学ぶ。哲学者ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン、マルセル・デュシャンの影響 |
| 主な受賞 | ヴェネチア・ビエンナーレ名誉賞(Menzione d’Onore、1993年)、フランス芸術文化勲章シュヴァリエ(1993年) |
コスースと同じ時代に「考え」の美術を切り開いた作家や、コスースが強く意識したデュシャンについては、以下の記事でも詳しくご紹介しています。
経歴と作品
トレドからニューヨークへ(1945年〜1965年)
ジョセフ・コスースは1945年1月31日、オハイオ州トレドに生まれました。ニューヨークのグッゲンハイム美術館の紹介によると、10歳だった1955年から1962年まで、トレド美術館付属のデザイン学校に通い、ベルギーの画家ライン・ブルーム・ドレイパーにも個人的に学びました。
1963年にはクリーヴランド美術学校に入学します。翌年はパリで過ごし、ヨーロッパや北アフリカを旅しました。1965年にニューヨークへ移り、1967年までスクール・オブ・ビジュアル・アーツで学んでいます。
グッゲンハイム美術館は、1965年から1974年にかけてのコスースの仕事に、哲学者ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインらが影響を与えたと書いています。同館によると、この時期のコスースは、言葉は言葉自身との関係の中でしか意味をもたない、という考えを作品で探っていきました。
コンセプチュアルアートってなに?
コスースを語るうえで欠かせないのが、「コンセプチュアル・アート(Conceptual Art)」という言葉です。ロンドンのテート美術館は、コンセプチュアル・アートを「作品の背後にある考え(コンセプト)が、完成した物としての作品よりも重要な美術」と説明しています。1960年代に美術の動きとして現れ、ふつうは1960年代半ばから1970年代半ばの作品を指します。
テートは、この動きが1960年代後半にはっきりした形をとった例の一つとして、コスースの連作「Titled (Art as Idea as Idea)」(1966〜1967年)を挙げています。また、この言葉が美術の動きを指して初めて使われたのは、ソル・ルウィットが1967年に書いた文章だとしています。ルウィットはそこで「コンセプチュアル・アートでは、考えやコンセプトが作品のもっとも重要な側面である」と書きました。

物と写真と言葉を並べる(1965年)
コスースの名前を世界に知らしめたのは、1965年に始まる一連の作品です。パリのポンピドゥー・センターは、物とその写真と辞書の定義を三つ並べるこの原理の作品群を「Proto-Investigations」と呼び、コスースはこの連作で美術の舞台に現れたと紹介しています。
『One and Three Chairs』(1965年)
題名を直訳すると「1つの、そして3つの椅子」です。ポンピドゥー・センターが所蔵する作品は、木の椅子が1脚、その同じ椅子を写した写真、辞書から「椅子(chair)」の項目を拡大して写した写真の3つでできています。
同館の展示写真では、壁の左に実物大に近い椅子の白黒写真、その前の床に本物の木の椅子、右の壁に辞書の定義が並んでいます。見る人は「どれが本当の椅子か」と考え始めます。座ることのできる物としての椅子、目で見る画像としての椅子、言葉で説明された意味としての椅子。どれも「椅子」ですが、それぞれ別のあり方をしています。

ポンピドゥー・センターの解説によると、コスースは「芸術とは芸術の定義である」というトートロジー(同じことの言い換え)を作品の土台にし、作品から主観的な要素を締め出しました。言語の理論の影響を受けて、物と画像と言葉の関係を作品にしたのです。物をその画像と定義の横に並べることで、コスースは椅子を「概念」だけにまで削ぎ落とし、マルセル・デュシャンのレディメイド(既製品をそのまま作品として示す方法)を引き継いだと説明されています。
この作品では、選ばれた椅子そのものに特別な価値はありません。同館の解説も、ありふれていることを理由に選ばれた物だと書いています。作品の中心にあるのは、椅子の形や美しさではなく、「椅子とは何か」を考える仕組みです。
『Clock (One and Five), English/Latin Version』(1965年)
同じ1965年の作品で、テートが所蔵する『Clock (One and Five), English/Latin Version』も、同じ仕組みを広げたものです。テートの収蔵データによると、時計、カラー写真、印刷した紙でできた作品で、横幅は約2.9メートルあります。
壁の左から、紙に印刷された時計の写真、本物の壁掛け時計、そして英語とラテン語の辞書から写した「time(時間)」「machine(機械)」「object(物)」などの項目が3枚並びます。椅子の作品と比べると、言葉の側が「時間」「機械」「物」へと広がり、時計という一つの物を、いくつもの言葉の網の目で囲んでいることが分かります。

辞書の定義そのものを作品に(1966〜1968年)
1966年になると、コスースはさらに一歩進みます。物も写真も取り除き、辞書の定義だけを作品にしたのです。これが、テートが初期の例に挙げた連作「Titled (Art as Idea as Idea)」です。
グッゲンハイム美術館の解説によると、この連作は「First Investigations」とも呼ばれ、「water(水)」「meaning(意味)」「idea(考え)」といった言葉の辞書の定義を、写真の複製(フォトスタット)にしたものです。作品には、展示のために何度でも作り直してよいことを示す証明書が付いています。この証明書は展示しません。
同館は、この方法が「ただ一つしかない貴重な美術品」という考えと、美術館の中でそれが占める特別な位置を揺るがそうとする試みだったと説明しています。美術の要素は物そのものにあるのではなく、作品の考えやコンセプトの中にある。コスースはそれを示そうとしたのです。
『Titled (Art as Idea as Idea) [Water]』(1966年)
グッゲンハイム美術館が所蔵する『Titled (Art as Idea as Idea) [Water]』は、縦横121.9センチの正方形の黒い画面に、白い文字で英語の辞書の「water(水)」の項目が写された作品です。語源の説明に続いて、雨や海、湖や川を形づくる液体であること、水素と酸素の化合物H2Oであること、華氏32度、摂氏0度で凍り、摂氏100度で沸騰することなどが書かれています。
画面にあるのは、水の絵でも写真でもなく、「水」という言葉の説明だけです。それでも見る人の頭の中には、それぞれの水の姿が浮かびます。画像がなくても、言葉だけで見る人の想像は動く。この作品は、そのことを静かに示しています。グッゲンハイム美術館のこの作品は、1973年に画商レオ・カステリから寄贈されたものです。
![ジョセフ・コスース『Titled (Art as Idea as Idea) [Water]』。正方形の黒い画面の中央に、英語の辞書の「water」の項目が白い文字で十数行にわたって写されている](https://euphoric-arts.com/wp-content/uploads/2026/10/work-kosuth-water.jpg)
ワシントンのハーシュホーン美術館も、同じ連作の『Titled (Art as Idea as Idea) [Idea]』(1966年)を所蔵しています。下の動画は、同館が2018年に公開した、コスース本人による講演の記録です。
ネオン管の作品
コスースは、1965年からネオン管の文字も作品に使い始めました。グッゲンハイム美術館は、その例として1965年の連作「One and Eight – A Description」を挙げています。8つの単語をネオン管で表し、その単語が指すのは作品自身を構成する要素だけ、という作品です。たとえば「Neon Electrical Light English Glass Letters Red Eight(ネオン、電気の、光、英語、ガラス、文字、赤、8)」という具合です。
赤く光るネオンの文字は、「ネオン」「ガラス」「赤」と、自分自身のことを説明しています。言葉が外の世界ではなく、自分自身を指している。言葉は言葉どうしの関係の中でしか意味をもたない、というこの時期のコスースの関心が、そのまま形になった作品です。
ネオンはその後も、コスースの重要な素材であり続けます。ドイツのシュトゥットガルト市立美術館は、2025年6月から2026年4月まで開いた展覧会「Non autem memoria」で、同館が所蔵する1965年の『Five Words and Five Colors』などを紹介しました。
論文「Art After Philosophy」と展覧会の新しいかたち(1967〜1970年代)
1969年、コスースは論文「Art After Philosophy」を発表しました。グッゲンハイム美術館によると、コスースはこの論文で、従来の美術史の語り方は終わったと主張し、美術がどのようにして文化的な意味と「美術である」という地位を得るのかを、根本から探るべきだと提案しました。
同館は、コスースの次の言葉を紹介しています。「いま美術家であるとは、美術の本質を問うことを意味する。絵画の本質を問うているなら、美術の本質を問うことはできない。『美術』という言葉は一般的で、『絵画』という言葉は特定的だからだ。絵画は美術の一種である。絵画をつくるなら、すでに美術の本質を(問うのではなく)受け入れていることになる」。
ポンピドゥー・センターは、同じ論文でコスースがデュシャンについて書いた一節を引いています。手を加えないレディメイドによって、美術は言葉の形ではなく、何が言われているかに目を向けるようになった。その変化が「コンセプチュアル」な美術の始まりであり、デュシャン以後のすべての美術は本質的にコンセプチュアルだ、という主張です。
展覧会のかたちでも、コスースは新しい試みを続けました。1967年にはニューヨークに「Museum of Normal Art」を立ち上げ、同じ年にそこで初めての個展を開いています。1969年には、世界の15の美術館や画廊で同時に作品を見せる展覧会「Fifteen Locations」を自ら企画しました。同じ1969年1月には、画商セス・ジーゲローブがニューヨークで企画した、コンセプチュアル・アートの先駆けとなるグループ展にも参加しています。
1970年から1974年にかけては、教室のような空間をつくる個展を重ねました。参加者は机に座り、読むための資料を渡され、壁には文章や図が掲げられていました。1973年には、スイスのルツェルン美術館で大規模な回顧展が開かれ、ヨーロッパを巡回しています。
フロイト、引用、文章のインスタレーション(1978年〜1990年代)
1970年代後半から、コスースの関心は、言葉が置かれる社会や文化の文脈へと広がります。グッゲンハイム美術館によると、1978〜1979年の連作「Text/Context」では、美術と言葉、そしてその社会的・文化的な文脈についての文章を、街の大型の看板に掲げました。
1981年からは、精神分析学者ジークムント・フロイトの理論を作品に取り入れます。連作「Cathexis」は、昔の巨匠の絵画を逆さまにした写真に色のついた「×」印を付け、文章を組み合わせたものです。同じ1981年には、シュトゥットガルト州立美術館とビーレフェルト美術館が大規模な回顧展を開きました。
1986年の「Zero and Not」では、機械で紙に印刷した言葉をテープで部分的に覆いました。1989〜1993年の「A Grammatical Remark」では、黒い壁に白い文字で文章を書き、ネオンの光で文の区切りを示すと同時に、暗い展示空間そのものにも区切りをつけました。文字を読むことと、空間を歩くことが一つになった作品です。
1993年には、ヴェネチア・ビエンナーレで名誉賞(Menzione d’Onore)を受け、フランスの芸術文化勲章シュヴァリエにも叙されました。1998年には、ストックホルムが欧州文化首都となった年のために、作家アウグスト・ストリンドベリとセルマ・ラーゲルレーヴの言葉をネオンで表した『Freedom and Belief』を制作し、国会議事堂の外に設置しました。ストックホルム近代美術館の紹介によると、言葉は自由や代表、議会制といった問いに触れるもので、作品はのちに作り直されて同館の所蔵となり、館の廊下と外壁に設置されました。
イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館での3つの作品(2003年)
2003年には、ボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館で、文章や資料、館の所蔵品を使った3つのインスタレーションを制作しました。グッゲンハイム美術館は、これらの作品が美術館の収集の背後にある政治と哲学について語るものだったと説明しています。
ガードナー美術館によると、コスースは開館100周年を記念して、同館のアーティスト・イン・レジデンス(滞在制作)に招かれました。2002年には、2人の調査助手とともに数か月をかけて館の資料と展示室を調べ、翌年、100周年の幕開けとなる展覧会「Artist, Curator, Collector: James McNeill Whistler, Bernard Berenson, and Isabella Stewart Gardner」を開きました。館の創設者イザベラ・スチュワート・ガードナー、その収集に助言した目利きのバーナード・ベレンソン、ガードナーが作品を集めた画家ジェームズ・マクニール・ホイッスラーという、館と深く結びついた3人を通して、創造の過程を探る展覧会です。
特別展示室の『Guests and Foreigners: Three Faces of a Correspondence』では、灰色と黒と白の色調の中に、ベレンソンの助言で購入された所蔵品と、3人の年表、手紙、ヴィトゲンシュタインの言葉、19世紀の作法の助言などを並べました。常設の展示室では、ケースや遮光用の覆いをすべて灰色のビロードの覆いに取り替え、そこにケースの中の資料から取った文章を書き入れました。屋外では、庭を囲むれんがの壁に、ホイッスラーが1885年に行った講演「Ten O’Clock Lecture」の言葉をネオンで掲げ、この作品は2004年の春まで設置されていました。館の所蔵品と、その周りにある言葉を組み直すことで、美術館そのものを作品の素材にしたのです。
教育者として、そして現在
コスースは長く教育にも携わってきました。グッゲンハイム美術館によると、ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツ(1967〜1985年)、ハンブルク造形美術大学(1988〜1990年)、シュトゥットガルト造形美術大学(1991〜1997年)、ミュンヘン美術アカデミー(2001〜2006年)で教授を務めました。
日本の美術館にも、コスースの作品があります。文化庁のアートプラットフォームジャパンのデータベースによると、兵庫県の市立伊丹ミュージアムは、1991年のシルクスクリーン作品『~の書より Ex-Libris』を所蔵しています。また、愛知県の豊田市美術館には、コスースが同館のために制作したコミッション・ワークがあります。
2026年10月時点でも、コスースの活動は続いています。ヴェネチアのカーサ・デイ・トレ・オーチでは、ベルグルーエン・アーツ・アンド・カルチャーによる個展「The-exchange-value-of-language-has-fallen-to-zero」が開かれています。言葉を素材にした60年以上にわたる仕事は、いまも新しい作品として更新され続けています。
| 年 | 主なできごと |
|---|---|
| 1945年 | オハイオ州トレドに生まれる |
| 1965年 | ニューヨークへ移る。『One and Three Chairs』、ネオンの作品 |
| 1966〜1967年 | 連作「Titled (Art as Idea as Idea)」 |
| 1967年 | Museum of Normal Artを立ち上げ、初個展 |
| 1969年 | 論文「Art After Philosophy」。展覧会「Fifteen Locations」 |
| 1973年 | ルツェルン美術館で回顧展 |
| 1981年 | フロイトの理論を用いた連作「Cathexis」 |
| 1993年 | ヴェネチア・ビエンナーレ名誉賞、芸術文化勲章シュヴァリエ |
| 2026年 | ヴェネチアのカーサ・デイ・トレ・オーチで個展 |

まとめ
いかがだったでしょうか。ジョセフ・コスースの人生と作品について、ご紹介してきました。
コスースは1945年にオハイオ州トレドで生まれ、1965年にニューヨークへ移りました。同じ年に、本物の椅子と写真と辞書の定義を並べた『One and Three Chairs』を発表し、翌年からは辞書の定義だけを作品にした連作「Titled (Art as Idea as Idea)」に取り組みました。1969年の論文「Art After Philosophy」では、美術家とは美術の本質を問う者だと主張しました。
その後も、自分自身を説明するネオンの文字、教室のような展示、街の看板、フロイトの理論、壁一面の文章へと、言葉の使い方を広げてきました。2026年にもヴェネチアで個展が開かれ、その仕事はいまも続いています。
コスースの作品は、ぱっと見ただけでは「これが美術なのか」と感じるかもしれません。けれども、椅子と写真と言葉のどれが本当の椅子かを考え始めたとき、作品はすでに動き出しています。機会があれば、ぜひ作品の前で、言葉と物の関係について考えてみてください。
Euphoric " " の視点
コスースが1965年に示したのは、本物の椅子、椅子の写真、辞書の定義という、誰でも用意できるものだけで成り立つ作品でした。選ばれた椅子に特別な価値はなく、大切なのは、並べ方が生む問いのほうです。
その問いは、辞書の定義だけの作品、自分自身を説明するネオン、街の看板、教室のような展示へと形を変えながら、60年あまり続いてきました。見た目の美しさではなく考えそのものを差し出す作品は、ものを見る私たちの習慣を静かにゆさぶります。わかりにくさの先に、自分で考える楽しさがある。コスースの作品は、そのことを思い出させてくれます。
この作品を見に行くには
記事で紹介した作品は、次の館などが所蔵しています。2026年10月時点で、テートの作品ページでは「展示されていない」と表示されています。展示替えがあるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。






