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みなさんはマルセル・デュシャンを知っていますか?
マルセル・デュシャンはコンセプチュアルアーティストとして有名です。
この記事ではマルセル・デュシャンの『人生』と『代表作品』についてご紹介します!
目次
マルセル・デュシャンってどんな人?
<名前>
マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
<国籍>
フランス→アメリカ(1955年)
<人生>
マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)は1887年7月28日にフランスのノルマンディー地方に生まれた。父親は公証人と比較的裕福な家庭で育ち、チェス、読書、芸術鑑賞を家族でよくしていました。デュシャンは7人兄弟で、そのうちの2人の兄(ジャック・ヴィヨン、レーモン・デュシャン=ヴィヨン)は芸術家で、デュシャンも彼らに影響されて、子供の頃から絵を描いていた。
デュシャンは高校卒業後、1904年にパリへ移住し、アカデミー・ジュリアンで芸術を学びました。しかし、デュシャンは授業に出るよりも、ビリヤードやチェスをするのが好きで、決して真面目な生徒ではありませんでした。彼が世界的に有名な芸術家になるための絵画技法をどこで学んだかと言うと、1905年からの強制兵役で印刷業者で働いていた時でした。
デュシャンは、パブロ・ピカソやアンリ・マティスと共に、20世紀初頭の芸術界に革新的な影響を与えた3大アーティストとして数えられています。デュシャンは第一次世界大戦以前の視覚に訴えかける芸術に、思考や構想を楽しむエッセンスを入れたことで有名になりました。
そして1912年から「階段を降りる裸体No.2」、1917年に「泉」、1915年から1923年に「彼女の独身者によって裸にされた、花嫁さえも」を制作しました。しかし、1923年以降、デュシャンはチェスに没頭し、その後これといった作品の制作をせず、1968年10月2日に命を閉じました。
コンセプチュアルアートとは?
コンセプチュアルアートとは、1960年代後半から1970年代にかけて展開した前衛芸術です。当時はミニマルアートが主流でしたが、もはや絵画や彫刻という形式を取らずとも、思考や構想のみで芸術とみなそうということでコンセプチュアルアートが登場しました。形式は自由ということから概念芸術とも言われています。
▼コンセプチュアルアートについて、以下の記事でくわしく解説しています!
【まるっと理解!】コンセプチュアルアートってなんですか?
マルセル・デュシャンの代表作品
階段を降りる裸体No.2-1912年
これは1912年にフランスのパリで開催されたアンデパンダン展で公開されました。この作品は当時のキュビズムと未来派の要素を兼ね備えていましたが、キュビストから未来派すぎると批判を受けました。しかし、その後の複数回の展示会では反響を呼び、マルセル・デュシャンの代表作となりました。
泉-1917年
この作品は、1917年にニューヨークで開催されたグランド・セントラル・パレスの展示会に出店予定でしたが、展示会委員会から展示を拒否されました。現在ではおり着なるの作品は現存しておらず、レプリカが出回っています。
彼女の独身者によって裸にされた、花嫁さえも-1915年~1923年
この作品は1915年から1923年にわたって制作されました。しかし、8年間も制作に費やしたにも関わらず、この作品が完成することはありませんでした。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
マルセル・デュシャンは私たちが思い描いていた芸術に没頭しているアーティスト像ではないかもしれません。
しかし、チェスやビリヤードを楽しむ余裕こそが彼の作品を作り出す源なのかもしれませんね!
参考文献
TOP画像:BCC|Cornelia Parker on Marcel Duchamp