こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。
皆さんはという初音ミクをご存知ですか?
初音ミクとは、クリプトン・フューチャー・メディア株式会社が発売するバーチャルシンガーソフトウェアであり、イメージキャラクターの名称です。
2007年8月31日に発売開始し、インターネット発の音楽文化を大きく発展させた「電子の歌姫」として知られています。
初音ミクを筆頭に、音声合成ソフトを用いた楽曲とキャラクターはVOCALOIDと呼ばれ様々な広がりを見せています。
今では日本史の教材に掲載されるほど、音楽に限らず日本文化を語る上で欠かせない存在になっています。
本記事ではそんなの初音ミクを始めとするVOCALOIDの歴史と発展についてご紹介します。
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初音ミクを生み出した『第三の波』
当時、世界で1000万部以上売り上げたベストセラーだった。

クリプトン・フューチャー・メディア株式会社の創立者であり現在は代表取締役を務める伊藤博之は北海道の田舎に生まれました。
生まれ育った町では高校を卒業したら就職をするのが当たり前で、大学に進学するのは一握りの特別な家庭だけでした。
親が建具を作る工場を営んでおり、幼い頃からものづくりが身近にある環境で育ちました。
親からは「公務員か銀行員になりなさい」と堅い職業に就くことを希望されていました。一人で細々と事業をする苦労を背負わせたくないという親心の現れだったのかもしれません。
伊藤氏は高校三年生の時に公務員試験を受け、北海道大学に大学職員として就職することになりました。
興味のあったコンピュータを扱う仕事を希望していたこともあり、工学部の研究室に配属が決定します。
当時(1983年)はコンピュータが普及し始めた時代で、伊藤氏の地元では見ることも触れることもない代物でした。
そんな伊藤氏がコンピュータに関わりたいと思ったきっかけは、テレビ番組で見た『NHK特集 「第三の波」-アルビン・トフラーの未来論-』(1982)でした。高校生だった伊藤氏は未来学者アルビン・トフラーが語る『第三の波』という概念に衝撃を受けました。
『第三の波』とは、大きな技術革新がこれまでの社会と文化を脇に追いやる様子を波に例えた時、これまでに『第一の波』である農業革命と『第二の波』である産業革命が来ているといいます。そして『第三の波』は脱産業革命であり、IT技術の発展により生産者から消費者という一方的な関係ではなくなることが生産消費者(プロシューマー)というキーワードと共に主張されました。
情報は広く公開され、誰もが情報の発信者になるという未来予想図が、伊藤氏を最先端技術であるコンピュータへと導いたのです。
当時の日本にはインターネットと呼べるものは普及していなかったものの、大学ではその原型と言えるようなシステムがいち早く取り入れられていました。北海道大学には大型計算機センター施設があり、そのセンター長を務めるのが伊藤氏の働く研究室の教授でした。
伊藤氏はネットワークシステムの設計や導入に携わり、最先端のインターネットに触れることができる環境に飛び込んだのでした。
音楽が電子の海を流れたら
職員時代、趣味で音楽活動をしていた伊藤氏。バンドをはじめ、コンピュータやサンプラーを用いたDTMも行っていました。
当時は容量の問題で10秒程度の音声しか録音できなかったフロッピーディスクを3000枚も所持するほどサンプリングオタクだった伊藤氏。
当時購読していた『Keyboard』というアメリカの雑誌には、楽器や音楽の情報だけではなく個人広告のスペースがありました。そこに自身がサンプリングした音源の販売広告を出した伊藤氏。すると国内外から購入を希望する手紙が殺到しました。
音源の販売は収益になっただけではなく、海外に友達ができたり、英語の勉強を独学で行うきっかけになりました。
北海道という閉鎖的な世界から解き放ち、伊藤氏と同好のクリエイターを結びつけた原体験はインターネット以前に音楽だったのです。
時間と場所をともにして行うバンドと異なり、電子音楽を作る際はデータを入れたフロッピーディスクを送り、返信が来るのを待つことの繰り返しで、そのうち何を作っていたのか忘れてしまうこともあったようです。
音源販売でも、世界中から届くエアメールに返信したりカタログを作って送るのに手間がかかりました。
しかし、インターネットであれば瞬時にデータが相手に届きます。この技術的なインパクトはクリエイターにとって最高のツールになると感じました。
当時のインターネットにあったのはテキストサイトばかりで、音声や映像はおろか画像すら流通していませんでした。
インターネットでの情報流通が活発になったら、データのやり取りがスムーズになるだけでなく、遠く離れたクリエイター同士のコラボレーションができたり、電子書籍やビデオ通話など既存の媒体を発展させた新しい技術が生まれるかもしれない。
当時のIT技術は未発達で、一般人には一時的なブームとして見做されていました。しかし、それゆえにある無限の可能性に伊藤氏は心を掴まれたのでした。
北海道初のインターネット企業誕生
北海道大学の職員として働きながら、音源の販売をし、さらに北海学園大学の夜間部に通っていた伊藤氏。
音源販売をはじめた1980年代は、輸出に都合の良い円高でした。しかし90年代に入るとだんだんと円安に傾いてきたため、今度は海外の友達を通じて海外音源や外国のソフトウェアを輸入し国内で販売を始めました。
こうした趣味を通じて、未来予想図をビジネスとして実現する基盤が固まってきた1995年に、伊藤氏はクリプトン・フューチャー・メディア株式会社(以下クリプトン)を起業しました。
最初は伊藤氏が個人で行っていたことの延長で、音源が入ったCD-ROMを輸入して宅配便で送る事業を行っていたといいます。
ちなみに、会社の設立に際して定款に「インターネット関連事業」と書いて公証人役場に提出したら、役場の人にインターネットという言葉が通じず、起業を認められなかったというハプニングが起こりました。
その場でインターネットがどういうものか説明して事は済んだのですが、こうしてクリプトンは北海道で初めてインターネット事業をした会社となったのでした。
ビジネスの転機は“着メロ”に!?
当時は着メロの配信サイトや、自作するための楽譜が載った雑誌が売られていた。

2000年代に入ると、IT技術も徐々に進歩してきました。携帯電話が普及し、ウェブサイトとの連携を行うiモードやEZWebなどのウェブプラットフォームも生まれました。
かつては日本には原型しか存在していなかったインターネットと、消費者との距離感がぐっと縮まった2000年代。とある事業がクリプトンを大きく成長させることになります。
それは携帯電話の着信メロディでした。
当時は、着信やアラームの時に再生される音楽をカスタムして自己表現することがブームでした。
既存のサウンドだけではなく、有料の音楽をダウンロード販売するウェブサイトが現れた頃。伊藤氏は「これは音を売るビジネスだ」と敏感に反応。クリエイターにだけではなく、一般人に向けて音源を売るチャンスだと考えました。
当時の通信キャリアに企画書を持ち込んでサービスを売り込み、クリプトンが所有する膨大な音源を販売するサーバーを運営することになりました。
あっという間に月に数百万ダウンロードを突破、安定した利益を得ることができるようになりました。
この時、携帯電話用の音源チップを取り扱っていたヤマハの半導体事業部と付き合いを持ったクリプトンですが、この関係は後のVOCALOID開発に大きく関わることになります。
実は、歌声合成ソフトウェアの開発にあたってヤマハと協力して製品化したのがクリプトンが最初にリリースした歌声合成ソフトウェア「MEIKO」だったのです。
前代未聞のVOCALOIDリリース〜MEIKO、そして初音ミクへ〜
現在の初音ミクとはコンセプトが異なるMEIKOのパッケージ

歌声合成ソフトウェア「MEIKO」が発売された2004年11月。当時からピアノやギターの音をデジタルデータで再現する技術はありました。バーチャル・インストゥルメンタルと呼ばれる技術です。
その中で、歌声のバーチャル・インストゥルメンタルを実現できないかと伊藤氏は考えていました。
そこで、着信メロディの仕事で付き合いのあったヤマハが開発していた歌声合成技術「VOCALOID」が思い立ちました。
ヤマハと契約し歌声合成ソフトウェアを製品化して発売することが決定しました。
しかし、従来のバーチャル・インストゥルメンタルのソフトウェアのようにパッケージ販売をしても、手に取ってくれるイメージが沸かなかったという伊藤氏。
そこでパッケージにイメージキャラクターのイラストを載せ、ソフトウェアの「人となり」を表現するという方法を取りました。
当時のバーチャル・インストゥルメンタル・ソフトウェアは1000本も売れればヒット作と言われる状況でした。しかし「MEIKO」は初年度で1500本の販売を記録しました。
一方、二作目となる「KAITO」は日本語に対応した男性歌声合成ソフトウェアとしては世界初の製品でしたが500本に留まりました。
それぞれ手応えと反省がある中で、クリプトンの中で三作目の企画が立ち上がっていました。
2006年、ヤマハから新しいVOCALOIDエンジンを開発しているとの知らせが届きます。
製品化に向け、「MEIKO」と「KAITO」の反省を活かしてパッケージにイメージキャラクターを載せることと女性の歌声にすることがすぐに決定しました。
しかしバーチャルな歌声を巡って、ある問題が浮上してきたのです。
バーチャルに命を吹き込む〜電子の歌姫、誕生〜
音声ソフトとしては異例のキャラクターを押し出したパッケージ

ある問題とは、声の収録をオファーしていた女性ミュージシャンから軒並み断られてしまったことです。
VOCALOIDがなまじ知れ渡り「自分の歌声がコピーされてしまう」という心配から断られてしまったようでした。
「MEIKO」と「KAITO」は、プロの歌声をデジタルで再現するという発想でプロシンガーの拝郷メイコ氏と風雅なおと氏に声をかけ、実現した製品です。
ここで発想の転換が必要だと感じた伊藤氏。
ちょうどその頃、アニメや声優に詳しい目黒久美子氏がクリプトンに入社してきました。
彼女の牽引で声優が持つ「声でキャラクターを表現する」力を頼る方向性が固まりました。
声優事務所に連絡をとり、300人を超えるサンプルから最も初音ミクのイメージにあった藤田咲氏が採用になりました。
パッケージのイラストも一新し、インターネットを中心に活動していたイラストレーターKEI氏に依頼しました。
さらに重要なのは、公開された初音ミクのイラストやデザインはルールの範囲内なら自由に利用しても良いと決めたことでした。
これが後の「二次創作による共創社会」の創造に繋がります。
初音ミクのプロジェクトが進む中、リリース済みの「MEIKO」の売り上げが2007年に入ってから再び上がり始めるという不思議な現象が起きていました。
発売から2年以上経過している「MEIKO」は、通常であれば売り上げが落ち着いているはずです。
理由を調べるとYouTubeやニコニコ動画といった動画プラットフォームサービスが始まって、一般人が作った楽曲を発表する場が生まれていたのです。
そうした風潮の中、ついに初音ミクが発売されました。
リリース当日に500本、最初の2週間で3000本が売れるという予想を大きく上回る大ヒットとなりました。
これにはYouTubeやニコニコ動画に投稿された初音ミクを使用した楽曲の影響も大きく、キャラクター性のあるイラストや歌声によって楽曲だけでなくソフトウェアにも注目が集まったことも要因と考えられます。
二次創作による共創社会〜同人文化と著作権〜
英語版ウィキペディアより。MMDは後にボカロ曲のMVにも使用されるようになった。

瞬く間に伊藤氏の予想を超える大反響を呼んだ初音ミク。VOCALOIDを使用した楽曲が次々発表されただけではなく、ひとつの動画を元ネタとした二次創作やコラボレーションが行われました。
MMD(MikuMikuDance)と呼ばれる3DCGモデルを自作して楽曲に合わせて踊らせたり寸劇のような映像作品を発表する文化が生まれたのも、初音ミクが与えた功績と言って良いでしょう。
伊藤氏が思い描いていた、インターネット上での創作の連鎖が実現した瞬間でした。
これもひとえにイラストの二次利用を許可したことで起きた現象でした。
しかし、これが権利を巡る大きな問題を引き起こす原因にもなりました。
9月に入ってから、公式イラストの二次利用や無断転載についてたくさんの問い合わせが寄せられるようになったのです。
日本には昔から、同じ趣味を持つ人同士が創作を行う同人文化があります。
同人文化では、一次創作だけではなく既存の作品の派生またはパロディした二次創作も行われることがしばしばありました。
現在において同人という言葉の意味は、ほとんど二次創作の意味に置き換わっているほどです。
大抵の場合は権利者に無断で、目立つと法的措置が取られるもののアンダーグラウンドで生産・消費される分には黙認されているという状況でした。
そのため創作者が自粛することでしか、同人文化を保全する手立てがないという状況を危機的に思った伊藤氏は、初音ミクに関しては二次創作のガイドラインを設け、お互いに空気を読み合って文化をシュリンクさせることのないように舵を切りました。
こうすることで二次創作はコソコソと陰で行うような後ろめたいことではないという姿勢を広めたのです。
さらに、二次創作やコラボレーションを促進するためにクリプトンが行ったサービスが「Piapro(ピアプロ)」です。
健全な共創社会を目指して
最終的にピアプロキャラクターズは6人になり、コンプリートパッケージが発売された。
ユーザーがそれぞれコンテンツを自由に投稿し、音楽とイラストのように異なるジャンルのクリエイターがマッチングする場所を目指して生まれたピアプロ。
ピアプロの設計には、クリプトンの事業であるソフトウェア開発におけるオープンソースの思想がありました。
オープンソースとは、プログラムのソースコードを一般公開し、誰が使っても良い状態にすることです。これはソフトウェア開発に限らずプログラミングの現場でよく行われている文化でした。開発したものを独占せず、広く利用してもらうことで新しく便利なプログラムが生まれやすくなっているのです。
こういった思想に基づいて、初音ミクを含めたキャラクターの権利を「ピアプロキャラクターズ」としてガイドラインを定めていきました。
作品の価値を下げる悪質な二次利用を防ぎつつ、創作の自由を保証することは容易なことではありません。
昔はYouTubeやニコニコ動画でも、テレビ番組の転載やアニメのシーンを繋ぎ合わせた“まとめ動画”が氾濫していました。YouTubeのファスト映画問題は記憶に新しいのではないでしょうか。現在は人気のコンテンツであるゲーム実況や切り抜き動画だって、権利問題が浮上したことで「許諾利用」「公認化」が進み今に至ります。
それらは結果的には権利を侵害しており、版元の価値を下げる行為と判断されたわけですが、同時にコンテンツに価値を感じて人気を博していたのも事実です。
むしろ価値があったからこそ、創作の自由を守りつつ権利を侵害しない形に刷新されたという経緯があります。
振り返ってみると近年でも漫画村、トレースによる肖像権侵害、生成AIによるイラストの権利問題など「創作と権利」を巡る問題は話題に事欠きません。
この世界に価値あるコンテンツが生まれる限り、健全な共創社会を望む限り、永遠の課題と言えるかもしれません。
これまでの初音ミクとこれからの初音ミク
ここまでは初音ミクが誕生するまでの経緯を、伊藤氏のビジネスライフと共に見ていきました。
ここからは、初音ミクをはじめとするピアプロキャラクターズが、音楽をはじめとするカルチャーにどのような影響を与えてきたのかを見ていきます。
公式に二次利用のガイドラインを定めたことで、初音ミクをはじめとするピアプロキャラクターズは楽曲ソフトの単なるイメージキャラクターではなく独立したキャラクターとしての存在感を高めていきました。
しかしピアプロキャラクターズは意外と複雑なキャラクター構造をしています。
物語を持たず、公式で決まっている設定は最低限のプロフィールと外見、音声だけ。それすらもブランディングやコラボレーションによって自由自在です。この余白を持ったキャラクター性によって生まれる創作可能性はサンリオのハローキティが行ったブランディング戦略に近いものを感じます。
またSNSの普及と共にデビューしたためネット発祥のネタや非公式な設定のコンテンツ力が強く、後に公式に取り入れられたものもあります(ネギ、重音テトなど)。
カルチャーの越境者
「初音ミク『マジカルミライ』」にARで登場した初音ミク。

そして初音ミクの舞台は日本から世界へ、インターネットからリアルへと広がりを見せていきます。
リリースから2年後、2009年にさいたまスーパーアリーナで行われた「アニメロサマーライブ2009」で初のソロライブを開催。ライブ映像の上映が行われました。
2010年にはアメリカの「ニューヨーク・アニメ・フェスティバル」に初音ミクが参加、2011年にはロサンゼルスで初の海外ライブ「MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES“はじめまして、初音ミクです”」が開催。
そして活動の集大成とも言えるのが2013年に行われたライブイベント「初音ミク『マジカルミライ』」です。
ピアプロキャラクターズがバーチャルシンガーとして、3DCGを投影したARによる音楽ライブを行うマジカルミライでは、目の前で初音ミクたちが歌って踊る姿を体験することができました。
3DCGによるライブは今ではVTuberのイベントなどで広く知られるようになっていますが、初音ミクはその先駆けとなる存在だったのです。
媒体を超え、国境を越え、そして次元まで越える初音ミク。
見えない壁を軽やかに越境していく初音ミクの歌声は、伊藤氏の予想を超える『波』となったのではないでしょうか。
クリエイターを育てる“ボカロP”と“歌ってみた”
初音ミクが発売された2007年頃、YouTubeやニコニコ動画など一般人が作品を発表するプラットフォームが普及し始めた時代でした。
こういったプラットフォームは、著作物の違法アップロードや他人の作品の転載などの問題も孕んでいます。
2000年代は「音楽が売れない」という風潮が強く叫ばれた時代でした。実際に全盛期に比べて2007年のCD市場は半減していました。
2004年に出版された「誰が『音楽』を殺すのか?」は当時の世相を象徴する書籍で、音楽市場が低迷した犯人をインターネットに求めるという主張でした。
そういった風潮もあり、インターネットは特にアーティストにとって「他人の作品をタダ売りする悪い場所」という映り方をしていました。
一方で、初音ミクをはじめとするVOCALOIDを使用した楽曲(以下ボカロ曲)を用いたクリエイターたちは、ほとんどがアマチュアでした。レコード会社への繋がりを持たない彼らにとってネット上のプラットフォームは、世界中に自身の作品を発表できる唯一の場所だったのです。
その結果、VOCALOIDを用いて楽曲を作る“ボカロP”や、アマチュアがカバー曲を発表する“歌ってみた”文化が生まれていきます。
こういった文化は現在まで引き継がれており、ボカロPを経た後にVOCALOIDを使用しない楽曲を制作したり、歌ってみたを発表する“歌い手”を経た後にオリジナル曲を発表するという形でアーティストとして再デビューし広く認知されるようになった人も多く登場しています。
米津玄師、キタニタツヤ、ヨルシカのコンポーザーであるn-buna、YOASOBIのコンポーザーであるAyaseなどが元ボカロPアーティストとして知られています。
クリプトンは今でいう「UGC(ユーザー生成コンテンツ)」がもたらすクリエイティブの連鎖を信じたといえるかもしれません。
このことについて伊藤氏は「収穫モデル」という言葉で表現しています。既存のビジネスモデルは、将来的に得られる収益を見込んでサービスを開発します。
しかしクリプトンは、初音ミクに類似した前例がなかったため見込みを立てることができませんでした。それでも目の前に二次創作を楽しむ人たちがいる。そういった生産消費者たちを信じて、見切り発車でプロジェクトを進めたと言います。赤字になる可能性や、界隈が衰退する可能性も大いにあるというリスクを背負いながらも、なるべく良いものを作るためにビジネスを進めることを「収穫ビジネス」と表現しました。
そして何より伊藤氏は、VOCALOIDを中心に広がる二次創作は楽しい、もっと創作の連鎖を見てみたいという気持ちが判断に繋がったと語っています。
「聴く」でも「作る」でもない音楽を手近に届ける
プロセカのコンセプトアート。複数のキャラクターによる重層的なストーリーが、ボカロ曲に深みを与える。

アニメやゲーム等のかつてサブカルチャーと言われたコンテンツ群はもはやメインストリームの一旦を担う存在になりました。
「ボーカロイド」という自立したコンテンツに成長したことを受け、より多くの人のボカロ曲や創作文化の魅力に触れてもらう機会を創出するという思いが伊藤氏の中にありました。
その答えになるのはゲームでした。
2009年にセガからリズムアクションゲーム「初音ミク-Project DIVA-」が発売され、現在でも続編が出ている長寿シリーズです。
収録されたボカロ曲をコントローラ操作で演奏する、いわゆる音ゲーですが初音ミク本来の音楽制作機能はありません。その代わり、音楽に合わせて踊る初音ミクの3DCGモデルを着せ替えたり、音楽を簡易的に編集する機能を搭載することで音楽に触れる機会と創作の楽しみを醸造することがコンセプトのシリーズでした。
結果的に3DCGモデルの搭載にあたって蓄積されたノウハウは、後のライブイベントに役立つことになりました。
現在、初音ミク関連のコンテンツで人気を博しているのが2020年9月30日にサービスを開始したスマートフォン向けアプリ「プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク(以下プロセカ)」です。
プロセカは初音ミクをはじめとするピアプロキャラクターズと少年少女との出会いを描いたストーリーを主軸に、これまで制作されたボカロ曲をプレイ可能。加えて登場するキャラクターによるカバーや、ゲームオリジナル曲などを発表するなど「初音ミク-Project DIVA-」よりも重層的なコンテンツになっています。
リリースから4年時点で累計収益8億ドルを達成し、セガのモバイルゲーム事業の50%以上を占めるビッグタイトルになっています。
前項でも見てきた通り、ボカロ曲の制作や視聴を原体験にアーティストになった人物が音楽シーンの第一線を走る現在。
プロセカは「聴く」でも「作る」でもない音楽の形を手のひらの中に実現すると共に、未来の時代の生産消費者を育てる場所にもなっているのではないでしょうか。
まとめ
いかがだったでしょうか。
伊藤氏が大学の研究室でコンピュータの前に立った時、雑誌に個人広告を出した時、北海道初のインターネット事業者になった時、自分の手で生み出した「電子の歌姫」がこれほどに世界を変えることを予感したでしょうか。
初音ミクの誕生にはヤマハのVOCALOID技術や声優の起用など様々な要因がありましたが、当時描いていた「インターネットを通して音楽が、生産者も消費者も関係なく世界を自由に飛び回る」という本質的な価値は変わっていません。
クリプトンの掲げるミッションに「メタクリエイター」というものがあります。その意味するところはクリエイターが必要とする技術を作るクリエイターであることと語ります。
創作が必要とされる限り失われないポジションを確立し、生産者と消費者がともに創作を前に進めていくクリプトンから生まれた初音ミクが、どこまで羽ばたいていくのか楽しみです。
おすすめ書籍
初音ミクをもっと知りたい方にはこちらの書籍がおすすめです!
創作のミライ 「北海道」から初音ミクが生まれたわけ
クリプトン代表取締役の伊藤博之氏が、創業前の人生から未来のビジョンまでを振り返る書籍です。副題にもある「北海道から初音ミクが生まれたわけ」については本記事でも扱っていますが、本書では「これから初音ミクが北海道をどう変えるか」など、未来の話についても話されています。クリプトンと初音ミクの歴史を知るためには必読の一冊です。
初音ミクはなぜ世界を変えたのか?
音楽ジャーナリストの柴那典氏による著作。伊藤氏へのインタビューを交えつつ、ボーカロイドが音楽シーンをはじめとするカルチャーへの影響について描かれた書籍です。『創作のミライ 「北海道」から初音ミクが生まれたわけ』のインタビューと構成を担当したのも柴氏です。
東京大学「ボーカロイド音楽論」講義
ボカロPであり音楽評論家である鮎川ぱて氏が、東京大学教養学部の非常勤講師として受け持った「ボーカロイド音楽論」の講義をまとめた書籍。ボカロ曲の変遷や込められたメッセージについて著者と学生とのやりとりを通じて深掘りされていきます。ボカロファンには慣れ親しんだ楽曲やボカロPを取り扱ってはいますが、大学の講義なのでそこから広がる知識や洞察が非常に骨太で読み応えがあります。






