『記憶の固執』曲がった時計の正体とは?【サルバドール・ダリ】

「『記憶の固執』ってなに?」
「『記憶の固執』の時計はなぜ曲がっているの?」

この記事はそんな悩みを持った人向けで、『記憶の固執』について基礎から学べるものとなっています!

まずは『記憶の固執』の概要をご覧ください!

『記憶の固執』の概要
作者:サルバドール・ダリ
サイズ:24cm*33cm
制作された年:1931年
展示された年:1932年
所蔵場所:ニューヨーク近代美術館

この作品の溶けるように曲がった時計の正体には3つの説があり、その説を理解するにはまずはサルバドール・ダリの人生を理解する必要があります。

サルバドール・ダリの人生

ここでは、サルバドール・ダリの曲がった時計の3つの説を理解するために、彼の人生を必要なところのみ解説します。

サルバドール・ダリは1904年5月11日に、スペインのカタルーニャ地方のフィゲーラスで生まれました。父は公証人、母は商家出身というように、裕福な家庭で彼は生まれ育ちました。

彼は甲殻類のような固形の硬い食べ物が非常に好きで、柔らかい食べ物があまり得意ではなかったそうです。

ある日、彼は実の父親から梅毒の写真を見せられ、その出来事のショックが大きく、勃起不全になってしまったそうです。

彼は幼い頃から絵画に興味を持っており、スペインのマドリードにある王立サン・フェルナンド美術アカデミーへ入学します。

その後、活動の拠点をパリに移し、パブロ・ピカソやアンドレ・ブルトンなどのシュルレアリスムの画家たちと知り合い、彼らの絵画に影響を受けます。

それ以来彼は自身の作品に、シュルレアリスムという相反する要素を1つの作品に収め、視覚的錯覚を生み出す美術様式を頻繁に取り入れています。そして、彼は「柔らかい」と「硬い」という相反する概念をよく取り扱うようになりました。

そして、1931年に『記憶の固執』を制作。1934年には妻のガラと結婚しました。

『記憶の固執』の時計が曲がっている3つの説

ここまででサルバドール・ダリの人生を理解して頂けたと思います。

ここからは、『記憶の固執』に描かれた、本来は硬いはずの時計が、曲がっている正体について、3つの説から紐解いていこうと思います。

(※彼の作品はシュルレアリスムの美術様式に基づいて製作されていますので、そのことを念頭に置いて、以下の3つの説をお読みください。)

説①幼い頃のトラウマが生んだ性的不安

サルバドール・ダリは、幼い頃に父親から梅毒の写真を見せられて以来、勃起不全になってしまいました。

彼が「柔らかい」と「硬い」という相反する2つの概念を取り扱うのは、この出来事があったからだと言われています。

硬いはずの時計が溶けるように柔らかくなるのは、「萎える」ということへの恐怖を表しており、その性的不安が作品にも表現されたと言われています。

説②アインシュタインの「一般的相対性理論」

サルバドール・ダリはドイツの物理学者であるアルベルト・アインシュタインが構築した、物体の存在する周りの時空は歪むという、一般的相対性理論に影響を受けていると言われています。

『記憶の固執』には羅針盤が見える時計が3つ描かれており(左下のアリが群がっている時計を入れると4つ)、それぞれ指している時間が異なります。

これは、過去、現在、未来の3つの時空間を表していると言われており、一般的相対性理論とシュルレアリスムを掛け合わせた作品をなっています。

しかし、ある物理学者がサルバドール・ダリ本人に話を聞くと、彼は一般的相対性理論の影響は受けていないとのことです。

説③ガラがキッチンで食べていたカマンベールチーズ

こちらは、サルバドール・ダリも公言しており、最も信憑性の高い説となっています。

サルバドール・ダリが『記憶の固執』を制作するに至ったインスピレーションは、妻になったガラがキッチンでカマンベールチーズを溶かしていた様子だったと言われています。

その溶けるカマンベール・チーズの様子が、本来は硬いはずのものが、柔らかく表現された絵画を、数多く制作していた彼の作品のイメージに当てはまったそうです。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回は『記憶の固執』曲がった時計の正体について、3つの説から解説しました。

Euphoric””では、今後も数多くのアーティストをご紹介していくだけではなく、弊社デザイナーが使っているAdobeソフトのイラレやフォトショのチュートリアル、3Dプリンターの解説などを記事にしています。

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