【ポップカルチャー解説】ポケモンのあゆみ〜世界に広がるキャラクター文化②〜

(c)2026 Pokémon. (c)1995-2026 Nintendo/Creatures Inc./GAME FREAK inc.  ポケットモンスター・ポケモンは任天堂・クリーチャーズ・ゲームフリークの登録商標です。

アートコンサルティング

こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。

皆さんはポケットモンスターをご存知ですか?

ポケットモンスター、ちぢめてポケモン。平成生まれやその親世代にはお馴染みのキャッチフレーズで知られる日本のゲームソフトシリーズです。

1996年2月27日に任天堂から発売されたゲームボーイ専用ソフト『ポケットモンスター赤・緑』を皮切りに、本記事を書いている2026年で30周年を数えます。

人気は日本国内に留まらず、海外では“Pokémon”として知られ、ゲーム体感、キャラクターデザイン、アートなど様々な形で影響を与えています。

そんな国内外で人気を誇るポケモンですが、その成り立ちや海外との文化的な結びつきをご存じですか?

本記事ではそんなのポケモンの歴史とアートとの関わりについてご紹介します。

ポケモンって?

一人の“少年”と一枚の企画書

ポケットモンスターの企画書 カプセルモンスター

引用:『週刊ファミ通』2019年5月23日号

ポケモンの始まりは1990年、ポケモンの生みの親・田尻智氏の体験に遡ります。

当時は任天堂のゲームボーイ発売から一年が経過し、すでに日本国内で200万台が流通していました。

田尻氏は株式会社ゲームフリークの若き社長として、日本の家庭用ゲーム機としては初の自社ライセンスを取らないソフト販売を行った『クインティ』などを開発・プロデュースしていました。

まだまだスタートアップ企業だったゲームフリーク。正社員はほかにたったの二人、資本金は100万円(当時株式会社を設立するための最低金額)。任天堂と取引を開始してからは業績も伸び始めましたが、年商数千万円と不安定でした。

会社の成長のため、当時話題を席巻していたゲームボーイを遊んでいた田尻氏。評判通りの面白さを感じる一方、何かが欠けているような気持ちを抱いたといいます。

ゲームボーイの目玉機能に通信ケーブルを用いたデータ通信がありました。通信機能を持つ携帯ゲーム機は日本初で、テレビゲームが普及していた当時にはない広がりを田尻氏は感じました。

しかし、ゲームボーイのソフトが通信機能を用いるのはもっぱら通信対戦のためで、携帯ゲーム機と通信機能という要素を活かした広がりのあるソフトは現れませんでした。

田尻氏のヒントになったのは、友人でありビジネスパートナーでもある杉森蓮氏とのエピソードでした。

『ドラゴンクエストⅡ』を遊んでいた二人。ゲーム内には〈ふしぎなぼうし〉という便利アイテムが登場します。特定のモンスターを倒した時に非常に低い確立で手に入るこのアイテムですが、田尻氏が手に入れるために何日もゲームをする一方、杉森氏は二つも持っていたのです。

あれほど悔しいことってないですよね。

〈ふしぎなぼうし〉を持っているはずのモンスターをいくら倒しても、

まったく手に入らないわけでしょう。

それなのに、杉森は二個も持っているんですから。

ゲーム内通貨やアイテムを支払ってでも〈ふしぎなぼうし〉を手に入れたいと思った田尻氏でしたが、それは叶いませんでした。

もちろん杉森氏が拒んだからではなく、『ドラゴンクエストⅡ』にアイテムを交換する機能が備わっていなかったからです。

田尻氏の中で、アイテム交換と通信機能が結びついた瞬間でした。ほしいアイテムを交換するために、友達からそのまた友達へ、一人のプレイヤーが手渡した情報が世界に広がる風景が浮かんだ田尻氏はさっそくゲームの企画を始めました。

企画を立てていく中で、交換するならアイテムよりも生き物の方が良いだろうと考えました。田尻氏自身が体験した昆虫採集や、恐竜やモンスターのような不思議な生き物を交換する方がワクワクすると考えたのです。

田尻氏自身の幼少期の体験から、子どもが、そして大人もワクワクする理想の遊びを作り上げていきました。

その姿は、一人の少年のようだったのではないでしょうか。

一つのきっかけからアイデアが次々と思い浮かび、ある日『Capsule Monsters』と題した企画書が完成したのです。

『Capsule Monsters』から『ポケットモンスター』への軌跡

田尻氏が打ち上げた企画『Capsule Monsters』から『ポケットモンスター』になり、発売されるまで実に6年もの期間を要しています。

ゲームフリークのような零細企業にとって、通常業務に加えて企画進行に6年もかけるのはとても非常識な判断でした。

なにせ、現状では利益にならない仕事に人員を割くことになるのですから。

それが可能だったのは、発案者の田尻氏が社長で、全ての責任を追って企画を進めていたからです。

これを指して田尻氏はインタビューで「ポケモンはゲームフリーク以外では絶対に生まれなかったゲーム」と答えています。

アイデアを信じ諦めなかった田尻氏と、それを支えたスタッフの努力の結晶が『ポケットモンスター』なのです。

ゲームフリーク流“省略の美”

さて、『Capsule Monsters』から『ポケットモンスター』へ完成するまでに様々な変化がありました。

そこにはゲームフリーク流のゲーム制作術が隠されていました。

企画立ち上げのきっかけであり、現代まで続く『ポケットモンスター』の魅力である交換システム。

当初は田尻氏の原体験の通り、交換のためには同等の価値があるポケモン、そうでなければゲーム内通貨を上乗せすることで交換を成立させることができるシステムを考えていました。

また、お金を払えばポケモンを購入することができる「ポケモン販売所」という要素も考案されていましたが、これも知っての通り廃案になりました。

これらの判断について田尻氏は次のように語っています。

ポケモンの価値とゲームの中のお金の価値を表現するのは、

ゲームとしての限界を超えてしまいます。

ゲームの中のお金というものと、ぼくらの実際の社会で流通するお金では、

意味が全然違いますから。

ゲームボーイでそこまで表現するには、限界があると思いましたし、

とにかく乗り越えるべき壁が多すぎたんですよね。

壁が多いと感じたときにどうするかというと、

一番言いたいところだけを残して、他はあきらめるしかないわけです。

この場合は、ポケモンを交換するということが第一でしたから、

お金での取り引きという要素は切り捨てました。

(『ポケットモンスター図鑑』1996年 アスペクト)

このインタビューでは、ゲームフリーク流ゲーム制作術の秘訣とも言える“省略の美”が語られています。

当時のゲームは容量もかなり制限されていました。その容量は実に1メガバイト。スマホで撮った写真一枚にも満たないデータ量に、長く遊べるゲームのすべてを詰め込む必要がありました。

そこで、ゲームフリークをはじめ当時のゲームクリエイターにおしなべて求められたのが“省略の美”です。

限られた容量では、どれだけ面白くなりそうな要素も、切り捨てる必要が出てきます。

その結果、自分たちの本当に伝えたいもの、プレイヤーに楽しんでもらいたいものは何かを見極めることにも繋がりました。

 

また、田尻氏の語るゲームの限界も時代と共に移り変わっているように感じます。

例えば田尻氏はゲーム内の価値と現実の価値を結びつけるのは難しいと話していますが、ゲームを嗜む人なら真っ先に課金システムのことが思い浮かんだのではないでしょうか。

現在はゲーム内のコンテンツを現実の金銭で購入できる課金が一般的になっています。

『ポケットモンスター』シリーズでも、ポケモンを直接取引するものではありませんが課金に応じてアイテムや追加のストーリーを受け取れる作品があります。

 

また、ゲームの容量についても時代の変化を伺うことができます。

シリーズ初代の『ポケットモンスター赤・緑』のデータ容量が512キロバイトに対し、現在最新作の『ポケットモンスターZ-A』は5~10ギガバイトとなっています。

その多くはグラフィック、つまり映像の解像度によるものなので一概には言えませんが、実に10万倍以上のデータ容量を必要としています。

こういった、ハードの機能に合わせて最大のユーザビリティを提供し、ストーリーやシステムを追加していくのは“省略の美”の対極に位置する“追加の美”と言えるかもしれません。

 

現在はゲーム開発のノウハウが蓄積され、ハードに頼らずとも十分なデータ容量とネット通信機能を持つスマートフォンを多くの人が所有しています。

これからゲームはどんどん大容量化、複雑化していくでしょう。

携帯機と通信機能という当時新鮮だった機能を最大限に活かし、“省略の美”を突き詰めたから結果誕生した『ポケットモンスター』のようなアプローチは、今後生まれないのかもしれません。

ポケモンの核心〜集める・交換する・戦う〜

以上のように、様々な制限と信念によって『ポケットモンスター』のリリースにあたって大切なものを見極めてきたゲームフリーク。

それはリリースから30年が経ち、ポケモンの種類が1000匹を越えた現在でも変わらないものです。

ここからはゲームフリークが512KBに込めたポケモンの核心を見ていきます。

集める〜コレクション魂のくすぐり方〜

今まで見てきた通り、田尻氏がポケモンの最大の魅力として押し出していた交換システム。

しかし交換するためには、ポケモンを持っていないといけません。

プレイヤーはマップを歩き回り、ポケモン同士を戦わせて捕獲し、育てるのがポケモンの基本の遊び方です。

ポケモンバトルは基本1VS1なので、最低一匹でもクリアすることは可能です。しかしそれではゲームフリークの狙いである遊び方を楽しむことはできません。

そこでゲームフリークはポケモンのデザインから集めたくなるように、コレクション魂をくすぐる戦略を仕込むことにしました。

その戦略の最たるものがポケモン図鑑の完成です。

今や広く知られるようになったポケモン図鑑というシステム。

『ポケットモンスター』では、ポケモンを発見したり捕まえたりして、全151匹のポケモンの情報を登録することが主人公に与えられた目標の一つとして提示されます。

当時『ポケットモンスター』のようなRPGゲームの大半は、シナリオのクリアが目標でした。登場するモンスターの情報収集を目標にするコンセプトとゲームシステムは革新的なものでした。

登場するポケモンには、それぞれポケモン図鑑に登録される時の通し番号が割り振られています。そしてゲームをプレイすると必ずしも番号通りに出会うとは限りません。

発見済みのポケモンのあいだにぽっかりと開いた未登録の番号。ここに当てはまるのがどんなポケモンなのか。

見逃したポケモン、封鎖されたエリア、出会っていないトレーナー…。

図鑑未登録という歯痒さが好奇心を刺激し、冒険の密度を高めるモチベーションに繋がるのです。

交換する〜強制力と多様性〜

『そこに3びきポケモンがいるじゃろう!』

『おまえに1ぴきやろう!…さあえらべ!』

『ポケットモンスター赤・緑』でポケモンを授けてくれるオーキド博士はこのように語りかけ、主人公は初めてのポケモンを入手することになります。

この時に手に入るポケモンであるフシギダネ、ヒトカゲ、ゼニガメはそのあとの冒険では手に入りません。

選ばなかったポケモンを図鑑に登録するためには、他のプレイヤーから交換してもらうしかないのです。

また『赤・緑』という2バージョン展開を活かし、『赤』にしか登場しないポケモンと『緑』にしか登場しないポケモンがいることで、『赤』を買ったプレイヤーと『緑』を買ったプレイヤー同士で自然に交換を申し出ることを狙いました。

この2バージョン展開の誕生には、とあるエピソードがありました。

マリオの生みの親として知られる任天堂の情報開発本部本部長・宮本茂が、田尻氏からこんな話をされたそうです。

「なるべくたくさんの人にゲームを買ってもらうためには一人が二個買えばいいんですよね」

「やっぱり日本のマーケットで一人に一本売ったのでは、上限は300万本を超えないんですよね」

この言葉を布石として、発売の約半年前にバージョン違いで『赤』『緑』の2タイトルを同時販売することが決定したそうです。

企画書を書く時は子供のようにワクワクに身を任せていた様子が伺える田尻氏ですが、一方で冷静に市場を観察し大胆な戦略を通す社長らしい一面を具ていることが伺えるエピソードですね。

今や『ポケットモンスター』シリーズお決まりとなったシステムですが、その始まりは田尻氏の「交換でコミュニケーションを広げてほしい」という純粋な願いと「ポケモン図鑑完成のために2バージョン買って欲しい」という切実な打算が組み合わさったものだったのです。

 

さらに、ポケモンの交換には欠かせないものがあります。

それが「交換しないと進化しないポケモン」の存在です。

ポケモン図鑑は、ただポケモンを捕まえるだけでは完成しません。

ポケモンには特定の条件で進化する種類がいます。多くは戦ってレベルを上げたりアイテムを使うことで進化ができますが、中には通信交換をしないと進化しない種類がいます。

交換しないと進化しないポケモンを持った友達同士が協力し、通信交換を行うことがゲームフリークの狙いだったのでしょう。

もしかしたら、周りにポケモンで遊んでいる友達がいなくて、通信交換のために勇気を出して、普段遊ばない友達に声をかける…そんな風景も見られたかもしれません。

戦う〜変化してきたポケモンの核心〜

田尻氏はこれまで見てきたように、『ポケットモンスター』の最大の魅力を通信交換に据えていました。

それはせっかく通信機能を持つ携帯ゲーム機なのに、大半のソフトがそれを対戦にしか使っていなかったことへの違和感からきています。

それではテレビゲームをしているのと変わらないではないかと。

ポケモンのゲームシステムを構想する中で、ポケモン同士を戦わせる機能は必要だと思いつつも、それは最終的にポケモンを育て、ポケモン図鑑を完成させるという目標のための手段にすぎないと考えていたのです。

しかし、開発を進めるうちに初心と矛盾する違和感が生まれてきました。

それはゲームの終わり、プレイヤーがゲームを手放す瞬間に想いを馳せたことがきっかけでした。

ゲームをはじめるのは、ゲームを終わらせるためである。

そんな簡単な理屈が田尻氏の中に引っかかり始めたのです。

多くのRPGがシナリオのクリアを目的とし、戦うのも育成をするのもそのための手段でした。

シナリオをクリアしたゲームは“終了”し、手放される瞬間を迎えます。

『ポケットモンスター』にも同様の懸念がありました。

このままでは、図鑑を完成させることだけがポケモンの終了になってしまう。本当にそれでいいのか…。

ゲームフリーク内でもテストプレイをする中で、通信対戦があった方がいいという意見が度々上がり、販売元の任天堂からも、共同開発をしていたクリーチャーズからも通信対戦の実装はないのかと言われていたそうです。

前述の容量制限もあり、実装に踏み切れなかった田尻氏も周囲の声に押されるようにして通信対戦の実装を決断。

その決断がなんと、ゲーム完成の最終締切の二週間前。

初心に背きながらも土壇場で組み込まれた通信対戦は、結果的に人気を博し、「集めて楽しい、育てて楽しい、戦って楽しい」という多様な遊び方ができるゲームを生み出したのです。

そればかりか発売の翌年には、通信対戦の勝敗を競う「ニンテンドウカップ97」という公式大会が行われ、図鑑完成の手段として考えられていたポケモンバトルはメインコンテンツとして楽しまれたのです。

時代は流れ、シリーズを通して対戦はポケモンの醍醐味として楽しまれ続けています。

トレーディングカードゲームの『ポケモンカードゲーム』やスマホ版の『Pokémon Trading Card Game Pocket(通称ポケポケ)』は、コレクション性はそのままに、対戦機能も楽しまれています。

チーム対戦を楽しめる『Pokémon UNITE(通称ポケユナ)』や、現実の位置情報を利用したレイドバトルが話題を呼ぶ『ポケモンGO』など、対戦の形式も時代によって変化を見せています。

直近では、ポケモンバトルにフォーカスした『Pokémon Champions(ポケモンチャンピオンズ)』がリリースされました。

いまやポケモンバトルがオマケや手段だと思う人は誰もいないでしょう。

ポケモンの旅の始まり〜日本で、そして世界で〜

初代『ポケットモンスター』と「ポケモンGO」、2つの熱狂の共通点とは?(1/2 ページ) - ITmedia ビジネスオンライン

1996年2月27日、私たちが初めて目にするポケモンのスタート画面。

1996年2月27日。

6年の開発期間を経て『ポケットモンスター赤・緑』が完成し、発売されました。

ゲーム業界では常識はずれの6年という開発期間。プロジェクト当初は一年ほどで仕上げてしまうつもりだったそうです。それは以降の五年間は、毎日が締切だったことを意味します。

「生活のすべてがポケモンだった」と語る田尻氏。

迎えた発売初日の出荷数は『赤』『緑』合わせておよそ13万本。

現在はゲーム機の普及に伴って人気タイトルは500万本をゆうに超えるものも多くありますが、それでも当時からミリオンセラーという基準はあったようで、20万本にも達しないことに一同はがっかりしたといいます。

しかし『ポケットモンスター』は徐々に販売数を伸ばし、半年経っても売れ行きが止まることはありませんでした。

そして一年後に追加された『ポケットモンスター青』を合わせた総出荷数は300万本を超えました。

さらに海外版や『ポケットモンスター ピカチュウバージョン』を発売。

現在確認できる『ポケットモンスター赤・緑・青』の全国売上は3137万本。

通信交換で友達から友達へ、日本から世界へコミュニケーションを結ぶようなゲームを作りたいという田尻氏の願いは、叶ったと言って良いのではないでしょうか。

 

2026年に30周年を迎えるポケモンは、毎年の新作発表に加えて新たなコンテンツを広げ、ゲームタイトルと並走するブランドの成長を見せています。

爆発的な人気タイトルとなった『ポケットモンスター赤・緑』は、発売の翌年1997年にアニメ化。数ヶ月〜1年ほどの放送休止期間を挟みながらも今では29年間放送され続けている長寿アニメになっています。

以外にもアニメ放送よりも前の1996年10月20日にリリースされた『ポケモンカードゲーム』はトレーディングカードゲームのブーム火付け役として国内外で大会が開かれ、今では購入規制がかかるほどの人気を博しています。

スマートフォンの普及と共にリリースされた『Pokémon GO』は、初年度の2016年だけで9億5,000万ドル(約1090億円)を売り上げ、ギネス記録を5つ登録、ポケモノミクスと呼ばれる社会現象を巻き起こしました。

ますますの成長を続けていくポケモン。子供のようなワクワクを忘れない限り、ポケモンは私たちを楽しませ続けてくれるのではないでしょうか。

ポケモンとアートとの関わり

さて、歴史の振り返りが長くなってしまいました。

ここからはポケモンのゲームという側面からいったん離れ、キャラクターデザインやポップカルチャーといった側面からアートとの関わりを見ていきたいと思います。

特にここ数年、世界中でのポケモン人気がさらに躍進を見せ、アートの分野への影響やコラボレーションが目立つようになりました。

ゲームやアニメだけではポケモンに興味を持てない…そんな方もポケモンが持つアートな魅力に触れるきっかけにしてみてはいかがでしょうか。

日本の伝統が共創する〜『ポケモン×工芸展-美とわざの大発見』〜

ポケモンとアートとの関わりで、一際話題を呼んだのは2023年から日本を巡回開催している『ポケモン×工芸展-美とわざの大発見』ではないでしょうか。

ポケモンをモチーフに、日本中の工芸作家20名が作り上げた作品を見ることができる展示会です。

モンスターとはいえ、キャラクター然とした愛嬌たっぷりのポケモンをモチーフに伝統工芸を作ったらどうなるのか。

私も展示概要を聞いた時は「面白そうだけど、マッチするのかな」と疑問に思いました。

しかし作品を一目見ると、驚くほど相性が良いことに気づきました。

作家によってポケモンのデフォルメ具合は様々ですが、どの作品もポケモンが持つ生き物らしさが作家によって解釈され、再現されているのが素晴らしいと感じます。

ポケモンは架空のモンスターでありながら、ポケモン図鑑などに記載されている生態がリアルなことも魅力の一つです。

ポケモンが生物として生活している様子を楽しむゲーム『ポケモンスナップ』も人気を博しました。

工芸作家の手によって、まるで本当に存在する生き物のようにモチーフに取り込まれたポケモンたちの息遣いを、私たちと同じ三次元の存在として感じることができます。

↓『ポケモン×工芸展-美とわざの大発見』ホームページはこちら!

https://kogei.pokemon.co.jp/

ポケモンがいる日本に生きるということを考える〜『ポケモンと考えるアート・環境教育展』〜

ポケモンと環境をテーマに、多摩美術大学のプロダクトデザイン研究室の学生が作った作品を通して考えを深める趣旨の展示会です。

目玉の展示作品は、海洋プラスチックを再利用してポケモンを象ったフィギュア。

私たちもポケモンも、生き物である以上は自然環境と共に生活を送る存在です。自然から恩恵を受ける一方で、時に災害をもたらされ、時に破壊することがあります。

そんな私たちとポケモンの生活が、アートの力で重なり合い、環境について考え直すきっかけをもたらしてくれる展示会です。

この展示会にどのような文脈があるかというと、ポケモンはしばしば、私たちに環境問題に関するメッセージを投げかけてきます。

一例をあげると『ポケットモンスタールビー・サファイア』に登場する敵組織マグマ団/アクア団は、陸を広げる/海を広げる力を持つ伝説のポケモンを巡って争い、主人公の前に立ちはだかります。

人間の都合でポケモンの力を利用し、自然のあるべき姿を歪めようとする彼らの行動は、私たちが産業革命以降に環境にもたらしてきた影響を想起せざるを得ません。

このようなメッセージからもポケモン制作陣には少なからず、ゲーム内の登場人物とポケモンとの関わりに、人間と自然環境との関わりを重ね合わせていると思われます。

ポケモンをいち生物と捉え直すと、ゲームで遊ぶ時、町でポケモンを見かける時、思うことも変わるのではないでしょうか。

↓『ポケモンと考えるアート・環境教育展』のホームページはこちら!

https://tub.tamabi.ac.jp/exhibitions/3204/

ポケモンとアートを通したタイムスリップ〜『ダニエル・アーシャムとポケモン』〜

ダニエル・アーシャムをご存じでしょうか。

石膏やブロンズなどプリミティブな素材を用いた彫刻や建築を多く制作する現代アーティストです。

彼はフィクショナル・アーケオロジーという手法を好んで用います。フィクショナル・アーケオロジーとは、身近なモチーフを破壊・風化した状態で再現することで、まるで昔から存在した遺物のように見せる表現方法です。

また逆に、自然のモチーフを化学・工学的な素材で作り近未来やファンタジーの産物かのように見せることもあります。

このようにダニエル・アーシャムは、素材と表現によってモチーフを瞬時に過去や未来にタイムスリップさせてしまう作家なのです。

そんなダニエル・アーシャムを相手に、株式会社ポケモンが初めて現代芸術家に著作権を解放し、コラボレーションを行いました。

ダニエルによって作られたポケモンはどれも石膏で出来たモノトーンの肌を持ち、ところどころ破壊された部分からは内臓とも機械部品とも付かないパーツが露出しています。

これはポケモンのオブジェなのか、それとも…といった妄想が設定上のサイズに準拠した存在感によって掻き立てられます。

ポケモンを見る目を一変させてしまうようなアート観は、ポケモンの世界観を深掘りしたい人には必見です。

またポケモンと特定のアーティストとのコラボレーションは初で、株式会社ポケモンの指針として後に行われるゴッホ美術館とのコラボレーションや、工芸展や環境教育展の呼び水となったのではないかと考えると重要なイベントでした。

↓『ダニエル・アーシャムとポケモン』のホームページはこちら!

https://arsham-pokemon.nanzuka.com/ja/merchandise

人を動かすポケモン、ポケモンを動かすアート〜『ポケモン×ゴッホ美術館』〜

2020年、オランダ・アムステルダムのゴッホ美術館の開館50周年を記念してポケモンとのコラボレーション企画展が行われました。

オランダ現地のみでの開催にも関わらず、ゴッホ美術館の過去の動員数を大幅に塗り替える人気を博し、担当警備員が「フェルメール展の時より忙しい」と語ったほどです。

ゴッホがポケモンを描いたかのようなコラボレーション作品が展示され、ピカチュウやイーブイなどの人気ポケモンのほか、ひまわりがモチーフのポケモン・キマワリや、絵を描く特性を持つポケモン・ドーブルが描かれました。

「日本人はゴッホが好き」という評判がありますが、そんな日本発のコンテンツであるポケモンとゴッホのコラボレーションがゴッホゆかりの地で行われ、異例の集客を見せたことは、ゴッホとポケモンの共通点や親和性を考えてみたくなる事例でした。

↓『ポケモン×ゴッホ美術館』のホームページはこちら!

https://www.vangoghmuseum.nl/en/about/collaborate/van-gogh-museum-brand-licenses/a-z/pokemon-x-van-gogh-museum

まとめ

いかがだったでしょうか。

米国金融企業TITLEMAXの調査によると、ポケモンが2024年のIP売上金額で一位を記録。総収益は921億ドル(約13兆億5千億円)に登るようです。

コレクション性やポケモンカードゲームの人気といった要素もあるので一概には言えませんが、今やポケモンは最も有名なキャラクターのひとつと言ってもいいかもしれません。

ちなみにこの集計では二位がハローキティ、三位がくまのプーさん、四位にミッキーマウスと続きます。

『ポケットモンスター赤・緑』では、プレイヤーが通ることができる道路に「1ばんどうろ」といった名前がついています。

これは田尻氏がマップ上の道を国道に見立てて番号を振ることで、冒険を進めた時に「遠くまで来たな」と世界の広がりを実感できるのではないかという目的で加えた設定のようです。

ゲームから始まり、今や現代アートとも繋がるポケモン。

30年前の日本で1ばんどうろを歩き出した『ポケットモンスター』は、今なんばんどうろを冒険しているのでしょうか。

私たちがワクワクする限り、ポケモンの旅は続くったら続く、のではないでしょうか。

おすすめ書籍

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ゲームフリーク 遊びの世界標準を塗り替えるクリエイティブ集団

ポケモンを作り出したゲームフリークの歴史を知るためには必読の一冊。ポケモンが作られるまでの歴史や、当時のゲーム業界の動向、ポケモン開発に携わった田尻智をはじめとするクリエイターたちにフォーカスした取材やインタビューが詳細に載っています。


 

Pen 2026年7月号「特集:ポケモン最新案内」

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