【徹底解説】『星月夜』とは?渦巻く夜空の秘密とMoMA収蔵までを解説!

【徹底解説】『星月夜』とは?渦巻く夜空の秘密とMoMA収蔵までを解説!
『星月夜』の徹底解説(『星月夜』/パブリックドメイン/Wikimedia Commons)

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こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。

皆さんは『星月夜』という作品をご存知ですか?

オランダ出身の画家フィンセント・ファン・ゴッホが、1889年6月に南フランスのサン=レミで描いた油彩画です。英語の題名は『The Starry Night』で、日本では『星月夜(ほしづきよ)』の名で親しまれています。渦を巻くように流れる夜空、明るく輝く星と三日月、炎のように立ちのぼる糸杉。一度見たら忘れられない画面は、ゴッホの代表作として世界中で知られています。

現在の所蔵先は、アメリカのニューヨーク近代美術館(MoMA)です。MoMAは、この作品を、気分や表現、象徴や感情を大切にする近代絵画の新しい姿を告げた一枚として紹介しています。

ところで、この夜空は本当にゴッホが見た景色なのでしょうか。画面の村は、どこから見たものなのでしょうか。所蔵館の解説や、ゴッホ自身の手紙をたどると、意外な事実が見えてきます。

本記事ではそんな『星月夜』について、描かれているもの・見どころ・歴史をご紹介します。

『星月夜』って?

フィンセント・ファン・ゴッホ『星月夜』(1889年)
フィンセント・ファン・ゴッホ『星月夜』(1889年)ニューヨーク近代美術館(MoMA)/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

『星月夜』は、画面の大部分を夜空が占める風景画です。右上に三日月、中央からやや左に大きく輝く星が描かれ、その下には教会を囲む小さな村と、青黒い山並みが広がっています。画面の左手前には、空に届きそうなほど高い糸杉が立っています。

MoMAの解説によれば、ゴッホがこの絵を描いたのは、南フランスのサン=レミにあったサン=ポール=ド=モーゾール療養院に身を寄せていた時期です。ゴッホは1889年から1890年にかけての約12か月をこの療養院で過ごし、そのあいだも絵を描き続けました。『星月夜』は、その年にゴッホが手がけた数百点の作品のなかの一枚です。

基本情報

作品名星月夜(ほしづきよ)
英題:The Starry Night/仏題:La Nuit étoilée
作者フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh、1853〜1890年)
制作年1889年6月(MoMAの表記は「Saint Rémy, June 1889」。解説では6月中旬の制作とされています)
制作地フランス南部、サン=レミ(サン=ポール=ド=モーゾール療養院)
技法・素材油彩、カンヴァス
サイズ73.7×92.1cm(29×36 1/4インチ)
所蔵ニューヨーク近代美術館(MoMA)。1941年にリリー・P・ブリスの遺贈(交換による)で収蔵。作品番号472.1941
展示場所MoMA 5階 501展示室(The Alfred H. Barr, Jr. Galleries)で常設展示(2026年10月時点の公式ページの表記)

作者のゴッホの生涯については、以下の記事で詳しくご紹介しています。

ゴッホの本名とフルネーム|生涯と代表作を解説

同じゴッホの代表作である『ひまわり』の連作についても、作品解説の記事をご用意しています。あわせてどうぞ。

https://euphoric-arts.com/art-2/van-gogh-sunflowers/

何が描かれている?見どころを解説

ここからは、MoMAの解説を中心に、画面のなかの見どころを一つずつ見ていきます。

画面の4分の3を占める、うねる夜空

まず目に飛び込んでくるのは、夜空です。MoMAの解説によれば、空は画面の4分の3を占めています。激しく渦を巻く模様が、波のように画面を転がっていくように見え、荒々しく、ざわめいているようにさえ感じられます。

この渦巻きは、まったくの空想というわけでもありません。MoMAは、空の渦を巻く形が、当時出版されていた天文観測の記録にある「星雲」(宇宙のちりやガスの雲)の姿と一致すると述べています。ゴッホは、目で見たものと、知識や想像を、ひとつの画面のなかで重ね合わせていたのです。

色づかいも見逃せません。MoMAは、この絵が鮮やかな青と黄色に支配され、その色が勢いのある筆づかいで、ためらいなく置かれていると説明しています。夜空の暗さは、黒ではなく、深い青で表されています。

右上の三日月と、明けの明星(金星)

フィンセント・ファン・ゴッホ『星月夜』(1889年)部分(右上の三日月)
フィンセント・ファン・ゴッホ『星月夜』(1889年)部分(画面右側。右上に三日月)ニューヨーク近代美術館(MoMA)/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

夜空には、いくつもの明るい光の玉が浮かんでいます。MoMAの解説によると、右端に描かれているのは三日月、中央からやや左にあるのは金星、つまり「明けの明星」です。どの光も、白と黄色に輝く同心円の輪に囲まれています。

金星だと分かるのには、理由があります。ゴッホはサン=レミから弟テオに宛てた手紙(1889年5月末〜6月初めごろ)に、こう書いています。

「今朝、日の出のずっと前に、窓から田園を長いあいだ眺めていた。明けの明星のほかには何もなく、その星はとても大きく見えた」

ゴッホ美術館などが公開している書簡集の注釈によれば、この「明けの明星」は金星のことで、5月半ばから明け方の空に姿を見せ、6月にかけてより明るく、より高く見えるようになっていたとされます。MoMAも、この手紙を『星月夜』の着想を語る言葉として紹介しています。

ただし、MoMAは、空のいくつかの特徴は観察のとおりに再現されている一方で、ゴッホが天体の形を変え、光の輝きを描き加えていることも指摘しています。見たままの夜空ではなく、見た夜空をもとに、画家が組み立て直した夜空だということです。

炎のように立ちのぼる糸杉

フィンセント・ファン・ゴッホ『星月夜』(1889年)部分(糸杉と夜空)
フィンセント・ファン・ゴッホ『星月夜』(1889年)部分(左手前の糸杉と夜空)ニューヨーク近代美術館(MoMA)/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

画面の左手前には、黒々とした糸杉がそびえています。MoMAの解説は、この木を「炎のよう」と表現しています。カンヴァスの上端近くまで伸びていて、地上と空とを視覚的につなぐ役割を果たしています。

象徴として見ると、糸杉は、地上に表される生と、天に通じる空とを結ぶ橋とも考えられる、とMoMAは説明しています。ヨーロッパでは糸杉は墓地に植えられる木でもあり、追悼と結びつけられてきました。

ゴッホは手紙のなかで、こんな言葉も残しています。「星を見ていると、いつも夢を見るような気持ちになる」。MoMAはこの一節を、糸杉と夜空の関係を読み解く手がかりとして引いています。

実際の距離感についても、MoMAは興味深い指摘をしています。左の糸杉は、実際よりもずっと近くにあるように描かれているというのです。手前に大きく置かれた糸杉が、画面全体を引き締める柱のような働きをしています。

静かな村と、オランダ風の尖塔

荒々しい空の下には、ひっそりと静まりかえった村があります。MoMAは、つつましい家々が教会を囲み、その尖塔が、背景の起伏する青黒い山並みより上へと鋭く伸びている、と説明しています。

実はこの教会の尖塔は、フランスのものというより、ゴッホの故郷オランダでよく見られる形に似ていると、MoMAは指摘しています。南フランスの風景のなかに、遠い故郷の記憶がそっと描き込まれているのかもしれません。

さらに、MoMAによれば、丘のふもとに広がるこの村は、療養院の窓からは見えませんでした。ゴッホは、ほかの場所から見た眺めをもとにして、村を画面に組み込んだのです。

昼に描かれた「夜の絵」:観察と想像

『星月夜』の制作について、MoMAはもう一つ大切なことを伝えています。この絵のもとになった光景は夜のものでしたが、絵そのものは、昼間に何回かに分けて描かれたというのです。夜空を前にして筆をとったのではなく、まったく違う光の条件のなかで、夜の眺めを描き上げたことになります。

MoMAはこの絵を「観察の実践であると同時に、観察からのはっきりとした離脱でもある」と表現しています。窓から見た明けの明星、ほかの場所から見た村、実際より近くに描かれた糸杉、形を変えられた天体。直接の観察に、想像や記憶、感情が重ねられて、一枚の画面ができあがっています。

MoMAは、ゴッホが夜と自然に「感情の言葉」を与え、それが実際の見た目から遠く離れたものになったと述べています。ゴッホ自身も、夜は昼よりも「ずっと生き生きとして、豊かな色をしている」と考えていました。

短い筆致と厚塗り

近づいて見ると、画面は無数の短い筆のあとで埋め尽くされています。MoMAは、糸杉・尖塔・中央の星雲を秩序立てて配置した構図と、数えきれないほどの短い筆致や厚く塗られた絵具が組み合わさり、画面に渦巻く動きが生まれていると説明しています。

絵具を厚く盛り上げ、筆やペインティングナイフのあとをそのまま残す技法を「インパスト」といいます。MoMAは『星月夜』を、この技法の例としても紹介しています。

MoMAの解説はさらに、ゴッホの絵では、色と絵具が、絵の外にある世界を描き出すと同時に、それが「ただの色と絵具」であることも示している、と述べています。夜空を描いた絵であると同時に、絵具のかたまりそのものの迫力を感じさせる絵でもある。そこに、ゴッホが切り開いた新しさがあります。

『星月夜』の歴史

アルルで温めていた「星空」の構想(1888年)

ゴッホが星空を描きたいと考えはじめたのは、サン=レミに移るより前のことです。オルセー美術館の解説によれば、1888年2月に南フランスのアルルに着いたときから、ゴッホは「夜の効果」を描くことにずっと心を奪われていました。

同じ解説は、ゴッホの手紙の言葉を順に紹介しています。1888年4月には弟テオに「糸杉のある星月夜、あるいは熟した麦畑の上の星月夜が必要だ」と書きました。6月には画家エミール・ベルナールに「いつになったら、ずっと頭から離れない星空を描けるのだろう」と打ち明け、9月には妹への手紙で「夜は昼よりもさらに豊かな色をしているように思えることがよくある」と書いています。そしてこの9月に、ゴッホはついに星空の絵に取りかかりました。

MoMAが1941年に出した報道資料では、当時の館長アルフレッド・H・バー・ジュニアが、ゴッホの手紙の一節を引いています。宗教と呼ぶべきものが「ひどく必要になる」ときがあり、「そんなとき、星を描きに外へ出る」という言葉です。

『夜のカフェテラス(フォルム広場)』(1888年)

フィンセント・ファン・ゴッホ『夜のカフェテラス(フォルム広場)』(1888年)
フィンセント・ファン・ゴッホ『夜のカフェテラス(フォルム広場)』(1888年)クレラー=ミュラー美術館(オッテルロー)/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

オルセー美術館の解説によれば、ゴッホが最初に夜空の一角を描いたのが、この『夜のカフェテラス(フォルム広場)』です。オランダのクレラー=ミュラー美術館が所蔵しています。

同館の解説によると、ゴッホはガス灯に照らされたアルルのカフェのテラスを、その場で、しかも暗いなかで描きました。昼と夜とでは、色の見え方が違うからです。日よけの下の暖かな黄色・緑・オレンジと、星空の深い青との強い対比が見どころで、ゴッホは「黄色やオレンジであるガス灯がたっぷりあると、青が強まる」と手紙に書いて、その効果に満足しています。のちの天文学の研究では、描かれた星の並びが、1888年9月半ばの、ある夜の空の星座の並びと一致することが分かっています。

『ローヌ川の星月夜』(1888年)

フィンセント・ファン・ゴッホ『ローヌ川の星月夜』(1888年)
フィンセント・ファン・ゴッホ『ローヌ川の星月夜』(1888年)オルセー美術館(パリ)/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

カフェテラスの次に描かれたのが、アルルを流れるローヌ川の夜景です。所蔵するオルセー美術館での題名は、MoMAの作品と同じく『La Nuit étoilée(星月夜)』で、日本では『ローヌ川の星月夜』と呼んで区別されることが多い作品です。サイズは73×92cmで、MoMAの『星月夜』とほぼ同じ大きさです。

オルセー美術館は、この絵でゴッホが暗闇のなかに感じとった色を見事に写しとったと述べています。プルシアンブルー、ウルトラマリン、コバルトブルーといった青が画面を支配し、街のガス灯は強いオレンジ色に輝いて水面に映り、星は宝石のようにきらめいています。

同館は、数か月後にサン=レミで描かれたMoMAの『星月夜』と比べて、こちらの作品のほうが穏やかだとし、画面の下に描かれた恋人たちの姿が、その雰囲気をいっそう強めていると説明しています。

ちなみに、ゴッホが1889年5月末〜6月初めごろの手紙で、展覧会に出す候補として「星月夜」の名を挙げているのは、この『ローヌ川の星月夜』のほうだと、書簡集の注釈は説明しています。ゴッホにとっても、「星月夜」と呼べる絵は一枚ではなかったのです。

サン=レミの療養院で描かれる(1889年6月)

1889年、ゴッホはサン=レミの療養院に移ります。MoMAによれば、ゴッホはここで心を休めながら、制作を続けていました。

先に紹介したとおり、ゴッホは5月末から6月初めごろの手紙で、窓から見た明けの明星のことを書いています。そして1889年6月半ばのテオへの手紙で、「ついにオリーブの木のある風景と、それから星空の新しい習作ができた」と知らせました。書簡集の注釈は、この「星空の新しい習作」が『星月夜』であるとしています。

ゴッホは同じ手紙のなかで、この2点の習作は、まだ見ていないゴーギャンやベルナールの新作と、気持ちのうえで通じ合うものだろうと書いています。

『オリーブの木々』(1889年)

フィンセント・ファン・ゴッホ『オリーブの木々』(1889年)
フィンセント・ファン・ゴッホ『オリーブの木々』(1889年)ニューヨーク近代美術館(MoMA)/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

手紙で『星月夜』と並べて語られた「オリーブの木のある風景」が、この作品だと書簡集の注釈は特定しています。背景にアルピーユ山脈を望むオリーブ畑を描いたもので、現在は『星月夜』と同じMoMAが所蔵し、同じ501展示室で公開されています(2026年10月時点の公式ページの表記)。MoMAでの制作年の表記は「Saint Rémy, June-July 1889」です。

ねじれるように伸びるオリーブの幹、うねる山並み、空に浮かぶ白い雲。2点を見比べると、同じ時期のゴッホが、昼と夜の風景を同じようなうねりのある線で描いていたことが分かります。

弟テオの感想と、ゴッホ自身の評価(1889年秋)

ゴッホは描いた作品を、パリにいる弟テオのもとへ送っていました。1889年9月の手紙では、『星月夜』を含む何点かの習作を、送るのを少し待っていることが注釈から分かります。

やがて作品を受け取ったテオは、1889年10月の手紙で、率直な感想を伝えました。テオは、アイリスの絵などを挙げて「兄さんは本当のものを描くときにいちばん力を発揮する」と書き、そのうえで「月明かりの村」(書簡集の注釈によれば『星月夜』)や山の絵のような新しい作品について、「様式の追求が、ものの本当の感じを奪っているように思う」と書いています。MoMAの1941年の報道資料でも、バー館長が「ゴッホをもっとも熱心に支持していた弟テオでさえ、この絵を想像的すぎる、現実から離れすぎていると感じた」と紹介しています。

これに対してゴッホは、1889年11月初めごろの手紙で新しい作品を弁護したと、書簡集の注釈は説明しています。ところが、同じ11月の下旬に画家ベルナールへ宛てた手紙では、「またしても星を大きく描きすぎたりして、新たな失敗をしてしまった」と書いています。注釈は、これが『星月夜』を指しているとみられると説明しています。

のちに世界でもっとも知られた絵の一つとなるこの作品も、描いた当時は、作者自身にとって手ごたえと迷いの両方をはらんだ一枚だったのです。

オランダの個人コレクションからニューヨークへ(〜1941年)

ゴッホは1890年に亡くなりました。その後の『星月夜』のくわしい来歴について、MoMAが公開している情報はかぎられていますが、1941年の報道資料からは、いくつかのことが分かります。

報道資料によれば、『星月夜』は、ロッテルダムのG・P・ファン・ストルク氏のコレクションに、1941年の約3年前まで収められていました。オランダの個人コレクションにあったため、ゴッホの主要作品のなかでも、当時は比較的知られていない作品だったといいます。

MoMAは1935年11月から1936年1月まで、大規模なゴッホ展を開いていました。この展覧会は全米10都市を巡回し、1937年1月にニューヨークで2週間の最後の展示が行われました。『星月夜』はオランダからの到着が間に合わずに最初の展示には加わりませんでしたが、この最後の展示で、作品に加えられたと報道資料は記しています。

リリー・P・ブリスの遺贈と、MoMAへの収蔵(1941年)

1941年、『星月夜』はMoMAのコレクションに加わりました。所蔵品としての記載は「Acquired through the Lillie P. Bliss Bequest (by exchange)」、つまりリリー・P・ブリスの遺贈品との交換による収蔵です。

リリー・P・ブリスは、1929年にアビー・オルドリッチ・ロックフェラー、メアリー・クイン・サリヴァンとともにMoMAを創設した収集家です。MoMAの音声ガイドによれば、ブリスはゴッホの作品を持っていませんでしたが、手に入れたいと強く願っていました。晩年には、ゴッホの作品を買う資金をつくるために、ほかの出費を切り詰めていたほどだといいます。

ブリスが亡くなって10年後の1941年、館長のバーは、ある画商に「あの『星月夜』はまだ売りに出ていますか」と問い合わせる手紙を書きました。画商は、ブリスのコレクションの絵3点と交換することを提案し、こうして『星月夜』はMoMAのものとなりました。MoMAの学芸員は音声ガイドのなかで、この収蔵を、ブリスのコレクションを彼女に代わって完成させる機会だったと振り返っています。

1941年の報道資料は、これがニューヨークの美術館に収蔵された最初のゴッホの油彩画であったと伝えています。作品は同年9月に一般公開され、セザンヌ、ゴーギャン、スーラ、ピサロ、ルドン、アンソールといった、ゴッホと同時代の画家たちの作品とともに展示されました。

現在の『星月夜』

現在、『星月夜』はMoMAの5階、501展示室(The Alfred H. Barr, Jr. Galleries)で公開されています(2026年10月時点の公式ページの表記)。作品ページでは、作品の解説のほか、宇宙論の研究者がこの絵について語る動画なども紹介されています。

『星月夜』のよくある疑問

『星月夜』はどこで見られる?

アメリカ・ニューヨークのニューヨーク近代美術館(MoMA)で見ることができます。2026年10月時点の公式ページでは、5階の501展示室で展示中とされています。貸し出しや展示替えで見られない時期もあるため、出かける前に公式サイトで確認すると安心です。

大きさはどれくらい?

MoMAの記載では、73.7×92.1cm(29×36 1/4インチ)です。MoMAの解説は「中くらいの大きさ(mid-scale)」の油彩画と表現しています。横幅は1mに届かない大きさです。

いちばん明るい星は何の星?

MoMAの解説によれば、中央からやや左に描かれた明るい星は、金星(明けの明星)です。ゴッホは手紙に、日の出前の窓から明けの明星がとても大きく見えたと書いています。右端の明るい光は三日月です。

描かれているのは実際の風景?

一部はそうで、一部はそうではありません。MoMAによると、もとになったのはサン=レミの療養院の窓からの眺めですが、村は窓からは見えず、ほかの場所からの眺めをもとにしています。糸杉は実際より近くに描かれ、天体の形も変えられています。教会の尖塔はオランダでよく見られる形に似ています。観察と想像を組み合わせた風景だといえます。

『星月夜』という絵は何枚ある?

ゴッホが描いた星空の絵のうち、『星月夜(The Starry Night/La Nuit étoilée)』の題名でよく知られているのは、MoMAの作品と、オルセー美術館の作品(日本では『ローヌ川の星月夜』と呼ばれることが多い作品)の2点です。オルセー美術館の作品は1888年9月にアルルで、MoMAの作品は1889年6月にサン=レミで描かれました。

ゴッホ本人はこの絵を気に入っていた?

書簡集の注釈によると、ゴッホは弟テオの控えめな批判に対しては新しい作品を弁護しましたが、その後ベルナールへの手紙では、星を大きく描きすぎたことを「新たな失敗」と書いています。評価は揺れていたといえそうです。

まとめ

いかがだったでしょうか。フィンセント・ファン・ゴッホの『星月夜』について、描かれているもの・見どころ・歴史をご紹介しました。

『星月夜』は、1889年6月、サン=レミの療養院で描かれた作品です。窓から見た明けの明星、ほかの場所から見た村、実際より近くに置かれた糸杉、オランダを思わせる尖塔。観察と記憶と想像を重ね合わせ、短い筆致と厚く塗られた絵具で、うねる夜空を描き出しました。

その構想は、前の年のアルルで、すでに始まっていました。『夜のカフェテラス』や『ローヌ川の星月夜』を経て生まれたこの絵は、弟テオから「様式の追求が本当の感じを奪っている」と言われ、ゴッホ自身も「星を大きく描きすぎた」と書いています。それでも半世紀後、この絵はニューヨークへ渡り、MoMAの1941年の報道資料によれば、ニューヨークの美術館に入った最初のゴッホの油彩画となりました。

作品を前にする機会があれば、まず全体の渦を眺めたあと、右上の三日月や、糸杉の先、村の尖塔に目を止めてみてください。一つひとつの筆のあとから、ゴッホが見た夜と、思い描いた夜の両方が見えてくるかもしれません。

Euphoric " " の視点

『星月夜』の村は療養院の窓からは見えず、糸杉は実際より近くに置かれ、天体の形も変えられています。絵そのものは、夜ではなく昼間に、何回かに分けて描かれました。

作品を受け取った弟テオは、「様式の追求が、ものの本当の感じを奪っているように思う」と書きました。ゴッホ自身も、星を大きく描きすぎた「新たな失敗」と書いています。

それでもいま、多くの人がこの絵から夜空の手ざわりを受け取っています。見たとおりに描くことと、見たときの感じを描くことは、別の道なのかもしれません。ゴッホは迷いながらも、後者の道を進んでいたように思われます。

この作品を見に行くには

『星月夜』と、記事で紹介した関連作品は、次の館で公開されています。展示替えや貸し出しがあるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。

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