【徹底解説】ポール・シニャックとは?点描に魅了された新印象派画家の生涯と作品を紹介!

【徹底解説】ポール・シニャックとは?点描に魅了された新印象派画家の生涯と作品を紹介!

こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。

皆さんはポール・シニャックという人物をご存知ですか?

新印象主義を代表するフランスの画家で、創始者のジョルジュ・スーラと共に点描画法を用いた作品を多く残しました。

印象派の台頭によって芸術表現が解放された20世紀に、科学的に正しい絵画を求め様々な技法や法則を確立した功労者です。

本記事ではそんなポール・シニャックの人生と作品についてご紹介します。

ポール・シニャックって?

Paul Signac

基本情報

本名 ポール・ヴィクトール・ジュール・シニャックPaul Victor Jules Signac
生年月日 1863年11月11日〜1935年8月15日(71歳没)
国籍/出身 フランス
学歴
分野 絵画
傾向 新印象主義
師事した人 ジョルジュ・スーラ、クロード・モネ等

新印象主義って?

新印象主義(新印象派)とは、ジョルジュ・スーラによって確立され、1886年に批評家フェリクス・フェネオンによって提唱された芸術表現です。

1870年から1880年にかけてクロード・モネを代表として広まった印象主義(印象派)ですが、印象派グループ中で新しい表現方法を模索するメンバーが現れたことでグループは対立します。

その中で、印象派最後の展覧会に参加したのは、原理主義的なメンバーに反対した急進派であるジョルジュ・スーラやポール・シニャックらでした。

彼らは印象主義の直観に頼った色彩表現を、科学的に見つめ直すために色彩学の知見を用いました。

よく乾いて混ざり合わない、大きさの揃った点描で色面を構成することでより豊かな色彩表現を可能にしました。これを分割主義または点描主義といいます。スーラは「色彩光線主義」という呼び方を好んで用いました。

これらの表現方法を主流とした印象主義への革新派を新印象主義といいます。

経歴と作品

シニャックの生まれと環境

1863年、シニャックはフランスのパリの町に生まれました。

父親のジュールス・ジャン=バプティスト・シニャックは、馬具作りが専門で、家族は父親の経営する馬具商店の上階に住んでいました。

1877年、14歳のシニャックはモンマルトルの学校(College Rollin)に入学しますが、3年後に父親が結核で亡くなり、退学しています。父親の死により、馬具商店は売りに出されてしまいました。

最初は建築を学んでいましたが、18歳の時に絵画に転向。ほぼ独学で画家デビューしました。

1880年、College Rollinの数学科に再入学するものの、一学期で退学してしまいます。

この年、シニャックは第5回印象派展をはじめて訪れ、エドガー・ドガの絵に感銘を受け、絵を描くようになりました。

さらに、生涯を通して趣味であったボートを始めたのもこの年です。シニャックはなんと生涯に32艇のボートを購入しました。

新印象主義とスーラとの出会い

1882年、シニャックはエミール・ビン(Emile Bin)に師事しています。

1884年頃からシニャックは、フランス象徴主義の文学者たちと交流を持つようになりました。

とくに評論家のフェリックス・フェネオンはシニャックの盟友となりました。フランス象徴主義の文学者の多くはアナーキストです。21歳のシニャックもこの頃からアナーキズムに染まっていったのでしょう。

1886年の第8回(つまり最後の)印象派展にジョルジュ・スーラと共に出品しています。

この年の印象派展には、後に新印象主義を牽引するスーラの代表作『グランド・ジャット島の日曜日の午後(1884-1886)』が出品されていました。

元々シニャックはクロード・モネの暖かい画風から強い影響を受けていましたが、スーラの存命中は彼のクールな色彩の影響下から脱する事が難しかったようです。しかしスーラの没後はモネの影響がはっきり現れ、スーラの点描法にモネの暖色系を注入し、筆触もより長く大きなものとなり、スーラとはまた異なる個性を確立しました。

生涯を通してアンデパンダン展のレジスタンスを支える

『朝食(1886-1887)』

The Dining Room, c.1886 - c.1887 - Paul Signac

1887年、シニャックはゴッホとパリで知り合いになります。二人は一緒に絵を描き、同年の終わりにはスーラも含めた3人で展覧会を開催しています。ちなみに、気難しいゴッホとまともに付き合えたのはシニャックとマネくらいだと言われています。

シニャックはその後アルベルト・デュボイス・ピレットオディロン・ルドンジョルジュ・スーラとともにアンデパンダン展(独立芸術家協会)の創設メンバーの1人となりました。

アンデパンダン展は保守的な審査のパリ・サロンに対抗して1884年7月29日に創設され、審査も賞もなく、会費を払えば誰でも出展できる展覧会でした。

1908年にはシニャックは第24回アンデパンダン展の会長に選出され、1908年から死去するまでずっとアンデパンダンの会長として、フォービスムやキュビスムなど前衛的な作品を展示させ、若手芸術家たちを奨励しました。マティスの作品を最初に購入したのもシニャックでした。

新印象主義の発展をスーラから受け継ぐ

『七色に彩られた尺度と角度、色調と色相のリズミカルな背景のフェリックス・フェネオンの肖像 (1890)』

Portrait of Felix Feneon, 1890 - Paul Signac

1891年3月29日、新印象主義を共に牽引したジョルジュ・スーラが病により死去します。

短い生涯を終えたスーラの意思を受け継ぎ、色彩理論の諸所を表現様式として落とし込んでいった。その結実として99年、点描画法の理論をまとめた『ウジェーヌ・ドラクロワから新印象主義まで』を出版します。

スーラなくして新印象主義は生まれ得なかったのはもちろん、シニャックなくしても新印象主義はここまで発展し影響を持つことはなかったでしょう。そしてシニャックの意思はさらに次のアーティストに受け継がれ、フォービズムやキュビズムといった芸術様式へと繋がっていくのです。

『七色に彩られた尺度と角度、色調と色相のリズミカルな背景のフェリックス・フェネオンの肖像 (1890)』はインパクトのある画面構成と色彩、長いタイトルもあいまって、シニャックの代表的な作品として知られています。

描かれている男性はフェリックス・フェネオン。ジョルジュ・スーラの色彩理論主義をして新印象主義と名付けた芸術批評家です。

彼はシニャックと懇意の仲で、21歳の頃から親交を持っていました。アナーキストであった彼の影響かシニャックも後年に政府への反抗へと傾倒していきます。

1892年11月7日、シニャックはパリ18区のタウンホールでベルト・ロブレスと結婚しました。

しかし1913年にアンティーブに家を借りたシニャックはそこに愛人ジャンネ・デグランジェと移り住みます。1913年10月2日、2人の間に娘が生まれたたため、ベルトと別居することになります。

シニャックが愛した海

『サントロペの港(1901)』

The Red Buoy, Saint Tropez, 1895 - Paul Signac

海を愛し、自らもヨットを操縦したシニャックは、当時まだひなびた漁村であったサン=トロペに居を構え、海辺や港の風景、ヨットなどを好んで描きました。

1892年からは友人の画家クロスの勧めでセーリングによる旅行を始めます。

後年のシニャックは海に出る際に水彩でスケッチをするようになり、その透明感に引かれて晩年はとくに水彩画に取り組み、後のフォービズムやキュビズムといったエネルギッシュな芸術表現の到来を予感させます。

アンリ・マティスアンドレ・ドランに影響を与え、若き日のアンリ・マティスは、シニャックを慕ってサン=トロペの別荘に住み込み、彼の作品から多大な影響を受けていました。

『サントロペの港(1901)』に描かれたサントロペはフランスにある当時小さな漁村であった町。

ここにシニャックは10年間もの間通いつめ、当時住んでいたパリとここサントロペを往復しながら作品制作をしました。港町に入り浸った生活はシニャックの作風に大きな影響を与え、豊かな光の表現で描かれた作品の数々は、色彩理論の鮮やかな効果をビジュアル的に訴えることに一役買ったに違いありません。

無政府主義が作品に与えた影響

シニャックは政府社会や宗教と強い結びつきのある近代美術の時代にあって、無政府主義(アナキズム)を貫いた人物でもあり、最先端のエビデンスであった科学を用いた色彩理論主義によって、ソサエティに縛られない自由な楽園を描き出したと言えるかもしれません。

晩年

1920年代になると、画家としてのそれまでの精力的な活動には陰りが見え始めます。そのかわり、政治的な活動が目立つようになりました。

1935年、第46回アンデパンダン展が生涯最後の展覧会になります。その後、ソ連に招待されていましたが、健康が優れないために辞退しています。

1935年、敗血症により死去。パリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬されました。

まとめ

いかがだったでしょうか?

新印象主義といえば創始者のジョルジュ・スーラが大きく取り上げられることが多く、シニャックは個展や書籍も少ないイメージがあります。

しかし、スーラが遺した色彩理論を発展させ、フォービズムやキュビズムの萌芽を育て、ドラクロワなど画家の研究にも精を出したシニャックは、新印象主義の隠れた立役者と言ってもいいでしょう。

芸術に科学的視点を持ち込んだアーティストといえばルネサンスの巨匠ダ・ヴィンチなどが有名ですが、色彩というジャンルにおいてはスーラとシニャックの活躍なくしては現在の芸術表現はなかったと言ってもいいでしょう。

ん。


おすすめ書籍

シニャックについての知識を深めたい方はこちらの書籍もおすすめです!

ポール・シニャック 作品集

シニャックについての書籍は日本ではあまり出版されていませんが、この本は数少ないシニャックの作品をまとめた本です。作品についての解説はありませんが、シニャックの人生や時代背景を踏まえながら読むとシニャックの人生と作品についてより深く理解することができます。




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