葛飾北斎はどんな人?出身・生涯・代表作をわかりやすく解説

葛飾北斎はどんな人?出身・生涯・代表作をわかりやすく解説

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こんにちは!ユアムーン株式会社 編集部です!

突然ですが、皆さんは葛飾北斎という画家を知っていますか?

江戸時代後期の世界を代表する浮世絵師で、1998年にLife誌が特集した「過去1000年の100人」に、日本人で唯一選ばれました。

この記事では葛飾北斎の『人生』と『作品』についてご紹介します!

葛飾北斎(1760〜1849年)は、江戸時代後期の浮世絵師です。

  • 生まれは江戸・本所割下水(現・東京都墨田区)です。
  • 勝川春章に師事し、役者絵や黄表紙などを手がけました。
  • 70歳を過ぎてから『冨嶽三十六景』などの代表作を発表しました。

葛飾北斎とは?

The Great Wave off Kanagawa, 1831 - Katsushika Hokusai

葛飾北斎 基本情報

本名川村姓とされています
出身下総国葛飾郡本所割下水(現・東京都墨田区)
生年月日1760年10月31日
没年月日1849年(嘉永2年4月18日)
分野/芸術動向浮世絵
師事など浮世絵師・勝川春章などに師事
公式サイト/関連サイトすみだ北斎美術館

浮世絵ってなに?

皆さんは浮世絵という言葉は聞いたことがあっても、どういうものかと言うと説明に困ってしまうのではないでしょうか!?

浮世絵とは江戸時代初期に成立した絵画のジャンルの一つで、江戸中期ごろから明治まで広く庶民に親しまれていました。肉筆画(紙に直接描いたもの)と版画の二種類の方法で制作されており、一般に版画の方が庶民に親しまれていたようです。版画では、版元と呼ばれる企画を行う出版社の元、絵師(作画)、彫師(原版彫)、摺師(印刷)の分業体制で制作されており、一般に私たちが知る浮世絵師というのは「絵師(作画)」になります。
※浮世絵の価格は、当時の蕎麦一杯程度だったとされています。

有名な浮世絵師には葛飾北斎、歌川広重、歌川国芳、喜多川歌麿、東洲斎写楽などが挙げられます。

 

▼浮世絵については今後くわしく解説する予定です!▼

経歴と作品

誕生~20歳 勝川春章への入門とデビュー

葛飾北斎は1760年10月31日、下総国葛飾郡本所割下水(現・東京都墨田区)で生まれました。幼名を時太郎(ときたろう)と言い、後に鉄蔵と名前を変えました。幕府御用達の鏡磨師の中島伊勢の養子となりましたが、12歳の頃には家督を中島家の実子に譲り貸本屋で働き始め、14歳になると版木彫りの仕事を始めていました。(江戸時代には、年少のうちに奉公に出ることも多かったとされています。)

三代目瀬川菊之丞の正宗娘おれん(1779年)

この頃から、幼い頃より絵を描くことが好きだった北斎は貸本の絵に興味を持ち始め、18歳にして浮世絵師・勝川春章の弟子となりました。狩野派や唐絵、西洋画など様々な分野の絵を学び、翌1779年に、勝川春朗の名で役者絵「三代目瀬川菊之丞の正宗娘おれん」を発表し、デビューを果たしたとされています。

中村座で上演された『敵討仇名かしく』を基に作られた作品で、勝川春朗の名前で発表されました。

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出典:三代目瀬川菊之丞の正宗娘おれん, Colbase, https://colbase.nich.go.jp/?locale=ja

渡辺の源吾綱 猪の熊入道雷雲

※北斎の武者絵

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出典:渡辺の源吾綱 猪の熊入道雷雲 , Colbase, https://colbase.nich.go.jp/?locale=ja

20歳~45歳 勝川派からの破門と宗理様式の時代

安永7年(1778年)に勝川春章へ入門してからの約16年間は勝川春朗の名前で浮世絵の世界に入ります。師匠がよく描く題材、様式である役者絵や黄表紙などに加えて、武者絵、名所絵、宗教画など様々な題材の作品を描きました。北斎は勝川派に属している期間11種類の浮絵(西洋の遠近法を取り入れた浮世絵の一種)を発表します。そのうちの一つが下記の作品、「新板浮絵両国橋夕涼花火見物之図 大判錦絵」です。

新板浮絵両国橋夕涼花火見物之図 大判錦絵

隅田川一帯を広々と描かれたこの作品には西洋絵画の遠近法が使われており、奥行きのある表現をしています。手前に両国広小路、中央に両国橋、その奥には船から打ち上げられている花火が描かれています。この頃から北斎の評判は非常に良く、この作品に至っては再版されています。

葛飾北斎 – 新板浮絵両国橋夕涼花火見物之図 (名品揃物浮世絵9 北斎IIより) パブリックドメイン画像

東叡山中堂之図

Inside the Courtyard of the Toeizan Temple at Ueno, 1786 - Katsushika Hokusai
出典:Inside the Courtyard of the Toeizan Temple at Ueno, WIKIART, https://www.wikiart.org/

室内の女性

約16年の間、勝川派に属していた北斎ですが、師匠により破門されてしまいます。諸説あるものの、最古参の兄弟子の勝川春好と仲が悪かった説や師に内緒で狩野融川のもとを出入りしていた説もあります。

勝川派を破門されてからは「宗理(そうり)」という名前で活動を続けます。北斎は「宗理」として、摺物や狂歌絵本の作品を多く制作し独自のスタイルを発展させていきました。

Woman in an Interior, 1799 - Katsushika Hokusai
出典:Woman in an Interior, WIKIART, https://www.wikiart.org/

庭を歩く女性

Women walking in a garden, 1798 - Katsushika Hokusai
出典:Women walking in a garden, WIKIART, https://www.wikiart.org/

45歳~70歳 葛飾北斎の登場 読本挿絵/絵手本/肉筆画

1804年以降、北斎は読本挿絵の制作に力を入れ始めます。読み本とは江戸時代の小説(厳密には物語)の1ジャンルで、善悪のわかりやすい価値観のもと、奇想天外な面白いストーリーを展開する絵本です。

鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月 挿画

北斎は作者の提示した下絵を無視して描くこともあり、たびたび作者と衝突していたようでした。葛飾北斎を名乗り始めたのはこの頃からで、曲亭馬琴(戯作者)とコンビを組み『新編水滸画伝』『近世怪談霜夜之星』『椿説弓張月』などの作品を発表しました。これらの作品で北斎の名は一躍知られるようになっただけでなく、読み物のおまけとしか見られなかった挿絵の評価を一挙に高めました。

出典:大弓を引く源為朝。読本『鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月』より。葛飾北斎 挿画。, Wikimedia Commons

賀奈川沖本杢之図 間判錦絵

北斎は気位の高い人物だったと伝えられ、富や権力では動かなかったとされています。長崎商館長が江戸を訪れた際、北斎は絵を二巻制作するよう依頼を受けました。同行していた医師、シーボルトも同様に依頼しましたが、いざ北斎が納品に行くと商館長はお金を支払えたもののシーボルトは半額しか払えず、一巻のみを買わせてほしいと言われました。通常なら一巻のみで売るものの、外国人に日本人は人を見て値段を変えると思われるのを嫌がり、最終的には商館長が恥じらい、二巻分満額を払いました。

View of Honmoku, 1803 - Katsushika Hokusai
出典:View of Honmoku, WIKIART, https://www.wikiart.org/

北斎漫画

世界的に有名で現代においても多大な影響を与え続ける『北斎漫画』が制作されたのもこの頃でした。この頃になると日本全国に北斎の名は知られており、全国各地に北斎の絵を学ぶ人がいました。

Manga - Katsushika Hokusai
出典:Manga, WIKIART, https://www.wikiart.org/
Manga - Katsushika Hokusai
出典:Manga, WIKIART, https://www.wikiart.org/

70歳~90歳 錦絵と肉筆画 富岳三十六景の誕生

私たちが北斎と言って思い浮かべる作品は、主に70歳を超えてから制作されています。教科書にも載るほど有名な「冨嶽三十六景」はこの頃制作されたもので、日本美術の最高峰と言ってもいい作品を数多く発表しています。

冨嶽三十六景 凱風快晴

この作品は諸説あるものの、河口湖近辺から望んだ富士を描いたものと言われています。夏から秋へと移り変わる季節の早朝に、朝日が富士山を照らすことで山肌が赤く染まる様子を捉えています。左端はまだ日が当たっておらず徐々に夜が明けていくことがわかります。「赤富士」とも呼ばれる作品で、縁起の良い作品と言えるでしょう。

Fuji, Mountains in clear Weather (Red Fuji), 1831 - Katsushika Hokusai
出典:Fuji, Mountains in clear Weather (Red Fuji) , WIKIART, https://www.wikiart.org/

冨嶽三十六景 尾州不二見原

この作品は現代日本人クリエイターにも影響を与える北斎の天才性を表す作品の一つです。

画面の大部分は桶職人が桶を作っている様子が描かれ、正円に描かれた桶中央に小さく富士山が描かれています。主題であるはずの富士山をあえて小さく桶の円の中に描き、手前の桶はパースを無視した描き方をされています。この構図は人間の頭の中でしか作れない画面で、西洋美術には見られないものです。

この人間の頭の中でしか想像できない平面的構図は、後の日本の現代美術にも通じるものとして語られることがあります。

すべてのシーンにおいて構図が徹底されており、止め絵で見ても圧倒的で、非常に勉強になりますよ。

Fujimi Fuji view field in the Owari province - Katsushika Hokusai
出典:Fujimi Fuji view field in the Owari province , WIKIART, https://www.wikiart.org/

諸国名橋奇覧 飛越の堺つりはし

この作品は飛越の堺(飛騨と越中)という現在の岐阜県と富山県の境の橋を描いたものです。空には雁、山には鹿がいることから描かれている季節は秋であることがわかります。橋の下には雲があることから高い場所にある橋であることがわかり、二人の男女が渡ることでできる橋のたわみが絶妙な緊張感を演出しています。

他の作品と北斎の逸話

ここからは北斎のその他の作品を見ていきましょう!

江都駿河町三井見世略図

北斎が生きた時代は戊辰戦争のはるか前で時間がゆったりと流れていました。

Mitsui Shop on Suruga Street in Edo, c.1831 - Katsushika Hokusai
出典:Mitsui Shop on Suruga Street in Edo, WIKIART, https://www.wikiart.org/

冨嶽三十六景 五百らかん寺さゞゐどう

この作品は五百羅漢寺からみた富士山を描いています。境内にあった三匝堂は三階建ての高層建築で、螺旋階段が備え付けられていたことからサザエ堂とも呼ばれていました。

この30数年後に始まる戊辰戦争の生々しさや近代国家成立の高揚感はみじんも感じられない、長閑な江戸が描かれています。

Sazai hall - 500 Rakan temples - Katsushika Hokusai
出典:Sazai hall – 500 Rakan temples, WIKIART, https://www.wikiart.org/

冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏 1831年

一般に北斎の作品というと「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」が最もよく知られていますが、北斎は様々な波を主題とした作品を描いています。神奈川沖浪裏は北斎の波の表現の最終形態と言ってもいいほどの完成度を誇っています。尾州不二見原と同様、人間の頭の中でしか構成できない構図でありながら、波の描写には、北斎の高い観察力がうかがえるとされています。

The Great Wave off Kanagawa, 1831 - Katsushika Hokusai
出典:The Great Wave off Kanagawa, WIKIART, https://www.wikiart.org/

女浪 1845年

ここまで完成度の高い作品を描きながら北斎は生涯を通して自分の絵に満足せず、常に向上心を持ち絵を描き続けました。ある時(80歳頃)は自分は猫一匹すらを描けないと嘆いたこともあったようです。

そんな北斎はなくなる直前、自分にもう少し命があれば本当の絵描きになれたのに、という趣旨の言葉を遺したとされています。生涯を通して自分を高め続ける、まさにクリエイターの鏡ですね。

Femenine wave - Katsushika Hokusai
出典:Femenine wave, WIKIART, https://www.wikiart.org/

葛飾北斎の年表

年出来事
1760年江戸・本所割下水に生まれる
1778年(安永7年)勝川春章に入門
1779年勝川春朗の名で役者絵を発表し、デビュー
1831〜1834年頃『冨嶽三十六景』を版行
1845〜1846年頃上町祭屋台の天井絵「男浪」「女浪」を制作
1849年(嘉永2年)4月18日に死去(数え年90歳)

主な代表作

作品制作年所蔵・所在
三代目瀬川菊之丞の正宗娘おれん1779年東京国立博物館
冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏1831年頃—
冨嶽三十六景 凱風快晴1831年頃富士美術館
上町祭屋台天井絵 男浪・女浪1845〜1846年頃北斎館(小布施)で常設展示

よくある質問

葛飾北斎はどのような分野で活躍しましたか?

浮世絵の絵師として、錦絵(版画)や肉筆画、読本の挿絵などで活躍しました。

葛飾北斎の出身はどこですか?

江戸・本所割下水(現・東京都墨田区)とされています。

葛飾北斎の本名は何ですか?

川村姓とされています。幼名は時太郎で、後に鉄蔵と名を改めたと伝えられています。

葛飾北斎の生年月日と没年はいつですか?

生年月日は1760年10月31日、没年は1849年(嘉永2年4月18日)とされています。

葛飾北斎はどのような人柄でしたか?

気位が高く、自分の絵に満足せず描き続けた人物だったと伝えられています。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回は、江戸時代後期に活躍した浮世絵の巨匠、葛飾北斎を紹介しました。現代日本のクリエーションに与えている影響は計り知れず、今も世界中で高い人気を誇ります。

葛飾北斎を気に入った方は、下の画集なども買ってみてはいかがでしょうか!?



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