こんにちは!ユアムーン株式会社 編集部です!
突然ですが、皆さんはエテル・アドナンという画家を知っていますか?
森美術館で開催しているアナザーエナジー展にも作品を出品している、96歳の女性アーティストです。(2021/06/09 現在)
この記事ではエテル・アドナンの『人生』と『作品』についてご紹介します!
エテル・アドナンとは?
エテル・アドナン 基本情報
本名 | エテル・アドナン(Etel Adnan) |
国籍/出身 | レバノン ベイルート |
生年月日 | 1925 年 2 月 24 日 |
分野/芸術動向 | 抽象表現主義/フルフィヤ運動 |
学歴/出身大学など | パリ大学/カリフォルニア大学バークレー校/ハーバード大学 |
公式サイト/関連サイト | http://www.eteladnan.com/ |
抽象表現主義ってなに?
抽象表現主義とは1940年代後半に、世界的に注目を集めたアメリカ発の芸術の動向です。第一次世界大戦後のヨーロッパ絵画に使われていましたが、後にアメリカの芸術運動にあてはめられるようになります。バウハウス、キュビズム、ロシア構成主義といった”非具象の美しさ”、ドイツ表現主義の”自己・感情の表現”などを引き継いでいます。
特徴として、大きなキャンバス、画面に中心のない均一な平面、創作過程の重視などがあり、芸術の中心地がパリからニューヨークに移り始めるきっかけとなったことから、「ニューヨーク派」などとも呼ばれます。しかし、1960年頃から運動は衰え始め、大衆的イメージを流用したネオダダやポップアートなどの芸術運動につながっていきます。
抽象表現主義としていアーティストとしては、ジャクソン・ポロック、マーク・ロスコ、ウィレム・デ・クーニングなどが挙げられます。
▼抽象表現主義はこちらでも詳しく解説しています!▼
経歴と作品
幼少期 オスマン帝国瓦解後のレバノンに生まれる
エテル アドナンは1925年2月24日、オスマン帝国が崩壊した後フランス統治下にあったレバノン ベイルートに生まれます。(ゴーンさんの行き先や海岸沿いの大爆発等、ベイルートを聞いたことがある人は多いと思います。)アドナンはアラビア語コミュニティーの中でギリシャ語とトルコ語を話して育ち、修道院ではフランス語教育を受けながら英語の習得をするという、様々な言語が行き交う環境で育ちました。
出典:Five Senses for One Death, WIKIART, https://www.wikiart.org/
Untitled 1970
アドナンは意外にも初期の頃はアーティストとしてではなく、アカデミックな領域で活動や詩の制作などをしていました。
そんな彼女は、24歳の時にパリに向かいパリ大学で哲学の学位を取得します。その後はアメリカに渡り、カリフォルニア大学バークレー校とハーバード大学の大学院で哲学の研究を続けます。大学院での研究を終えた後の1958年からの14年間はカリフォルニア州サンラファエルにあるドミニカン大学で哲学を教え始めました。
出典:Untitled, WIKIART, https://www.wikiart.org/
アルジェリア独立戦争と絵画
1960年代初頭、アドナンはアルジェリアでフランスからの独立戦争が勃発した際、フランス語を使い詩を制作している自分への責任を感じ、詩の制作からビジュアルアートの制作へと転向します。
Untitled 1965 – 1970
ビジュアルアートを始めて少し経った後の1972年、アドナンはレバノンに戻り、ベイルートのフランス語新聞、アルサファ新聞、ロリアンルジュール新聞のジャーナリスト兼文化編集者として働き始めます。アドナンがレバノンに戻った3年後にはレバノン内戦が勃発しており、ちょうど内戦の火種がくすぶる時期でした。内戦は15年間断続的に発生し、イスラエルやイランなどの中東諸国に加えフランスやアメリカを巻き込む大規模なものとなりました。
出典:Untitled, WIKIART, https://www.wikiart.org
Untitled #17 1980
他国を介入させるに至った背景にはレバノン国内の国民意識の希薄さがあり、アドナンがメディアで働き始めたきっかけもこうしたレバノンの国内問題に対し何かしらの考えがあったと思われます。
1976年、レバノン内戦が激化した頃アドナンはレバノンを去ります。その後、アドナンはレバノン内戦の経験を世界に向けて発信するために、ドキュメンタリー制作にも携わりました。
出典:Untitled #17, WIKIART, https://www.wikiart.org/
絵本、小説、詩そして「絵画」
レバノンを離れた後は、詩や小説絵画の制作を行いました。1977年にパリで出版した小説「Sitt Marie-Rose」は「France-PaysArabes賞」を受賞、世界10ヵ国以上の言語に翻訳され、戦後文学に大きな影響を与えました。小説以外にもヨーロッパや日本のテレビ、映画の脚本や詩を書くこともあり、エンタメ分野でもアドナンの作品が与えた影響は計り知れません。
Oil Fields 2013
1979年、アドナンは再びカリフォルニアに戻ります。アーサー・ランボーやリン・ヘジニアンなどの詩家に影響を受け、シュールレアリスムの形象と力強い比喩表現を取り込み、政治、社会、性別などにある問題を提起する詩の制作を行いました。
出典:Oil Fields, WIKIART, https://www.wikiart.org/
Untitled
アドナンは絵画の制作も継続的に行っています。
アドナンの絵画はキャンバスの上に油絵の具をパレットナイフ等を使用して、画面全体にしっかりと広げていく決して特別ではない方法で制作されます。彼女の色のコンポジションはパウルクレーやニコラ・ド・スタールと言った抽象芸術家の作品を彷彿させる強烈なエネルギーが表れています。
出典:Untitled, WIKIART, https://www.wikiart.org/
Mount Tamalpais 1985
アドナンのカリフォルニアに戻ってからの作品は、彼女が住んでいたサウサリートの風景に大きく影響を受けました。特に自宅の窓から見えるタマルパイス山に着目し、セザンヌがサントヴィクトワール山を何度も描き続けたように、その時の自身の気持ちや季節など様々な時間軸で山を捉えました。
この一連の作品は「Journey to Mount Tamalpais」という本にまとめられ、自然と芸術の関係の考えを発表しました。
出典:Mount Tamalpais, WIKIART, https://www.wikiart.org/
Untitled 2014
アドナンの最近の作品は、鮮やかな風景を見た後の印象がそのまま残っているかのように見える特徴を持ちます。地平線や空は正方形や三角形等の幾何形体で、原色を思わせるほど鮮やかな色で表現されます。こうした作品は中央にある黄色、オレンジ、緑などで描かれる円はベイルートやカリフォルニアの太陽、海、砂を示唆するもので、彼女の子供時代を含めた過去の経験を思い起こさせます。(カリフォルニアもベイルートも海沿いで比較的乾燥している意外と共通点のある地域です。)
これら最近の作品には「Multidimensional and simultaneous(多次元と同時)」というアドナンの視覚的考え方、概念を反映させており、見るものを一つの感覚的体験へといざないます。
出典:Untitled, WIKIART, https://www.wikiart.org/
他の作品 受賞歴など
Untitled
アドナンの作品はアラビアの芸術運動であるフルフィヤからも影響を受けています。アドナンは西洋の美学を拒絶し、こうしたアラビアの伝統を意識した美術を現代的に表現していきます。
※フルフィヤ運動とは20世紀後半に登場したアラブの伝統文化であるアラビア書道を現代アートとしてアプローチしていく芸術動向です。アラブ諸国のアイデンティティのを作るうえで大きな影響を及ぼしており、アラビア美術史に残る重要な運動です。
出典:Untitled, WIKIART, https://www.wikiart.org/
受賞歴
- 2010年:アラブアメリカンブックアワード
- 2013年:カリフォルニアブックアワード 詩部門
- 2013年:ラムダ文学賞
- 2020年:グリフィン詩賞・・・その他多数
おわりに
いかがでしたか?
90歳を超える高齢にもかかわらず精力的に作品制作を続けるエテル・アドナン。故郷の内戦を経験しながらも詩や小説、絵画など様々な作品を発表し、世界中の人を魅了してきました。
エテル・アドナンは画集よりも詩集を多く発表しています。「ちょっと英語がわかる!」という方でも楽しめると思いますので、是非手に取ってみてください!
※一つ目の本は一部絵があります!