【徹底解説】隈研吾とは?国立競技場の設計者の一人、建築家の人生と作品を解説!

【徹底解説】隈研吾とは?国立競技場の設計者の一人、建築家の人生と作品を解説!
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アートコンサルティング

こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。

皆さんは隈研吾という人物をご存知ですか?

1954年生まれの日本の建築家です。2019年に竣工した国立競技場の設計者の一人であり、東京の根津美術館や浅草文化観光センター、イギリスのV&A Dundeeなど、国内外で数多くの建物を手がけてきました。隈研吾建築都市設計事務所の公式略歴は、「50を超える国々でプロジェクトが進行中」と記しています(2026年10月時点)。

本記事ではそんな隈研吾の人生と作品についてご紹介します。隈研吾は存命の建築家のため、建物の写真は撮影者がライセンスを明示した外観写真だけを使い、そのほかは図解と表で補っています。権利の確認が取れた図版のみ掲載しています。

コンテンツ

隈研吾って?

隈研吾は、建物を設計する人であると同時に、建築について書き続けてきた人でもあります。事務所の公式略歴は、2026年10月時点で、東京大学特別教授・名誉教授、日本芸術院会員と記しています。また、その仕事を「自然と技術と人間の新しい関係を切り開く建築を提案。」と説明しています。

この記事では、生涯の歩みを時代ごとにたどり、作品を事務所や所蔵館などの公式の解説で確かめながら紹介します。読み進めるときの手がかりは、素材、小さな単位、場所の3つだと考えます。

基本情報

本名隈 研吾(Kengo Kuma)
生年月日(没年月日)1954年8月8日(存命)
国籍・出身日本/神奈川県横浜市生まれ(『日本大百科全書』の記載)
学歴1979年に東京大学大学院工学系研究科建築学専攻の修士課程を修了。1985〜86年にコロンビア大学(ニューヨーク)の建築・都市計画学科で客員研究員。2006年に慶應義塾大学で博士号を取得
分野建築
傾向木、石、竹、水などの素材を、小さな単位で積んだり並べたりして、場所と結びつける設計。著書では「負ける建築」「小さな建築」「自然な建築」を論じています
師事した人物・影響を受けた人物師事した人物は、確認した公式資料に記録がありません。作品や著書の解説で名前が挙がる人物として、建築家ブルーノ・タウト(事務所は『水/ガラス』を「タウトへのオマージュ」と記しています)、フランク・ロイド・ライト(『自然な建築』の紹介文が、タウトとともに言及)
現在の肩書(2026年10月時点)隈研吾建築都市設計事務所 主宰、東京大学特別教授・名誉教授、日本芸術院会員、高知県立林業大学校 校長ほか(事務所の公式略歴)

建築家について知りたい方は、当媒体の過去記事もあわせてどうぞ。

【徹底解説】建築家 ザハ・ハディドの人生と作品に迫る〜未来を生きたアンビルトの女王〜

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経歴と作品

横浜に生まれ、建築を学ぶ(1954〜1980年代)

隈研吾は1954年8月8日に、神奈川県横浜市で生まれました。『日本大百科全書』は、1979年に東京大学大学院工学系研究科建築学専攻の修士課程を修了したと記しています。日本建築家協会の建築年鑑に載る経歴も、同じ1979年に東京大学大学院の建築学科を修了としています。

1985年から1986年にかけては、ニューヨークのコロンビア大学建築・都市計画学科で客員研究員を務めました。事務所の公式略歴は、このとき Asian Cultural Council の給費研究員でもあったと記しています。1987年に空間研究所を設立し、1990年に隈研吾建築都市設計事務所を設立しています(『日本大百科全書』『日本人名大辞典+Plus』)。

設計を始める前後から、隈研吾は本を書いています。公式略歴の著作一覧でいちばん古いのは、1986年の『10宅論 10種類の日本人が住む10種類の住宅』(トーソー出版)です。のちにちくま文庫になった版(1990年)の紹介文は、住宅には隠そうと思っても現れてしまう「顔」があると述べ、日本人が最も関心を寄せる住宅という場から、現代日本文化論を展開した本としています。目次には「ワンルームマンション派」「住宅展示場派」「歴史的家屋派」など、10の「派」が並びます。

1989年には、アメリカの建築家11人を論じた『グッドバイ・ポストモダン』(鹿島出版会)も出しています。

事務所の設立と『M2』(1990〜1994年)

『M2』(1991年)

事務所設立の翌年、1991年に東京で完成したのが『M2』です。東京のエッジをリング状につなぐ環状八号線に沿って建つ、自動車メーカーのデザイン・ラボとして設計されました。

事務所の解説によると、東京のエッジは、さまざまな建築様式、素材、スケールが混在する断片が散らばるカオスだといいます。その断片の集積を、意図的に加速し、強調して、ひとつの建築の中に実現したのが『M2』です。中が大きな空洞になったイオニア式の柱、ロシア構成主義のレオニドフのアンテナ、高速道路の遮音板などが、脈絡なく重なり合っています。

『日本大百科全書』は、1980年代の隈研吾が、過去の建築を引用するポスト・モダンのデザインを大胆に展開したと記しています。そのなかで『M2』は、こうした手法の到達点とされています。同書によると、さまざまな建築の語彙をランダムなコラージュで一つの建築にちりばめ、カオスのような状況を生み出しました。一方で同書は、1990年代以降の隈研吾は、ポスト・モダン的な表現と決別し、ミニマルなデザインを追求するようになったと説明しています。次の章からは、その転換のあとの仕事を見ていきます。

『新・建築入門』(1994年)と、高知の山あいの建築

1994年には、ちくま新書の『新・建築入門 思想と歴史』が出ました。筑摩書房の紹介文は、建築というひとつの制度自体を否定し解体しようとする「抗しがたい時代のムーブメント」が、20世紀末の建築状況の背後にあると述べています。そのうえで、ゴシック、古典主義からポストモダニズムにいたる様式の変遷と思想の流れをたどる入門書と紹介しています。

同じ1994年に、高知県梼原町で『梼原町地域交流施設(雲の上のホテル・レストラン)』が完成しています。四万十川流域の梼原町で、千枚田と呼ばれる段状の水田にヒントを得て設計されたホテルレストランです。事務所の解説によると、水面の上に、地元の杉材と鉄骨を組み合わせたハイブリッド構造のフレームが立ち上がり、「雲」を思わせる紡錘形の屋根が浮かびます。

「反オブジェクト」の実践(1995〜2002年)

1990年代の後半から2000年代の初めにかけて、隈研吾は、水、木、石、竹という素材を、それぞれの場所と結びつける作品を続けて発表します。この時期の考え方をまとめたのが、2000年の著書『反オブジェクト 建築を溶かし、砕く』(筑摩書房)です。

筑摩書房の紹介文には、「一言で要約すれば、自己中心的で威圧的な建築を批判したかったのである。」とあります。ある種の建築が発する独特の存在感や雰囲気を、著者は「オブジェクト」という言葉で表したといいます。そして、オブジェクトを批判するならば、それに代わる別の形式の具体的な提案をしたいと考えた、と続きます。目次の章題は、「接続する事」の章が日向邸、「流出する事」の章が水/ガラス、「消去する事」の章が亀老山、「極少とする事」の章が森舞台というように、動詞と作品が一対になっています。

この時期の例に、1994年の『亀老山展望台』(愛媛県)があります。『日本大百科全書』によると、階段を山に埋め込み、見えない建築を目指した作品です。

『水/ガラス』(1995年)

静岡県に建つ住宅『水/ガラス』は、水でできた「縁側」で、建築と海を結ぼうとした作品です。事務所の解説は、ガラスの箱が水の中に浮かび、水は絶えずあふれ続けてエッジを失い、太平洋の水と、建築の中に捕らえられた水がひとつにとけ合う、と説明しています。建築と自然は、境界をガラスにすることで接続されるのではなく、縁側や庇のような水平面を媒介にして一つに結ばれる、というのが事務所の考えです。この作品は、アメリカ建築家協会(AIA)のベネディクタス賞を受けています。

この建物の隣には、ブルーノ・タウトが設計した「日向邸」(1936年)が建っています。事務所は『水/ガラス』を、タウトへのオマージュであり、タウトによって日本人が再発見した日本建築の伝統を、現代によみがえらせる試みだと位置づけています。『反オブジェクト』の第1章が日向邸、第2章が『水/ガラス』であるのは、この関係を踏まえたものと考えられます。

『森舞台/宮城県登米町伝統芸能伝承館』(1996年)

宮城県の登米(とよま)町に建つ、能舞台です。江戸時代から伝わり、いまも地域の暮らしと結びついている「登米能」を上演するためにつくられました。事務所の解説によると、明治以来の、コンクリートの箱の中に舞台を設ける西洋型の能舞台にかえて、舞台と観客席が白洲と呼ばれる「空」をはさんで向かい合う、伝統的な形式を復活させています。建物は地元産の木でつくられた木造で、建物と町の間を木のルーバー(細長い板を並べたもの)でつなぐことで、町と裏の森に開かれた劇場を目指しました。

この作品は、1997年に日本建築学会賞(作品)を受けています。

『石の美術館』と『那珂川町馬頭広重美術館』(2000年)

同じ2000年に、栃木県で2つの美術館が完成しました。

『石の美術館』は、米を貯蔵していた約80年前の古い石蔵を再利用し、石を素材とするアートやクラフトの展示空間として再生した建物です。石の蔵に使われていたのと同じ芦野石を用い、石の水平のルーバーと、約3分の1のピースを抜き取った多孔質の組積造という2種類のディテールを組み合わせて、独特の光を室内に生み出しました。3つの石蔵の間の空間も、半屋外の展示空間として設計されています。2001年に、マロニエ建築賞の街並み景観建築部門や、国際石材建築大賞などを受けています。

『那珂川町馬頭広重美術館』は、浮世絵師、安藤(歌川)広重の作品を展示する美術館です。事務所の解説によると、広重は木版画の中で、レイヤー(層)の重なりとして三次元の空間を表現しました。その方法を建築にしようと考え、地元特産の杉材でつくった木製のルーバーを使っています。杉材は不燃処理と防腐処理をして屋根材にも用い、地元産の石材や、地元の職人がすいた和紙も多く使って、地元の経済と地域のコミュニティを再生させようとしました。2000年度の村野藤吾賞、2001年のBCS賞などを受けています。

『竹屋 Great (Bamboo) Wall』(2002年)

中国・北京の、万里の長城のそばに建つ小さなホテルです。事務所の解説によると、傾斜のある敷地を造成せず、うねる斜面の上にそのまま細長い建物を建てて、周辺の緑をできるだけ保存しました。地形を守りながら、その上に上下にうねる細長い構築物をつくる方法は、万里の長城の建て方から学んだものだといいます。外壁はすべて竹のルーバーで覆われ、建物の中央には、水面に浮かぶように茶室が置かれました。中国では古来、竹が都市から離れた哲学や暮らし方を象徴する植物とされてきたことを、設計の理由として挙げています。

隈研吾が手がけた素材ごとの作品を年代順に並べた図。1995年の水/ガラス、1996年の森舞台、2000年の石の美術館、2002年の竹屋、2012年の浅草文化観光センター。
図:素材をたどる、隈研吾の仕事

水、木、石、竹と、素材が変わっても、考え方の筋は共通しています。その場所にあるものを使い、その場所の形を壊さずに、建物と周囲との境目をあいまいにする。『反オブジェクト』が言う「別の形式の具体的提案」とは、このことだと私たちは考えます。

「負ける建築」とその展開(2000年代)

2004年に、岩波書店から『負ける建築』が出ました。事務所の公式略歴が主な著書に挙げる一冊です。

岩波書店の紹介文によると、都心にそびえる摩天楼や、郊外に建ち並ぶ一戸建て住宅など、周囲の環境を支配し続ける20世紀型の「勝つ建築」は、その強さゆえに人びとに疎まれている、といいます。これに対し、建築はもっと弱く、環境などの諸条件を受け入れる「負ける建築」でなければならない、と述べています。同じページに載る「著者からのメッセージ」では、「地べたにはいつくばり,さまざまな外力を受け入れながら,しかも明るい建築」というものがありえるのではないか、と問いかけています(「はじめに」より)。

勝つ建築と負ける建築を比べた表。環境との関係、姿、人びととの関係の3項目で、岩波書店の紹介文にある言葉を使って対比している。
図:「勝つ建築」と「負ける建築」

「負ける」とは、あきらめることではありません。自分を強く主張する代わりに、場所や素材、使う人の暮らしといった外からの条件を受け入れて、そのうえで明るい建築をつくる、という意味だと読めます。前の時期の『反オブジェクト』が批判を軸にした本だったとすれば、『負ける建築』は、そのあとの建築の姿を描こうとした本だといえるでしょう。

『サントリー美術館』(2007年)

2007年3月に、東京ミッドタウンの中に完成したのが『サントリー美術館』です。事務所の解説によると、都市の中に、人の心をいやす静かな美術館をつくろうと考え、白いセラミックパネルの垂直のルーバーを外観に用いて、光をコントロールしながら美術館と庭園をつなぎました。ルーバーの内側には、スライドして光を調整する可動のスクリーンがあります。このディテールは、ガラスのなかった時代の日本の住宅に使われた「無双格子」にヒントを得たものです。2008年にBCS賞を受けました。

『自然な建築』(2008年)

同じ2008年の11月には、岩波新書『自然な建築』が出ています。紹介文によると、20世紀の世界を覆ったコンクリートは、場所と素材の関係を断ち切り、自然を画一化する建築でした。隈研吾はこの本で、タウトやライトの作品から方法論を読み解き、水、石、木、竹、土、和紙などの素材を、それぞれの場所に生かす試みを語っています。

『根津美術館』(2009年)

根津美術館の入口へ向かう屋外のアプローチ。右側に竹の壁、左側に竹林と玉砂利が続く
根津美術館のアプローチ(2018年5月撮影)。撮影:Wpcpey/CC BY-SA 4.0/出典:Wikimedia Commons

東京・南青山の根津美術館は、2009年に新しい本館が完成しました。根津美術館の公式サイトによると、3つの蔵と旧本館を取り壊し、免震の収蔵庫、隈研吾設計の新本館、カフェを竣工し、庭園も整えました。新本館は和風家屋を思わせる大屋根が印象的で、地上2階・地下1階、延べ床面積は約4000平方メートル、6つの展示室を備えます。

写真は、入口へ向かうアプローチです。公式サイトは「竹に囲まれた静謐なアプローチ」と表現しています。事務所の解説は、コンクリートの箱として閉じた美術館ではなく、大きなガラスの開口部によって庭と一体になった展示空間をつくろうとした、と説明しています。竹で特徴づけられたアプローチ空間は、美術の空間を守るための仕掛けでもあるそうです。この建物は、2010年に第51回毎日芸術賞、2011年に第52回BCS賞を受けています。

同じ2009年に、隈研吾は東京大学の教授に就任しました(2020年まで)。

木の小さな単位が、町と建物をつなぐ(2010〜2014年)

2010年代の前半、隈研吾の仕事では、木を細かい単位に分けて組み上げる方法が目立つようになります。

『梼原 木橋ミュージアム 雲の上のギャラリー』(2010年)

高知県梼原町の文化施設です。事務所の解説によると、小さな断面の集成材を集めて組み上げる設計を追求するなかで、両端から「刎木(はねぎ)」を何本も重ねながら持ち出して橋桁を載せる、「刎橋」という忘れられた架構形式を採用しました。さらに、敷地の地形に合わせて、橋脚を中心に両端のバランスを取る「やじろべえ型刎橋」とでもいうべき、新しい架構を生み出しています。2011年度に、林野庁長官賞(優良木造施設)を受けました。

『スターバックスコーヒー 太宰府天満宮表参道店』(2011年)

福岡県の太宰府天満宮へ続く参道に建つ店舗です。間口7.5メートル、奥行き約40メートルという細長い敷地に、木をななめに組んで、光と風が流れるような空間をつくりました。店内を覆うX形の木組みには、60ミリ角の杉材を約2,000本使い、材の総延長は4キロメートルにおよびます。木組みは筋交いとして建物を支え、全体を組んだあとに、ジョイントをダボで縫って固めています。2012年にグッドデザイン賞を受けました。

『アオーレ長岡』(2012年)

新潟県長岡市の中心街につくられた、複合型の市役所です。屋根の付いた中庭「ナカドマ」を中心に、市役所、アリーナ、NPOのための多目的ルームが取り囲みます。事務所の解説によると、ナカドマは通常の市役所では考えられないほど多くの市民が、朝から夜までにぎわう場所になりました。外装と内装には、越後杉、雪さらしの和紙、栃尾ツムギなど、地元の素材を多く使っています。2014年に、日本建築学会賞(業績部門)を受けました。

『浅草文化観光センター』(2012年)

浅草文化観光センターの外観。木製のルーバーで覆われた階が、屋根のように斜めに重なって積み上がっている
浅草文化観光センター(2017年8月撮影)。撮影:Daniel L. Lu(user:dllu)/CC BY-SA 4.0/出典:Wikimedia Commons

雷門の向かい側の角地、わずか326平方メートルの敷地に、観光案内所、会議室、多目的ホール、展示室といった、さまざまな機能が求められました。事務所の解説によると、江戸の文化を伝える雷門の門前に、伝統的な木造住宅を7つ積み重ねたような、複合的な文化センターを提案しています。それぞれの階に、傾斜のついた屋根と天井、木製のルーバーを付け、昔ながらの木造の家にいるような、安らぎとくつろぎを得られるように設計しました。

この建物は、2012年にグッドデザイン賞を受けました。

『小さな建築』(2013年)

2013年1月に、岩波新書『小さな建築』が出ました。岩波書店の紹介文は、強く合理的で大きなシステムは、大災害の前にもろくも崩れ去る、という問題意識から始まります。大きなものに依存する受け身の存在ではなく、小さく自立した能動的な存在として、「小さな建築」は人間を世界とつなげる、というのです。そして、小さな単位を「積む」、大地に「もたれかかる」、ゆるやかに「織る」、空間を「ふくらます」という4つの方向から、建築の根源を問います。

『小さな建築』の紹介文にある4つの方向を並べた図。小さな単位を積む、大地にもたれかかる、ゆるやかに織る、空間をふくらます。
図:『小さな建築』の4つの方向

『ブザンソン芸術文化センター』(2014年)

フランス東部の都市ブザンソンにある、音楽ホール、現代美術館、コンセルヴァトワール(音楽学校)からなる複合施設です。事務所の解説によると、敷地にあった1930年代のレンガ造の倉庫を美術館に転用し、新しい音楽ホールなどと一緒に、大きな緑の屋根でつなぎました。

世界へ:V&A Dundee と国立競技場(2018〜2019年)

『V&A Dundee』(2018年)

スコットランド・ダンディーのV&A Dundee。水平の板を重ねたような外壁が、水辺に張り出している
スコットランド・ダンディーのV&A Dundee(2023年4月撮影)。撮影:Macieklew/CC BY-SA 4.0/出典:Wikimedia Commons

2018年9月に、スコットランド北部の都市ダンディーで完成しました。ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート・ミュージアムの分館で、スコットランドでは初めてのデザインミュージアムです。

事務所の解説によると、敷地はダンディーを流れるテイ川に面しています。建物の一部を川の中に張り出させることで、川と建築がひとつに融け合う設計をめざしました。外壁は、スコットランド北部のオークニー諸島の崖にヒントを得て、プレキャストコンクリートのバーを、角度を変えながら水平に積み重ねたものです。パラメトリックデザイン(条件を数値で組み立てる設計手法)を使って、自然のもつランダムさに近づけたといいます。

建物の中央には、水平に貫く大きな孔、つまり洞窟のような空間があります。市の中心の通りであるユニオン・ストリートと、テイ川の自然を、この孔でつなぐ試みです。この「孔」のアイデアは、日本の神社の鳥居からヒントを得たと、事務所は説明しています。20世紀に倉庫群によってウォーターフロントと街が分断されたダンディーで、このミュージアムは、街と水辺、都市と自然をつなぎ直す都市デザインの核として構想されました。

この作品は、令和5年度(第80回)の日本芸術院賞と恩賜賞を受けています。ほかに、2019年のThe RIAS Award for Architectureなども受けています(事務所の作品ページ)。

『国立競技場』(2019年)

東京の街と森の中に建つ、楕円形の国立競技場を空から見た写真。外周に水平の庇が重なっている
空から見た国立競技場。撮影:Arne Müseler(www.arne-mueseler.com)/CC BY-SA 3.0 DE/出典:Wikimedia Commons

2019年に竣工した国立競技場は、大成建設、梓設計、隈研吾建築都市設計事務所の共同企業体が設計しました。日本建築家協会の建築年鑑は、設計者として大成建設の川野久雄、梓設計の安野芳彦、そして隈研吾の3人を挙げています。建築主は日本スポーツ振興センターです。

事務所の解説によると、大きなスタジアムを、小径木(細い丸太)の集合体としてデザインしました。外観は、複数の層になった庇の重なりでできています。それぞれの庇の軒下を小径木のルーバーで覆うことで、日本の建築が守り伝えてきた「軒下の美」を、現代にふさわしい表現にしようと試みています。ルーバーには、日本で最も多く流通している105ミリ角の杉材を3つに割って使い、ルーバーの間隔を方角ごとに調整して、密度に変化をつけました。屋根は、鉄骨と中断面の集成材を組み合わせたトラス構造で、木材の軸方向の剛性を利用して、風や地震で生じる屋根の変形を抑えています。

日本建築家協会の建築年鑑は、この軒庇に、全国47都道府県の小径木を配置したと記しています。規模は、地下2階、地上5階、延べ床面積は約19万平方メートル、最高の高さは約47.35メートルです。

国立競技場の設計の要点を3つに整理した図。軒下の美を表す複層の庇、105ミリ角の杉材を使った小径木のルーバー、47都道府県の木材を使った軒庇。
図:国立競技場の設計の3つの要点

この建物は、2022年の第63回BCS賞、2023年のIOC・IPC・IAKS建築賞(大規模屋外スタジアム部門)などを受けています。隈研吾は2016年に、『なぜぼくが新国立競技場をつくるのか』(日経BP社)も出しました。

巨大な建物でも、素材の太さや向きを調整して、人の目に届く単位まで分ける。『小さな建築』で語られた考え方が、最も大きな規模で実現した例といえるでしょう。

石の巨塊と、駅の屋根(2020〜2021年)

『ところざわサクラタウン 角川武蔵野ミュージアム』(2020年)

空を背に建つ、石の板で覆われた角ばった巨大な角川武蔵野ミュージアムの外観
角川武蔵野ミュージアム(2020年7月撮影)。撮影:Kaijooo/CC BY-SA 4.0/出典:Wikimedia Commons

埼玉県所沢市の複合施設『ところざわサクラタウン』の中心にある、角川武蔵野ミュージアムです。事務所の記載では2020年10月の竣工です。事務所の解説によると、施設は、デジタル出版の工場、物流倉庫、オフィス、美術館、図書館、博物館、ホテル、神社などが入り混じった複合施設です。

ミュージアムの外壁は、厚さ70ミリの花崗岩を約2万枚使い、表面を割れ肌に仕上げています。隣り合う石の継ぎ目を、通常のように凹凸をそろえず、割れてできた凹凸のまま段差を残すことで、大地の力強さと、1枚ごとの石が独立して浮かぶような軽やかさを両立したと、事務所は説明しています。建物の内部は、日本の床の間の「違い棚」をモチーフにした書棚が集まる「本棚劇場」を備えます。2024年に第65回BCS賞(ところざわサクラタウン)を受けました。

木の細い単位を重ねた国立競技場とは対照的に、石の大きな塊が主役の建物です。

『高輪ゲートウェイ駅』(2021年)

山手線の新駅です。事務所の記載では、竣工は2021年3月です。事務所の解説によると、街と駅をシームレスにつなぐために、駅の上に膜構造の大屋根を架けました。膜は、鉄骨と杉の集成材でつくった、折り紙のような形のフレームで支えられています。木のフレームと白い膜の組み合わせは、和紙を使った日本の障子を思わせます。壁面には、木の板に凹凸をつけて貼る「大和張り」という伝統的な技法が使われています。令和2年度に鉄道建築協会賞の最優秀協会賞を受けました。

教える人、書く人として(教職と著作)

事務所の公式略歴によると、隈研吾は1994年にコロンビア大学大学院の講師を務め、2001年から慶應義塾大学理工学部教授を務め、2009年から2020年まで東京大学教授を務めました。2020年からは東京大学特別教授・名誉教授です。そのほか、東京藝術大学客員教授、早稲田大学特命教授、岡山大学特別教授、日本女子大学特別招聘教員も務めています。2018年からは高知県立林業大学校の校長です。

著作も続いています。公式略歴の著作一覧には、2023年の『日本の建築』(岩波新書)と、2024年の『隈研吾 オノマトペ 建築 接地性』(エクスナレッジ)が並びます。岩波書店の『日本の建築』の紹介文は、西欧の建築に日本が出会って約150年のあいだ、建築家たちが日本建築をどう捉え、どう表現してきたのかを問う本、としています。設計の方法を、日本の建築の歴史のなかに位置づけ直す仕事といえます。

受けた賞も多く、事務所の公式略歴によると、2010年にフランス芸術文化勲章オフィシエ、2011年に芸術選奨文部科学大臣賞(美術部門)、2019年に紫綬褒章、2021年にTIME誌の「影響力のある100人」、2024年にイタリア共和国功労勲章コメンダトーレ章、2025年に第38回ルイス・I・カーン賞(アメリカ)があります。

代表作の一覧と、これから

年作品所在地用途
1991M2東京オフィス、店舗/飲食
1994梼原町地域交流施設(雲の上のホテル・レストラン)高知交流
1995水/ガラス静岡レジデンス
1996森舞台/宮城県登米町伝統芸能伝承館宮城公共施設、宗教
2000石の美術館栃木文化施設
2000那珂川町馬頭広重美術館栃木文化施設
2002竹屋 Great (Bamboo) Wall北京(中国)宿泊・娯楽
2007サントリー美術館東京文化施設
2009根津美術館東京文化施設
2010梼原 木橋ミュージアム 雲の上のギャラリー高知文化施設
2012浅草文化観光センター東京店舗/飲食、文化施設
2012アオーレ長岡新潟ホール、公共施設
2014ブザンソン芸術文化センターブザンソン(フランス)文化施設
2018V&A Dundeeダンディー(イギリス)店舗/飲食、文化施設
2019国立競技場東京スポーツ、公共施設
2020ところざわサクラタウン 角川武蔵野ミュージアム埼玉文化施設
2021高輪ゲートウェイ駅東京インフラ

年は、隈研吾建築都市設計事務所の作品ページに記載された年です。

これからの仕事も、事務所のタイムラインで確認できます。2026年10月時点で、ロンドンの「The National Gallery New Wing」と「新福岡県立美術館」が、「進行中」と記されています。ナショナル・ギャラリーは、新館の設計競技で隈研吾建築都市設計事務所を含むチームが選ばれたと公式に発表しています。福岡県は、2029年度の開館を目指して基本設計がまとまったと、2024年6月に公表しています。

まとめ

いかがだったでしょうか。隈研吾の歩みを、公式の資料で確かめながらたどってきました。

1954年に横浜で生まれ、1979年に東京大学大学院を修了、1990年に事務所を設立したあと、水、木、石、竹と、素材を変えながら、場所と建物をつなぐ作品を重ねてきました。その考え方は、『反オブジェクト』『負ける建築』『自然な建築』『小さな建築』という、一連の著書にも書かれています。

2018年のV&A Dundee、2019年の国立競技場、2020年の角川武蔵野ミュージアムなど、近年の作品は規模が大きくなっても、素材を細かく見るという姿勢は変わっていません。建物を訪れる機会があれば、壁や庇の素材をぜひ近くで見てみてください。

Euphoric " " の視点

隈研吾の著書をたどると、動詞が目に留まります。2000年の『反オブジェクト』では、目次の章題が「接続する事」「流出する事」「消去する事」「極少とする事」となっていて、それぞれが日向邸、水/ガラス、亀老山、森舞台と一対になっています。2013年の『小さな建築』でも、小さな単位を「積む」、大地に「もたれかかる」、ゆるやかに「織る」、空間を「ふくらます」という4つの方向が示されています。

建物を語るとき、私たちはつい形や様式といった名詞で説明しがちかもしれません。けれども動詞で見ると、その建物がまわりに対して何をしているのかに目が向くと考えます。

隈研吾の建物を訪れる機会があれば、「この壁は何をつないでいるのか」と、動詞で問いかけてみるのも一つの見方かもしれません。名詞だけでは見えなかった建物どうしの違いが、動詞で見ると浮かび上がってくるように思います。

この作品を見に行くには

記事で紹介した建物のうち、次の施設は公式サイトで最新の情報を確認できます。公開の状況は変わることがあるため、お出かけの前に公式サイトをご確認ください(2026年10月時点)。

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