【徹底解説】『モナ・リザ』とは?謎の微笑みと盗難事件までを解説!

【徹底解説】『モナ・リザ』とは?謎の微笑みと盗難事件までを解説!
『モナ・リザ』の徹底解説(『モナ・リザ』/パブリックドメイン/Wikimedia Commons)

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こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。

皆さんは『モナ・リザ』という作品をご存知ですか?

ルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた女性の肖像画で、パリのルーヴル美術館が所蔵しています。日本では「モナリザ」と中黒なしで書かれることも多く、フランスでは『ラ・ジョコンド(La Joconde)』、イタリアでは『ラ・ジョコンダ(La Gioconda)』とも呼ばれます。ルーヴル美術館の公式サイトは、この絵を「世界でもっとも有名な肖像画」と紹介しています。

穏やかな微笑み、背後に広がる不思議な風景、そして20世紀初めに起きた盗難事件。一枚の板絵に、500年以上の物語が重なっています。

本記事ではそんな『モナ・リザ』について、描かれているもの・見どころ・歴史をご紹介します。

『モナ・リザ』って?

レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』(1503〜1519年)
レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』(1503〜1519年)ルーヴル美術館/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

『モナ・リザ』は、フィレンツェの絹商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リザ・ゲラルディーニを描いた肖像画です。ルーヴル美術館での正式な題名も『フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リザ・ゲラルディーニの肖像』で、通称として『ラ・ジョコンド』または『モナ・リザ』と添えられています。

ルーヴル美術館の作品記録によると、制作は遅くとも1503年ごろに始まりました。ところがレオナルドはこの絵を依頼主に渡さず、生涯手もとに置いて描き続けました。そのため制作年は「1503〜1519年」と幅をもって記されています。1519年はレオナルドが亡くなった年です。

基本情報

作品名モナ・リザ(モナリザ)。ルーヴル美術館での正式名は『フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リザ・ゲラルディーニの肖像』(Portrait de Lisa Gherardini, épouse de Francesco del Giocondo)。通称『ラ・ジョコンド』(La Joconde)、イタリア語で『ラ・ジョコンダ』(La Gioconda)
作者レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519年)
制作年1503〜1519年(16世紀第1四半期)。遅くとも1503年10月には描きはじめられていました
技法・素材油彩、ポプラ材の板
サイズ縦79.4cm×横53.4cm(額を含むと縦101cm×横77cm)
所蔵ルーヴル美術館(パリ)絵画部門。旧王室コレクション。所蔵番号 INV 779
展示場所ドゥノン翼1階(日本式の2階)711室「サル・デ・ゼタ(国家の間)」。常設展示

レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯や、同じ時代に活躍したルネサンスの巨匠たちについては、以下の記事でも詳しくご紹介しています。

【徹底解説】レオナルド・ダ・ヴィンチの人生と作品に迫る〜万能人ダ・ヴィンチの世界〜

ルネサンス三大巨匠とは?ダ・ヴィンチ・ミケランジェロ・ラファエロの生涯と代表作を解説

同じレオナルドの代表作で、ミラノの修道院の壁に描かれた『最後の晩餐』の解説記事もあわせてどうぞ。

https://euphoric-arts.com/art-2/the-last-supper/

「モナ・リザ」「ジョコンダ」という名前の意味

「モナ・リザ」という呼び名は、「マドンナ・リザ(リザ夫人)」を縮めた「モンナ・リザ(Monna Lisa)」に由来します。ルーヴル美術館の解説によると、フランスではモデルのリザ本人は知られていませんでしたが、イタリアでの呼び方がそのまま受け継がれました。

もう一つの呼び名「ジョコンダ」は、夫の姓ジョコンドを女性形にしたものです。フランス語ではこれが「ジョコンド」になりました。イタリア語の「ジョコンド(giocondo)」には「楽しげな、幸せな」という意味があります。ルーヴル美術館は、微笑む女性の姿は「幸せな女性」という名前にかけた言葉遊びとしても読める、と紹介しています。

何が描かれている?見どころを解説

ここからは、ルーヴル美術館の作品解説(2021年7月、ヴァンサン・ドリューヴァン執筆)をもとに、『モナ・リザ』の見どころを見ていきます。

見どころ1:やわらかな輪郭をつくる「スフマート」

レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』(1503〜1519年)顔の部分
レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』(1503〜1519年)顔の部分 ルーヴル美術館/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

顔をよく見ると、目元や口元にくっきりとした線がありません。影から光へ、気づかないほど少しずつ移り変わっていきます。

これがレオナルドのスフマート(sfumato、「ぼかし」の意味)と呼ばれる技法です。ルーヴル美術館の解説によると、顔は、顔料をほんのわずかしか含まない油の層(グレーズ、透明な薄塗りの層)を何度も重ねてつくられています。こうして輪郭がやわらかくぼかされ、見る人には、肌の下に血が通っているような生々しさが伝わります。

ルーヴル美術館は、『モナ・リザ』を、同じ館が所蔵する『聖アンナと聖母子』『洗礼者聖ヨハネ』とともに、レオナルドの油彩技法の到達点に位置づけています。レオナルドにとってこの絵は、技法をどこまで突きつめられるかを試す実験の場でもあったようです。

見どころ2:あの微笑みは何を意味する?

『モナ・リザ』でいちばん話題になるのが、口元のかすかな微笑みです。

ルーヴル美術館の解説によれば、当時の肖像画で、モデルが微笑むことはめずらしいものでした。ただしレオナルドより前にも、アントネッロ・ダ・メッシーナの肖像画などに例があります。レオナルドは、同じ時期に描いた宗教画の『聖アンナと聖母子』や『洗礼者聖ヨハネ』でも、人物に微笑みを与えています。

ルーヴル美術館は、この微笑みについて、顔を美しく優雅に見せるためだけでなく、見る人とのあいだにすぐに通い合うものをつくるためだったと考えています。微笑みは、見る人をモデルの心のうちへと招き入れます。けれどもレオナルドは、感情をほのめかすだけで、その理由までは明かしていません。

16世紀の画家で伝記作家のジョルジョ・ヴァザーリは、1550年に出版した『画家・彫刻家・建築家列伝』のなかで、制作中のエピソードを伝えています。レオナルドは、肖像画を描くときに生まれがちな憂いをモデルの顔から取り除こうと、演奏家や歌い手、道化を呼んで、リザを楽しませ続けたというのです。ヴァザーリはこの絵の微笑みを、人間のものというより神のわざのようだ、と称えました。ただし、ヴァザーリ自身は実物の絵を見ていません。この話は、伝記に記された逸話として受け止めておくのがよさそうです。

見どころ3:手と、こちらへ向き直る体

レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』(1503〜1519年)手の部分
レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』(1503〜1519年)手の部分 ルーヴル美術館/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

リザは、体を斜めに向けた「4分の3正面」の姿で描かれています。イタリアでは、それまで横顔の肖像が伝統的でした。ルーヴル美術館の解説によると、斜めの姿勢や、手を組んだポーズ、手すりの向こうに風景が開ける構成は、当時イタリアで好まれたフランドル(現在のベルギーなど)の肖像画から取り入れたものです。手すりと風景の組み合わせは、ハンス・メムリンクが1487年に描いた『ベネデット・ポルティナーリの肖像』(ウフィツィ美術館)などにも見られます。

レオナルドのすごさは、こうした約束事を自然な動きのなかに溶け込ませたところにあります。斜めの姿勢は止まったポーズではなく、体をこちらへひねる動きの終わりとして描かれています。手も、画面の端に置かれた台の上ではなく、椅子の肘掛けに自然に添えられ、右手が左手に重なったところです。

ルーヴル美術館は、これを「開いた窓」ではなく「開いた扉」のような絵だと表現しています。絵の前に立つと、等身大で描かれたリザが、テラスでこちらの到着に気づいて振り向き、にこやかに迎えてくれる。そんな感覚を生む構成です。

見どころ4:調査でわかった椅子・手すり・柱

レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』(1503〜1519年)左側の手すりと風景の部分
レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』(1503〜1519年)左側の手すりと風景の部分 ルーヴル美術館/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

画面は全体に暗く、肉眼では細部が見えにくくなっています。そこで役に立つのが、赤外線を使った科学調査(赤外線リフレクトグラフィー)です。

ルーヴル美術館の解説によると、リザは丸い背もたれを手すり子(小さな柱)で支えた「ア・ポッツェット(a pozzetto)」という形式の椅子に、こちらに対してほぼ真横向きに置かれた形で座っています。その後ろには、四角い装飾のある低い手すりがあります。手すりの左右の端には小さな柱が2本あり、そのあいだに、川の流れる山並みの広い風景が開けています。

この部分図は、画面の左端あたりです。手すりと柱の土台、その向こうに、山あいを曲がりくねって進む道が見えます。画面の右側には、川に架かる橋も描かれています。

風景もまた、スフマートと同じように、遠くのものほどかすんで見える「空気遠近法」で表現されています。ちなみに「左右の地平線の高さが違う」と語られることがありますが、ルーヴル美術館はこれを否定しています。右側の水面がつくる水平の線は、山に一部隠れながら左側にも続いている、と説明しています。

画面の右下には、土地の部分が下描きのまま残されているところもあります。ルーヴル美術館は、これを、この絵が完全には仕上げられなかった証拠の一つとしています。

見どころ5:地味に見える服は、本当は色鮮やか

リザの服装は、黒っぽく地味に見えます。そのため、喪服ではないかと言われたこともありました。

しかしルーヴル美術館によると、これは、レオナルドの死後の修復で何度も塗り重ねられたニス(表面の保護膜)が黄色く変色しているためです。厚く不均一なニスの層は、黄色いフィルターのように画面の色をすっかり変えています。空の青は緑色に見え、画面の下のほうは特に暗く沈んでいます。

赤外線調査や、レオナルドの工房で描かれた複製(後述するプラド美術館の作品)からわかる本来の装いは、次のようなものです。

  • ドレスはおそらく濃い緑色で、取り外しのできる黄色い袖がついている
  • 肩の切れ目から、白いシャツがのぞいている
  • ドレスの上には、透ける絹の大きなヴェールが掛けられ、胸元で幾何学模様の金糸の刺繍に留められている
  • 頭にも透けるヴェールをかぶり、髪の大部分は後ろでまとめて帽子(ボネ)に収めている

宝石は身につけていませんが、裕福な絹商人の妻にふさわしい、当時のフィレンツェで流行した豊かで洗練された装いだったと、ルーヴル美術館は説明しています。大きな絹のヴェールが何を意味するのかは、研究者のあいだでも議論が続いています。

『モナ・リザ』の歴史

モデルはリザ・ゲラルディーニ(1503年ごろ)

モデルのリザ・ゲラルディーニは1479年にフィレンツェで生まれ、1542年に亡くなった女性です。ルーヴル美術館の解説によると、キアンティ地方に土地を持つ古い家柄の出身で、1495年にフィレンツェの絹商人フランチェスコ・デル・ジョコンドと結婚し、6人の子どもをもうけました。

ヴァザーリは、夫のフランチェスコが、妻の肖像をレオナルドに依頼したと伝えています。レオナルドの父セル・ピエロは公証人で、フランチェスコとは少なくとも1497年から付き合いがありました。レオナルドが1500年にフィレンツェへ戻ったときに身を寄せたとみられるサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会とも、フランチェスコはつながりがありました。こうした縁が、絹商人と画家を結びつけたのかもしれません。

ヴァザーリの記述を裏づける資料が見つかったのは2005年のことです。ドイツのハイデルベルクの図書館で、フィレンツェ政庁の書記官アゴスティーノ・ヴェスプッチが本の余白に書き込んだメモが発見されました。古代の画家アペレスが絵を未完のままにしたという一節に寄せて、ヴェスプッチは、レオナルドもすべての絵でそうしている、その例が「リザ・デル・ジョコンドの頭部」だ、と書き残しています。日付は1503年10月でした。この発見で、制作がそのころにはすでに始まっていたこと、そしてモデルがリザであることが確かめられました。

モデル別人説と、ルーヴル美術館の見解

一方で、モデルは別の女性だという説も、20世紀以降たびたび唱えられてきました。

その根拠の一つが、1517年10月にフランスのクロ・リュセの館でレオナルドを訪ねた枢機卿の旅行記です。随行したアントニオ・デ・ベアティスは、そこで見た絵の一つを「故ジュリアーノ・デ・メディチの求めで描かれた、あるフィレンツェの婦人の肖像」と記しました。依頼主が夫ではないように読めるため、別人ではないかという説が生まれたのです。

これに対しルーヴル美術館は、レオナルドが依頼主との約束にかなり自由にふるまう画家だったことを挙げています。レオナルドは長い時間をかけて描き続けるうちに、フランス王ルイ12世、ジュリアーノ・デ・メディチ、そしてフランソワ1世と、次々に現れるパトロン(支援者)を魅了していきました。レオナルドが旅行記の筆者に、かつての支援者ジュリアーノのためにもこの絵を手がけていたと話したとしても不思議ではない、という見方です。そのうえで、16世紀から続く確かな伝承に基づき、モデルはリザ・デル・ジョコンドだと、現時点では言い切れるとしています。

フランソワ1世の手へ(1516〜1519年)

1516年、レオナルドはフランス王フランソワ1世に招かれ、フランスへ移りました。『モナ・リザ』も一緒にフランスへ渡りました。

この絵がどのようにしてフランス王のものになったのかは、長く謎でした。手がかりが見つかったのは1999年です。ルーヴル美術館の解説によると、歴史家ベルトラン・ジェスタズが、パリの国立公文書館で、1518年にフランソワ1世がレオナルドの弟子サライに2,604リーヴルという大金を支払った記録を発見しました。名目は、王に引き渡した「何枚かの板絵」の代金です。金額の大きさから、これはレオナルド本人の作品だったと考えられています。『モナ・リザ』は、このとき王が手に入れた可能性が非常に高いとされます。

レオナルドは1519年にフランスのアンボワーズで亡くなりました。ヴァザーリは1550年の時点で、この絵がフランス王のもとにあり、フォンテーヌブローに置かれていると記しています。

研究と模写の対象として(16世紀〜19世紀)

『モナ・リザ』は、完成前から同時代の画家たちに大きな影響を与えました。ルーヴル美術館によると、1504年から1508年にかけてフィレンツェに滞在した若きラファエロも、この絵に感銘を受け、自分の肖像画に取り入れた画家の一人です。16世紀から模写がつくられ、現在知られているだけで100点を超えます。

レオナルドの工房による『モナ・リザ』(プラド美術館)

レオナルド・ダ・ヴィンチの工房『モナ・リザ』(16世紀初め)
レオナルド・ダ・ヴィンチの工房『モナ・リザ』(16世紀初め)プラド美術館(マドリード)/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

数ある模写のなかで特に重要なのが、スペインのプラド美術館にある1点です。ルーヴル美術館はこれを、レオナルドの工房でつくられた複製と紹介しています。修復を終えたこの複製では、黄ばんだニスに覆われたルーヴルの原画ではわかりにくい、透ける絹のヴェールの重なりや、背景の青い山並みがはっきりと見えます。ただし袖は赤く描かれていて、ルーヴル美術館が推定する原画の黄色い袖とは色が異なります。2021年から2022年にかけて、プラド美術館はこの複製をテーマにした展覧会を開き、ルーヴル美術館の作品記録にも、その図録が参考文献として挙げられています。

ヴァザーリの伝記によって、『モナ・リザ』はイタリア絵画を代表する傑作の一つとされるようになりました。ルーヴル美術館の解説によれば、19世紀後半になると文学者たちが熱のこもった描写を重ね、「宿命的で謎めいた美女」というイメージが生まれます。「絵には秘密が隠されている」という話も、ここから広まったものだと、ルーヴル美術館は述べています。

この絵は、フランス王家のコレクションとして受け継がれ、フランス革命期の1793年に、国の美術館となったルーヴルのコレクションに入りました。

盗難事件で世界的に有名に(1911〜1913年)

『モナ・リザ』を、美術ファンだけでなく世界中の人が知る絵にしたのは、ある事件でした。

1911年8月、ルーヴル美術館から『モナ・リザ』が消えたのです。ルーヴル美術館の公式サイトによると、知らせはまたたく間に広まり、多額の懸賞金がかけられましたが、手がかりはないまま2年以上が過ぎました。

事態が動いたのは、ルーヴルで働いたことのあるガラス職人ヴィンチェンツォ・ペルージャが、この絵をイタリアの美術商に売ろうとしたときです。美術商が当局に知らせたことで、絵は1913年に無事見つかりました。ルーヴル美術館は、この事件によって『モナ・リザ』の名声はいっそう高まったと述べています。作品記録には、盗難によって世界的で、しかもより大衆的な知名度を得た、と書かれています。

海外への貸し出し(1963年・1974年)

戻ってきた『モナ・リザ』は、ルーヴルを代表する作品となりました。ほとんど館外へ出ることはありませんが、ルーヴル美術館の作品記録には、例外的な貸し出しが記されています。

  • 1963年:アメリカのワシントン(ナショナル・ギャラリー・オブ・アート)とニューヨーク(メトロポリタン美術館)
  • 1974年:日本の東京
  • 1974年:当時のソ連のモスクワ(プーシキン美術館)

日本での展示は、東京国立博物館で行われました。ロンドンのテートは、このときの展示を、東京国立博物館で開かれたもっとも人気の高い展覧会と紹介しています。1974年以降、『モナ・リザ』は非常にもろいことを理由に、ルーヴルを離れていません。

傷つきやすい板絵を守る

『モナ・リザ』はキャンバス(布)ではなく、薄いポプラ材の板に描かれています。ルーヴル美術館の解説によると、木は湿気の変化にとても敏感で、年月とともに板はわずかに反り、ひびも入りました。画面の上端から長さ11cmのひびが走り、髪を横切って、額のあたりで止まっています。裏側では、昔の修理で「ちょうちょ形」の木片2つと布が当てられ、ひびが固定されています。

「板が切り詰められている」と書かれることもありますが、ルーヴル美術館はこれも否定しています。板の端には絵の具がのっていない部分や、制作中に板を囲んでいた枠に沿ってできた絵の具の盛り上がり(フランス語でバルブ、barbe)が残っていて、切られていないことがわかるといいます。

1956年には、石を投げつけられて保護ガラスが割れ、左ひじのあたりがわずかに傷つく被害もありました。こうした問題はありますが、作品の保存状態は良好です。ただし、本質的にとてももろい作品であることに変わりはないと、ルーヴル美術館は説明しています。

現在『モナ・リザ』は、ルーヴルでいちばん大きな展示室、サル・デ・ゼタ(711室)の中央に、温度と湿度を管理したガラスケースに収められて、単独で展示されています。ルーヴル美術館の公式サイトは、この特別な扱いを、安全上の理由とともに、反った板に入ったひびがこれ以上広がらないようにするための、保存上の理由によるものだと説明しています。

現在と、これから

サル・デ・ゼタは、建築家エクトール・ルフュエルの設計で1855年から1857年にかけて建てられた部屋です。2019年に壁が深い紺色に塗り替えられ、同じ部屋に並ぶヴェネツィア派の名画、ティツィアーノやヴェロネーゼの作品の色彩を引き立てています。同じ部屋には、ルーヴル最大の絵画であるヴェロネーゼの『カナの婚礼』も展示されています。

2025年1月には、フランスの大統領がルーヴル美術館で、大規模な整備計画「ルーヴル・ヌーヴェル・ルネサンス」を発表しました。ルーヴル美術館の報道発表によると、計画には、東側のファサード(グランド・コロナード)からの新しい入口と、クール・カレ(方形の中庭)の地下の新しい空間づくりが含まれています。そのなかで『モナ・リザ』と出会うための「ジョコンドの道筋(Parcours Joconde)」を設け、作品を理解するための手がかりも示すとしています。2025年10月には、国際建築設計競技の第2段階に進む5つのチームが選ばれました。

『モナ・リザ』のよくある疑問

Q. 『モナ・リザ』はどこで見られる?

パリのルーヴル美術館で見られます。ドゥノン翼1階(日本式の2階)の711室、サル・デ・ゼタに常設展示されています。ルーヴル美術館の作品記録には、管理システムの刷新のため展示室の情報が最新でない場合がある、という注意書きもあります。訪れる前に公式サイトを確認しておくと安心です。

Q. 大きさはどれくらい?

縦79.4cm、横53.4cmです。ルーヴル美術館は、等身大でモデルを描くために、当時としては大きめの板を選んだと説明しています。額を含めると、縦101cm、横77cmになります。

Q. モデルは誰?

ルーヴル美術館は、フィレンツェの絹商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リザ・ゲラルディーニ(1479〜1542年)だとしています。別人説もありますが、1503年10月の書き込みが2005年に見つかったことで、伝統的な見方が裏づけられました。

Q. 「モナ・リザ」の「モナ」ってどういう意味?

「モナ」は、イタリア語の「マドンナ(夫人、奥さま)」を縮めた「モンナ(Monna)」からきています。つまり「モナ・リザ」は「リザ夫人」という意味です。

Q. 『モナ・リザ』は日本に来たことがある?

あります。ルーヴル美術館の作品記録によると、1974年に東京で展示されました。会場は東京国立博物館です。それ以降、作品のもろさを理由に、ルーヴルから外へは出ていません。

Q. 『モナ・リザ』は完成している?

ルーヴル美術館の作品記録は、レオナルドが生涯にわたって描き続け、亡くなった時点でも未完成だったとしています。画面右下の風景の一部に、描きかけの部分が残っています。

まとめ

いかがだったでしょうか。レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』をご紹介しました。

『モナ・リザ』は、フィレンツェの絹商人の妻リザ・ゲラルディーニを描いた肖像画です。1503年ごろに描きはじめられ、レオナルドは亡くなるまでこの絵を手放さずに描き続けました。輪郭をぼかすスフマートの技法、見る人を迎え入れるような体のひねり、そして理由を明かさない微笑み。肖像画でありながら、生きた人間そのものを描こうとした作品だといえます。

フランス王フランソワ1世の手に渡ったあと、王家のコレクションを経てルーヴルへ。1911年の盗難事件で世界中に名を知られ、1974年には日本にもやってきました。今はもろい板絵を守るため、ガラスケースのなかで静かに来館者を迎えています。

実物の前に立つ機会があれば、微笑みだけでなく、手すりの柱、曲がりくねった道、右側の橋、ヴェールの透け感にも目を向けてみてください。黄ばんだニスの奥に、レオナルドが描いた色が眠っていることを思い浮かべると、見え方が少し変わるかもしれません。

Euphoric " " の視点

ルーヴル美術館の作品記録は、レオナルドが『モナ・リザ』を生涯にわたって描き続け、亡くなった時点でも未完成だったとしています。画面右下には、下描きのまま残された土地の部分があります。

それでもこの絵は、完成前から同時代の画家たちに影響を与えました。16世紀から作られた模写は、知られているだけで100点を超えます。

「絵には秘密が隠されている」という話は、19世紀後半の文学者たちの描写から広まったものだと、ルーヴル美術館は述べています。

謎の多くは、絵のなかよりも、この絵を見てきた人々の側で育ってきたのかもしれません。描き終えられなかった一枚だから、見る人がそれぞれの続きを重ねてきたのでしょう。

この作品を見に行くには

『モナ・リザ』は、パリのルーヴル美術館で公開されています。展示替えや貸し出しがあるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。

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