こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。
皆さんは『東海道五十三次』という作品をご存知ですか?
江戸時代の浮世絵師・歌川広重が、江戸の日本橋から京都の三条大橋までの東海道の宿場を描いた、木版画の風景画シリーズです。正式な題名は『東海道五拾三次之内』。版元(出版元)の名にちなんで「保永堂版東海道」とも呼ばれ、広重を一躍人気絵師にした出世作として知られています。
「五十三次」という名前ですが、実は全部で55図あります。雪の夜の宿場、山道を越える行列、夕立のなかを駆ける旅人。一枚ずつめくっていくと、江戸時代の旅がそのまま目の前に広がるようなシリーズです。
本記事ではそんな『東海道五十三次』について、描かれているもの・見どころ・歴史をご紹介します。
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Toggle『東海道五十三次』って?

シリーズの最初の一図、『日本橋 朝之景』です。旅の出発点である江戸・日本橋を、朝の景色として描いています。明け方の空の下、毛槍を掲げた行列が橋を渡ってこちらへ向かい、手前には天秤棒で荷を担ぐ人々が行き交っています。
東京国立博物館は、このシリーズを、江戸と京都を結ぶ東海道の53駅に、日本橋と京都三条大橋を加えた55図揃いのシリーズと説明しています。明快な色の対比と、ユーモアあふれる人物描写によって、浮世絵の風景画としては軽快な印象に仕上がっている、というのが同館の評価です。
基本情報
| 作品名 | 東海道五拾三次之内(とうかいどうごじゅうさんつぎのうち)。一般には「東海道五十三次」と書かれることが多く、版元の名にちなんで「保永堂版東海道」「保永堂版東海道五拾三次」とも呼ばれます。英語では『Fifty-three Stations of the Tōkaidō』 |
| 作者 | 歌川広重(1797〜1858年) |
| 制作年 | 天保4〜5年(1833〜34年)頃とする館が多く、東京国立博物館は『日本橋 朝之景』を天保4〜6年(1833〜35年)頃としています。静岡市東海道広重美術館は、天保4年(1833年)頃の刊行と説明しています |
| 技法・素材 | 木版多色摺り(錦絵)、紙。横大判 |
| 構成 | 全55図(東海道の53の宿場+起点の江戸・日本橋+終点の京都・三条大橋) |
| サイズ | 1図ずつ刷りによって異なり、おおむね縦22〜25cm×横34〜38cm。東京富士美術館の『庄野』は22.6×34.4cm、東京国立博物館の『箱根』は24.9×37.6cm |
| 版元 | 竹内孫八と鶴屋喜右衛門(東京国立博物館の解説による) |
| 所蔵 | 版画のため、多くの館が所蔵しています。東京国立博物館(55枚揃いの1帖など)、東京富士美術館、静岡市東海道広重美術館、メトロポリタン美術館(ニューヨーク)など |
| 展示場所 | 常設ではなく、各館の展示替えや企画展の際に公開されます |
作者の歌川広重の生涯と作品や、浮世絵の楽しみ方については、以下の記事でも詳しくご紹介しています。
東海道と「五十三次」って?
東海道は、江戸と京都を結んだ街道です。東京国立博物館の解説にあるとおり、その道筋には53の駅(宿場)がありました。この53の宿場を指して「東海道五十三次」と呼びます。
東京富士美術館の解説によると、江戸・日本橋を起点に始まる東海道五十三次の旅は約500キロにおよび、京の玄関口・三条大橋が終着地点でした。広重のシリーズは、この旅の道のりを、出発から到着まで55枚の絵でたどる構成になっています。
何が描かれている?見どころを解説
見どころ1:天候と時刻の描き分け
広重の風景画の大きな魅力は、同じ「宿場の風景」でも、天気や時間帯によってまったく違う表情を見せるところです。
東京国立博物館は、2026年に開いた特別展「歌川広重 江戸のベストアングル」の案内のなかで、広重が日本各地を題材に、天候や時刻の変化、そこに生きる人びとの姿を巧みにとらえ、卓越した画面構成力によって風景の魅力を描き出したと紹介しています。
『東海道五十三次』にも、朝焼けの日本橋、雪の夜の蒲原、夕立の庄野、霧の三島など、天候や時刻を題名に添えた図がいくつもあります。どの宿場を、どんな空の下で描いたのか。題名の後半に注目すると、広重のねらいが見えてきます。
見どころ2:『箱根 湖水図』の奇抜な山

厳しい峠越えで知られた箱根を描いた一図です。画面の右半分を、色とりどりの岩肌をもつ大きな山が占めています。
東京富士美術館の解説は、この作品を「多彩な色と奇抜な形の組み合わせによって描かれた、広重の傑作中の傑作」と評しています。「天下の険、千尋の谷」と唄われた箱根の峠越えの厳しさをとらえた、圧倒的な量感の山の描写が見どころです。
山間の細く急な坂道を、大名行列が一列になって下っていきます。モザイクのような色合いで極端にデフォルメされた山は、急な勾配で芦ノ湖へせり出し、遠くには真っ白に雪化粧した富士山が浮かび上がっています。同館は、実景とかけ離れたこの描写は、江戸の庶民に驚きをもって受け入れられ、人気を博したことは想像に難くない、と述べています。
山の右下に目をこらすと、小さな人の列が見えます。巨大な山と小さな行列の対比が、峠道の険しさを伝えています。
見どころ3:『蒲原 夜之雪』の静けさ

シリーズのなかでも特に名高いのが、この『蒲原 夜之雪』です。雪の積もった家並みと山、その間の坂道を、笠をかぶった人々が身を縮めて歩いています。
東京富士美術館の解説によると、深々と雪が降る寒村の夜の情景を描いたこの図は、画面に漂う静寂さがシリーズの中でも突出した傑作といわれています。一方で、現実の蒲原にはこのような豪雪を見ることはできず、広重の創作した心象の風景ではないかともいわれています。
この図には、摺りの違いによる「異版」がいくつかあることでも知られています。同館の解説によれば、夜空が下から上へ明るくなっていく「地ぼかし」の版は普及版とされ、夜空が上から下へ明るくなっていく「天ぼかし」の版が初刷りと考えられています。夜のイメージを強めるために「地ぼかし」へ変更されたとの見方もある、と同館は述べています。複数の館の『蒲原』を見比べる機会があれば、空のグラデーションに注目してみてください。
見どころ4:『庄野 白雨』の夕立

『蒲原』と並ぶ傑作とされるのが、『庄野 白雨』です。東京国立博物館は、突然の夕立に道を急ぐ人々を臨場感たっぷりに描いた、シリーズを代表する一図と紹介しています。東京富士美術館も、『東海道五拾三次之内』のなかで最も有名な一枚としています。
題名の「白雨」とは、夕立のことです。東京富士美術館の解説に沿って画面を見ていくと、左から大胆な勾配の坂が描かれ、右手の家並みが、この坂の小高さを感じさせます。その坂を必死に登る駕籠かきと、転げ落ちるように駆け下る旅人と農夫。そこへ、坂と直角に交差するように夕立が降りはじめています。
よく見ると、駆け下りる旅人の傘には「竹のうち」「五十三次」の文字が書かれています。同館は、版元の名前とシリーズ名がしっかり宣伝されているのも面白い、と述べています。絵のなかにさりげなく広告を入れる遊び心も、このシリーズの楽しみの一つです。
同館はさらに、雪の『蒲原』と夕立の『庄野』について、静と動、冬と夏の対比があると解説しています。2枚を並べてみると、同じシリーズのなかで、広重がいかに多彩な天候を描き分けたかがよく分かります。
見どころ5:旅人と宿場の人々
このシリーズの主役は、風景だけではありません。どの図にも、旅人や駕籠かき、馬方、宿場の人々などが描き込まれています。
富士市立博物館が文化遺産オンラインに載せた解説(静岡県立美術館の図録を引用)は、このシリーズを、旅に関わる風物や人物を、自然の景観のなかに叙情豊かに描いた作品と説明しています。東京国立博物館が評価する「ユーモアあふれる人物描写」も、人々のしぐさに表れています。宿場の名物や、旅の途中の小さな出来事を探しながら見ていくと、一枚の絵に込められた物語が見えてきます。
見どころ6:北斎を意識した?富士山の描き方
東海道の旅では、ところどころで富士山が見えます。広重もシリーズのなかで何度も富士を描いていますが、その描き方には工夫があります。
東京富士美術館は『原 朝之富士』の解説で、このシリーズの出版が始まったころには、すでに北斎の『冨嶽三十六景』が刊行されていて、江戸の人々はその富士に驚いていた、と書いています。そのうえで、朝焼けに赤く染まりはじめる富士の頂上が画面の枠をはみ出す意表をついた構図に、北斎を意識した広重の思いが見えるようだ、と述べています。
『吉原 左富士』では、田んぼのなかを曲がりくねって続く松並木の街道が描かれます。同館によると、この道は富士の姿を左手に見ることができることから「左富士」と呼ばれ親しまれた名所でした。馬に乗った3人の子どもたちのうち2人は、遠くに見えてきた富士を夢中で見つめ、右端の1人はよそ見か居眠りをしているようにも見えます。その姿が画面に愛嬌を添えています。
『由井 薩埵嶺』は、由井宿と興津宿の間にあった峠を描いた図です。同館の解説によると、海に面して切り立った峠を越えるとき、突然背後に見える富士の姿に旅人は感動しました。峠道ができる前は崖下の波打ち際を通るしかなく、「親知らず子知らず」と呼ばれた危険な道だったといいます。駿河湾越しの富士の絶景と、峠の急な勾配の対比が美しい一図です。
見どころ7:大胆な構図と細部の遊び
広重は、ときに現実にはありえない視点や角度から風景を切り取りました。
東京富士美術館の解説によると、『亀山 雪晴』は、画面の右上から左下へ極端なまでの勾配が描かれ、画中のほとんどのものがその坂に収まってしまいそうな大胆な構図の名作です。白と黒のモノトーンで描かれた雪景色のなかに、わずかに見える大名行列の色彩が、効果的な印象をつくっています。
東海道最大の難所とされた大井川の川越しは、『嶋田 大井川駿岸』と『金谷 大井川遠岸』の2図で描かれています。同館によると、『嶋田』はその様子を実際にはありえないほど高い視点から見下ろして描いた図で、『金谷』はその続きの図です。同館は、北斎の『冨嶽三十六景』「東海道金谷の不二」と比べると、難所とは思えない穏やかな広重独特の空気が流れているのも面白い、と述べています。
細部には、思わず笑ってしまうような発見もあります。同館の解説によると、『三島 朝霧』は、朝霧の立ちこめる景色をシルエットで描き出した図で、広重はこのシルエットによる描写を京都の四条派に学んだといいます。この図は昭和59年(1984年)に新聞で取り上げられて話題になりました。後ろで駕籠をかつぐ人足の右足の指が、6本あるというのです。同館は、ほかの図にも6本指の男が登場しているようなので、探してみるのも一興かもしれない、と書いています。
『沼津 黄昏図』では、大きな天狗の面を背負った白装束の男と、巡礼姿の母娘が、満月の夕暮れのなかを宿場へ急いでいます。『四日市 三重川』では、粗末な橋を風に飛ばされないように渡る人と、飛ばされた笠をあわてて追いかける旅人が描かれ、同館は広重の絵では珍しく風の動きを見せた図だと解説しています。
『東海道五十三次』の歴史
歌川広重の歩み(1797〜1830年代)
静岡市東海道広重美術館によると、広重は寛政9年(1797年)、江戸・八重洲河岸の定火消同心の長男として生まれました。本名は安藤重右衛門です。文化6年(1809年)に両親を相次いで亡くし、13歳で家業の火消を継ぎましたが、幼いころから絵を好み、文化8年(1811年)ごろに浮世絵師の歌川豊広に弟子入りしました。
「広重」という名前は、師匠の豊広から「広」、本名の重右衛門から「重」を1字ずつ取った画号です。家業を身内に譲って画業に専念するようになり、その後に手がけたのが『東海道五拾三次之内』でした。
広重は実際に旅をした?(天保3年の説)
このシリーズの成り立ちについては、よく語られる話があります。富士市立博物館が文化遺産オンラインに載せた解説では、広重は天保3年(1832年)に、幕府が毎年8月1日に行う朝廷への御馬献上の一行に加わって、東海道を江戸から京まで旅をし、そのときに見た風景や各宿の印象をもとに発行したのがこのシリーズだ、と「いわれている」と紹介しています。
一方で、この説には疑問の声もあります。東京富士美術館の『京師 三条大橋』の解説は、絵のなかの三条大橋の橋脚は木組みで描かれているが、実際の三条大橋は石組みだったと指摘しています。リアルに描かれていたのは「三島」あたりまでで、それ以降の宿場は想像や他の資料に基づく図が多くなっていることから、広重が京へ上ったという説を疑問視する向きもある、と同館は述べています。
広重が実際にどこまで旅をしたのかは、はっきりとは分かっていません。ここでは「そういう説がある」という紹介にとどめておきます。
出版と大ヒット(天保4年頃〜)
静岡市東海道広重美術館によると、『東海道五拾三次之内』は天保4年(1833年)ごろに刊行されました。この作品は当時の旅ブームに乗って大ヒットし、広重は一躍、人気絵師の仲間入りをしました。
東京国立博物館も、広重が生涯にわたり東海道を題材にした作品を多数制作したなかで、その最大のヒット作が、竹内孫八と鶴屋喜右衛門を版元として出版された「保永堂版東海道」だったと説明しています。
富士市立博物館の解説は、このシリーズを、西洋の遠近画法を取り入れて深い空間表現を生み出した葛飾北斎の『冨嶽三十六景』と並んで、浮世絵界に風景表現という新しい風を送り込んだ金字塔的作品ともいわれている、と紹介しています。北斎の『冨嶽三十六景』の代表作『神奈川沖浪裏』については、こちらの記事でご紹介しています。
https://euphoric-arts.com/art-2/the-great-wave-off-kanagawa/
『東海道五拾三次之内 大尾 京師 三条大橋』(1833〜34年頃)

題名に「大尾」と添えられた、シリーズ最後の55図目『京師 三条大橋』です。東京富士美術館の解説によると、鴨川に架かる優美な三条大橋と、川の向こうの古都の町並み、その背後の東山三十六峰が描かれています。
日本橋で始まった約500キロの旅が、この橋で終わります。最初の『日本橋 朝之景』と最後の『京師 三条大橋』を並べてみると、出発の朝のあわただしさと、到着した旅人たちの落ち着いた歩みの違いを感じられるかもしれません。
摺りを重ねるなかで生まれた「異版」
人気のシリーズは何度も摺り重ねられ、その途中で絵の一部が変わることもありました。
東京富士美術館の解説によると、『品川 日之出』には、のちに保永堂が単独で出版した異版があり、そちらは「諸侯出立」という副題で、行列の人物が増えています。東京国立博物館は、『品川 日之出』と『品川 諸侯出立』の両方を所蔵しています。同館はまた、『日本橋 朝之景』と同じ日本橋を描いた『日本橋 行烈振出』という題の刷りも所蔵しています。
『小田原 酒匂川』についても、同館は、後に改版された異版では、遠景の山々の色彩の面白さが失われてしまっていると述べています。先にご紹介した『蒲原 夜之雪』の空のぼかしの違いも、こうした異版の一つです。同じ題名の作品でも、どの版なのかによって見え方が変わるのが、浮世絵版画の奥深さです。
次々に生まれた「東海道もの」
保永堂版の成功のあと、広重は東海道を題材にしたシリーズを数多く手がけました。静岡市東海道広重美術館によると、一説に20種類を超えるといわれる「東海道」のシリーズ作品があり、そのほか『木曾海道六拾九次之内』や『冨士三十六景』など、さまざまな名所絵を制作しています。
同館の収蔵品の紹介を見ると、保永堂版のほかにも、題字の書体から「行書東海道」「隷書東海道」と呼ばれるシリーズ、縦長の画面の『五十三次名所図会』、三代歌川豊国との合作『雙筆五十三次』など、さまざまな「東海道」が並んでいます。同じ宿場でも、シリーズによって切り取る場面が違うのが面白いところです。
広重は、最晩年の傑作と評価される『名所江戸百景』を制作中の安政5年(1858年)に、62歳で亡くなりました。
現在の『東海道五十三次』
現在、保永堂版の『東海道五拾三次之内』は、国内外の多くの美術館・博物館に所蔵されています。東京国立博物館は55枚揃いの1帖を所蔵しているほか、一図ずつの刷りも数多く所蔵しています。
東京国立博物館の特別展「歌川広重 江戸のベストアングル」(会期:2026年9月29日〜12月20日)は、同館が受贈した内山晋氏旧蔵の浮世絵1,025点の収蔵を記念した展覧会です。会期を3期に分け、1期(9月29日〜10月25日)に『東海道五拾三次』、2期(10月27日〜11月23日)に『木曽海道六拾九次』、3期(11月25日〜12月20日)に『名所江戸百景』の全点を公開する構成です。『東海道五拾三次』の全点公開は、1期の2026年10月25日で終了しています。
静岡市清水区由比にある静岡市東海道広重美術館は、設備の入れ替え工事のため、2026年6月1日から2027年3月末まで休館し、4月初旬に開館する予定と発表しています。休館中は、由比本陣公園内の「東海道由比宿交流館」でサテライト美術館を実施しています。
『東海道五十三次』のよくある疑問
Q. 全部で何枚あるの?
全55図です。東海道の53の宿場に、起点の江戸・日本橋と、終点の京都・三条大橋を加えた数です。題名は「五十三次」ですが、出発地と到着地の2図が加わっているので55図になります。
Q. 作者は誰?北斎じゃないの?
保永堂版『東海道五拾三次之内』の作者は、歌川広重です。同じ時代の風景版画として、葛飾北斎の『冨嶽三十六景』と並べて語られることがあります(富士市立博物館の解説など)。北斎の代表作は富士山を描いた『冨嶽三十六景』、広重の代表作の一つが東海道の宿場を描いた『東海道五拾三次之内』、と覚えると区別しやすくなります。
Q. 読み方は?
「とうかいどうごじゅうさんつぎ」と読みます。正式な題名『東海道五拾三次之内』は「とうかいどうごじゅうさんつぎのうち」です。「次」を「つぎ」と読むのがポイントです。
Q. どこで見られる?
版画なので、東京国立博物館、東京富士美術館、静岡市東海道広重美術館、メトロポリタン美術館など、国内外の多くの館が所蔵しています。ただし、どの館も常設で展示しているわけではありません。見に行く前に、各館の公式サイトで展示予定を確認するのがおすすめです。
Q. 蒲原には本当にあんな大雪が降るの?
東京富士美術館の解説によると、現実の蒲原ではこのような豪雪を見ることはできず、広重が創作した心象の風景ではないかといわれています。目の前の風景をそのまま写すのではなく、旅の情緒が伝わるように場面をつくり上げたと考えると、この一枚の味わいがいっそう深まります。
Q. 一番有名なのはどの図?
所蔵館の解説では、『庄野 白雨』と『蒲原 夜之雪』がシリーズを代表する傑作として挙げられています。東京富士美術館は『庄野』を「最も有名な一枚」、『箱根 湖水図』を「傑作中の傑作」と評しています。
まとめ
いかがだったでしょうか。歌川広重の『東海道五十三次』をご紹介しました。
『東海道五十三次』(正式には『東海道五拾三次之内』)は、江戸の日本橋から京都の三条大橋までを55図でたどる、木版画の風景画シリーズです。天保4年(1833年)ごろに刊行されると、当時の旅ブームに乗って大ヒットし、広重を一躍人気絵師にしました。
雪の夜の『蒲原』、夕立の『庄野』、奇抜な山の『箱根』。天候や時刻を描き分け、旅人や宿場の人々をユーモアたっぷりに描き込んだ画面は、いま見ても新鮮です。広重が実際に旅をしたのかどうかには諸説ありますが、その画面から旅の空気が伝わってくることは確かです。
美術館で出会う機会があれば、まずは全体の風景を眺め、それから人々の表情やしぐさに目を移してみてください。約190年前の旅人たちが、すぐそばを歩いているように感じられるかもしれません。
Euphoric " " の視点
広重が天保3年に東海道を京まで旅したという話は、「いわれている」と紹介されるにとどまります。東京富士美術館は、絵のなかの三条大橋の橋脚が、実際の石組みではなく木組みで描かれていることを指摘しています。
雪の『蒲原』も、現実の蒲原ではあのような豪雪は見られず、広重の創作した心象の風景ではないかといわれています。それでもこのシリーズは、当時の旅ブームに乗って大ヒットしました。
見たままであることと、旅の気分が伝わることは、必ずしも同じではないようです。江戸の人々がこの55図に求めたのは、正確な記録よりも、自分も歩いてみたくなる道だったのかもしれません。
この作品を見に行くには
記事で紹介した作品は、次の館などが所蔵しています。展示替えや貸し出しがあるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。







