【徹底解説】イタリア未来派の先駆者、ウンベルト・ボッチョーニって?人生と作品を追う

こんにちは、ユアムーン編集部です。

皆さんは「ウンベルト・ボッチョーニ」という人物をご存知でしょうか?

ボッチョーニはイタリア未来派を切り拓いた主要な画家で革新的でスピードとダイナミズムを感じる作品が特徴的です。また理論家として未来派の考えを世に広める活動も精力的に行ないますが、不慮の事故で33歳という若さで亡くなってしまいます。

今回はそんなウンベルト・ボッチョーニの人生と作品についてご紹介します!

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ウンベルト・ボッチョーニってどんな人?

ウンベルト・ボッチョーニ
本名 ウンベルト・ボッチョーニ(Umberto Boccioni)
生年月日 1882年10月19日
出身 イタリア レッジョ・カラブリア
学歴 ローマ美術アカデミー
分野/芸術動向 絵画、彫刻 / 未来主義

人生と作品

生まれと環境

ウンベルト・ボッチョーニは1882年10月19日、イタリアのレッジョ・カラブリアで生まれます。

父親は北部のロマーニャ地方出身の小役人で、イタリア全土を頻繁に転勤する仕事だったため、少年時代は家族と共に頻繁に引越しを繰り返しており、最終的には1897年にシチリアの都市カターニアに定住します。

そこで中等教育の大半を受けたボッチョーニは、1898年以降カターニアからローマに移り、ローマ美術アカデミーに入学します。

ちなみに彼がローマ美術アカデミーに入学するまで、美術に対する関心を持っていことを表す証拠はほとんどないとされているようです。

芸術、哲学など様々な領域に関心を寄せる

ローマ滞在中に後に未来派運動の主要メンバーとなる「ジーノ・セヴェリーニ」と出会い、セヴェリーニと共に点描画で名高い画家「ジャコモ・バッラ」に弟子入りします。

バッラを通じてボッチョーニとセヴェリーニは「ジョルジュ・スーラ」や「ポール・シニャック」ら新印象派の背景にある光学的な色彩理論や点描画法(ディヴィジョニズム)について学びます。

この頃についてセヴェリーニは自伝に「このような人物に出会えたことは、私たちにとって大きな幸運であり、その方向性は私たちのすべてのキャリアを決定づけた」と書いているようです。

またボッチョーニは「グスタフ・クリムト」ら象徴主義にも興味を持ったり、ヨーロッパの文化的、芸術的、哲学的状況にも関心を持ち、「ジョルジュ・ソレル」「フリードリヒ・ニーチェ」「エルンスト・ルナン」などの哲学者、思想家の著書を読むことで自らの考えを深めていきました。

Self-portrait(1905)

この自画像は学生時代のボッチョーニの作風をよく表している作品で、未来派の絵画とは大きく異なる柔らかいタッチでした。

ボッチョーニは未来派として活動していく中でも、この作品は大切にして生涯売ることはなかったそうです。

国際的な芸術への不満と未来派の始まり

ボッチョーニは1906年の4月から5ヶ月間パリに滞在し、「ポール・セザンヌ」の絵画を学びます。

その後、ロシア、ワルシャワ、ウィーンに立ち寄り、12月にイタリアに戻ると、この年の「ヴェネツィア・ビエンナーレ(ヴェネツィアで開催される国際美術展覧会)」で見られた、視野の狭い芸術に対して大きな不満を持ちます。

ボッチョーニは技術的な細かい部分をこだわるよりも、自由で自発的な創造性を優先できる点描画法を駆使して作品を作ることを好んでいたようです。

1907年、ボッチョーニはミラノに移り住み、そこで象徴主義の詩人であり批評家であった「フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ」と出会い、2年後にマリネッティはフランスの有力紙「ル・フィガロ」の一面に未来派の最初の声明を発表します。

「ポエシア」に掲載された英語版「未来主義宣言」の最初のページ

この後すぐにボッチョーニ、セヴェリーニ、バッラなどといった支持者が集まり、更に1年後の1910年2月11日にボッチョーニの指導の下、マリネッティの雑誌「ポエシア」から「未来主義宣言」が発表され、セヴェリーニ、バッラらが署名します。

この声明は美術館や図書館といった未来派が今では余分なものと考えている施設を攻撃しました。

同年ボッチョーニはマリネッティの「ポエシア」を通じて「未来派画家: 技術宣言」を発表します。ボッチョーニはその中で「鋼鉄、誇り、熱狂、スピードの渦巻く生活を表現するには、これまで使われてきた題材はすべて一掃されなければならない」と宣言しています。

The City Rises(1910)

この作品は多くの人から真の最初の未来派の絵画であると考えられています。ボッチョーニはこの作品を完成させるのに1年をかけ、完成後すぐにヨーロッパ中で展示されました。

動的に描かれる「走っている馬とそれを抑えようとする人間」と静的に描かれる「現代都市」のコントラストが未来派への情熱と現代都市への愛情を表しています。

States of Mind I: The Farewells(1911)

この作品はボッチョーニの3部構成のシリーズ「Series of Mind」の最初の作品であり、絵画における未来派作品の最高点の1つとみなされています。

絵画は機関車を焦点に当て、機関車が猛スピードで通過した際の蒸気とそれに巻き込まれる人々が描かれておりスピード感とカオスを見る人に与えます。

未来派の理論を彫刻に応用

1912年からパリに滞在していたボッチョーニは「ジョルジュ・ブラック」「コンスタンティン・ブランクーシ」「アレキサンダー・アーキペンコ」「レイモン・デュシャン=ヴィヨン」など同時代の様々な芸術家のアトリエを訪れます。

このことがインスピレーションを受け、自分のスタイルを彫刻に応用するというアイデアを思いついたボッチョーニは「The Development of a Bottle in Space (1912) 」や「Unique Forms of Continuity in Space (1913)」といった作品を生み出します。

Unique Forms of Continuity in Space(1913)

この作品の風に立ち向かいながら闊歩する人間ははっきりとした顔も腕もなく流動的な形状をしています。

特定の瞬間、特定の人間を描くのではなく、歩く過程を一つの身体に統合したこの作品は、人間のシルエットは風によって変形することによりスピードとダイナミズムを、滑らかな金属は機械を表現しているようです。

晩年

1914年、第一次世界大戦が勃発するとボッチョーニは、マリネッティ、ルイージ・ルッソロなど未来派の画家数名とともに自転車部隊に入隊します。

同年12月に部隊が解散した後、休戦中もボッチョーニは絵画、執筆、公演などの活動を続け1916年に再び招集されると、ヴェローナ郊外の砲兵連隊に配属されます。

そして騎兵隊の訓練中、ボッチョーニは馬から落馬し、馬に踏みつけられ、怪我を負い翌日に33歳という若さで亡くなります。

まとめ

いかがでしたか?

今回は未来派の主要メンバーである「ウンベルト・ボッチョーニ」についてご紹介しました。

ボッチョーニ含める未来派は、戦争が過去の残滓を破壊し人間と機械の距離を縮めることができるとして戦争を受け入れる思想を持ち、革新的な作品を世に出していましたが彼は訓練中の不幸な事故で亡くなってしまいます。

しかし彼の作品は彼の死後も遺産として生き続けて、多くの人に刺激を与えています。

ウンベルト・ボッチョーニについて気になった方は、さらに深掘りしてみてはいかがでしょうか?



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