こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。
皆さんはエコ・ヌグロホという人物をご存知ですか?
エコ・ヌグロホ(Eko Nugroho)は、1977年にインドネシアのジョグジャカルタで生まれた美術家です。壁画やドローイング、絵画、彫刻、映像、そして刺繍まで、さまざまな方法で作品をつくり、2026年10月時点でもジョグジャカルタを拠点に活動しています。
作家の公式サイトは、その特徴を、ストリートアートやグラフィティ、コミックの絵のことばを借りながら、政治的なメッセージを遊び心とともに織り込む「新しい視覚言語」だと紹介しています。顔を覆い隠した人物、鮮やかな色、刺繍の文字。一度見たら忘れにくい画面の中に、インドネシアの伝統と都市の文化が同居しています。
本記事ではそんなエコ・ヌグロホの人生と作品についてご紹介します。
コンテンツ
Toggleエコ・ヌグロホって?

基本情報
| 本名 | エコ・ヌグロホ(Eko Nugroho) |
| 生年月日(没年月日) | 1977年7月生まれ(2026年10月時点で存命。日は一次情報を2つ確認できなかったため記載していません) |
| 国籍・出身 | インドネシア/ジョグジャカルタ生まれ。現在もジョグジャカルタを拠点に活動 |
| 学歴 | 1993〜1997年、ジョグジャカルタの美術高等学校(SMSR)。1997〜2006年、インドネシア芸術大学(ISI)ジョグジャカルタ校 絵画科。2006年に絵画の学士号を取得 |
| 分野 | 壁画、ドローイング、絵画、刺繍、彫刻、映像、パフォーマンス(ワヤン・ボチョル)、コミック |
| 傾向 | ストリートアートやコミックの表現と、バティック・刺繍・影絵芝居(ワヤン)など伝統の技法を組み合わせる。顔を覆った人物のモチーフ |
| 主な所蔵先 | パリ市立近代美術館、シンガポール美術館、リヨン美術館、クイーンズランド州立美術館、南オーストラリア州立美術館、アジア・ソサエティ(ニューヨーク)など |
ヌグロホと関わりの深いストリートアートや、日本で開かれた個展については、以下の記事でも詳しくご紹介しています。
【展覧会】『エコ・ヌグロホ 個展「MORE LOVE ABOVE THE PEACE」』がART FRONT GALLERYで開催中!
経歴と作品
ジョグジャカルタで美術を学ぶ(1977年〜1990年代)
エコ・ヌグロホは1977年、インドネシアのジャワ島にある古都ジョグジャカルタに生まれました。ジョグジャカルタは、作家の公式サイトが「インドネシアの主要な美術の中心地の一つ」と紹介する町です。
ヌグロホは1993年から1997年まで地元の美術高等学校(SMSR)で学び、1997年からはインドネシア芸術大学(ISI)ジョグジャカルタ校の絵画科に進みました。学士号を取得したのは2006年です。在学中から作品の発表を始めていたため、学生と作家の時期が長く重なっています。
ヌグロホと版画の共同制作を行ったシンガポールの版画工房STPIは、ヌグロホが大学に入ったばかりの1998年に、インドネシアのスハルト政権が激しい混乱のなかで終わりを迎えたと紹介しています。その後の「レフォルマシ(改革)」の時代は、国の姿を大きく変えていきました。STPIによれば、言論の自由が広がり、コミックやポップアートのような海外のメディアが入ってきたことが、ヌグロホの制作に強い影響を与えました。美術雑誌『美術手帖』も、ヌグロホを、突然現実のものとなった表現の自由を享受しながら作品を発表してきた「レフォルマシ世代」の一人と紹介しています。
壁画とコミックから出発する(2000年代前半)
公式サイトの経歴によれば、ヌグロホは2001年にジョグジャカルタの公共空間で壁画の展示「INDONESIA VS TELEVISI」を行い、2002年には地元の現代美術の拠点チェメティ・アートハウスで個展「BERCEROBONG(煙突のように)」を開きました。同じころ、コミックを扱うギャラリー「アポティック・コミック」でも壁画の展示を行っています。
公式サイトは、ストリートアートと、地域の人々とともにつくる作品の経験が、ヌグロホの幅広い作品の核になっていると書いています。街の壁に描くこと、コミックのように絵と言葉を組み合わせること。この出発点は、のちの刺繍や彫刻にも引き継がれていきます。
公式サイトの経歴によれば、コミック誌『Daging Tumbuh(ダギン・トゥンブ)』は、2000年から2024年までに21巻が出ています。美術館の展示とは別に、手に取って読める印刷物の形でも表現を続けていることは、ストリートから出発した作家らしい特徴といえるでしょう。
2004年には、福岡アジア美術館でワークショップと展示「JAUH DI MATA DEKAT DI HATI」を行い、オランダのアムステルダム・グラフィックス・アトリエにも滞在しました。日本との縁は、このころから始まっています。
顔を覆う人物と「連立」の彫刻(2000年代後半)
2000年代の後半になると、ヌグロホは国際的な展覧会に次々と招かれるようになります。公式サイトとSTPIによれば、2006年にはオーストラリアのクイーンズランド州立美術館で開かれた「第5回アジア・パシフィック・トリエンナーレ」に参加し、公式サイトの経歴では、同館の近代美術館(GoMA)のロビーと子ども向けの展示室のための壁画も手がけました。2008年にはシンガポール国立博物館の委嘱で、ブロンズの彫刻2体と壁画からなる「ITS ALL ABOUT COALITION」を制作し、2009年にはフランスの第10回リヨン・ビエンナーレに参加しています。
ヌグロホの作品を見ると、多くの人物が顔を覆い隠していることに気づきます。STPIは、この顔を覆った人物のモチーフがレフォルマシの時代の初期の試みから生まれたもので、変装、同調、身を守ること、そして個人のアイデンティティを超えることを暗示していると説明しています。誰なのか分からない人物たちは、特定の誰かではなく、社会の中の「わたしたち」の姿として画面に立っています。
『Its All About Coalition』(2007年)
人間と同じ大きさの2体の像が、向かい合って握手をしています。左の像の頭はピンク色の箱のような形で、片手には黒いオオカミの手人形をはめています。右の像の頭は、緑色の手のひらの形です。服装はTシャツやジーンズといった街なかの若者の格好で、頭の部分だけが現実離れした形に置き換えられています。
題名の「Coalition」は「連立」や「連合」を意味する言葉です。顔の見えない2人が握手を交わす姿は、互いに手を結びながらも、その本心は見えない関係を思わせます。政治の場面を直接描くのではなく、握手という誰もが知る身ぶりと、正体を隠す頭の造形によって、見る人に関係のあり方を考えさせる。ヌグロホの作品の政治性は、こうした形の組み合わせで表されています。同じ題名は、2008年にシンガポール国立博物館の委嘱でつくられたブロンズ彫刻と壁画にも使われました。
刺繍という方法(2010年代前半)
ヌグロホの代表的な技法の一つが、刺繍です。STPIによれば、ヌグロホの刺繍作品は、政治家や軍、バイクのチームなどが所属や地位を示すために身につける、縫い付けのワッペン(パッチ)を参照しています。誰が誰の仲間なのかを示すしるしを、そのまま大きな作品の形式にしているのです。
制作の方法にも特徴があります。STPIは、ヌグロホの刺繍の仕事では地域の職人との協働が中心にあり、刺繍のコンピューター化によって仕事を失った地元の職人たちとともに制作していると説明しています。2024年に東京のアートフロントギャラリーで開かれた個展のステートメントでも、ヌグロホ自身が、ジョグジャカルタの刺繍職人のコミュニティが制作に関わっていること、彼らの仕事が技術の発展によるコンピューター化で姿を消しつつあることを書いています。
『We extend our hands (kita ulurkan tangan)』(2011年)
赤い花びらが重なった大きな花のような頭が、黒い胴体の上にのっています。胴体には白い文字で「KITA ULURKAN TANGAN」と刺繍されています。インドネシア語で「わたしたちは手を差し伸べる」という意味で、所蔵館は英語の題名を「We extend our hands」としています。下の部分には、オレンジの地に赤い手の形が並んでいます。

所蔵する南オーストラリア州立美術館の記録によれば、素材は布、ワイヤー、レーヨン糸で、ミシン刺繍でつくられています。輪郭に沿って切り抜かれた形は、大きなワッペンそのもののようです。人物の顔は花に置き換えられて見えず、胴体に刺繍された言葉だけが、この人物が何を掲げているのかを伝えています。
『The whimpering of agar-agar (rintihan agar-agar)』(2011年)
虹色の渦巻き模様がいくつも積み重なり、その間から、布で顔の下半分を覆った人物の目がのぞいています。下のオレンジ色の帯には「Rintihan agar-agar」と刺繍されています。所蔵館の英語の題名は「The whimpering of agar-agar」で、寒天(アガーアガー)のすすり泣き、という意味になります。

題名に出てくる「アガーアガー」は、ヌグロホの作品にくり返し登場する言葉でもあります。公式サイトの経歴によれば、2014年にはジャカルタで、ワヤン・ボチョルの公演「HIKAYAT AGAR-AGAR BERTANDUK(角のある寒天の物語)」を上演しています。ユーモラスな言葉と、顔を隠した人物、にぎやかな模様。まじめな問いかけを、楽しげな形で包むのがヌグロホの方法です。

世界の美術館へ(2012年〜2016年)
2012年、ヌグロホはパリ市立近代美術館で個展「TEMOIN HYBRIDE」を開きました。公式サイトとSTPIは、いずれもこの個展を主な経歴の一つに挙げています。同じ2012年にはシンガポールのSTPIに滞在して版画を制作し、2013年に個展「WE ARE WHAT WE MASK」として発表しました。STPIの作家ページには、スクリーンプリントやコラージュ、手漉きの紙を使った当時の作品が掲載されています。
2013年には、公式サイトの経歴によれば、ヴェネツィア・ビエンナーレのインドネシア館の展示「SAKTI」に参加しました。同じ年、ルイ・ヴィトンの「フラール・ダルティスト(Foulards d’Artistes)」2013年秋冬コレクションのためにスカーフをデザインしています。美術館の展示と、ファッションのような身近なものの両方に作品を広げているのも、ヌグロホの特徴です。2015年には、ジャカルタでの個展にあわせて、地元のファッションブランドのコレクションとも協働しました。
2016年には、オーストラリアのニューサウスウェールズ州立美術館で個展「LOT LOST」を開きました。公式サイトとSTPIの両方が、この個展を主な経歴に挙げています。
壁画と影絵芝居、子どもたちへ(2017年〜2019年)
2017年、ヌグロホはニューヨークのアジア・ソサエティで、ロビーの壁画と、ワヤン・ボチョルの公演を手がけました。ワヤンは、インドネシアに伝わる影絵芝居などの伝統芸能です。STPIは、ヌグロホが影絵芝居を含むインドネシアの伝統の技法を、ストリートアートや風刺画、アニメーション、コミックといった現代の視覚言語と結びつけていると紹介しています。
アジア・ソサエティは、ヌグロホが館内で壁画を描く様子を記録した動画を、自館の公式YouTubeで公開しています。
同じ2017年には、石川県珠洲市で開かれた「奥能登国際芸術祭2017」にも参加しました。そして2019年には、「瀬戸内国際芸術祭2019」の秋会期に、香川県の伊吹島で作品を発表しています。『美術手帖』によれば、同じ年に東京のアートフロントギャラリーで開かれた個展「Nowhere is My Destination」は、伊吹島で発表される作品と連動したものでした。
2019年には、シンガポール・ナショナル・ギャラリーの「ギャラリー・チルドレンズ・ビエンナーレ2019」にも参加し、巨大なランタンの作品と、アトリウムの壁画を手がけました。同館の公式YouTubeでは、このときのインタビュー動画が公開されています。
『Garden Full of Blooming Democracy series』(2017年)
紫とピンクの濃淡で描かれた、うろこや葉、花のような模様が、画面を隙間なく埋めています。その中央に、布で顔の下半分を覆った人物の目元が浮かび上がります。題名は「花開く民主主義でいっぱいの庭」という意味です。

模様の一つひとつは、くっきりとした輪郭線で区切られ、平らな色で塗り分けられています。ストリートの壁画やコミックを思わせるこの描き方で、人物は模様の中に溶け込むように描かれています。花が咲き乱れる庭という明るい題名と、顔を隠した人物の組み合わせが、見る人にさまざまな読み方を許しています。公式サイトの経歴によれば、ヌグロホは翌2018年、シンガポールのアートサイエンス・ミュージアムで、同じ題名の壁画プロジェクトを手がけました。
美術館の外へ広がる仕事
ヌグロホの仕事は、美術館の展示室の中だけにとどまりません。公式サイトの経歴には、街や公共の場所で人々の目にふれる仕事が数多く並んでいます。
2010年には、ジョグジャカルタの文化センター「タマン・ブダヤ・ジョグジャカルタ」の正面を覆う壁画「THE STRATEGIES OF YA AMPUNN!」を、美術イベント「アート・ジョグ2010」のために描きました。2016年には、ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港第3ターミナルの手荷物受取所に、インスタレーション「RAINBOW LANDSCAPE #1 & #2」を制作しています。空港という、毎日多くの人が行き交う場所に作品を置くことは、街の壁に描くストリートアートの発想とも重なります。
素材の選び方にも、街との関わりが表れています。2017年には、バリ島のビーチクラブで、300キログラムのごみからつくったインスタレーション「BOUQUET OF LOVE」を発表しました。公式サイトの作品ページによれば、2020年の立体作品『Slurping Pandora Broth』には、ワイヤーとアップサイクルしたプラスチック、ファイバーグラス、アクリルが使われています。捨てられるはずのものを作品に生まれ変わらせる方法は、仕事を失った刺繍職人とともに制作する姿勢とも通じています。
子どもたちに向けた作品も、ヌグロホの大切な仕事の一つです。2006年のアジア・パシフィック・トリエンナーレでは子ども向けの展示室の壁画を描き、2019年のシンガポール、2021年のオランダ・フローニンゲン美術館の「キンダー・ビエンナーレ」では、巨大なランタンの作品「MEMORIES OF FIREFLIES」を発表しました。2025年には、ジャカルタの子どもの遊び場のための委嘱作品も手がけています。
公式サイトの経歴には、受賞歴も記されています。2005年にインドネシアの雑誌『TEMPO』の年間最優秀アーティスト、2008年にインドネシア芸術大学の新進作家賞を受け、2013年には英国の美術誌『ArtReview』が毎年発表する、現代美術界で影響力のある人物のランキング「Power 100」に選ばれました。
日本とのつながりと現在(2020年代)
2024年、ヌグロホは福岡アジア美術館のアーティスト・イン・レジデンスに参加しました。2004年のワークショップと展示から20年を経て、再び同館で制作する機会となりました。同じ時期に、東京のアートフロントギャラリーで個展「MORE LOVE ABOVE THE PEACE」(2024年8月31日〜10月20日)を開き、福岡のマリンメッセ福岡ではパブリックアート「THE BLOOMING」を制作しました。
この個展のステートメントで、ヌグロホは、作品を通して現在と未来への平和のメッセージを伝えたいと書いています。作品は、空間に合わせて自由に組み替えられる刺繍絵画のシリーズで、ストリートの壁画のようにカラフルに、ダイナミックに表現されたといいます。
公式サイトの経歴によれば、2025年にはシンガポールのSTPIに再び滞在し、2026年にはその成果を個展「STRANGE MONSTER VIEW」で発表しました。同じ2026年には、ジャカルタのナディ・ギャラリーで個展「TROPICAL ALIENS」を開き、香港のM+のグループ展にも参加しています。ジョグジャカルタを拠点に、ヌグロホの活動は2026年10月時点でも続いています。
| 年 | 主な活動(公式サイトの経歴などによる) |
|---|---|
| 2001年 | ジョグジャカルタの公共空間で壁画の展示「INDONESIA VS TELEVISI」 |
| 2004年 | 福岡アジア美術館でワークショップと展示 |
| 2006年 | 第5回アジア・パシフィック・トリエンナーレ(ブリスベン)。ISIで絵画の学士号 |
| 2008年 | シンガポール国立博物館の委嘱「ITS ALL ABOUT COALITION」 |
| 2012年 | パリ市立近代美術館で個展「TEMOIN HYBRIDE」 |
| 2013年 | ヴェネツィア・ビエンナーレ インドネシア館。ルイ・ヴィトンのスカーフをデザイン |
| 2016年 | ニューサウスウェールズ州立美術館で個展「LOT LOST」 |
| 2017年 | アジア・ソサエティで壁画とワヤン・ボチョルの公演。奥能登国際芸術祭2017 |
| 2019年 | 瀬戸内国際芸術祭2019(伊吹島)。ギャラリー・チルドレンズ・ビエンナーレ2019 |
| 2024年 | 福岡アジア美術館のレジデンス。アートフロントギャラリーで個展 |
| 2026年 | 個展「STRANGE MONSTER VIEW」(STPI)、「TROPICAL ALIENS」(ナディ・ギャラリー) |
まとめ
いかがだったでしょうか。エコ・ヌグロホの人生と作品について、ご紹介してきました。
ヌグロホは1977年にジョグジャカルタで生まれ、美術大学に入って間もなく、インドネシアがレフォルマシの時代を迎えるのを経験しました。2000年代の初めには公共空間の壁画やコミックで活動を始め、やがてアジア・パシフィック・トリエンナーレやパリ市立近代美術館、アジア・ソサエティなど、世界の美術館で作品を発表するようになります。
その作品の政治性は、出来事を直接描くことよりも、形と方法の中にあります。顔を覆った人物、握手を交わす正体の見えない2人、所属を示すワッペンを大きくした刺繍、そしてコンピューター化で仕事を失った職人たちとの協働。ストリートアートの明るい色とユーモアで包みながら、社会の中の関係を見る人に考えさせる仕組みになっています。
日本でも、福岡アジア美術館や瀬戸内国際芸術祭、奥能登国際芸術祭などで作品が紹介されてきました。機会があれば、ぜひ刺繍の一針一針や、壁画の線の勢いを、実物の前でじっくり眺めてみてください。
Euphoric " " の視点
ヌグロホの作品は、所属や地位を示すワッペンや、顔を覆った人物といった身近な形を借りて、社会への問いを差し出します。出来事を声高に語るのではなく、形と方法そのものに意味を込める姿勢が、見る人に考える余地を残しています。
刺繍の制作では、仕事を失った地元の職人たちとの協働を中心に据え、街の壁画や子どもたちに向けた作品にも力を注いできました。つくる過程から人とのつながりを生む仕事は、美術が社会とどう関わりうるかを、明るい色彩とともに示しています。
この作品を見に行くには
記事で紹介した作品は、次の館などで所蔵・公開されています。展示替えがあるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。南オーストラリア州立美術館の作品は、常に展示されているとは限りません。






