【徹底解説】杉本博司とは?時間を写す写真家・建築家の人生と作品を解説!

【徹底解説】杉本博司とは?時間を写す写真家・建築家の人生と作品を解説!

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こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。

皆さんは杉本博司という人物をご存知ですか?

1948年に東京で生まれ、1974年からニューヨークを拠点に活動する現代美術家です。映画館のスクリーンを映画一本分の時間で撮った『劇場』、海と空だけを同じ構図で撮り続ける『海景』で世界的に知られています。

ただし、写真家という肩書きだけでは収まらない人でもあります。公益財団法人小田原文化財団の公式プロフィールは、活動分野を写真、彫刻、インスタレーション、演劇、建築、造園、執筆、料理と、多岐にわたるものとして紹介しています。

本記事ではそんな杉本博司の人生と作品についてご紹介します。杉本博司の作品は現在も著作権で保護されているため、作品の画像は、本文で解説する代表作に限り、公式サイトの作品ページから「引用」として掲載します。あわせて、図解や表、公式動画でも解説します。

杉本博司って?

杉本博司は、大判カメラ(大きなフィルムを使う、昔ながらの蛇腹のカメラ)で撮る、白黒写真の作家として高く評価されてきました。2009年に世界文化賞の公式サイトが掲げたプロフィールは、「時間」や「歴史」を想起させる洗練された作品を発表し続ける人物として紹介しています。

難しそうに見えて、作品を眺める手がかりは、実は3つに絞れます。ひとつ目は、長い時間を一枚に重ねること。ふたつ目は、同じ構図を守って並べること。みっつ目は、目に見えないものを形にすることです。

杉本博司の作品を見る3つの手がかり。時間を一枚に重ねる劇場、同じ構図で並べる海景、目に見えないものを形にする観念の形と放電場の3点を整理した図。
図:杉本博司の作品を見る3つの手がかり

この3つは、本記事で確かめた公式資料にもとづく筆者の整理です。以降の各節で、どのシリーズがどの手がかりにあたるのかを順にたどります。

基本情報

本名杉本博司(Hiroshi Sugimoto)。公式資料に別の本名の記載なし
生年月日(没年月日)1948年(月日は公式資料に記載なし)。存命
国籍・出身日本・東京。小田原文化財団のプロフィールは「東京、御徒町」、世界文化賞のプロフィールは「東京都台東区」と記す
学歴1970年に立教大学(公式サイトの英語表記は Saint Paul’s University, Tokyo)を卒業。1974年にロサンゼルスのアートセンター・カレッジ・オブ・デザインを卒業
分野写真、彫刻、インスタレーション、演劇、建築、造園、執筆、料理(小田原文化財団のプロフィール)
傾向歴史と存在の一過性を主題とし、時間の性質、人間の知覚、意識の起源を探る(同プロフィール)
師事した人物・影響を受けた人物師事した人物は公式資料に記載なし。本人の文章にはヘンリー・フォックス・タルボット、ニュートン、ゲーテ、マルセル・デュシャンの名が登場する

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経歴と作品

杉本博司の歩みは、大きく分けると「渡米と最初の連作」「写真の可能性を広げた時代」「写真の外へ広がった活動」の3つに分けられます。まず、全体の流れを年表で確認しておきましょう。

1948年東京に生まれる
1970年立教大学を卒業して渡米する
1974年アートセンター・カレッジ・オブ・デザインを卒業し、ニューヨークへ移る
1976年『ジオラマ』の初期作『Polar Bear』を制作(メトロポリタン美術館の記録)
1978年映画館の連作『劇場』を始める(同館の記録)
1980年『海景』を始める(シカゴ美術館の記録)
1988年度毎日芸術賞(第30回。1989年1月に発表)
1997年『建築』シリーズを始める(世界文化賞公式サイトの年表)
2001年ハッセルブラッド国際写真賞
2006年米ハーシュホーン美術館で回顧展(同館は初のキャリア回顧展と紹介)
2009年小田原文化財団を設立。高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)
2017年江之浦測候所を一般公開。文化功労者に選ばれる
2023年日本芸術院会員に選出される
杉本博司の歩みを示す流れ図。1948年に東京で生まれ、1974年にニューヨークへ移り、2001年にハッセルブラッド国際写真賞、2009年に小田原文化財団を設立、2017年に江之浦測候所が開館した。
図:東京から江之浦測候所まで

東京からニューヨークへ(1948〜1974)

杉本博司は1948年に東京で生まれました。世界文化賞の公式サイトの略歴によると、中学時代から名機「MAMIYA6」(マミヤのカメラ)を使い、自宅の暗室で現像やプリントの技術を磨いたとされています。

1970年に立教大学を卒業して渡米します。ハーシュホーン美術館の展覧会資料によれば、その後はソ連とヨーロッパを旅し、ロサンゼルスに移って写真を学びました。学んだのは、アートセンター・カレッジ・オブ・デザインです。杉本博司の公式サイトは、同校の卒業を1974年とし、同じ年にニューヨークへ移ったと記しています。

ニューヨークでの暮らしが、のちの代表作の出発点になりました。次の節で見る『ジオラマ』も、映画館の連作『劇場』も、ニューヨークでの体験から生まれています。

『ジオラマ』:にせものが本物に見える(1970年代)

世界文化賞の公式サイトが代表作に挙げる連作のひとつが『ジオラマ』です。ジオラマとは、動物の剥製を本物そっくりの背景の前に並べた展示のこと。杉本博司は、ニューヨークの自然史博物館にあるそうした展示を、まるで本物の風景のように撮影しました。

メトロポリタン美術館の作品解説は、1974年にニューヨークへ来た杉本博司が、アメリカ自然史博物館のジオラマに魅了されたと説明しています。同じ解説には、本人が後年こう振り返ったという趣旨の言葉が紹介されています。片目を閉じてのぞくと遠近感が消え、剥製が急に本物らしく見えた、という発見です。つまり、カメラの目で世界を見る方法を見つけた、ということになります。

メトロポリタン美術館には、1976年に撮られた『Polar Bear』が収蔵されています。解説によれば、杉本博司は丁寧な構図と長い露光時間、そして細部まで写る大判カメラを使い、ジオラマのもつ写実の効果をさらに高めました。ハーシュホーン美術館の資料も、一見すると自然の生息地にいる動物の写真に見えるが、実際は自然史博物館で撮ったものだと紹介しています。

雪と氷の上に立つホッキョクグマと、手前に横たわるアザラシを写したモノクロ写真。自然史博物館のジオラマを撮ったものだが、野外で撮った写真のように見える
杉本博司『Polar Bear』(1976年)、『ジオラマ』より、ゼラチン・シルバー・プリント。メトロポリタン美術館に同作が収蔵。画像出典:杉本博司公式サイト(引用)

ここで大切なのは、「偽物をそれらしく撮る」ことではない点です。写真に撮れば、にせものも本物と変わらなくなる。この考え方は、のちの『肖像写真』(蝋人形を撮った連作)にも引き継がれます。ハーシュホーン美術館の資料は、ロンドンのマダム・タッソー蝋人形館の蝋人形を撮ったもので、歴史上の有名人が、あたかも写真家の前でポーズをとったかのように見える、と説明しています。世界文化賞の公式サイトは、この連作の一例として『ヘンリー八世』(1999年)を挙げています。

『劇場』:映画一本を一枚に重ねる(1978年〜)

『劇場』も、世界文化賞の公式サイトが代表作に挙げる連作です。映画館で、上映が始まってから終わるまで、カメラのシャッターを開けたままにして撮ります。暗い客席の中で、スクリーンだけが白く光る一枚になります。

この着想について、杉本博司は公式サイトの文章に、自然史博物館で撮影していた夜のことを書いています。映画一本を一枚の写真に撮ったらどうなるかと自問し、光るスクリーンが写る、と答えが出た、という内容です。すぐに実験を始め、ある日、イースト・ヴィレッジの安い映画館に大判カメラを持ち込みました。上映が始まるとともに絞りを開放にしてシャッターを開き、映画が終わった2時間後に閉じたと記しています。その夜に現像したフィルムを見て、頭の中で思い描いた映像がはじけた、とも述べています。

劇場シリーズの撮り方を示す流れ図。大判カメラを映画館に持ち込み、上映が始まったら絞りを開けてシャッターを開き、終映までそのままにして、閉じて現像すると画面が白い光の四角になる。
図:『劇場』の撮り方

メトロポリタン美術館は、1978年に始まったこの連作を、大恐慌の時代に建てられた映画宮殿(豪華な装飾をもつ大型の映画館)の無人の内部を記録したものと説明しています。装飾の多くは、イタリアの別荘やスペインの宮廷、ペルシャの庭園を空想的に写したものでした。画面の白い輝きは、映画一本分の光が長い露光によって一枚のネガに圧縮された結果だと、同館は書いています。

同館は『Radio City Music Hall, New York』(1978年)の解説で、この写真は不在ではなく存在についての写真だと述べ、画面と館内を照らす光は、1時間半か2時間の露光中に上映された映画の光だと説明しています。ハーシュホーン美術館の資料は、『劇場』が映画館だけでなくドライブインシアターも対象にしていること、そして映画を見る体験を圧縮して、存在と不在を問う作品だと紹介しています。

杉本博司の公式サイトには、『U. A. Play House, New York』(1978年)、『Cinerama Dome, Hollywood』(1993年)などが並びます。メトロポリタン美術館には『Avalon Theatre, Catalina Island』(1993年)もあります。同じ形式のまま、場所を変えて撮り続けていることが分かります。

無人の古い映画館の客席から見たモノクロ写真。アーチ型の壁の奥で、上映された映画一本分の光がスクリーンを真っ白な長方形に輝かせている
杉本博司『U. A. Play House, New York』(1978年)、『劇場』より、ゼラチン・シルバー・プリント。画像出典:杉本博司公式サイト(引用)

この連作から枝分かれしたのが『オペラハウス』です。公式サイトの文章によると、アメリカの映画館はヨーロッパのオペラハウスをまねて建てられた、という見立てから、元になったイタリアの劇場を訪ねました。1580年にパラーディオがテアトロ・オリンピコの建設に着手して以降に建てられた劇場が対象です。劇場にはスクリーンがないため、自分で設置してイタリア映画の名作を映し、ここでも映画一本を一度の露光で撮りました。各作品の題名は、その劇場で上映した映画の要約で、どの要約も最後は同じ一文で結ばれるといいます。

『海景』:水と空だけの写真(1980年〜)

『海景』は、世界文化賞の公式プロフィールが杉本博司の真骨頂と見る連作です。シカゴ美術館の解説によれば、杉本博司は1980年に大判カメラで水辺を撮り始め、この連作は今日まで続いています。

決まりごとは単純です。ハーシュホーン美術館の資料によると、すべての写真が、海と空を同じ割合に収めた構図で、陸地も人の姿も写っていません。世界のさまざまな場所で撮られたにもかかわらず、長方形の中に水平線が走る構図が続くため、時間を超えたような釣り合いが生まれます。世界文化賞の公式プロフィールは、世界各地の海を水平線を中央に置き、白黒の微妙な階調で表した作品だと説明しています。

この連作の動機について、同プロフィールは「古代人が見た風景は現代にも残っているのだろうか、という疑問から始まった」と伝えています。2009年の春にはアイルランドのロックバンド、U2のCDジャケットに使われて話題になった、とも記されています。

シカゴ美術館によれば、杉本博司は、同じ場所の海でも、時刻、シャッタースピード、露光の長さ、空気の状態を変えて、複数の写真を撮ります。その狙いは、海を初めて見たかのように写し取ることだと、同館は紹介しています。

公式サイトの『海景』のページには、『Caribbean Sea, Jamaica』(1980年)、『Ligurian Sea, Saviore』(1993年)、『Baltic Sea, Rügen』(1996年)が並んでいます。メトロポリタン美術館には、『North Pacific Ocean, Iwate』(1986年)、『Mirtoan Sea, Sounion』(1990年)、『North Atlantic Ocean, Cape Breton Island』(1996年)などが収蔵されています。題名の地名を追うだけでも、日本から地中海、大西洋、バルト海まで、場所が大きく動いていることが分かります。

画面の中央を水平線が横切り、上半分が空、下半分が海というモノクロ写真。陸地も人の姿もない、静かな海景
杉本博司『Caribbean Sea, Jamaica』(1980年)、『海景』より、ゼラチン・シルバー・プリント。画像出典:杉本博司公式サイト(引用)

では、なぜ海なのか。杉本博司は公式サイトの文章で、水と空はあまりにもありふれているため注目されないが、私たちの存在そのものを保証している、と書いています。海を見るたびに、先祖の家を訪ねたような落ち着きを覚え、見るための旅に出るのだともいいます。さらに別のページでは、自分にとって最初の記憶は海だったと述べています。小田原文化財団のサイトには、子どものころに旧東海道線の列車の窓から見た海と鋭い水平線が、最初の記憶だという文章も載っています。

『建築』『観念の形』:ぼかして、見えないものを見る(1990年代後半〜2000年代)

1997年から、杉本博司は『建築』シリーズを始めます。公式サイトの文章によると、20世紀初頭のモダニズムを、装飾を取り去った文化史の転換点ととらえ、建築を通じて現代の始まりをたどろうとしました。そのために、古い大判カメラのピントを「無限遠の倍」まで押し出し、蛇腹の止まる位置を越えて撮ります。レンズ越しの像は完全なぼやけになるものの、すぐれた建築はぼかされても形が残る、と本人は書き、建築に浸食テストをかけるようなものだと述べています。多くの建物は溶けて消えてしまったそうです。

公式サイトには、『Church of the Light』(1997年)、『Chapel of Notre Dame Du Haut』(1998年)、『Eiffel Tower』(1998年)といった題名が並びます。

ピントを外して撮られた縦長のモノクロ写真。暗い礼拝堂の奥の壁に、十字形の光が白く浮かび、手前に長椅子が並ぶ
杉本博司『Church of the Light』(1997年)、『建築』より、ゼラチン・シルバー・プリント。画像出典:杉本博司公式サイト(引用)
劇場、海景、建築の3シリーズを被写体、撮り方、見えるものの3項目で比べた表。劇場は映画館を上映中ずっと露光し、海景は海と空を同じ割合で撮り、建築は焦点を無限遠の倍に送ってぼかす。
図:劇場・海景・建築を比べる

ここまで見ると、3つの連作に共通する姿勢が浮かびます。どれも、カメラの条件をひとつだけ極端に変えている点です。劇場は露光時間を延ばし、海景は構図を固定し、建築はピントを送り出しています。1種類の「ルール」を決めて、そこから見えてくるものを確かめる、という進め方です。

2004年からは『観念の形』が始まります。公式サイトの文章によると、数学の模型を撮った連作です。東京大学が所蔵する、19世紀末から20世紀初頭にドイツで作られた立体の見本を撮影しました。数学の模型は三角関数を立体にしたもの、機械の模型は産業革命期の機械の動きを教えるためのもので、芸術の意図をもたない物の中にも芸術は宿る、と杉本博司は記しています。公式サイトには『Dini’s Surface』(2004年)などの題名が並びます。

黒い背景の前に置かれた、くびれとふくらみが交互に続くねじれた曲面の白い数学模型を撮ったモノクロ写真
杉本博司『Dini’s Surface: a surface of constant negative curvature obtained by twisting a pseudosphere』(2004年)、『観念の形』より、ゼラチン・シルバー・プリント。画像出典:杉本博司公式サイト(引用)

この文章には、マルセル・デュシャンの名も出てきます。杉本博司は、デュシャンが残したノートに数学の記号が含まれること、『大ガラス』が見えない4次元の投影を3次元の経験に投げかけようとしたことに触れています。見えないものを見える形にするという点で、『観念の形』は、本人にとって芸術の仕事と地続きなのです。

のちには、数式をコンピューターに入力し、日本の先端の工作機械で純アルミニウムの立体にする『数理モデル』にも広がります。公式サイトには2006年の作品などが並びます。写真から、彫刻へ。形の求め方はそのままに、手段だけが変わっていきます。

写真のはじまりを確かめる(2000年代〜2010年)

2007年からの『放電場』は、カメラを使わない作品です。世界文化賞の公式サイトは、暗室の中で写真の乾板(ガラスの板に感光材を塗ったもの)に直接放電させる最新作として紹介し、デュシャンを信奉する杉本博司らしい着想だと述べています。

杉本博司の公式サイトの文章によれば、この着想の背景には、電気を研究したベンジャミン・フランクリンやマイケル・ファラデー、そして写真の発明者のひとりウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットがいます。先人の大きな発見を暗室で再現し、自分の目で確かめたい、という欲求が、乾板への放電につながったと本人は書いています。

『フォトジェニック・ドローイング』(2008〜2009年)は、さらに歴史をさかのぼります。公式サイトの文章によると、杉本博司は、フォックス・タルボットが最初期に作ったネガを集め、タルボット自身も見なかったであろうポジ(ネガから焼いた画像)をプリントしました。初期のネガは光にさらすと変わってしまう危険があり、博物館の収蔵庫で眠っていることが多いといいます。それでも写真の起源に戻り、最初のポジを自分の目で見たくて、危険を承知で作業にとりかかった、と書いています。作品には『Roofline of Lacock Abbey, Most Likely 1835-1839』(2008年)などがあります。

公式サイトの『影の色』のページには、道具に関する文章があります。『海景』のネガの現像ムラを防ぐ装置、『劇場』の撮影のための装置、『建築』のための超広角の蛇腹と、必要な道具が世の中になければ自作してきた、と杉本博司は述べています。スタジオは工房のようなもの、とも書いています。続けて、影を観察するために、東京のマンションの最上階を丸ごと使う大きな計画になったこと、光を当てる角度を90度、55度、35度の3種類に選び、壁を日本の伝統的な漆喰で仕上げたことが語られます。

同じ流れに『ポラライズド・カラー』があります。公式サイトの文章によると、2009年の終わりから2010年の初めにかけて、毎朝5時半に起きて空を確かめ、古いポラロイドカメラでプリズムが分けた太陽光を撮りました。ニュートンの7色に対して、色と色のあいだにも名づけられていない色がある、と考え、生産の終わりが近い期限切れのポラロイドフィルムで、その中間の色を撮ったとあります。

五輪塔と海:古美術へのまなざし

杉本博司は、現代の写真だけでなく、古い美術にも深く関わってきました。世界文化賞の公式サイトによれば、「自分の命が古代に連綿とつながっている、という共同幻想のようなものを植え付けられるから」という理由で、古美術品を収集しています。

この関心が結びついたのが『五輪塔』です。メトロポリタン美術館の解説は、中世の仏教の「五輪塔」にヒントを得た作品だと説明しています。五輪塔は、地・水・火・風・空の五つの要素を、四角、球、三角すい、半球、宝珠の形で表した塔です。その水を表す球の中に、『海景』のネガから焼いた小さな海の写真が収められています。同館に収蔵された『Five Elements: Sea of Japan, Hokkaido, 1986』(2011年制作)は、光学ガラスとフィルムで作られています。

公式サイトの文章で、杉本博司は、30年以上も海を撮り続けてきたこと、海が自分に残された唯一の信仰の対象かもしれないことを書き、光学ガラスの五輪塔の水の球に海の写真を祀る、と述べています。『海景』という写真の連作が、古い塔の形に姿を変える点が、この作品の見どころです。

同館には、1976年に撮った『Kegon Waterfall』(華厳の滝)を、2017年に掛け軸の形にした作品も収蔵されています。解説によれば、日光国立公園の中禅寺湖畔にあるこの滝は、古くから信仰の対象とされてきました。写真の作品が、日本の絵画の形式に出会った例です。

空間をつくる:直島から江之浦測候所へ

2000年代に入ると、杉本博司の活動は写真から空間へ大きく広がります。公式サイトのサイトスペシフィック作品(場所に合わせて作る作品)の一覧には、次のような仕事が並びます。

2002年〜『アプロプリエイト・プロポーション』護王神社(ベネッセ「家プロジェクト」、直島)
2006年〜『Time Exposed』(ベネッセハウス ミュージアム屋外作品、直島)
2009年〜『Concept of Moss』ほか(ベネッセハウス パーク、直島)
2014〜2016年『The Glass Tea House “Mondrian”』(ヴェネツィア、ル・スタンツェ・デル・ヴェトロ)
2014年〜『Confession of Zero』(カステッロ・ディ・アマ、シエナ)
2017年〜江之浦測候所(小田原文化財団、小田原)
2018年〜『Sundial』(大手町プレイス、東京)
2018〜2019年ヴェルサイユ宮殿で『The Glass Tea House “Mondrian”』と『Surface of Revolution』
2020年『The Glass Tea House “Mondrian”』(京都市京セラ美術館、京都)
2023年〜『Point of Infinity』(イェルバブエナ島、サンフランシスコ)

2002年の護王神社では、直島の神社の再生を手がけています。世界文化賞の年表も、同年の項目に『護王神社 アプロプリエイト・プロポーション』『直島・家プロジェクト』を記しています。写真を撮る人が、建築の設計に踏み出した転機といえそうです。

2008年には、建築設計事務所「新素材研究所」を設立しました。さらに2009年12月22日には、公益財団法人の前身となる小田原文化財団を設立します。財団の公式サイトによると、目的は、古典演劇から現代演劇までの伝承と普及、古美術品などの保存と公開、現代美術の振興と発展への寄与です。2011年4月には公益財団法人に移行しました。

江之浦測候所:天空を測る場所

財団の活動拠点が、神奈川県小田原市の江之浦に建てられた「小田原文化財団 江之浦測候所」です。2017年の秋に開館し、財団の沿革は、同年10月に一般公開を始めたと記しています。

敷地は、みかんの木に覆われた丘陵地で、箱根山地の外縁に寄り添い、相模湾を見下ろします。財団の英語版サイトによると、房総半島や大島まで見渡せるそうです。

名前にある「測候所」には意味があります。財団の建築概要は、人間が意識をもったとき最初にしたのは、天空の中の自分の場所を確かめる作業であり、それが芸術の起源でもあった、と述べています。冬至は新たな命が再生される日、夏至は重要な折り返し点、春分と秋分は通過点。天空を測ることにもう一度立ち戻るところに、かすかな未来への糸口がある、という考え方です。

江之浦測候所の主な施設を示す図。中心に江之浦測候所を置き、ギャラリー棟、石舞台、光学硝子舞台、茶室、門、庭園の6つが囲んでいる。
図:江之浦測候所の主な施設

施設は、美術品を見るためのギャラリー棟、石舞台、光学硝子舞台、茶室、庭園、門、待合棟などで構成されます。財団は、各建築が日本の建築様式と工法の各時代の特徴を取り入れて再現し、日本建築史を通して見られるようにしていると説明しています。いまでは受け継ぐことが難しくなりつつある伝統工法を、ここで再現し、将来に伝える役割もあるといいます。

素材では、石材に根府川石や小松石を使い、造園の景石には、近隣の早川石丁場群跡から出土した江戸城石垣用の原石を使っています。英語版の説明では、茶室は再興した天正庵、門は修復した室町時代の明月門と紹介されています。

設計は、杉本博司が構想し、基本設計とデザイン監修を新素材研究所が担当しました。実施設計と監理は榊田倫之建築設計事務所、施工は鹿島建設です。ニューヨークのジャパン・ソサエティーが特別支援を行ったと記されています。

財団の公式YouTubeには、杉本博司本人が江之浦測候所を語る約4分半のインタビューが公開されています。

杉本博司 江之浦測候所インタビュー(Odawara Art Foundation公式YouTube、2017年公開、約4分半)

財団のサイトでは、この場所を選んだ理由も、杉本博司自身の言葉で語られています。杉本博司は、歴史上の「もし」が好きだと書き、徳川家康が江戸ではなく小田原を居城に選んでいたら、今ごろ小田原が東京になっていただろうと想像しています。そのうえで、日本文化を世界に発信する拠点として、小田原を位置づけています。人と自然が調和して生きる技術こそ、日本文化の特質だという考え方が、そこには示されています。

舞台と著作:写真の外へ

財団の事業には、演劇や古典芸能も含まれます。財団の沿革には、次のような公演が並んでいます。

  • 2011年:人形浄瑠璃文楽公演「杉本文楽」(KAAT神奈川芸術劇場)
  • 2011年:野村万作・萬斎と杉本博司による「三番叟」公演(KAAT神奈川芸術劇場)
  • 2013年:「SANBASO, divine dance」(グッゲンハイム美術館、ニューヨーク)
  • 2017年:新作能「利休-江之浦」のスペシャルプレビュー(MOA美術館能楽堂)と、ジャパン・ソサエティーでのワールドプレミア
  • 2019年:パリ・オペラ座 2019/2020シーズンのオープニング「At the Hawk’s Well/鷹の井戸」

著作も多く、財団のプロフィールは、主な著書として『苔のむすまで』『現な像』『アートの起源』『杉本博司自伝 影老日記』(以上、新潮社)、『空間感』(マガジンハウス)、『趣味と芸術』(ハースト婦人画報社)、『江之浦奇譚』(岩波書店)を挙げています。写真家の仕事の隣で、言葉もまた作品を理解する手がかりになっています。

近年の仕事(2026年10月時点)

杉本博司の公式サイトによると、2023年3月から、直島のベネッセアートサイトで「Hiroshi Sugimoto Gallery: Time Corridors」が続いています。2026年には、東京国立近代美術館で個展「杉本博司 絶滅写真」(6月16日〜9月13日)が開かれたほか、シンガポール美術館、フランスのスラージュ美術館、東京の画廊などでも個展が開かれたと記されています。2026年10月時点では、ニューヨークのリッソン・ギャラリーの展覧会(9月15日〜10月24日)が会期中です。

近年の連作には、『ブラッシュ・インプレッション』があります。公式サイトの文章によると、ニューヨークのスタジオに期限切れの印画紙が大量に残っていたことが出発点でした。劣化を劣化として受け止めず、美しさの変化として捉え直し、古い美術品が時間によって味わいを増す感覚を重ねたといいます。暗室の薄いオレンジの光の中で、現像液を含ませた筆で見えない文字を書き、一瞬だけ光を当てると、筆が触れた部分が黒い文字として浮かびます。定着液を使えば、黒地に白い文字が現れる、とも記されています。

2013年の『パスト・プレゼンス』は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の依頼で、フィリップ・ジョンソン設計の彫刻庭園を撮った連作です。公式サイトには、ジャコメッティの彫刻を撮った『Past Presence 001』(2013年)などが並びます。

江之浦測候所では、2025年9月16日から、新しい展示施設「甘橘山美術館」の工事が始まりました。財団のお知らせによると、工事期間は2027年6月末(予定)まで、場所は待合棟の東側で見学エリア外、開館は2028年を目指しています。財団の2026年4月1日付のお知らせによると、江之浦測候所は事前予約制です(2026年10月時点)。

受賞と評価

杉本博司は、国内外で数多くの賞を受けています。杉本博司の公式サイトと小田原文化財団のプロフィールにもとづいて整理すると、次のようになります。

1977年C.A.P.S.(Creative Arts Public Service)フェローシップ(ニューヨーク)
1980年ジョン・サイモン・グッゲンハイム記念財団フェローシップ
1982年全米芸術基金(ワシントンD.C.)
1988年度毎日芸術賞(第30回。1989年1月に発表)
1999年国際写真センター 第15回インフィニティ賞(アート部門)
2000年パーソンズ・スクール・オブ・デザイン 名誉美術博士
2001年ハッセルブラッド国際写真賞(スウェーデン)
2006年PHotoEspaña賞(マドリード)
2009年高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)
2010年紫綬褒章
2013年フランス芸術文化勲章オフィシエ
2014年イサム・ノグチ賞(ニューヨーク)
2017年英国王立写真協会 百周年記念メダル/文化功労者
2018年ナショナル・アーツ・クラブ 写真部門 名誉勲章(ニューヨーク)
2023年日本芸術院会員に選出

なかでもハッセルブラッド財団は、2001年の授賞で、杉本博司を現代でもっとも尊敬される写真家のひとりと位置づけました。贈賞理由には、アジアの瞑想的な発想と西洋の文化的なモチーフを結びつけていること、ルネサンス絵画や19世紀初頭の写真に刺激を受けていること、細部への愛と手仕事の技、そして時間がつくる逆説への関心が挙げられています(財団のスウェーデン語の文章による参考訳)。

世界文化賞の公式プロフィールは、絵画や彫刻に比べて歴史の浅い写真というメディアの可能性を追い求める姿勢は変わらない、とまとめています。2006年には、アメリカのハーシュホーン美術館が、森美術館(東京)と共同で、約120点の写真による回顧展を開きました。同館は、これを杉本博司の初のキャリア回顧展と紹介しています。

まとめ

いかがだったでしょうか。杉本博司は、映画一本分の光を一枚に重ね、海と空だけを同じ構図で撮り、建築をあえてぼかして形の強さを試す人でした。どの連作も、カメラの条件をひとつだけ極端に変えて、そこから見えてくるものを確かめるという点でつながっています。

その関心は、写真のはじまりを再現する暗室の実験へ、五輪塔や掛け軸のような古い形式へ、そして江之浦測候所のような空間へと広がりました。写真家であり、建築を構想する人であり、舞台や文章も手がける人でもある、というのが杉本博司の姿です。

記事で引用した作品はごく一部です。連作の全体像は、ぜひ公式サイトや、江之浦測候所の公式情報で確かめてみてください。

Euphoric " " の視点

杉本博司の仕事には、写真のはじまりへさかのぼる作品があります。『放電場』について本人は、先人の大きな発見を暗室で再現し、自分の目で確かめたい、という欲求があったと書いています。『フォトジェニック・ドローイング』では、フォックス・タルボットが最初期に作ったネガを集め、タルボット自身も見なかったであろうポジをプリントしました。写真の起源に戻り、最初のポジを自分の目で見たかったのだといいます。

自分の分野の始まりは、知識として知っていれば十分だと思いがちかもしれません。けれども、出発点の出来事を自分の手で確かめ直すことで、見慣れた方法がもう一度新しく見えてくることがあると考えます。

江之浦測候所の建築概要にも、天空を測ることにもう一度立ち戻るところに、かすかな未来への糸口がある、という考え方が示されています。始まりへ戻ることは後ろ向きの作業ではなく、次へ進むための足場づくりなのかもしれません。

この作品を見に行くには

記事で紹介した作品は、次の館などで公開されています。展示替えがあるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。

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