こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。
皆さんは『印象・日の出』という作品をご存知ですか?
フランスの画家クロード・モネが、港町ル・アーヴルの朝の港を描いた油彩画です。原題は『Impression, soleil levant(アンプレッション、ソレイユ・ルヴァン)』で、日本語では『印象、日の出』と書かれることもあります。英語では『Impression, Sunrise』と呼ばれます。
この絵がよく知られている理由は、作品そのものの魅力に加えて、「印象派」という呼び名の由来になったことにあります。1874年、モネたちが開いた展覧会にこの作品が出品され、その題名から「印象派」という言葉が生まれました。現在はパリのマルモッタン・モネ美術館が所蔵しています。
本記事ではそんな『印象・日の出』について、描かれているもの・見どころ・歴史をご紹介します。
コンテンツ
Toggle『印象・日の出』って?

霧に包まれた港の水面に、オレンジ色の太陽と、その光の反射が浮かんでいます。手前には小舟が数艘、奥には船のマストやクレーン、煙突の煙がぼんやりと見えます。細かい描き込みはなく、筆の跡がそのまま残る、すばやいタッチで描かれています。
大きさは縦50cm、横65cmです。美術館の大作と比べると小ぶりな作品ですが、美術の歴史のなかで特別な位置を占める一枚になりました。
基本情報
| 作品名 | 印象・日の出(いんしょう・ひので)。『印象、日の出』とも表記されます。原題は『Impression, soleil levant』(フランス語)、英題は『Impression, Sunrise』 |
| 作者 | クロード・モネ(Claude Monet、1840〜1926年) |
| 制作年 | 1872年。画面左下に「Claude Monet」の署名があり、のちに「72」と年が書き加えられています |
| 技法・素材 | 油彩、カンヴァス |
| サイズ | 縦50cm×横65cm(額なし) |
| 所蔵 | マルモッタン・モネ美術館(パリ)。1940年、ウジェーヌとヴィクトリーヌ・ドノップ・ド・モンシー夫妻の寄贈。作品番号4014 |
| 展示場所 | マルモッタン・モネ美術館(パリ16区)。国内外の展覧会への貸し出しもあり、常に見られるとは限りません |
作者のクロード・モネと、モネたちが始めた印象派については、以下の記事でも詳しくご紹介しています。
何が描かれている?見どころを解説
ホテルの窓から見たル・アーヴルの港
描かれているのは、フランス北部、ノルマンディー地方の港町ル・アーヴルです。マルモッタン・モネ美術館の解説によれば、モネは1872年11月ごろ、ル・アーヴルのオテル・アミラテ(Hôtel Amirauté)に滞在し、その部屋から南東に向かって、外港を見下ろしてこの絵を描きました。
ル・アーヴルは、モネにとってなじみ深い町でした。オランジュリー美術館の紹介によれば、モネはパリで生まれ、ル・アーヴルで育ちました。風景画家ウジェーヌ・ブーダンに学び、1859年にパリへ出ています。ゲッティ美術館の資料は、モネが若いころ、ル・アーヴルで風刺画家として成功していたことも紹介しています。
数時間で描き上げたスピード
マルモッタン・モネ美術館の解説によると、モネはこの絵を数時間で仕上げました。画面を見ると、水面のさざ波も、空の雲も、短い筆の跡がそのまま残されています。細部を描き込むのではなく、目の前の光と空気の様子を、すばやくとらえることが優先されています。
同館の展覧会資料は、この作品を、ル・アーヴルのホテルの窓から描いた「霧のなかの港の眺め」と説明しています。奥の船やクレーンの輪郭がぼやけているのは、霧と朝の空気が港を包んでいるからです。
最後に置かれた舟と太陽
この絵でまず目を引くのは、灰色がかった青緑の画面のなかで光るオレンジ色の太陽と、水面に縦に伸びるその反射です。
マルモッタン・モネ美術館の解説によれば、手前の舟と、オレンジ色の太陽とその反射は、制作の最後に描き加えられました。手前の小舟は、渡し舟の漕ぎ手たちの舟と説明されています。
なぜ「印象」という題なのか
題名の「印象(Impression)」には、はっきりした理由があります。マルモッタン・モネ美術館の解説によると、1874年の展覧会のカタログに載せる題名を尋ねられたモネは、「Impression(印象)」と答えました。この作品は、ル・アーヴルの景色として通用するものではなかったからです。
同館は、この「印象」という言葉が画家たちの仲間内の言い方から来たもので、自然を細かく描写することよりも、その場の雰囲気をとらえることへの関心を表していた、と説明しています。風景を正確に記録した絵ではなく、ある朝の港から受けた「印象」を描いた絵だ、という意味です。
『印象・日の出』の歴史
1872年、ル・アーヴルで描かれる
マルモッタン・モネ美術館の作品解説は、制作の時期を1872年11月ごろとしています。さらに同館が2022年に開いた展覧会の資料によれば、2014〜2015年に同館で行われた歴史家・美術史家・天体物理学者による共同研究で、それまで推定にとどまっていた制作日が「1872年11月13日」と結論づけられたといいます。画面の署名の横にある「72」の数字も、1872年の制作であることを示しています。
関連作『日の出(海景)』(1872年または1873年)

同じころ、モネはル・アーヴルの港の日の出をもう一枚描いています。アメリカのJ・ポール・ゲッティ美術館が所蔵する『日の出(海景)』(原題『Sunrise (Marine)』)です。大きさは50.2×61cmで、『印象・日の出』とほぼ同じです。
ゲッティ美術館の資料は、この作品を、夜明けの落ち着いた色のなかに工業港ル・アーヴルを描いたものとしています。オレンジ色の朝日が湿った空気のなかで輝き、水面の青や緑を照らしています。左側には、もやの向こうで煙を上げる船がかすかに見えます。同館は、この絵がマルモッタン・モネ美術館の『印象・日の出』と並んで、モネを有名にした印象派の様式で描かれた最初期の作品の一つだと述べています。
ゲッティ美術館はまた、モネがよく、色相環で向かい合う補色を短い筆の跡で並べ、光と空気の印象を生き生きと表したと解説しています。オレンジの太陽と青緑の水面の組み合わせは、『印象・日の出』にも共通しています。
1874年、第1回印象派展
1874年、モネたちは、国の公式展覧会であるサロンとは別に、自分たちの展覧会を開きました。主催したのは「画家、彫刻家、版画家などによる共同出資会社(Société anonyme des artistes peintres, sculpteurs, graveurs et lithographes)」です。のちに「第1回印象派展」と呼ばれるようになる展覧会です。
会場は、パリのカピュシーヌ大通り35番地にあった、写真家ナダールの元アトリエでした。オルセー美術館の企画担当者によれば、モネ、ルノワール、ドガ、セザンヌ、モリゾ、シスレー、ピサロといった、いまではよく知られた画家たちが集まり、独立した展覧会を組織しました。出品作は200点を超えていました。会場も、展示する作品の数も、カタログも、すべて画家たちが自分で決める、協同組合のような方式でした。
第1回展のカタログ(1874年)

上の画像は、この展覧会のカタログで、モネの出品作が載っているページです。住所は「アルジャントゥイユ(セーヌ=エ=オワーズ県)」と書かれています。出品作は次のとおりです。
- 95. 『ひなげし』(Coquelicots)
- 96. 『ル・アーヴル:港を出る漁船』
- 97. 『カピュシーヌ大通り』
- 98. 『印象、日の出』(Impression, Soleil levant)
- 99〜102. 素描(パステル)
- 103. 『昼食』
98番に『Impression, Soleil levant』の名前が見えます。これが、のちに運動全体の名前を生むことになる題名です。
この展覧会には、モネの師にあたるブーダンも参加していました。マルモッタン・モネ美術館の資料によれば、ブーダンはモネの誘いを受けて出品しましたが、その後はサロンへの出品を選び、印象派展には再び参加しませんでした。
マルモッタン・モネ美術館は2025年4月9日から8月31日まで、ブーダンを「印象派の父」と位置づけた展覧会「ウジェーヌ・ブーダン 印象派の父 ある個人コレクション」を開きました。同館の資料は、ブーダンを印象派を予告した画家であり、その父の一人だと紹介しています。
「印象派」の名前が生まれる
展覧会が開かれると、批評家たちがさまざまな記事を書きました。マルモッタン・モネ美術館の解説によれば、風刺新聞『ル・シャリヴァリ』に記事を書いた批評家ルイ・ルロワは、モネの題名「印象」を、若い画家たちの目指すものと結びつけ、自分の記事に「印象派の展覧会(L’exposition des impressionnistes)」という見出しを付けました。
ルロワの記事は風刺新聞に載ったものでした。その後、批評家ジュール・カスタニャリが「印象派(Impressionnistes)」という言葉を肯定的な意味で使い、この呼び名はモネとその仲間たちを指す言葉として定着していきました。
カスタニャリの批評(1874年4月29日付『ル・シエクル』)
カスタニャリの批評は、当時の新聞の紙面が残っており、フランス国立図書館の電子図書館Gallicaなどで読むことができます。1874年4月29日付の新聞『ル・シエクル(Le Siècle)』に載った「カピュシーヌ大通りの展覧会 印象派の人々」という記事です。
カスタニャリはまず、画家たちが共同組合のような会をつくり、カピュシーヌ大通りにあるナダールの元アトリエを借りて、自分たちの手で整えた会場で最初の展覧会を開いたことを紹介しています。そして新しい流派の中心として、ピサロ、モネ、シスレー、ルノワール、ドガ、ギヨマン、ベルト・モリゾの名前を挙げました。
記事の後半で、カスタニャリはこう書いています。「彼らをひと言で言い表したいなら、印象派という新しい言葉をつくらなければならないだろう。彼らが印象派だというのは、風景そのものではなく、風景が生み出す感覚を描くという意味においてである。その言葉は彼ら自身の言葉にもなっている。カタログでモネ氏の『日の出』に付けられた題名は、『風景』ではなく『印象』なのだ」。
カスタニャリはモネの出品作にも触れています。『カピュシーヌ大通り』については、見るための適切な位置が見つからなかったと書く一方で、『昼食』の静物の描き方をほめ、「霧のなかの『日の出』は、朝の起床ラッパのように響きわたる」と表現しました。
題名に付けられた「印象」という言葉が、モネたちの描き方そのものを説明する言葉として受け取られていったことが、この記事からよく分かります。
こうして、もともとは一枚の絵の題名の一部だった「印象」が、美術の歴史に残る運動の名前になりました。マルモッタン・モネ美術館は、この作品を「印象派という運動の名前を生んだことで歴史に残った」作品と紹介しています。
所有者の移り変わりとマルモッタン・モネ美術館
マルモッタン・モネ美術館の資料によれば、この作品の過去の所有者の一人に、印象派の画家たちを支援したエルネスト・オシュデがいました。
現在の所蔵館に入ったのは1940年です。医師で、印象派の最初期の愛好家の一人とされるジョルジュ・ド・ベリオの娘ヴィクトリーヌと、その夫ウジェーヌ・ドノップ・ド・モンシーが、作品を美術館に寄贈しました。同館の解説によれば、夫妻の寄贈はルノワール、ピサロ、シスレー、モリゾ、モネらの11点のカンヴァスを含み、美術館の印象派コレクションの出発点になりました。マルモッタン・モネ美術館は、1934年に一般公開が始まった美術館で、このとき初めて印象派の作品を迎え入れたことになります。
同じ寄贈に含まれた『ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅』(1877年)

同じ1940年のドノップ・ド・モンシー夫妻の寄贈で、マルモッタン・モネ美術館に入ったモネの作品です。大きさは65×81cmで、左下に「Claude Monet 77」と署名と年が入っています。
同館の解説によると、ノルマンディー海岸へ向かう列車が発着するサン=ラザール駅は、鉄骨の建物と機関車によって近代化の象徴となり、モネは1877年にこの駅を主題とした連作を描きました。この作品では、いまはないヨーロッパ橋(1863年に架けられた跨線橋)の下、線路の高さに画架を据えています。もうもうと立ちのぼる蒸気と煙の描き方に、『印象・日の出』の霧の港と通じる関心が見て取れます。
日本での公開
『印象・日の出』は、日本でも公開されたことがあります。国立新美術館が運営する展覧会情報のデータベース「アートコモンズ」によれば、2015年に東京都美術館で開かれた「マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展」で、9月19日から10月18日までの期間限定で展示されました。21年ぶりの東京での公開と紹介されています。翌2016年には、京都市美術館の「モネ展」でも、3月1日から3月21日まで期間限定で展示されました。
誕生150年と印象派150年(2022〜2024年)
2022年、マルモッタン・モネ美術館は、作品が描かれてから150年を記念して、展覧会「太陽を前にして:芸術のなかの天体(Face au soleil, un astre dans les arts)」を2022年9月から2023年1月29日まで開きました。古代から現代まで、太陽を描いた作品を集めた展覧会です。
2024年は、1874年の第1回展から数えて150年にあたります。オルセー美術館では、展覧会「パリ1874 印象派を発明する(Paris 1874. Inventer l’impressionnisme)」が2024年3月26日から7月14日まで開かれました。企画担当者の解説によれば、この展覧会は1874年の展覧会を、同じ年の公式のサロンと見比べながらたどる構成で、『印象・日の出』は、1874年をテーマにした最後の展示室で、同じ年に展示されたモネとブーダンのパステルと並べて紹介されました。
『印象・日の出』のよくある疑問
『印象・日の出』はどこで見られる?
パリ16区にあるマルモッタン・モネ美術館が所蔵しています。同館はモネの息子ミシェル・モネの遺贈(1966年)などにより、モネの作品を数多く所蔵しており、そのコレクションを世界最大としています。ただし、国内外の展覧会への貸し出しもあるため、訪れる前に公式サイトで確認しておくと安心です。
大きさはどれくらい?
縦50cm、横65cmです(額なし)。額を含めると縦75cm、横91cmになります。
描かれているのは朝日?夕日?
題名のとおり、日の出の場面です。マルモッタン・モネ美術館の展覧会資料も、モネが朝にホテルの窓から港を描いたとしています。
なぜ「印象派」と呼ばれるようになった?
1874年の展覧会で、この作品が『印象、日の出』という題名で出品されたためです。批評家ルイ・ルロワがこの題名を使って記事の見出しを「印象派の展覧会」とし、その後、批評家ジュール・カスタニャリが肯定的な意味でこの言葉を使ったことで、モネたちの呼び名として広まりました。
モネは何歳のときに描いた?
モネは1840年生まれなので、1872年の制作時も、1874年の展覧会のときも30代前半でした。このあとモネは50年以上にわたって描き続け、晩年には連作『睡蓮』に取り組みます。『睡蓮』については、こちらの記事でくわしくご紹介しています。
https://euphoric-arts.com/art-2/monet-water-lilies/
第1回印象派展にはどんな画家が参加した?
オルセー美術館の企画担当者の解説では、モネ、ルノワール、ドガ、セザンヌ、モリゾ、シスレー、ピサロなどが名前を挙げられています。モネの師であるブーダンも、モネの誘いで参加しました。出品作は200点を超えていました。
まとめ
いかがだったでしょうか。クロード・モネの『印象・日の出』をご紹介しました。
『印象・日の出』は、モネが1872年、育った町ル・アーヴルのホテルの窓から、霧に包まれた朝の港を描いた作品です。数時間で仕上げられ、最後に舟とオレンジ色の太陽が置かれました。
1874年、画家たちが自分たちで開いた展覧会に、この絵は『印象、日の出』という題名で出品されました。その題名が批評家の記事の見出しになり、やがて「印象派」という運動の名前として定着します。景色を正確に写すのではなく、その場の空気や光の「印象」を描く。その姿勢が、題名にそのまま表れていました。
作品の前に立つ機会があれば、まず霧の色を眺め、それからオレンジ色の太陽と水面の反射に目を移してみてください。最後に描き加えられた小さな太陽が、画面全体に朝の光を灯しているように感じられるかもしれません。
Euphoric " " の視点
モネは『印象・日の出』を数時間で仕上げました。カタログに載せる題名を尋ねられて「印象」と答えたのは、この絵がル・アーヴルの景色として通用するものではなかったからだと、マルモッタン・モネ美術館は説明しています。
その言葉を、批評家ルロワは記事の見出しに使いました。カスタニャリは、風景そのものではなく、風景が生み出す感覚を描く画家たちを指す言葉として用いています。
景色の絵としては通用しないという理由で選ばれた題名が、新しい描き方を言い表す名前になりました。足りないと思われた部分にこそ、その作品だけの新しさが宿っていることもあるのかもしれません。
この作品を見に行くには
『印象・日の出』は、次の館で所蔵・公開されています。展示替えや貸し出しがあるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。







