【徹底解説】ルイ・ヴァルタットってどんな人?人生と作品を追う

【徹底解説】ルイ・ヴァルタットってどんな人?人生と作品を追う
Bemberg Fondation Toulouse - Sur le Boulevard - Louis Valtat - 1893

こんにちは、ユアムーン編集部です。

皆さんはルイ・ヴァルタットという画家をご存じでしょうか?

ヴァルタットは風景画や静物画が多く、その画風はゴーギャンやゴッホの絵画手法から影響を受けており、太い筆致と鮮やかな色使いが特徴的な画家で、「フォーヴィスム」の先駆けともいわれています。

今回はそんなヴァルタットの人生と作品をご紹介させていただきます!

ルイ・ヴァルタットってどんな人?

【1904年頃のルイ・ヴァルタット】 – オーギュスト・ルノワール作

基本情報

本名 ルイ・ヴァルタット(Louis Valtat)
生年月日 1869年8月8日
出身 フランス ノルマンディー地方 ディエップ
学歴 エコール・デ・ボザール / アカデミー・ジュリアン
分野/芸術動向 フォーヴィスム

人生と作品

生まれと環境

ルイ・ヴァルタットは、1869年8月8日にフランスのノルマンディー地方にある港町、ディエップにて裕福な造船家の家庭に生まれます。

幼少期にパリ郊外のヴェルサイユに移り住んだヴァルタットは、フランスの名門校と言われる「リセ・オッシュ」で中等教育を受け、1887年に趣味で風景画を描いていた父の勧めで「エコール・デ・ボザール」に入学することになります。

2つの美術学校に通う

エコール・デ・ボザール
出展: Palais des etudes ensba paris, WIKIMEDIA, https://commons.wikimedia.org/

エコール・デ・ボザール(フランス語:École des Beaux-Arts, ENSBA)は、17世紀パリに設立されたフランスの高等美術学校である。

350年間以上にわたる歴史があり、建築、絵画、彫刻の分野に芸術家を輩出してきた。現在は建築がここから切り離されている。

ボザールでの教育は伝統的、古典主義的な作品が理想とされ、これらの理想化された様式を踏襲させていく、世界にもまれな教育システムであった。

引用: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB

エコール・デ・ボザールでは、「ギュスターヴ・ブーランジェ」、「ジュール・ジョセフ・ルフェーブル」、「ジャン=ジョセフ・ベンジャミン=コンスタン」らに師事し、アカデミック美術を学びました。

エコール・デ・ボザールにて師事した教授

【ギュスターヴ・ブーランジェ】

1845年にアルジェリアを訪れた際、中東の美術・文化・風俗に興味を持ち作品に反映するようになったオリエンタリズム画家。

【ジュール・ジョセフ・ルフェーブル】

古典主義的なスタイルで、作品のほとんどが1人の美しい女性を描いた人物画である。

【ジャン=ジョセフ・ベンジャミン=コンスタン】

1872年にモロッコを訪れた際にモロッコの文化や風景に興味を持ち、作品に反映させるようになったオリエンタリズム画家。

エコール・デ・ボザールを卒業した後、「アカデミー・ジュリアン」に入学したヴァルタットはバルビゾン派の画家「ジュール・デュプレ」に師事します。

同校では、ヘブライ語で「預言者」を意味する「ナビ」を名乗った、所謂ナビ派の「モーリス・ドニ」、「ピエール・ボナール」、「エドゥアール・ヴァイヤール」らと知り合います。

ナビ派のメンバー達は、ポスト印象派の巨匠ともいわれる「ポール・ゴーギャン」の絵画手法に影響を受けており、ヴァルタット自身はナビ派の運動からは距離を置いていたものの、ナビ派のメンバーから間接的にゴーギャンの絵画手法を学び、その手法が彼の画風に影響を与えることになります。

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Sur Le Boulevard (大通りにて)

Bemberg Fondation Toulouse – Sur le Boulevard – Louis Valtat – 1893

パリのラ・グラシエール通りにアトリエを構えたヴァルタットは、1893年に、アトリエ周辺を描いた作品を多数発表し、その中の1点「Sur le Boulevard」が美術評論家の目に留まりました。

この時期のヴァルタットは、印象派の絵画で使われていた色を混ぜずにキャンバスに置いていく点描画と呼ばれる画法に惹かれていて、色彩豊かでパリの喧騒が伝わってくるような絵画になっています。

ヴァルタットのこの画風は印象派を思わせるようなものでしたが、彼は描くものの輪郭をはっきりとさせるのにこだわっていたようです。

ルノワールとの交流

結核を患っていたヴァルタットは、1900年に結婚した恋人セザンヌと一緒に南フランスで過ごすことが多くなります。

そこでヴァルタットは、「オーギュスト・ルノワール」や「ポール・シニャック」など、この地に住む印象派の画家たちとの交流を広げ、特にルノワールとは1900年から1905年にかけて、ブロンズ製のセザンヌの胸像を共同制作したり、ヴァルタットの肖像画をルノワールが制作したりと深い親交があったようです。

この時期に旅したアンセオールという場所は、岩と空と地中海が広がる街で、ヴァルタットが赤と青の大胆なコントラストを使用して絵画を制作するきっかけとなりました。

ヴァルタットがこれらの絵の最後の仕上げをしているところを見たルノワールは、『色彩の幸福な調和に心を打たれた』と言っており、彼は画商アンブロワーズ・ヴォラールにヴァルタットの作品を紹介し、1900年から1912年までヴォラールはヴァルタットの代理人となりパリで開催された様々な展覧会にヴァルタットの作品を出品することになります。

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フォーヴィスムの誕生

1905年、「サロン・ドートンヌ」と呼ばれる秋に開催される展覧会にヴァルタットの作品が展示されます。

その展覧会では、フランスの批評家のルイ・ヴォクセルが展示室の中央に展示された小さなブロンズの彫刻が、強烈な色彩と激しいタッチの絵画に囲まれているのを見て「フォーヴ(野獣)の檻の中にドナテッロ(彫刻家)がいるようだ」と評し、この言葉がフォーヴィスム(野獣主義)という芸術運動の発祥と言われています。

この展覧会で出品された作品は、ヴァルタットの他、「アンリ・マティス」や「アンリ・マンギャン」、「アンドレ・ドラン」などフォーヴィスムの画家たちのものが多かったようです。

一部の美術史家の中では、ヴァルタットの1990年代の作品がフォーヴィスムの先駆けだと位置づけていますが、ヴァルタット自身はフォーヴィスム運動には参加せずに距離を置き、フォーヴィスムの強烈な色彩などを取り入れることはありませんでした。

晩年

出展:Louis Valtat Works, WIKIART, https://www.wikiart.org/

1914年以降は、パリやヴェルサイユ近郊で花や風景などをテーマとして制作を続けていきますが、1948年、緑内障のため視力を失い、1952年にパリで亡くなりました。

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まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回は、フォーヴィスムの先駆けとなったフランス人画家ルイ・ヴァルタットの人生と作品をご紹介させていただきました。

ヴァルタットについて、興味を持った方はさらに調べてみてはいかがでしょうか?



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