こんにちは!ユアムーン株式会社 編集部です!
突然ですが、皆さんはマルセル・ブロータースという芸術家を知っていますか?
詩人、映像作家そして画家として活躍し、優れたユーモアと文才をもって画期的な作品を生み出した、コンセプチュアル・アートを代表する人物です。
この記事ではマルセル・ブロータースの『人生』と『作品』についてご紹介します!
マルセル・ブロータースとは?
マルセル・ブロータース基本情報
本名 | マルセル・ブロータース(Marcel Broodthaers) |
国籍 | ベルギー |
生年月日 | 1924年1月28日〜1976年1月28日(享年52歳) |
コンセプチュアル・アートとは?
日本語では「概念芸術」と表され、言葉通り構想や概念がその作品の中心的要素を担うものです。1960年代から現れた前衛的なムーブメントで、視覚的な美しさや作品の唯一性を重要視する従来の芸術評価や「絵画」「彫刻」といったヨーロッパ主体の偏った枠組みに反発する形で生まれました。
芸術界にとって画期的な要素が多く、まずは構想や概念を表す上で「言語」が新たに芸術要素へ加わ利ました。更に、写真や雑誌の切り抜きといった印刷物や木材や電球といった既製品、並びに複写技術は、過大評価された芸術家の価値や芸術のビジネス的側面に疑問を呈する形で導入されました。
また、空間全体を使った作品や作者の行為を作品とするものは、従来の芸術の枠組みを脱して当時の人々を驚かせました。
経歴と作品
詩人から美術家への転向
実を言うと、マルセル・ブロータースは40歳まで詩人として活動していました。
10代の頃、学校に通いながら作家として活動を始め、1945年からは約20年間詩人として多く作品を制作しました。しかし収入は非常に少なく、政治関連の記事を書いたり古書の販売をしながらも貧しい日々を送っていました。
詩人としての20年目に、ルネ・マグリットをはじめとするシュルレアリスムのアーティストに大きく影響を受け、1964年に詩人から芸術家への転向を宣言します。
汚い思考 Pense-Bête(1964年)
こちらが芸術家としての初作品で、ブリュッセルで開催されたサン・ローランのギャラリーに出展されました。石膏で固められているものは、何とブルータス自身の売れ残った詩集です。詩人だった自身への決別とも見て取れますね。
当時の展覧会の招待状でこの作品の背景や転向の理由を明かしています。
私は何かを売って人生で成功できないものか、考えを巡らせてきた。しかし、何も見出すことができないまま、40歳になった。その時突拍子もなく、何かを生み出そうと思いつき、すぐさま取り掛かった。3ヶ月後、出来たものをサン・ローランギャラリーのオーナーに見せたところ、”これは芸術だよ”と彼は言った。”全部私のギャラリーで展示しよう”と続け、私は”OK”と即答した。もし何かが売れたら、彼はその30%を利益として受け取るらしい。それが普通のようだ。
出典:quoted in Marcel Broodthaers, Tate Gallery, 1980 p13
ここで注目したいのは最後の文です。芸術を利用したビジネス行為への疑問を呈しているように感じられます。彼は作品を制作するにおいて「芸術のあるべき姿」を追求し、芸術とは何であるか、新たな基準を設けようとしました。
他にも美術を取り巻く権威的な制度や慣習に切り込む作品を多く手がけたことでもよく知られています。
ミュージアム-ミュージアム(1972年)
『MUSEUM』と大きく書かれた下には金塊が並べられています。一見左右同じ絵のように見えますが、実は金塊の下に書かれている文字が異なっています。左にはマンテーニャやベリーニといった著名な芸術家の名前、右にはバターや牛乳といった日用品の名前が書かれています。
『MUSEUM』という枠組みさえあればどんな些細なものでも芸術とみなされ、著名な芸術家が作ったものであれば評価される芸術界や、芸術を用いてビジネスをする美術館を揶揄したものではないでしょうか。
ムール貝の大鍋 Moules sauce blanche (1967年)
ブロータースは他にも「芸術とは何か」をテーマにした作品を多く残しています。ただ美しいものだけが芸術なのか、鍋とムール貝のように世にありふれたものでも、”芸術作品”と言われれば評価されるのだろうか、と問いかけているのでしょう。
インスタレーション
彼の制作は絵画や彫刻といった従来の枠組みには決して囚われないものでした。その姿勢が顕著に現れたのは、インスタレーションと呼ばれる、空間を丸ごと使った表現方法です。
19世紀の部屋 Salle ⅩⅨe Siècle(1975年)
戦争と安静の対比が、奥に見える銃と手前に見える縞模様の家具とカードゲームで表されています。
第二次世界大戦の経験から、危険と隣り合わせの歪んだ日常や、戦後の平和に慣れてしまった世の中に対する警鐘が表されているのではないでしょうか。
白の部屋 La Salle blanca (1975年)
こちらは1975年にパリの国立現代美術センターで展示されたものです。
ブリュッセルにあるブロータスの部屋が実物大で表現されており、家具のない白一色の部屋の壁にはフランス語で「美術館」「画廊」「油」「特権」といった言葉が書かれていますが、それらは我々が物事を知覚する際の言語の影響力について考察することを意図していたといわれています。
ブロータースは12年と言う短い活動の中で、芸術とは何か、どうあるべきか、について表現し我々に疑問を呈しました。
1975年に肝不全で短い生涯を終えることとなりますが、彼が残した作品は多くの芸術家に影響を与え、芸術界に革新をもたらしたと言えるのではないでしょうか。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は、20世紀後半に多岐に渡って活躍したマルセル・ブロータースについてご紹介しました。
兵庫県立美術館では、ミニマル/コンセプチュアル:ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960-70年代美術が開催中です!
マルセル・ブロータースはもちろん、日本人のコンセプチュアルアーティストである河原温など、時代を牽引した多くのアーティストの作品を見ることができます。
興味を持った方は是非、尋ねてみてはいかがでしょうか!