【徹底解説】リチャード・セラとは?鋼鉄で歩く空間をつくった彫刻家の人生と作品を解説!

【徹底解説】リチャード・セラとは?鋼鉄で歩く空間をつくった彫刻家の人生と作品を解説!
写真:リチャード・セラ本人(2005年・ジーゲン)(Oliver Mark/CC BY-SA 4.0/Wikimedia Commons。文字入れ。この画像もCC BY-SA 4.0で提供)

アートコンシェルジュ|最初の一枚から、一生のコレクションまで。無料で相談する

こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。

皆さんはリチャード・セラという人物をご存知ですか?

リチャード・セラは、1938年にサンフランシスコで生まれ、2024年3月26日に亡くなったアメリカの彫刻家です。ゴムや鉛を使った1960年代の実験から出発し、のちには高さ数メートルの巨大な鋼鉄の板を曲げて空間をつくる作品で知られるようになりました。スペインのビルバオ・グッゲンハイム美術館に常設されている『The Matter of Time』や、セントルイスのピュリッツァー美術財団の中庭にある『Joe』が代表作です。

本記事ではそんなリチャード・セラの人生と作品についてご紹介します。内容は、2026年10月時点で確認できた美術館などの公式情報にもとづいています。作品の画像は、著作権法で認められた「引用」の範囲で、作品を解説している段落のあとに公式サイトの画像を掲載しています。

リチャード・セラって?

リチャード・セラの歩みを5段階で示した図。カリフォルニアとイェール大学での学び、パリとフィレンツェでの2年、ニューヨークでの素材の実験、鋼鉄と屋外作品、美術館に据えられる大型作品へ至る流れ。
図:リチャード・セラの歩み

セラの作品は、台座に載せて遠くから眺める彫刻とは違います。鋼鉄の板のあいだを歩き、見上げ、曲がり、戻ることで、はじめて作品が体験になります。MoMAの展覧会資料は、セラが彫刻の定義を根本から広げた作家だと説明しています。

この記事では、素材の実験から鋼鉄の大型作品へ進んだ道のりを、時代順にたどります。専門用語は、そのつど短く説明します。

基本情報

本名リチャード・セラ(Richard Serra)
生年月日(没年月日)1938年11月2日〜2024年3月26日(85歳没)。MoMAの1986年と2007年の資料には「1939年生まれ」の記載もあります
国籍・出身アメリカ。カリフォルニア州サンフランシスコ生まれ
学歴カリフォルニア大学で英文学を学び、1961年に卒業。1961年から1964年までイェール大学で学ぶ
分野彫刻(鋼鉄を使った大型の彫刻、ドローイング、映像)
傾向素材と行為から出発し、鋼鉄の板で空間をつくる。作品の中を歩いて体験する
師事した人物・影響を受けた人物イェール大学ではジョセフ・アルバースと仕事をした。パリではブランクーシのアトリエに通ってデッサンした。ロバート・スミッソンと親しかった

同じ時代のアメリカの美術家の関連記事も、あわせてどうぞ。

【徹底解説】フランク・ステラとは?作品と人生を3分で理解しよう!

彫刻の歴史をたどりたい方には、こちらの記事もおすすめです。

【徹底解説】オーギュスト・ロダンとは?近代彫刻の出発点となった彫刻家の人生と作品を解説!

経歴と作品

1. 生い立ちと学生時代(1938〜1964年)

リチャード・セラは、1938年11月2日にサンフランシスコで生まれました。ビルバオ・グッゲンハイム美術館の年譜によると、1957年にカリフォルニア大学で英文学を学びはじめ、1961年に卒業しています。学生時代は製鉄所で働いて生活費をまかないました。高松宮殿下記念世界文化賞(Praemium Imperiale)の公式サイトも、学生時代に製鉄所や建設現場で働いて学費をかせいだと伝えています。

1961年にはイェール大学で美術を学びはじめ、1964年に修了しました。MoMAの展覧会資料によると、セラはこの時期、主に画家としての訓練を受けています。1963年には、ジョセフ・アルバースの著書『The Interaction of Color』の制作に加わりました。同じ時期に、ロバート・ラウシェンバーグ、アド・ラインハート、フランク・ステラといった作家とも出会っています。

2. ヨーロッパでの2年とブランクーシ(1964〜1966年)

1964年、セラはイェール大学の旅行奨学金を得てパリに渡りました。パリではブランクーシのアトリエに通ってデッサンをしています。このアトリエは、パリの近代美術館に再現されたものでした。ビルバオ・グッゲンハイム美術館の年譜は、セラがのちにこの経験を、彫刻へ移るきっかけだったと語ったと伝えています。

翌年はフルブライト奨学金でフィレンツェに滞在し、ゴムやファイバーグラスのような、彫刻ではあまり使われない素材を扱いはじめました。1966年にはローマのラ・サリータ画廊で最初の個展を開き、同じ年にニューヨークへ拠点を移しています。

3. 素材と行為の実験(1966〜1969年)

セラの初期作の流れを示した図。ゴムとネオンの『Belts』、動詞を書き並べた『Verb List』、溶けた鉛を投げる『Splash』、鉛の板を支え合わせる『Prop』の順に、素材と行為の実験が進んだことを示す。
図:素材と行為の実験の流れ

ニューヨークに移ったセラは、加硫ゴムとネオン管を使った作品に取り組みます。『Belts』(1966〜67年)は、近所の倉庫で見つけた捨てられたゴムでつくられました。MoMAの資料によると、セラ自身は、この作品が画家ジャクソン・ポロックの絵の、画面の全体が均等に満たされるあり方に負うところが大きいと語っています。

この頃のセラは、のちの作品の考え方を示す「動詞のリスト」を書いています。『Verb List』(1967〜68年)は、「転がす、折り目をつける、折る、たくわえる、曲げる、短くする」といった動詞(英語ではto roll、to crease、to fold、to store、to bend、to shorten)を書き並べたものです。MoMAの資料は、この作品がこれから行う行為だけでできていて、当時のセラは結果よりも過程に関心があったと説明しています。MoMAには、この作品が収蔵されています。

動詞を素材に対して実際に行うという考えから、1968年にセラは溶けた鉛をすくって壁に投げつける『Splash』の連作を始めました。1969年にはニューヨークのレオ・カステリの倉庫で、鉛を一杓ずつ壁に投げる作品をつくっています。MoMAの資料は、セラ自身が、一杓ずつ壁に投げる繰り返しで1トン分の鉛を積み上げたと語っていると伝えています。

同じ1969年の『One Ton Prop (House of Cards)』は、1辺約1.2メートル(48インチ)の鉛の板4枚を、互いに寄りかからせて立てた作品です。4枚あわせて重さは1トンになります。板どうしの釣り合いだけで立っています。MoMAの資料は、この作品を、物そのものだけで釣り合いの問題を解いた作品として紹介し、セラ自身も、板が均等に釣り合えば重さが打ち消されると語っています。セラはこの年、はじめて鋼鉄も使いはじめました。

4. 鋼鉄と屋外の作品へ(1969〜1970年代)

1970年は、セラの仕事の向きが変わった年です。この年、セラはロバート・スミッソンとナンシー・ホルトがユタ州の大塩湖で『Spiral Jetty』を築くのを訪ね、その配置を手伝いました。同じ年に日本を訪れて東京ビエンナーレに参加し、京都で禅の庭を見ています。高松宮殿下記念世界文化賞の公式サイトによると、京都では妙心寺の寺院群の庭を見たとあります。

この年、ミズーリ州セントルイス近郊で『Pulitzer Piece: Stepped Elevation』を手がけました。ビルバオ・グッゲンハイム美術館の年譜は、これを、その場所のためにつくった最初の作品であり、最初の大型の屋外彫刻だとしています。以後のセラは、美術館の外の風景や都市に作品をつくる仕事を広げていきます。

屋外の作品は、その後も各地でつくられました。ピュリッツァー美術財団の解説によると、1982年にセントルイスに設置された『Twain』は、8枚の鋼板でできた三角形の作品で、板のあいだの開口から街の景色が移り変わって見えます。これは、セラがアメリカでつくった最初の恒久的で、公共の場所のための作品とされています。『Twain』が設置された祝いとして、セントルイス美術館が関連作品を展示したことも、同財団の解説に記されています。

鋼鉄を使った室内の作品では、『Circuit II』(1972〜86年)が知られています。10フィート×20フィート(約3.1メートル×6.1メートル)の鋼板4枚を、展示室の四隅に立てた作品で、見る人はその間を通って動くことになります。『Delineator』(1974〜75年)は、天井に1枚、床に同じ大きさの1枚を置き、そのあいだを歩かせます。MoMAの資料によると、『Delineator』では、中心へ向かって歩くうちに、上も下も、左右も東西南北も意識させられるとセラは語っています。同じ資料は、セラが空間を素材のひとつと考え、彫刻の形を使って空間をはっきりさせようとしていると語ったことも紹介しています。鉛は形を変えやすい素材でしたが、セラは鋼鉄の重さにひかれたとも、MoMAの資料は伝えています。

セラの初期の鉛の作品と1990年代の鋼鉄の作品を比べた表。素材は鉛と鋼鉄、大きさは1辺約1.2メートルの板4枚と高さ約3.6メートルの板、見方は立つ形を見ることと中を歩くことという違い。
図:初期の鉛と1990年代の鋼鉄

鋼鉄の作品は、工場や造船所の力を借りて初めてできます。高松宮殿下記念世界文化賞の公式サイトは、1984年のセラの発言として、製鉄所、造船所、加工工場が、自分の移動する拡張スタジオになったと紹介しています。

5. 『Tilted Arc』(1979〜1989年)

セラのよく知られた公共彫刻のひとつが、ニューヨークのフェデラル・プラザにあった『Tilted Arc』です。MoMAの1986年の資料によると、1979年にアメリカ連邦政府の機関である一般調達局(GSA)がセラに恒久の彫刻を依頼し、1981年に設置されました。設置後に議論が起き、1985年3月に撤去を検討する公聴会が開かれました。

この作品は、1989年3月15日に撤去されました。ビルバオ・グッゲンハイム美術館の年譜と高松宮殿下記念世界文化賞の公式サイトの両方が、この日付を記しています。同サイトによると、セラは、この作品がその場所のためにつくられた作品である以上、撤去は作品の消失に等しいと述べています。

6. ヨーロッパと日本での広がり(1980〜1990年代)

1983年には、パリのポンピドゥー・センターで個展が開かれました。その展覧会にあわせて、チュイルリー公園に『Clara-Clara』が設置されています。1986年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)が、セラの彫刻展を開きました。

ビルバオ・グッゲンハイム美術館の年譜をたどると、この時期の展覧会の多さがわかります。ドクメンタ(ドイツのカッセルで開かれる国際美術展)には1972年の第5回から1987年の第8回まで参加し、1986年にはマドリードのソフィア王妃芸術センターで『Equal-Parallel』の題の展示を行いました。1992年には同センターで回顧展が開かれ、ロンドンのテート・ギャラリーも展覧会を組んでいます。

1990年代の代表作に『Intersection II』(1992〜93年)があります。同じ円錐形の鋼板4枚のうち2枚を内側へ、2枚を外側へ傾けた作品で、ひとつの彫刻のなかに、つながった3つの空間が生まれます。板の高さは約4メートルです。2007年の展覧会ではMoMAの彫刻庭園に展示され、MoMAの収蔵品になっています。MoMAの資料は、板の高さを、空や天井が見えるぎりぎりの低さに決めたと説明しています。

1993年には、香川県の直島で、ナオシマ・コンテンポラリーアートミュージアムが『Wall to Wall』展を開いています。1994年には、日本美術協会の高松宮殿下記念世界文化賞(彫刻部門)を受賞しました。

日本とのつながりも、この頃までに積み重なっています。1970年の東京ビエンナーレと京都の庭、1993年の直島での展覧会、1994年の受賞に加え、同じ1994年には大阪の国立国際美術館がセラの展覧会を開きました。高松宮殿下記念世界文化賞の公式サイトの年譜は、1970年の日本訪問を、屋外や都市の作品へ向かう決断を支えた経験のひとつとして位置づけています。

7. ひねった楕円『Torqued Ellipses』

トーキッド・エリプスの発想を3段階で示した図。ボッロミーニの教会の楕円の空間に着想を得て、その形をひねり、歩いて体験する空間に変えるという流れ。
図:「楕円をひねる」という発想

1990年代後半から、セラは『Torqued Ellipses(ひねった楕円)』の連作に取り組みます。MoMAの資料によれば、この連作は1996年から2004年のあいだにつくられました。きっかけは、イタリアのローマで見たフランチェスコ・ボッロミーニの教会、サン・カルロ・アッレ・クアトロ・フォンターネ(1665〜67年)でした。セラは、その中央の空間が単純な楕円で、囲む壁が垂直だと気づき、この形を自分自身にひねったらどうなるかと考えたと語っています。

MoMAの資料によると、セラが求めたのは、何もない空間に置かれた物の見た目ではなく、周りの環境ぜんぶを含めた体験でした。見る人は、巨大な鋼板がつくる空間の中を通り抜けて、作品を体験します。同じ資料は、この連作の『Torqued Ellipse IV』(1998年)を、高さ約3.6メートル、板の厚さ約5センチの耐候性鋼でできた作品として紹介しています。1997年には、ニューヨークのディア・センター・フォー・ジ・アーツで『Torqued Ellipses』が展示されました。

8. 『The Matter of Time』(ビルバオ)

セラの代表作として、まず挙げたいのが『The Matter of Time(時間の問題)』です。ビルバオ・グッゲンハイム美術館の年譜によると、セラは2003年に同館から依頼を受け、2005年に同館の104号室(ArcelorMittal Gallery)に設置されました。制作年は1994〜2005年、素材は耐候性鋼、8点の彫刻からなり、同館の常設コレクションです。

ビルバオ・グッゲンハイム美術館の展示室に並ぶ、赤茶色に錆びた巨大な鋼板の渦巻き。高い曲面の壁の中央に小さく人が立っている。
リチャード・セラ『The Matter of Time』(1994〜2005年)、耐候性鋼、8点、所蔵:ビルバオ・グッゲンハイム美術館。画像出典:ビルバオ・グッゲンハイム美術館公式サイト(引用)

美術館の解説によると、この作品は、単純な二重の楕円から複雑なうずまきへ、セラの形の変化を見せてくれます。最後の2点は、トーラス(ドーナツ形)と球体の一部からできていて、歩いて回るあいだに形が思いがけず変わっていきます。部屋全体が彫刻の場であり、作品の並びが、広い道や狭い道、長い道や詰まった道、高い道や低い道を生みます。

ビルバオ・グッゲンハイム美術館とセラの縁は、この作品より前からありました。年譜によると、同館が依頼した『Snake』は、1997年の同館の開館記念展で展示されています。1999年には、同館で『Torqued Ellipses』を中心にした個展も開かれました。

この作品には、時間も組み込まれていると解説は述べています。端から端まで歩くのにかかる時間と、見たものの記憶がつながっては思い出される時間の、2つです。

8点のうち、いくつかの彫刻には個別の題がついています。たとえば『Torqued Spiral (Open Left, Closed Right)』(2003〜04年)は、題のとおり、ひねったうずまきのうち、左が開き、右が閉じた作品です。

展示室の中の、錆びた鋼の大きな円筒形の壁と、その右に傾いて立つ細い鋼板。壁の内側へ通じる隙間が見える。
リチャード・セラ『Torqued Spiral (Open Left, Closed Right)』(2003〜04年)、耐候性鋼、『The Matter of Time』の一部、所蔵:ビルバオ・グッゲンハイム美術館。画像出典:ビルバオ・グッゲンハイム美術館公式サイト(引用)

もうひとつの『Between the Torus and the Sphere』(2003〜05年)は、トーラスと球体のあいだという題をもつ作品で、曲面の鋼板が並ぶ構成になっています。

天井の高い展示室に、弧を描く高い鋼板が何枚も奥へ並んで立つ。手前の1枚は内側へ大きくえぐれた曲面をもつ。
リチャード・セラ『Between the Torus and the Sphere』(2003〜05年)、耐候性鋼、『The Matter of Time』の一部、所蔵:ビルバオ・グッゲンハイム美術館。画像出典:ビルバオ・グッゲンハイム美術館公式サイト(引用)

9. 『Joe』(セントルイス)

アメリカでは、ミズーリ州セントルイスのピュリッツァー美術財団に、セラの『Joe』があります。同財団は、安藤忠雄が設計した建物で、2001年10月に開館しました。エミリー・ピュリッツァーが、建物にあわせた作品をセラとエルズワース・ケリーに依頼しました。

『Joe』は1999年の作品で、ひねったうずまきの連作のひとつです。耐候性鋼でできていて、中庭に据えられています。題は、亡くなったジョセフ・ピュリッツァー・ジュニアへの敬意を示すもので、館の解説によると、5枚の板からなる曲線の大きな彫刻で、館に欠かせない存在になっています。館の歴史のページは、安藤とセラらが協力して、作品と建築の両方の体験を高めたと説明しています。

コンクリートの壁に囲まれた中庭に立つ、黒茶色の鋼の巨大な円筒状の壁。背後に街の建物が見え、手前を2人が歩いている。
リチャード・セラ『Joe』(1999年)、耐候性鋼、所蔵:ピュリッツァー美術財団(セントルイス)。Serra artwork © Artists Rights Society (ARS), New York。Photograph by Carly Ann Faye。画像出典:ピュリッツァー美術財団公式サイト(引用)

10. 2006年の新作

2007年のMoMAの展覧会『Richard Serra Sculpture: Forty Years』には、この展覧会のために2006年につくられた新作が3点ありました。『Sequence』は、鋼板がつながった2つのうずまきをつくり、一方の入口は限りのある内部の空間へ、もう一方は終わりのないように感じられる曲がりくねった道へ通じます。MoMAの資料によると、セラはこの作品を記憶と結びつけていて、似ていて絶えず変わる空間を、見る人が区別して覚えられないことを手がかりにしています。

『Band』は長さ70フィート(約21メートル)を超える作品です。セラは、歩きながら横に読むように見る作品だと説明しています。『Torqued Ellipses』と違って明確な内側と外側がなく、波打つ曲線によって、鋼板の傾きの違う4つの空間が生まれます。『Torqued Torus Inversion』は、トーラスをひねった2つの形のうち一方を裏返したもので、続けて体験するように構想されました。セラは、トーラスを、自転車の車輪の縁を地面に置いたものにたとえて説明しています。3点とも素材は耐候性鋼(MoMAの資料では weatherproof steel)で、板の厚さは2インチ(約5センチ)です。

11. 2000年代以降と受賞歴

セラが作品について大切にしたことを3点に整理した図。素材に対する行為、空間を素材と考えること、作品の中を歩いて体験することの3つ。
図:セラの作品を見るときの3つの手がかり

2001年のヴェネチア・ビエンナーレでは、うずまきの連作を発表し、生涯の功績に対する金獅子賞を受けました。同じ年にアメリカ芸術文学アカデミーの彫刻金メダルも受けています。2007年には、MoMAが『Richard Serra Sculpture: Forty Years』を開き、2006年につくった『Sequence』『Band』『Torqued Torus Inversion』の3点が、新作として展示されました。

2008年には、パリのグラン・パレで開かれた「モニュメンタ」のために、大型の作品『Promenade』が設置されました。2014年には、カタールのズケリート半島のブルーク自然保護区に『East-West/West-East』が恒久設置されています。ビルバオ・グッゲンハイム美術館の年譜によると、2015年にはフランスのレジオン・ドヌール勲章(シュヴァリエ)を受け、『Equal』がMoMAに収蔵されました。2018年にはJ・ポール・ゲティ・メダルを受けています。

鋼鉄の彫刻だけでなく、ドローイングや映像も、セラの大切な仕事でした。ピュリッツァー美術財団は、セラ自身が構成した展覧会『Sculpture and Drawings by Richard Serra』を開き、さまざまな素材の彫刻と、ペイントスティックや木炭のドローイングを同じ空間に並べています。同じ時期にセントルイスの別の会場では、ジャズの演奏家に捧げた6点のエッチング『Richard Serra: Rounds』も展示されました。年譜によると、1968年に16ミリ映画『Hand Catching Lead』をつくり、1971年に黒いキャンバスのドローイングを始めています。2017年には、スイスのバーゼル美術館が、1968年から1979年のあいだにつくられた映画や映像を集めた『Richard Serra: Films and Videotapes』を開いています。2022年には、ビルバオ・グッゲンハイム美術館で、スーラとセラの素描や版画を並べた『Serra/Seurat』が開かれ、パリのポンピドゥー・センター、ローマのMACRO、アメリカのグレンストーンなどでも個展が開かれました。

2024年3月26日、セラはニューヨーク州オリエントで亡くなりました。85歳でした。

年賞・栄誉
1970年ジョン・サイモン・グッゲンハイム記念財団の奨学金
1981年カイザーリング賞(ドイツ、ゴスラー市)
1994年高松宮殿下記念世界文化賞(彫刻部門)
2001年ヴェネチア・ビエンナーレ 金獅子賞(生涯の功績)/アメリカ芸術文学アカデミー 彫刻金メダル
2002年ドイツの学術・芸術のプール・ル・メリット勲章の会員
2015年フランス レジオン・ドヌール勲章(シュヴァリエ)
2018年J・ポール・ゲティ・メダル

12. 作品の見方のヒント

ここまで見てきたセラの作品には、共通する見方があると考えます。以下は、公式情報を読んだ編集部の意見です。

ひとつは、時間をかけて歩くことです。ビルバオ・グッゲンハイム美術館の解説は、端から端まで歩く時間そのものが作品に含まれると述べています。写真は一瞬を切り取りますが、セラの作品は、歩く速さによって見え方が変わると考えます。

もうひとつは、板の縁や面の傾きに目を向けることです。『Torqued Ellipse IV』のように、壁が垂直ではなく傾いていると、同じ場所に立っても、見上げる角度や、囲まれる感じが変わります。『Joe』のように中庭に置かれた作品では、空や周囲の建物との関係も、体験の一部になります。

最後は、素材の始まりに立ち返ることです。ゴムや鉛を相手にした初期の行為の実験は、鋼鉄の巨大な作品まで途切れずにつながっています。大きさに驚いたあと、板の釣り合いや、どう立っているのかという、初期の『One Ton Prop』と同じ問いを探してみるのも、ひとつの見方だと思います。

まとめ

いかがだったでしょうか。リチャード・セラは、ゴムや鉛を相手にした行為の実験から出発し、鋼鉄の板で歩いて体験する空間をつくる彫刻家になりました。パリでブランクーシのアトリエに通い、京都で禅の庭を見て、セントルイス、ビルバオ、パリ、カタールなど、作品を置く場所を世界に広げていきました。

代表作の『The Matter of Time』と『Joe』は、各館の公式サイトで公開が確認できます(2026年10月時点)。鋼鉄の壁の中を歩く体験は、図版では伝わりきらない部分が多いはずです。ぜひ実際の場所で、時間をかけて歩いてみてください。

Euphoric " " の視点

リチャード・セラは、学生時代に製鉄所で働いて生活費をまかないました。その後、イェール大学では主に画家としての訓練を受け、ゴムや鉛の実験を経て、1969年にはじめて鋼鉄を使いはじめます。

1984年には、製鉄所、造船所、加工工場が、自分の移動する拡張スタジオになったと述べています。生活費をまかなう場所だった製鉄所が、のちに作品をつくる場所になったと読むこともできそうです。

鋼鉄の作品は、工場や造船所の力を借りて初めてできます。セラの作品の大きさは、制作の場所を、ひとりのアトリエの外へ広げたことの表れだと考えます。

若いころの仕事の経験は、遠回りに見えても、のちの表現の場所を開くことがあるのかもしれません。セラの鋼鉄の壁は、そのことを示しているように思えます。

この作品を見に行くには

記事で紹介した作品は、次の館などで公開されています。展示替えがあるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。

NEW POSTS / 新着記事

開催中の展覧会いま行ける展覧会を、終了が近い順に79件 開催中/7日以内に終了 1件展覧会を探す