こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。
皆さんは森村泰昌という人物をご存知ですか?
大阪市に生まれた美術家で、自分自身が名画の登場人物や映画女優、歴史上の人物に扮して、その姿を写真や映像にしてきた人です。1985年にゴッホの自画像に扮した写真を発表して以来、一貫して「自画像的作品」を作り続けています。2014年にはヨコハマトリエンナーレの芸術監督を務め、2011年には紫綬褒章、2026年春には旭日小綬章を受章しました。
名画に「なる」と聞くと、ものまねや遊びのように思えるかもしれません。けれども森村の作品を順番にたどると、そこには「自分とは何か」「美術史とは誰のものか」という問いが、40年以上にわたって形を変えながら続いていることがわかります。
本記事ではそんな森村泰昌の人生と作品についてご紹介します。なお、森村は存命の作家で作品の著作権が続いているため、掲載する作品図版は、本文で解説している作品に限り、所蔵館の公式ページを出典として明記した「引用」として載せています。肖像写真や、解説していない作品の図版は載せていません。
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Toggle森村泰昌って?
森村泰昌の仕事は、写真だけにとどまりません。映像、舞台、文章、展覧会の企画、そして自分の美術館の運営まで、表現の場は大きく広がってきました。横浜トリエンナーレ2014の公式ページに載っている略歴は、森村の仕事を次のようにまとめています。「以後、一貫して「自画像的作品」をテーマに、美術史上の名画や往年の映画女優、20 世紀の偉人たちなどに扮した写真や映像作品を制作している」。この一文を図にすると、次のようになります。

ここでいう「扮する」とは、ただ衣装を着ることではありません。森村は、絵の中の人物や、写真の中の人物になりきったうえで、その姿を一枚の写真作品に仕上げます。ですから画面に写っているのは、元の絵の人物であり、同時に森村自身でもあります。この二重性が、森村の作品を読み解くいちばんの手がかりになります。
基本情報
| 本名 | 森村泰昌(Yasumasa Morimura)。公式の略歴に別名の記載はありません |
| 生年月日(没年月日) | 1951年6月11日生まれ(存命。2026年10月時点) |
| 国籍・出身 | 日本/大阪市生まれ、大阪市在住 |
| 学歴 | 京都市立芸術大学美術学部卒業、同大学専攻科修了 |
| 分野 | 美術(セルフポートレイト写真、映像、パフォーマンス、文筆) |
| 傾向 | 名画や映画女優、歴史上の人物に扮する「自画像的作品」 |
| 師事した人物・影響を受けた人物 | 公式の略歴には記載がありません。作品の題材としては、ゴッホ、レンブラント、ベラスケスらの作品が繰り返し取り上げられています |
経歴と作品
大阪に生まれ、京都で学ぶ
森村泰昌は1951年、大阪市に生まれました。京都市立芸術大学の美術学部を卒業し、同じ大学の専攻科を修了しています。大阪で生まれ育ち、京都で学び、いまも大阪市に暮らして制作を続けています。現在の活動拠点も大阪で、個人の美術館「M@M(モリムラ@ミュージアム)」は大阪市住之江区の北加賀屋にあります。
1985年、ゴッホになる
森村の出発点は、1985年の《肖像(ゴッホ)》です。京都のギャラリー16で開かれたグループ展で発表されました。美術情報サイト「美術手帖」は、耳に包帯を巻いたゴッホの自画像に、1985年に初めて扮装した作品だと紹介しています。のちに2016年の国立国際美術館の個展では、この1985年の展覧会が再現され、artscapeは「伝説的な展覧会」と位置づけています。
画面を見てみましょう。橙色の背景の前に、頭から耳にかけて包帯を巻き、その上に黒く毛羽立った帽子をかぶった人物が、パイプをくわえてこちらを見ています。パイプからは細い煙が立ちのぼり、緑と青の筆づかいのような上着が体を包んでいます。誰もが一度は目にしたことのあるゴッホの自画像の構図が、写真のなかにそのまま立っています。ただしこれは絵画ではなく、写真です。


この《肖像(ゴッホ)》には、複数の所蔵館に同じ題の作品があります。大阪中之島美術館、国立国際美術館、高松市美術館、ポーラ美術館などです。兵庫県立美術館には、33.0×28.0cmの小さなサイズの版が収められています。所蔵館の記録では、大きさは120.0×100.0cm、136.0×121.0cmなど館ごとに異なります。
美術手帖によると、森村はこれまでにゴッホに由来する作品を6点手がけています。2025年にポーラ美術館で開かれた「ゴッホ・インパクト 生成する情熱」では、その6点が初めてそろって展示されました。同じ1985年の作品に、《肖像(カミーユ・ルラン)》があります。ゴッホ由来の作品として、この展覧会でも《肖像(ゴッホ[ベルギー版])》と並べて紹介されました。
《肖像(カミーユ・ルラン)》の画面は、青い帽子と緑の上着、黄色と橙の渦のような背景でできています。《肖像(ゴッホ)》とは、色調も人物の向きも違います。ゴッホという画家との対話が一度で終わらず、何度も続いていったことが、こうした作品の並びからわかります。

1985年のデビュー作を後世の私たちが読むときの手がかりは、画面の上手さよりも、「なぜ自分の顔で描くのか」という問いにあると考えます。名画の中の人物の顔を、自分の顔に置き換える。たったそれだけのことで、元の絵の見え方も、森村自身の見え方も変わります。この単純な仕掛けが、のちの数十年の作品のすべての土台になりました。
ヴェネツィア・ビエンナーレと「九つの顔」
1988年、森村はヴェネツィア・ビエンナーレのアペルト部門に選ばれ、作品を出品しました。日本人名大辞典は、このことを「昭和63年ベネチアビエンナーレ・アペルト部門に選ばれ出品」と記しています。美術手帖は、これを第43回ビエンナーレ(1988年)と記しています。この出品を機に、森村の名前は国際的な美術の場に知られていきます。
翌1989年には、レンブラントに着想した《九つの顔》を制作しました。9枚の自画像で構成される作品で、美術手帖は、この頃から写真に加えてデジタル画像処理も取り入れるようになったと伝えています。名画の人物を自分の顔に置き換えるという森村のつくり方は、ここでも貫かれています。
兵庫県立美術館には、この《肖像(九つの顔)》の習作(1989年)が複数所蔵されています。習作とは、完成作の前段階にあたる作品のことで、制作の過程をうかがう手がかりになります。
「美術史の娘」とマルガリータ王女
1989年から1990年にかけて、森村は「美術史の娘」と題したシリーズに取り組みました。大阪中之島美術館は、《美術史の娘(劇場A)》《美術史の娘(劇場B)》(ともに1989年)、《美術史の娘(王女A)》《美術史の娘(王女B)》(ともに1990年)を所蔵しています。資生堂ギャラリーの展覧会の概要には、「森村は1990年に「美術史の娘」のシリーズで、ベラスケスが描いたマルガリータ王女をもとにした作品を制作しました」とあります。
王女の作品を見てみましょう。灰みを帯びた淡い色の大きく広がったドレスに、赤いリボンと金色の袖。巻き毛の頭には赤いリボンが付き、背景には暗い色の壁と赤い大きな幕があります。ベラスケスの絵を知っている人には、ひと目で元の絵が浮かぶ構図です。それでも、そこにいるのは森村自身です。

ここから先は、私たち編集部の読み方です。元の絵に描かれた王女は、見られ、描かれる側の人物でした。その人物を、作り手が自分の体で演じ直すと、絵の中の人物は、描かれたままの姿から、作り手が動かせる登場人物に変わります。「美術史の娘」という題には、美術史を受け継いだ者として、その歴史のなかの人物をもう一度生きてみる、という意味合いも読み取れると考えます。
森村はのちに、このベラスケスにあらためて向き合います。2013年、資生堂ギャラリーで「森村泰昌展 ベラスケス頌:侍女たちは夜に甦る」(2013年9月28日〜12月25日)を開きました。ベラスケスの名画「ラス・メニーナス」をテーマにした写真作品17点を展示する、という内容でした。同じ画家に、20年以上の時を経て再び取り組んだことになります。
この時期の作品には、東京都現代美術館が所蔵する《批評とその愛人 A、B、C》(1990年)もあります。発色現像方式印画に透明メディウムを使った3点組で、各180×225cmという大きさです。作品の大きさも、森村の写真の見どころの一つです。
女優になった私(1996年)
1996年、横浜美術館で「森村泰昌展 美に至る病 女優になった私」が開かれました。artscapeの著者紹介は、この展覧会を主な国内個展の最初に挙げています。横浜美術館の所蔵品には、同じ年の《セルフポートレート(女優):赤いマリリン》《セルフポートレート(女優):ハラ・セツコとしての私》があります。後者は300×250cmという大きさです。
題材が、美術館に飾られた絵画から、映画の中の女優へと広がったことがわかります。名画のシリーズと女優のシリーズは、「誰かになって、自分を見つめ直す」という同じ問いの、別の入り口だったと考えます。
その後も、1998年には東京都現代美術館ほかで「森村泰昌展 [空想美術館] 絵画になった私」、2001年には原美術館で「私の中のフリーダ:森村泰昌のポートレイト」が開かれています。京都国立近代美術館には、1998年の作品《私の妹のために/シンディー・シャーマンに捧ぐ》も所蔵されています。
「まねぶ」という学び方(2010年〜2011年)
森村は文章の書き手でもあります。artscapeの著者紹介によると、近著として『全女優』(二玄社、2010年)、『まねぶ美術史』(赤々舎、2010年)、『露地庵先生のアンポン譚』(新潮社、2010年)、『対談 なにものかへのレクイエム 20世紀を思考する』(岩波書店、2011年)などがあり、のちに『自画像のゆくえ』(光文社新書、2019年)も刊行されました。
2011年には、広島県のふくやま美術館で「森村泰昌 モリエンナーレ/まねぶ美術史」(2011年4月16日〜6月12日)が開かれました。レオナルド・ダ・ヴィンチから岡本太郎、赤瀬川原平まで、さまざまな作家のスタイルを「まねぶ」森村の作品を、おもに高松市美術館の所蔵する元の作品とあわせて展示する内容でした。新作として、田中敦子の《電気服》へのオマージュ作品も含まれています。
ここでの「まねる」は、単に似せることではなく、他の作家のやり方を自分の体を通して理解する方法だと考えます。ふつうの鑑賞は、作品を目で見て終わります。森村の「まねぶ」は、描いた人と同じ位置に立ってみる鑑賞です。他の誰かの目で世界を見る練習として、こうした学び方は美術に限らずいろいろな仕事にも通じるでしょう。
2011年の受賞と紫綬褒章
2006年に最初に発表された「なにものかへのレクイエム」は、報道写真をテーマに20世紀の男たちに扮するシリーズで、2010年に東京都写真美術館で完全版が紹介されました。
2011年、森村は第52回毎日芸術賞、日本写真協会賞(作家賞)、第24回京都美術文化賞を受賞しました。毎日芸術賞は、同年の個展に対するものと日本人名大辞典に記されています。この年の秋には紫綬褒章も受章しています。それ以前にも、2003年に織部賞、2007年度に芸術選奨文部科学大臣賞を受けており、2011年の受賞は積み重ねの上にあったことがわかります。
ヨコハマトリエンナーレ2014の芸術監督
2012年12月18日、横浜トリエンナーレ組織委員会は、第5回展「ヨコハマトリエンナーレ2014」のアーティスティック・ディレクターに森村泰昌を迎えると発表しました。発表資料は、「2011年以降、日本人の意識が大きく変わったといわれるなか」、アーティストの柔軟な発想と視点こそが生き方や考え方を捉え直すヒントになるのではないか、という期待から森村に依頼した、と説明しています。
展覧会は2014年8月1日から11月3日まで、横浜美術館と新港ピアを主会場に、89日間開かれました。正式な題名は「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」です。森村自身が公式サイトに載せた文章は、このタイトルの由来を、レイ・ブラッドベリのSF小説『華氏451度』だと説明しています。本を読むことも持つことも禁じられた近未来社会を舞台にした小説で、森村はこの小説を「「忘却」の重みについてあらためて考えさせられる小説」と読みました。
森村が注目したのは、物語の後半に登場する「本になる人々」です。一人ひとりが一冊の本を選んでまるごと記憶し、焚書への抵抗として、本という物質を記憶という形のないものに置き換えます。その人たちは現実社会の表舞台に現れない「忘却の人々」になりますが、膨大な本の記憶がたまり込んでいるのは、まさにその人たちだ、というのが森村の読みです。
森村の文章は、「忘却」をこう定義します。「「忘却」とは、記憶されざる記憶がたまりこんだ、ブラックホールとしての記憶のことである」。そして「世界(宇宙)は、そのほとんどが「忘却」のブラックホール(あるいは、広大で奥深い海)によって満たされている」と続けます。私たちが「記憶している世界」のほうが、忘却の海に浮かぶ小さな島にすぎない、という見方です。そのうえで森村は、「忘れられた歴史(美術史)の掘り起こしや懐古趣味には無関係でありたいと願っている」と書いています。
展覧会は、観客が「忘却巡り」の旅に出る構成でした。公式サイトは、その旅の道筋を5つに分けて説明しています。

「沈黙とささやきの旅」は、黙っているものは情報化されずに忘れられていくので、耳をそばだてないと聞こえないささやきに目を向ける旅だと説明されています。「無用への旅」は、役に立たなければ廃棄され忘れられるものに、それでも光り輝く手だてがあり、その手だてが芸術なのだ、という考え方です。「恐るべき子供達に会いに行く旅」では、芸術家を「おとなになりそこねた子供」とみなし、人間の生まれいずる源へ帰る旅として位置づけています。最後は、「忘却の海に漂流する」旅です。
ディレクターのあいさつ文で、森村は「行き先は未知である。しかし横浜から舟は出港した」と書いています。作品を作る立場から、展覧会という一つの旅を設計する立場へ。この役割の変化には、森村が「自分の作品」だけでなく、「美術という場そのもの」を考え続けてきた姿勢が表れていると考えます。
世界の美術館へ(2013年〜2018年)
国外の展覧会も続きます。2013年から2014年にはアンディ・ウォーホル美術館(アメリカ)で個展が開かれました。2016年4月5日から6月19日には、国立国際美術館(大阪)で「森村泰昌 自画像の美術史 「私」と「わたし」が出会うとき」が開催されました。国立国際美術館は、地元・大阪の美術館では初めての大規模個展だとしています。

展覧会は2部構成でした。第1部は、これまで取り組んできた自画像の美術史の集大成ともいえる作品群、第2部は、森村の表現の新たな可能性を示す長編映像作品です。artscapeによると、作品は全部で134点でした。ゴッホに扮した出世作から始まり、レンブラントやベラスケスの作品へと続き、新作と未発表作品も含まれていたということです。同じ時期に、大阪市住之江区の名村造船所跡地で、関連展「森村泰昌アナザーミュージアム」も開かれました。
2017年1月31日から4月9日には、モスクワのプーシキン美術館で「Yasumasa Morimura. The History of the Self-Portrait」が開かれ、日本の美術館や作家自身のコレクションから80点を超える作品が並びました。主館の「イタリアン・コートヤード」には、「Faces of Rembrandt」の写真作品と「Los Nuevos Caprichos」の作品が展示されたと、同館の公式ページは伝えています。2018年にはニューヨークのジャパン・ソサエティでも個展が開かれています。
M@M、そして京都での大規模個展(2018年〜2022年)
2018年、森村は大阪の北加賀屋に個人の美術館「M@M(モリムラ@ミュージアム)」を開きました。作家が自分の名前を冠した美術館を、自分の手で運営する。作家が美術館を自分で運営する試みです。公式サイトによると、M@Mは「展覧会開催中のみ開館」し、ファンの会「もりみん」を「みんなでつくるモリムラ美術館」と呼んでいます。2026年10月時点で、次の展覧会を準備中で、2027年初春の開館予定とされています。
2022年3月12日から6月5日まで、京都市京セラ美術館の開館1周年記念展として「森村泰昌:ワタシの迷宮劇場」が開かれました。同館の発表資料は、35年にわたる活動を振り返る大規模な個展であり、1984年から撮りためた約800点のインスタント写真を、ほとんど公開してこなかった私的なコレクションとして初めて展示すると説明しています。また、1994年に自分で書いた小説を朗読したCD「Faces」の音声を、展示室の特別な音響空間で舞台劇として再現しました。写真だけでなく、声も自画像として扱ったことが特徴です。
展覧会は四つの章で構成されていました。公式のチラシは、「M式写真回廊」「声の劇場」「夢と記憶の広場」「衣装の隠れ家」の四つを挙げています。章の名前からも、会場全体が一つの迷宮を歩くような体験として意図されていたことがうかがえます。
同館は、森村の表現を、スマートフォンの普及で広がった「自撮り」に似ているものの、はっきり異なる面もある、と位置づけています。森村の作品には、自己への鋭いまなざしと、人が人生で引き受けうる複数の自分を肯定する力がある、という見方です。
2026年、旭日小綬章
2026年春、森村は旭日小綬章を受章しました。内閣府の令和8年春の叙勲受章者名簿(大阪府)にその名があり、M@Mの公式サイトも、受章を知らせる文章で「長年にわたる芸術活動と文化芸術への貢献が評価され、このたびの受章となりました」と伝えています。同じ文章は、1985年の《肖像(ゴッホ)》以来、セルフポートレイトという独自の表現を通じて、美術史や歴史、社会と向き合う作品を国内外で発表してきたことを紹介しています。
2026年10月時点で、森村の公式サイトの予定欄には、髙島屋史料館(大阪)で2026年10月10日から12月21日まで開かれる髙島屋195周年記念の展覧会に、「北野恒富・考」のシリーズが含まれることが載っています。そのほか、広島市現代美術館の「美術館の時間 チャプター2:時間の束」(2026年10月10日〜2027年1月24日)、バンコク・アート・ビエンナーレ2026(2026年10月29日〜2027年2月28日)なども予定欄に並んでいます。出品の詳細は各館の公式情報で確認してください。
森村作品を見るときの三つの手がかり
最後に、これまでの内容をふまえて、森村の作品を見るときの手がかりを三つ、編集部の考えとしてまとめます。
一つ目は、元になった絵や写真と見比べることです。森村の作品は、元の絵を知っているほど発見が増えます。帽子の形、背景の色、人物の向きが、どこまで元と同じで、どこが違うのか。違いの部分に、森村の問いが表れていると考えます。
二つ目は、画面の中の人物が誰を見ているかに注意することです。《肖像(ゴッホ)》の人物はこちらを見ており、《美術史の娘(王女A)》の人物も、観る人に向き合う構図で立っています。見られる側の人物が、見る側を見返している、という関係に目を向けると、自画像という形式の意味が見えてきます。
三つ目は、所蔵館の記録を手がかりにすることです。大阪中之島美術館、兵庫県立美術館、横浜美術館などの公式データベースには、制作年、技法、大きさが記されています。同じ題の作品でも、館によって大きさが違うことがあります。数字を確かめてから画面を見ると、作品の大きさを想像しながら見られます。
年表と所蔵館で見る代表作
ここまでの主な出来事を、年表にまとめます。
| 1951年 | 大阪市に生まれる |
| 1985年 | 京都のギャラリー16で《肖像(ゴッホ)》を発表 |
| 1988年 | ヴェネツィア・ビエンナーレのアペルト部門に選ばれる |
| 1989年 | 《九つの顔》を制作 |
| 1989年〜1990年 | 「美術史の娘」のシリーズを制作 |
| 1996年 | 横浜美術館で「美に至る病 女優になった私」 |
| 2001年 | 原美術館で「私の中のフリーダ」 |
| 2011年 | 毎日芸術賞、日本写真協会賞、京都美術文化賞を受賞。秋に紫綬褒章を受章 |
| 2014年 | ヨコハマトリエンナーレ2014の芸術監督 |
| 2016年 | 国立国際美術館で個展 |
| 2018年 | 大阪にM@Mを開く。ニューヨークのジャパン・ソサエティで個展 |
| 2022年 | 京都市京セラ美術館で「ワタシの迷宮劇場」 |
| 2026年 | 旭日小綬章を受章 |
作品は、各地の美術館が所蔵しています。本記事で取り上げた作品のうち、所蔵館の公式データで確認できたものを表にします。
| 作品名 | 制作年 | 所蔵館 |
| 肖像(ゴッホ) | 1985年 | 大阪中之島美術館、国立国際美術館、高松市美術館、ポーラ美術館ほか |
| 肖像(カミーユ・ルラン) | 1985年 | 大阪中之島美術館 |
| 美術史の娘(王女A) | 1990年 | 大阪中之島美術館 |
| 批評とその愛人 A、B、C | 1990年 | 東京都現代美術館 |
| セルフポートレート(女優):赤いマリリン | 1996年 | 横浜美術館 |
| 私の妹のために/シンディー・シャーマンに捧ぐ | 1998年 | 京都国立近代美術館 |
まとめ
いかがだったでしょうか。森村泰昌は、1985年にゴッホに扮した写真を発表して以来、名画、映画女優、20世紀の人物へと題材を広げながら、「自画像的作品」を作り続けてきた美術家です。ヴェネツィア・ビエンナーレへの出品、1996年の横浜美術館での個展、2014年のヨコハマトリエンナーレの芸術監督、2016年の国立国際美術館での集大成の個展、2018年の自分の美術館の開設と、活動の場を広げてきました。
一貫していたのは、「他の誰かになる」ことで、自分と世界の関係を見つめ直す姿勢です。そして、2011年の紫綬褒章、2026年の旭日小綬章という受章は、その長い歩みが、美術館や社会のなかで確かな評価を受けてきたことを示しています。名画の前に立ったとき、そこに自分がいたらどんな顔をしているか。そんな想像から、森村の作品をもう一度ご覧になってみてください。
Euphoric " " の視点
森村泰昌が芸術監督を務めたヨコハマトリエンナーレ2014の題名は、「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」でした。森村の文章は、私たちが「記憶している世界」のほうが、忘却の海に浮かぶ小さな島にすぎない、という見方を示しています。
旅の道筋には「沈黙とささやきの旅」と「無用への旅」がありました。黙っているものは情報化されずに忘れられていく。役に立たなければ廃棄され忘れられるものにも光り輝く手だてがあり、その手だてが芸術だ、という考え方です。森村は、「忘れられた歴史(美術史)の掘り起こしや懐古趣味には無関係でありたいと願っている」とも書いています。
すぐ役に立つものだけで世界を測ると、見えるのは小さな島だけなのかもしれません。過去を懐かしむためではなく、いまの耳でささやきを聞き取るために立ち止まる。森村が示した旅は、作品の前で過ごす時間を、その練習の場に変えてくれると考えます。
この作品を見に行くには
森村泰昌の作品や活動は、次のページで確認できます。展示替えや会期があるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。






