【徹底解説】高松次郎とは?〈影〉シリーズとハイレッド・センターで知られる美術家の人生と作品を解説!

【徹底解説】高松次郎とは?〈影〉シリーズとハイレッド・センターで知られる美術家の人生と作品を解説!
作品:『点(No.16)』(1961〜62年)(画像出典:国立国際美術館 NMAOサーチ。引用)

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こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。

皆さんは高松次郎という人物をご存知ですか?

1936年に東京で生まれ、1998年に亡くなった美術家です。光と物があってはじめて壁や画面に現れる「影」を主題にした〈影〉シリーズや、赤瀬川原平、中西夏之とともに結成した美術家集団「ハイレッド・センター」の活動で知られています。

高松の仕事は、点、紐、影、遠近法、単体、複合体、形と、時期によって見た目も素材も大きく変わります。そのため一見わかりにくい作家ですが、じっくり見ていくと「ものが見えるとはどういうことか」という問いが、どの作品にも通っていることがわかってきます。

本記事ではそんな高松次郎の人生と作品についてご紹介します。没後70年が経っていない作家のため、作品の画像は、所蔵館の公式サイトで公開されているものを、本文の解説に必要な範囲で「引用」として掲載しています。あわせて、図解と表で全体像を整理します。

高松次郎って?

基本情報

名前高松 次郎(たかまつ じろう/Jiro Takamatsu)。本名は新八郎
生年月日(没年月日)1936年2月20日〜1998年6月25日(62歳)
国籍・出身日本/東京生まれ
学歴東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻 卒業(1958年)
分野美術(絵画、立体、ドローイング、版画、写真、壁画、著述)
傾向〈点〉〈紐〉〈影〉〈遠近法〉〈単体〉〈複合体〉〈形〉など、複数のシリーズを並行して展開。視覚と物の存在、現実と認識のずれを扱う
師事した人物・影響を受けた人物在学中に小磯良平に学んだとされています(日本大百科全書)。そのほかは記録なし(公式の略歴では確認できませんでした)

同じように、同時代の日本の現代美術やデザインについては、以下の記事でもご紹介しています。あわせてご覧ください。

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高松次郎の歩みの流れ図。1936年に東京で生まれ、1958年に東京藝術大学を卒業、1963年にハイレッド・センターを結成、1964年に影の制作を開始、1968年にヴェネチア・ビエンナーレ日本館に出品。
図:高松次郎の歩み

どんな作家として知られているのか

高松次郎は、ひとつの画風を磨き続けた画家というより、考えを深めるために次々とシリーズを変えていった作家です。日本大百科全書は、高松が「自らの美術についての思考を継続的に深めていくため、常にいくつかのシリーズ作品を並行して制作・発表していた」と解説しています。点、紐、影、遠近法、波、弛み、単体、複合体といったシリーズ名が並ぶのは、そのためです。

国立国際美術館は、高松の仕事を「総じて現実の世界と視覚的認識のずれに関わる」ものと説明しています。たとえば影は、そこにあるはずの物が画面にはなく、影だけが描かれている状態です。遠近法を使った椅子とテーブルは、見慣れた形が少しおかしく見えます。私たちが「見えている」と思っている世界は、じつは見る側の仕組みに支えられている。高松の作品は、その当たり前を、ものと図形で確かめ直すように働きます。

高松の作品が「わかりにくい」と言われてきた理由も、東京国立近代美術館の展覧会解説に書かれています。高松の作品は時期によって見かけも素材もばらばらで、そのことが「高松次郎」というアーティストを少しわかりにくくしてきた、というのです。同じ解説は、そのうえで、ばらばらな作品を詳しく見ていくと、いくつかの形や考え方が繰り返し現れることに気づくと続けています。この記事も、その見方にならって、作品を時代順にたどりながら、繰り返し出てくる考え方に目を向けていきます。

経歴と作品

東京に生まれ、藝大で油画を学ぶ(1936年〜1958年)

高松次郎は1936年(昭和11年)2月20日、東京に生まれました。東京国立近代美術館の年譜は、1958年に東京藝術大学を卒業したと記しています。専攻は美術学部絵画科の油画です。

卒業後は、会社に勤めながら制作を続けました。日本大百科全書によれば、読売アンデパンダン展で作品を発表しています。東京国立近代美術館の年譜では、1958年に「第10回読売アンデパンダン展」に出品し、以後、1959年、1961年、1962年、1963年にも参加したとされています。

国立国際美術館の解説では、1961年から同展で作品を発表したとあり、ここは資料によって書き方が少し異なります。本記事では、東京国立近代美術館の年譜に従い、1958年の出品から数えます。

この時期の高松の作品として、東京国立近代美術館の展覧会で《不安な英雄》(1960年、水彩・墨、紙、三鷹市美術ギャラリー所蔵)と《誕生》(1960年、水彩、紙)が展示されています。いずれも1960年の作品で、〈点〉に先立つ初期の仕事にあたります。

〈点〉と〈紐〉:絵画をほどいていく(1961年〜1963年)

高松次郎の最初の大きなシリーズが〈点〉です。日本大百科全書は、ドローイングの「点」を1961年から1964年、造形作品の「紐」を1962年と位置づけています。東京国立近代美術館の展覧会では、この2つを「ハイレッド・センターの活動と並行して制作された初期のシリーズ」として、1960年から1963年の章で紹介しました。

日本大百科全書は、高松の関心を、平らな絵画に別の次元を持ち込むことだったと説明しています。絵画は二次元ですが、そこに一次元の「点」や三次元のもの、さらに時間を思わせる要素をぶつけ、四次元まで想像させるような作品を、高松は続けてつくったというのです。「紐」はその例で、長くのばせば線のように街を横切り、丸めればかたまりとして立ち上がります。

国立国際美術館が所蔵する《点(No.16)》は、1961年から62年にかけての作品です。紐、ラッカー、木板という素材で作られ、サイズは縦22.0センチ、横27.3センチ、厚さ1.2センチと、手のひらに収まるほどの小ささです。白い地に黒いラッカーが丸く広がり、その表面を紐がうねっています。右の端では、細い線が画面の外へのびていくように見えます。絵の具で描く絵画と、紐という日用品の素材が、ひとつの画面に同居しています。

黒いラッカーが白い地の中央に丸く広がり、その表面を細い紐が幾重にもうねっている小さな作品。右の縁から細い線が画面の外へのびている。
高松次郎『点(No.16)』(1961〜62年)、紐、ラッカー、木板、22.0×27.3×1.2cm、所蔵:国立国際美術館。画像出典:国立国際美術館 NMAOサーチ(引用)。© The Estate of Jiro Takamatsu / Courtesy of Yumiko Chiba Associates

展覧会の出品リストには、ほかにも《点》と題された作品が複数並びます。油彩・キャンバスのもの、布とラッカーを板に載せたもの、針金とラッカーで作られたものなど、素材は一定しません。〈点〉は、ひとつの様式の名前ではなく、考え方につけられた名前だったことがうかがえます。1963年の《瓶の紐》(1985年再制作)と《脚立の紐》は、紐を瓶や脚立と組み合わせた作品です。

ハイレッド・センターの時代(1963年〜1964年)

高松次郎の名前を、まずこの集団で知った人も多いかもしれません。1963年、高松は赤瀬川原平、中西夏之とともに美術家集団「ハイレッド・センター」を結成します。結成の年は、資料によって1962年とするものと1963年とするものがあります。本記事では東京国立近代美術館の年譜に従い、1963年とします。国立国際美術館の解説は1962年の結成としています。一方、日本大百科全書は、1962年に山手線の車内やホームで中西夏之らとハプニングを行い、63年にハイレッド・センターを結成した、と書いています。結成の前から、街なかでの活動は始まっていたことになります。

ニューヨーク近代美術館(MoMA)は、ハイレッド・センターを1963年から1964年にかけて活動した集団で、3人の主要メンバーに加えて、ほかの関係者もいたと紹介しています。赤い感嘆符をロゴに用い、美術を制度や商業の場から、日常の活動の場へ引き出そうとしたとされています。

代表的な活動のひとつが、1964年1月に東京の帝国ホテルで開かれた、招待制の催し「シェルター・プラン(Shelter Plan)」です。東京国立近代美術館には、このときの招待状や領収書などの資料が所蔵されています。1963年の「第5次ミキサー計画(5th Mixer Plan)」にまつわるポスターや招待状も、同じ館のコレクションに入っています。

ここで注目したいのは、この集団が「作品」だけでなく、招待状、名刺、報告書といった紙ものまで含めて活動を組み立てていたことです。展覧会という既存の形式の外側で、美術がどこまで広がるかを試した、と言えるかもしれません。一方で、高松は同じ時期に、ひとりの作家としては〈影〉という静かな主題に向かっていきます。外へ向かう活動と、内へ潜る制作が並行していた点は、高松を理解するうえで大切な手がかりだと考えます。

ハイレッド・センターの要点を示す3つのカード。高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之の3人が主要メンバー、赤い感嘆符をロゴにして1963年から1964年に活動、美術を日常の場へ引き出そうとした。
図:ハイレッド・センターの要点

〈影〉:描かれたのは「いない人」の気配(1964年〜)

高松次郎の代表作として、まず名前が挙がるのが〈影〉シリーズです。東京国立近代美術館の年譜は、1964年に〈影〉の作品の制作を開始したと記しています。国立国際美術館は、1999年に開いた展覧会の解説で、〈影〉を「高松にとって格別の思い入れがあるシリーズだったようである」と述べています。何度も繰り返して制作されたこと、亡くなる直前にも〈影〉の新作を発表したことから、それがうかがえる、という理由です。

日本大百科全書は、〈影〉を物理的な視点から説明しています。影は光と物がそろってはじめて現れ、しかも二次元の平面にとどまるものだ、というのです。影は、そこにいる人や物そのものではありません。けれども、影があるということは、どこかに光があり、物や人がいたことを示します。国立国際美術館の解説は、高松の〈影〉を、実在するものを越えて「不在性」を探求したものとし、いまの若い美術家たちにも大きな刺激を与えたと記しています。

東京国立近代美術館の「高松次郎ミステリーズ」展には、《影(母子)》(1964年、油彩・板、滋賀県立近代美術館所蔵)、《影の圧搾》(1965年、ラッカー・キャンバス、高松市美術館所蔵)、《カーテンをあけた女の影》(1965年、油彩・布・木・鏡・石膏・キャンバス)などが並びました。《カーテンをあけた女の影》には、絵の具だけでなく、布、木、鏡、石膏といった素材が使われています。影を描くはずの絵に、本物の布や鏡が入り込んでいる。平面と立体、描かれたものと実物の境目をゆさぶる仕掛けだと読めます。

同じ展覧会には、〈影〉の仕組みを体験できる「影ラボ」が設けられました。東京国立近代美術館の解説によれば、高松の制作原理を体験できる場所で、ここだけは写真撮影もできるコーナーでした。難しい理屈を読む前に、影が生まれる仕組みを体で確かめてもらおう、という工夫です。

国立国際美術館には、1977年に制作された大きな壁画《影》(アクリル、カンバス、縦300.0センチ、横1245.0センチ)があります。広い空間に円筒形の白い壁面が据えられ、その面に、人の姿の影が並んでいます。左には電話をかけるような仕草の女性の影、右には向かい合って話すような男性ふたりの影が見えます。人の姿はなく、影だけが壁に残っている。そこに「いない人」の気配だけが立ち上がります。

広い空間に据えられた円筒形の白い壁面に、人の姿の影だけが並ぶ壁画。左に電話をかけるような女性、右に向かい合う男性ふたりの影が見える。
高松次郎『影』(1977年)、アクリル、カンバス、300.0×1245.0cm、所蔵:国立国際美術館。画像出典:国立国際美術館 NMAOサーチ(引用)。© The Estate of Jiro Takamatsu / Courtesy of Yumiko Chiba Associates
影が成り立つ条件を示す流れ図。光があること、物があること、この二つがそろってはじめて、二次元の平面にすぎない影が現れる、という3つの段階。
図:〈影〉が成り立つ条件

カッサドールの壁画とヴェネチア(1967年〜1968年)

1960年代半ばから、高松は国内外で注目を集めはじめます。国立国際美術館の解説によれば、60年代中頃からは国内の美術展で受賞を繰り返し、国外でもヴェネチア・ビエンナーレ(1968年)とドクメンタ(1977年)で、日本を代表する美術家として紹介されました。

1967年には、東京・新宿のサパークラブ「カッサドール」に〈影〉の壁画を制作しています。東京国立近代美術館の年譜は、この店のインテリアデザインを倉俣史朗が手がけたと記しています。美術館の外、商業空間の壁に、影の絵が描かれたわけです。街へ出ていくハイレッド・センター的な感覚が、ここにも通じているように見えます。倉俣史朗については、別の記事でも詳しく紹介しています。

1968年には、第34回ヴェネチア・ビエンナーレの日本館に出品しました。日本大百科全書は、64年以降、国内の現代美術展やパリ・ビエンナーレ(1967年)、ヴェネチア・ビエンナーレ(1968年)などで受賞が相次ぎ、その名が内外に知られるようになったと記しています。20世紀日本人名事典は、受賞歴として、シェル美術賞(第9回、1965年)、芸術選奨文部大臣新人賞(1968年)、ヴェネチア・ビエンナーレ展での受賞(1968年)、東京国際版画ビエンナーレ展の国際大賞(1972年)を挙げています。

この頃、高松は国際的な舞台と、日本の街なかの壁面という、ずいぶん離れた場所で同時に仕事をしていました。〈影〉というシリーズが、美術館にも店の壁にも置ける、柔軟な考え方だったことがうかがえます。

〈遠近法〉〈波〉〈弛み〉:見え方そのものを作品にする(1966年〜1972年)

〈影〉と並んで高松が展開したのが、〈遠近法〉シリーズです。日本大百科全書は、立体作品の「遠近法」を1966年から71年のシリーズとして挙げ、遠近法を「奥行きのある三次元の風景を二次元に変換する描法」と説明しています。絵画が世界を画面に写すときに使う方法そのものを、作品の主題にしたわけです。

東京国立近代美術館に所蔵される《遠近法の椅子とテーブル》(1966年、ラッカー・木)は、その代表例です。展覧会の紹介文が「おかしな遠近法の椅子やテーブル」と呼んだ作品群の代表的な1点です。同じ時期のドローイングも残っています。国立国際美術館が所蔵する《遠近法》(1966年、ペン、ケント紙)には、奥へ向かって細くなる箱や、床のマス目に並ぶ人の形、斜めに置かれたテーブルとカップなどが、ペンの細い線で描かれています。ひとつの紙の上に、遠近法の実験が次々と並んでいるような画面です。

奥へ向かって細くなる箱、床のマス目に並ぶ人の形、斜めに置かれたテーブルとカップなどを、細いペンの線で描いたドローイング。
高松次郎『遠近法』(1966年)、ペン、ケント紙、39.5×27.2cm、所蔵:国立国際美術館。画像出典:国立国際美術館 NMAOサーチ(引用)。© The Estate of Jiro Takamatsu / Courtesy of Yumiko Chiba Associates
高松次郎のシリーズを説明する4つのカード。紐は長く伸び丸めれば立体にもなる、影は光と物がなければ成り立たない、遠近法は三次元を二次元に変換する描法、単体は石の上面だけを削り破片を乗せる。
図:シリーズごとの考え方

1968年からは〈波〉と〈弛み〉のシリーズが始まります。日本大百科全書は、絵画の「波」を1968年から75年、造形作品の「弛み」を1968年から72年としています。東京国立近代美術館の出品リストには、木にラッカーで作られた《波》《波の柱》(ともに1968年、国立国際美術館所蔵)、木綿紐による《ネットの弛み》(1968〜69年)、帆布による《布の弛み》(1969年、埼玉県立近代美術館所蔵)などがあります。たるんだ布や紐そのものが、作品になっています。

国立国際美術館の1980年の展覧会解説は、この頃までの高松の創作を、「不在性」の観念を原理にして、あらゆる既成概念に挑戦し、それを超えた作品をめざしたものと整理しています。影、遠近法、波、弛みはいずれも、そこにあるはずのものが見えない、あるいは見え方がずれる、という状態を扱っていると読めます。

〈単体〉と〈複合体〉:ものそのものへ(1969年〜1976年)

1968年の〈弛み〉の発表を境に、高松の考えは新しい段階に入ります。国立国際美術館の1980年の展覧会解説は、〈弛み〉を発表した直後を境として、高松が「新たな創作原理」にとりつかれたと述べます。それが〈単体〉〈複合体〉のシリーズであり、「日本語の文字」「英語の単語」「題名」の発表でした。解説によれば、初期から68年頃までは不在性の観念を創作の原理としていましたが、この時期から、その観念は、物質のある状態と人間との関係を提示する方向に向かっていきました。

日本大百科全書は、木や石に手を加えた作品を「単体」(1969〜72年)と位置づけています。例に挙がるのは、四角い石の上面だけを削り、出た破片をその上に載せた作品です。石がそこにあるという事実と、目と脳でとらえた印象とのあいだにずれが生じる、と同事典は説明します。高松はそのずれを表現として差し出し、ものと人間の関係を問い直した、というのです。

東京国立近代美術館の展覧会には、《木の単体》(1970年)、《杉の単体》(1970年)、《黒御影石の単体》(1971年)、《レンガの単体》(1971年)といった作品が出品されました。名前の通り、素材そのものを前面に出した作品が並びます。国立国際美術館が所蔵する《紙の単体》(1971年、紙、布、縦136.0センチ、横91.0センチ)は、暗い色の不ぞろいな形の断片が、画面いっぱいに敷き詰められています。断片のすき間から、ところどころ白い地がのぞきます。

暗い色の不ぞろいな形の断片が画面いっぱいに敷き詰められ、すき間からところどころ白い地がのぞいている縦長の作品。
高松次郎『紙の単体』(1971年)、紙、布、136.0×91.0cm、所蔵:国立国際美術館。画像出典:国立国際美術館 NMAOサーチ(引用)。© The Estate of Jiro Takamatsu / Courtesy of Yumiko Chiba Associates

1972年には〈複合体〉のシリーズが続きます。《複合体(椅子とレンガ)》(1972年)は、その名のとおり椅子とレンガを組み合わせた作品です。また同じ1972年には、写真を撮影した写真を作品とした《写真の写真》も、展覧会に出品されています。1969年の《石と数字》は、石、図面、写真という素材で作られています。この頃の高松は、物と言葉、物と写真、物と図面といった、複数の表現を組み合わせて、ものの見え方を問い続けていました。

創作原理の変化を示す比較表。1968年頃までは不在性の観念を原理に影や遠近法などを発表、弛みの発表後は物質のある状態と人間との関係を示す単体や複合体などを発表。
図:1968年を境にした考え方

万博から海外の大型展へ(1970年〜1980年)

1970年代、高松は大きな舞台に次々と立ちます。東京国立近代美術館の年譜によれば、1970年には、日本万国博覧会の日曜広場に《遠近法の日曜広場》を設置しました。同じ年、第10回日本国際美術展「人間と物質」(東京都美術館ほか)に出品し、「1970年8月:現代美術の一断面」展(東京国立近代美術館)にも出品しています。

1972年には、第8回東京国際版画ビエンナーレに《THE STORY》を出品し、国際大賞を受賞しました。《THE STORY》は、東京国立近代美術館の収蔵品リストでは、タイプ打ち原稿をコピーした作品とされています。版画の国際展で、タイプ原稿という文字の作品が国際大賞を受けたことになります。

1977年には、ドイツのカッセルで開かれた第6回ドクメンタに出品し、同じ年、国立国際美術館(大阪)に〈影〉の壁画を制作しました。先に紹介した《影》(1977年)が、この壁画です。1980年には、国立国際美術館が「現代の作家2 高松次郎・元永定正」展を開きました。館の記録によれば、2月8日のオープンに際して、高松は1,000メートルの黒い紐がギャラリーから屋外へ延びていくイベントを行っています。〈紐〉の発想は、1980年のこのイベントにも現れています。

この時期の高松は、版画、壁画、立体、文字、イベントと、表現の形を自在に変えながら、どの場所でも「見る」ことへの問いを手放しませんでした。

絵画への回帰:〈平面上の空間〉と〈形〉(1970年代後半〜1990年代)

東京国立近代美術館の展覧会の最終章は、「それは『絵画』ではなかった」と題されています。解説によれば、70年代後半、高松は「絵画」に回帰します。ただし、それは一般に言う「絵画」とはかなり異なる考え方に基づくものでした。国立国際美術館の1980年の解説は、〈平面上の空間〉を1973年に始まるシリーズとし、のちに〈柱と空間〉として立体化されたと記しています。

国立国際美術館が所蔵する《形 No.1202》(1987年、油彩、カンバス、縦205.0センチ、横291.0センチ)は、この時期の大作です。青緑の地の上に、濃い青、水色、白、ピンク、オレンジの線が幾重にも重なり、うねりながら画面を覆っています。ところどころに青い塊が浮かび、全体が水面の揺れのようにも見えます。具体的な何かを描いた絵ではなく、色と線そのものが主役になっている画面です。

青緑の地の上に、濃い青、水色、白、ピンク、オレンジの線が幾重にも重なってうねり、ところどころに青い塊が浮かぶ横長の油彩画。
高松次郎『形 No.1202』(1987年)、油彩、カンバス、205.0×291.0cm、所蔵:国立国際美術館。画像出典:国立国際美術館 NMAOサーチ(引用)。© The Estate of Jiro Takamatsu / Courtesy of Yumiko Chiba Associates

晩年の作品として、同じ館に《形/原始 No.1382》(1995年、油彩、カンバス、縦205.0センチ、横291.0センチ)があります。ピンクや赤、オレンジの激しい筆致の中央に、大きな黒緑色の形が広がり、下の両隅には青い形がのぞきます。同館には〈形/原始〉の連作が、1995年から96年の作品として複数所蔵されています。

ピンクと赤、オレンジの激しい筆致の画面の中央に、大きな黒緑色の形が広がり、下の両隅に青い形がのぞく横長の油彩画。
高松次郎『形/原始 No.1382』(1995年)、油彩、カンバス、205.0×291.0cm、所蔵:国立国際美術館。画像出典:国立国際美術館 NMAOサーチ(引用)。© The Estate of Jiro Takamatsu / Courtesy of Yumiko Chiba Associates

国立国際美術館の解説は、高松の作品を〈点〉〈紐〉〈影〉〈遠近法〉〈波〉〈単体〉〈複合体〉〈熱帯〉〈原始〉など数多くのシリーズから成り立つものと整理しています。〈原始〉は、最晩年に近いシリーズのひとつです。東京国立近代美術館の展覧会では、最晩年の知られざるシリーズ〈異食材〉も、まとまって公開されました。

1989年には、名古屋駅の地下に壁画《イメージスペース・名古屋駅の人々》を制作し、1996年には個展「高松次郎の現在」(新潟市美術館、三鷹市美術ギャラリー)が開かれました。そして1998年6月25日、62歳で亡くなりました。

著述家としての高松次郎

高松は、作品だけでなく言葉でも、日本の現代美術に影響を与えました。国立国際美術館は、高松を「1960年代から70年代にかけて、作品はいうにおよばず言説においても我が国の現代美術をリードした重要な美術家」と紹介しています。20世紀日本人名事典には、著書として『芸術についての五つの断章』が挙がります。

国立国際美術館の2015年の展覧会解説によれば、2000年頃からは、全ドローイング集と著述集も出版されました。1999年の同館の展覧会カタログには、高松自身の文章「影のシリーズについて:いまの時点から」と、李禹煥による「認識から知覚へ:高松次郎論」が収められています。李禹煥については、別の記事でも詳しく紹介しています。

没後の再評価(1999年〜2015年)

没後、高松の仕事は何度も回顧されてきました。1999年には、国立国際美術館が「高松次郎:〈影〉の絵画とドローイング」展を開催しました。館の記録によれば、没後、日本の美術館で初めて開かれた回顧展で、当館所蔵の大作を含めて絵画約30点、ドローイングと資料約100点が出品されました。2000年には千葉市美術館で「高松次郎:1970年代の立体を中心に」展が開かれています(日本大百科全書)。

2014年12月から2015年3月には、東京国立近代美術館が「高松次郎ミステリーズ」展を開きました。約50点のオブジェや彫刻、絵画と、約150点の関連ドローイングを展示し、初期、中期、後期の3章を、3人のキュレーター(桝田倫広、蔵屋美香、保坂健二朗)がそれぞれ担当しました。会場構成はトラフ建築設計事務所、グラフィックデザインは菊地敦己です。

続く2015年4月から7月には、国立国際美術館が「高松次郎 制作の軌跡」展を開催しました。絵画、立体作品、版画約90点、ドローイング約280点、書籍・雑誌・絵本約40点、記録写真約40点を、ほぼ1年ごとの推移として並べる構成でした。館の解説は、近年、高松の実像が急速に明らかになってきたと述べています。

主なシリーズ一覧

ここまで紹介してきたシリーズを、日本大百科全書の記述にもとづいて表にまとめます。年は同事典が示す発表時期で、作品によって前後することがあります。

シリーズ形式発表時期
点ドローイング1961年〜1964年
紐造形作品1962年
影絵画1964年〜
遠近法立体作品1966年〜1971年
波絵画1968年〜1975年
弛み造形作品1968年〜1972年
石と数字立体作品1968年〜1970年
単体木や石の一部を加工した作品1969年〜1972年
複合体立体作品1972年
平面上の空間絵画1973年〜

まとめ

いかがだったでしょうか。高松次郎は、1936年に東京で生まれ、1998年に亡くなるまで、見るという行為そのものを作品にし続けた美術家です。ハイレッド・センターで街へ出ていった時期も、〈影〉で壁の上に「いない人」の気配をつくった時期も、〈単体〉でものそのものに向き合った時期も、問いは一貫していました。

点、紐、影、遠近法、単体、複合体、形と、シリーズごとに見た目は大きく変わります。けれども、国立国際美術館が言うように、「現実の世界と視覚的認識のずれ」という軸をたどると、ばらばらに見えた作品がひとつながりに見えてきます。

国立国際美術館には、〈影〉の壁画をはじめ、〈点〉、〈形〉、〈原始〉の作品が収蔵されています。気になった作品があれば、ぜひ館の公式サイトで所蔵情報を確かめ、実際の作品の前に立ってみてください。

Euphoric " " の視点

「高松次郎ミステリーズ」展には、「影ラボ」というコーナーが設けられました。東京国立近代美術館の解説によれば、高松の制作原理を体験できる場所で、ここだけは写真撮影もできるコーナーでした。

作品を鑑賞するだけでなく、制作原理を体験できる。これは、高松の仕事の性質をよく表していると考えます。日本大百科全書が説明するように、影は光と物がそろってはじめて現れます。その条件は、展示室の外にもそろうものだと考えます。1980年には、1,000メートルの黒い紐がギャラリーから屋外へ延びていくイベントも行われました。作品の考え方が、展示室の外へ持ち出せることを示していたのかもしれません。

高松の作品は、一点の絵として眺めて終わるものではなく、見る人が持ち帰れる「見方」でもあると考えます。美術館を出たあと、壁に落ちる自分の影に少し目をとめてみる。それだけで、高松の問いの入口に立てると考えます。

この作品を見に行くには

記事で紹介した国立国際美術館の所蔵作品は、同館の所蔵作品検索で情報を確認できます。展示されているかどうかは時期によって変わるため、お出かけの前に公式サイトで最新の状況をご確認ください。

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