【徹底解説】坂茂とは?紙管と木の建築で知られる建築家の人生と作品を解説!

【徹底解説】坂茂とは?紙管と木の建築で知られる建築家の人生と作品を解説!
画像:Euphoric " " 編集部作成(作品画像は使用していません)

アートコンサルティング

こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。

皆さんは坂茂という人物をご存知ですか?

坂茂(ばん・しげる)は、1957年に東京で生まれた建築家です。再生紙でつくった筒(紙管)を柱や壁に使う独自の構造を開発し、のちにはフランスのポンピドゥー・センター・メス、静岡県の富士山世界遺産センター、大分県立美術館のように、木を大きく使った美術館や公共建築も数多く手がけてきました。2014年にはプリツカー建築賞を受けています。

本記事ではそんな坂茂の人生と作品についてご紹介します。坂茂は2026年10月時点で活動を続けている建築家です。肩書や受賞歴は、ご本人の事務所の公式プロフィールと各賞の公式ページで確認できたものだけを書いています。作品の写真は、撮影者がライセンスを明示した建物の外観に限って掲載し、そのほかは図解と表で構成しました。本記事では、2回目以降は「坂」と呼びます。

坂茂って?

坂は、東京で独立してから40年以上にわたり、紙管、木材、船の輸送用コンテナなど、身近で手に入りやすい材料を構造そのものに使う建築を考え続けてきた人です。事務所は東京、パリ、ニューヨークに置かれています。美術館や劇場のような大きな建物から住宅まで手がける一方で、仕事の一部は、紙管などを使った仮設の建築を、ボランティアの仕組みで各地に建てる活動にも向けられています。

基本情報

本名坂 茂(ばん しげる/Shigeru Ban)
生年月日(没年月日)1957年8月5日(存命。2026年10月時点で69歳)
国籍・出身日本/東京都
学歴南カリフォルニア建築大学(SCI-Arc、1978〜80年在学)、クーパー・ユニオン建築学部(1980〜82年在学。のち復学し、1984年に建築学士)
分野建築
傾向紙管、木材、コンテナなどの身近な材料による構造の開発。美術館などの公共建築と、ボランティア団体VANでの活動
師事した人物・影響を受けた人物ジョン・ヘイダック(クーパー・ユニオンで教えを受けた教師の一人)、アルヴァ・アアルト(好きな建築家として本人が挙げている)、フライ・オットー(2000年のハノーバー国際博覧会日本館で協働した構造家)。磯崎新のアトリエに1982〜83年に勤務

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経歴と作品

大工にあこがれた少年

プリツカー建築賞の公式サイトによると、坂は幼いころ、自宅の木造家屋を直しに来る大工の仕事に魅せられました。道具も、組み立ての手順も、木の匂いも、坂には魔法のように見えたといいます。捨てられた木片を拾って小さな模型をつくり、大工になりたいと思うようになりました。

図画工作が得意だった坂が、課題で設計した家の模型は、学校で一番の出来として展示されました。この出来事が、建築家を目指すきっかけになったとされています。なお、プリツカー建築賞の公式サイトは、この出来事の時期を、中学3年(9年生)の夏休みと書くページと、11歳のときと書くページに分けて載せています。学年が一致しないため、本記事では時期を書きません。

世界文化賞(高松宮殿下記念世界文化賞)の公式紹介ページは、子どものころの坂は建築家が何をする人かを知らず、建物はすべて大工がつくるものだと思っていた、と本人が振り返っていることを記しています。木という材料への関心は、のちの仕事にも続いていると同ページは述べています。

一方で、坂は10歳からラグビーを続けていました。プリツカー建築賞の公式サイトによると、中学のときに東京の選抜チームに選ばれ、高校では正選手として全国大会にも出場しています。ラグビーも建築も続けたいと考えて早稲田大学を志望し、日曜ごとに画家のアトリエで絵を習い、のちには毎日デッサンの学校に通いました。その後、東京藝術大学で建築を学ぶことに進路を改め、受験のための夜間の予備校で、紙、木、竹を使った構造模型のつくり方を初めて学びました。

アメリカへ:SCI-Arcとクーパー・ユニオン

予備校の先生の家で、坂は一つの記事に出会います。クーパー・ユニオン建築学部の当時の学部長で、「ペーパー・アーキテクト」と呼ばれたジョン・ヘイダックの記事でした。建てられなかった建物の模型や図面を見た体験は革命的だったと、プリツカー建築賞の公式サイトは記しています。坂はクーパー・ユニオンで建築を学ぶことを決めました。

1977年、坂は英語を学ぶためカリフォルニアに渡ります。ところがクーパー・ユニオンは、海外からの入学を受け入れず、国内の他校からの編入生しか受け付けていませんでした。そこで坂は、編入の足がかりとなる学校として、開校して間もない南カリフォルニア建築大学(SCI-Arc)を選びます。創設者の建築家レイモンド・カッペが面接をし、英語が十分に話せなかった坂のポートフォリオを見て、2年生としての入学を認めたといいます。

ご本人の事務所の公式年譜では、坂は1978年から80年までSCI-Arcに、1980年から82年までクーパー・ユニオンに在学しています。1982年から83年にかけては、東京の磯崎新のアトリエで働きました。その後クーパー・ユニオンに戻り、1984年に建築学士を得ています。クーパー・ユニオンでは、リカルド・スコフィディオ、トッド・ウィリアムズ、ベルナール・チュミ、ピーター・アイゼンマン、そしてヘイダックらに学びました。同級生には、のちにニューヨーク事務所のパートナーとなるディーン・マルツがいました。

卒業後、坂は写真家に同行してヨーロッパを旅し、フィンランドでアルヴァ・アアルトの建築を初めて見ました。地域の風土と材料を大切にするアアルトの建築に、坂は強い衝撃を受けたと、プリツカー建築賞の公式サイトは記しています。

1985年の独立と、紙管との出会い

1985年、坂は実務の経験がないまま、東京で自分の事務所を開きました。同じころ、坂はAxisギャラリー(東京)のキュレーターとして、エミリオ・アンバース展、アルヴァ・アアルト展、ジュディス・ターナー展の企画と会場設計を行っています(1985〜86年)。紙管の構造を初めて実際につくったのは、このうちのアアルト展でした。

世界文化賞の公式紹介ページによると、きっかけは次のとおりです。坂は、アアルトがよく使った木を会場に使いたいと考えました。ところが予算に限りがあり、仮設の展覧会に貴重な木を使うことにもためらいがありました。代わりの材料を探すなかで、坂は事務所にあった、ファクスやトレーシングペーパーのロールの芯の紙管に目を留めます。これが、紙管で構造をつくる試みの出発点になりました。

アアルト展の会場設計で木を使いたいと考えた坂茂が、予算と仮設であることを理由に別の材料を探し、事務所のロールの芯の紙管に行き着いて構造に使うまでの流れを四段階で示した図
図:アアルト展から、紙管の構造が生まれるまで

プリツカー建築賞の公式サイトは、坂が仮設の建築などに紙管を使う理由として、いくつかの利点を挙げています。現地で手に入ること、安価であること、運搬も組み立ても解体もしやすいこと、防水や防火の処理ができること、そして再生できることです。

紙管を使う利点として、現地で手に入ること、安価であること、運搬と組み立てと解体がしやすいこと、防水と防火の処理ができて再生できることを四つのカードで示した図
図:紙管を使う利点(プリツカー建築賞の公式サイトによる)

同サイトによると、坂は、日本で育ったことが、材料を無駄にしたくないという自分の気持ちの説明になる、と述べています。また、環境にやさしい建築と呼ばれることについて、30年近く前にこの方法を始めたころは環境のことを話す人はいなかった、自分は低コストで地域のもので再利用できる材料にずっと関心があった、と語っています。

1995年には、坂が進めてきた紙管構造の開発が、当時の建設大臣から恒久建築としての認定を受けました。坂はこの年に「紙の家」を完成させています。さらに2000年には、ドイツの建築家で構造家のフライ・オットーと協働し、ハノーバー国際博覧会の日本館に、紙管でつくった巨大なグリッドシェル(格子状の曲面構造)を建てました。再生できる建築として、世界の注目を集めたと、プリツカー建築賞の公式サイトは記しています。このハノーバー国際博覧会のテーマは「環境」でした。世界文化賞の公式紹介ページによると、坂はオットーを、少ない材料とエネルギーで最大の空間をつくる能力を持つ人として敬っていたといいます。この協働は大きな成功となり、坂の構造の技術をさらに磨いたと、同ページは記しています。

住宅の実験:ケーススタディのシリーズ

紙管の構造を開発しながら、坂は一連の住宅を、ケーススタディとして次々に設計しました。プリツカー建築賞の公式サイトは、その名前として、PC Pile House、House of Double-Roof、Furniture House、Curtain Wall House、2/5 House、Wall-Less House、Naked Houseを挙げています。ご本人の事務所の公式サイトでは、このうちのFurniture Houseが「家具の家」と表記されています。

審査員の講評が特に取り上げたのは、Naked House(2000年、埼玉県)とCurtain Wall House(1995年、東京)です。Naked Houseでは、外壁を透明な波板プラスチックで覆い、内側には白いアクリルの板を木の骨組みに張りました。半透明の板が重なって、障子越しの光を思わせる、と公式サイトは述べています。施主が家族の誰も孤立しないことを望んだため、家は2層吹き抜けの一つの大きな空間になり、キャスター付きの4つの個室を自由に動かせます。Curtain Wall Houseでは、周囲に2層分の高さの白いカーテンを下げ、開ければ外が流れ込み、閉じればこもった空間になります。

こうした住宅について、プリツカー建築賞の講評は、伝統的な部屋の考え方、ひいては家での暮らしそのものを問い直した作品として評価しています。身近な材料を無理なく使い、快適さと光の質を両立させている、というのが講評の見方です。

コンテナと木へ:材料の広がり

坂の材料は、紙管だけではありません。プリツカー建築賞の公式サイトによると、ノマディック美術館(2005年ニューヨーク、2006年サンタモニカ、2007年東京)では、輸送用コンテナを既成の部材として組み合わせて建物をつくりました。東京では、14階建てのニコラス・G・ハイエック・センター(2007年)が、前面と背面の大きなガラスのシャッターを全面開放できる建物として紹介されています。

木の構造では、金属の接合部を使わない設計が一つの特徴です。スイスのメディア企業タメディアは、社員が心地よく働ける空間を求めて坂に依頼し、坂は7階建ての本社ビルの主要な構造を、すべて木でつくりました。木の梁が互いに組み合わさり、金属の継ぎ手を必要としません(2013年、チューリッヒ)。同じ公式サイトによると、講評は、坂の構造への深い知識と、ミース・ファン・デル・ローエやフライ・オットーのような巨匠への敬意が、建物の展開と明快さに寄与していると述べています。

『ポンピドゥー・センター・メス』(2010年)

坂の木造建築を代表する建物が、フランス東部の都市メスにあるポンピドゥー・センター・メスです。坂はジャン・ド・ガスティーヌ、フィリップ・グムチジャンとチームを組み、設計競技に勝ちました。館の公式サイトは、この建築が坂とジャン・ド・ガスティーヌの大きな成果であり、勝ち取った案の設計にはフィリップ・グムチジャンも加わったと記しています。

館の公式サイトによると、建物は六角形の平面で、3本のギャラリー(展示空間)が交差し、中央には高さ77メートルの塔が立ちます。この数字は、パリのポンピドゥー・センターが生まれた1977年にちなんだものです。屋根は幅90メートルの六角形で、面積は8,000平方メートル。すべて集成材(木材を貼り合わせた材)でできていて、六角形の組み合わせが、中国の笠の編み目に似ているとされています。この格子によって約40メートルの大きな空間を、わずかな支えの上で成り立たせています。屋根はガラス繊維とテフロンの防水膜で覆われています。

坂は、この建物を設計していた約6年のあいだ、パリのポンピドゥー・センターの最上階のテラスに、紙管と膜でつくった仮設の事務所を構えました。プリツカー建築賞の公式サイトが伝える話です。館の公式サイトによると、この「紙管の仮設事務所」は、2020年にメスの庭に移され、いまも設置されています。

大分と富士山:日本の公共建築

『大分県立美術館(OPAM)』(2014年竣工、2015年開館)

大分市の大分県立美術館は、坂が「街に開かれた縁側としての美術館」と呼ぶ考えで設計した建物です。館の公式サイトにある坂の文章は、美術館は中で何が行われているか、入ってみないとわからないブラックボックスになりがちで、もっと多くの人が楽しめる場所なのにその機会を失っている、と書いています。そこで、あまり美術館に行かない人を引き寄せ、日常的に人が集まる仕掛けを建築に与えた、というのが設計の出発点です。

その方法は具体的です。1階は外から中の様子がわかるようにガラス張りにしました。無料で使える2層吹き抜けのアトリウムを設け、そのなかにミュージアムショップとカフェを置いています。展示室Aは、アトリウムを可動の展示壁で仕切ることでつくられます。壁をつくることも取り払うこともできるので、閉じた展覧会にも、アトリウムと一体になった展覧会にもできます。カフェとショップも動かせるので、展覧会ごとに雰囲気が変わるといいます。道路側の南面は全面が開閉できるガラスの水平折戸で、開ければアトリウムが人の行き来できる公共空間、つまり縁側になる、と館の公式サイトは説明しています。

大分県立美術館の外観。格子状の外壁をもつ建物を道路側から見た写真
大分県立美術館(大分市)の外観。撮影:Suicasmo(2022年10月)/CC BY-SA 4.0/出典:Wikimedia Commons
大分県立美術館の仕掛けとして、外から中が見える1階のガラス張り、無料で使える2層吹き抜けのアトリウム、全面が開閉できる南面のガラス折戸の三点を示した図
図:大分県立美術館の三つの仕掛け(館の公式サイトによる)

館の公式サイトによると、本体の工事は2013年4月から2014年10月まで行われ、2014年に竣工、2015年に開館しました。構造と設備はオーヴ・アラップ・アンド・パートナーズ・ジャパンが担当しています。

『静岡県富士山世界遺産センター』(2017年)

静岡県富士宮市の富士山世界遺産センターは、2017年12月23日に開館しました。設計は坂茂建築設計で、監理も同事務所が担当しています。センターの公式サイトによると、構造は鉄骨造で、地上5階建て、最高高さは18.515メートルです。北棟、西棟、展示棟から構成され、展示棟では1階から5階の最上階まで、らせん状のスロープを登りながら展示を見ます。公式サイトは、これを擬似的な登山体験をイメージしたものと説明しています。

外観の特徴は、逆円錐形の展示棟です。センターの前に湧水を引き込んだ水盤をつくり、建物の象徴である逆さ富士を水面に表すと、公式サイトは述べています。外観には県産材の木格子が使われています。地下水を水盤に使うとともに、空調の熱源にも使い、最大限の省エネ化を目指すとしています。最上階のホールと屋外テラスからは、周囲の建物に遮られない富士山の眺めが確保されています。

静岡県富士山世界遺産センターの外観。水盤の前に、木格子の逆円錐形の展示棟が立つ写真
静岡県富士山世界遺産センター(静岡県富士宮市)の外観。撮影:Supanut Arunoprayote(2024年10月)/CC BY 4.0/出典:Wikimedia Commons

アメリカと世界各地の仕事

『アスペン美術館』(2014年)

アメリカ・コロラド州のアスペン美術館は、坂にとってアメリカで建てた最初の恒久的な美術館です。美術館の公式サイトによると、坂は2007年に、徹底した調査のうえで新館の設計者に選ばれました。建物は2014年夏に完成し、同年8月9日に24時間の開館式典が開かれています。建築の特徴として、公式サイトは、ガラス張りの動くエレベーター、木の屋根トラス、歩ける天窓、そして樹脂と紙を含む複合材に木の薄板(化粧単板)を張った編み込み状の木のスクリーンを挙げています。2017年には、アメリカ建築家協会(AIA)から、優れた現代建築の一つとして選ばれました。

夕暮れのアスペン美術館の外観。木のスクリーンに覆われた箱形の建物が、内側の明かりで格子状に浮かび上がる写真
アスペン美術館(アメリカ・コロラド州)の外観。撮影:Bkthomson16(2015年9月)/CC BY-SA 4.0/出典:Wikimedia Commons

近年の作品

ご本人の事務所の公式サイトの作品一覧には、2017年のラ・セーヌ・ミュジカル(パリ近郊)、2019年の台南市美術館(台湾)とスウォッチ・オメガ(スイス・ビール/ビエンヌ)、2023年のSIMOSE(下瀬美術館、広島県大竹市)、2024年の豊田市博物館(愛知県)、2025年のブルーオーシャン・ドーム(大阪・関西万博)が並んでいます。それぞれの建物の細かな特徴は、ここでは、公式に確認できた範囲の紹介にとどめます。

年作品名所在地公式情報で確認できた特徴
1995Curtain Wall House東京周囲に2層分の高さの白いカーテンを下げ、開閉できる(プリツカー建築賞の公式サイト)
2000Naked House/ハノーバー国際博覧会日本館埼玉県/ドイツNaked Houseは2層吹き抜けの一つの空間にキャスター付きの個室4つ。日本館はフライ・オットーと協働した紙管のグリッドシェル
2005ノマディック美術館ニューヨーク/サンタモニカ/東京輸送用コンテナを既成の部材として使用
2007ニコラス・G・ハイエック・センター東京14階建て。前面と背面のガラスのシャッターを全面開放できる
2010ポンピドゥー・センター・メスフランス・メス幅90メートルの六角形の集成材の屋根、高さ77メートルの塔(館の公式サイト)
2013タメディア本社スイス・チューリッヒ7階建て。主構造がすべて木で、金属の継ぎ手がない
2014大分県立美術館/アスペン美術館大分県/アメリカガラス張りのアトリウム/木のスクリーン
2017静岡県富士山世界遺産センター/ラ・セーヌ・ミュジカル静岡県/パリ近郊逆円錐形の展示棟と木格子/(作品一覧に掲載)
2019〜2025台南市美術館、スウォッチ・オメガ、SIMOSE、豊田市博物館、ブルーオーシャン・ドーム台湾、スイス、広島県、愛知県、大阪ご本人の事務所の作品一覧に掲載

活動を支える仕組み:VANと教育

坂は1995年にNGO「ボランタリー・アーキテクツ・ネットワーク(VAN)」を設立しました。紙管などを使った仮設の施設を、現地のボランティアや学生と一緒につくる仕組みで活動しています。

教育にも長く携わってきました。ご本人の事務所の年譜では、1993〜95年に多摩美術大学、1995〜99年に横浜国立大学、1996〜2000年に日本大学で非常勤の教授(Adjunct Professor)を務め、2001〜08年には慶應義塾大学の教授になりました。2011〜23年は京都造形芸術大学の特任教授、2015〜19年は慶應義塾大学の特別招聘教授、2019〜23年は同大学の教授です。2010年にはハーバード大学とコーネル大学の客員教授も務めました。2023年からは芝浦工業大学の特別招聘教授です。AIAの発表も、30年以上にわたり、ハーバード、コーネル、コロンビアなどの大学で教えてきたと述べ、学生が実際に建設に加わる教え方を特徴に挙げています。

受賞と評価

坂は2014年にプリツカー建築賞を受けました。同賞の公式サイトによると、授賞式は2014年6月13日に、アムステルダムのライクスミュージアム(国立美術館)で開かれています。審査員は、坂が紙管やコンテナなどありふれた材料を実験的に使い、構造の革新に取り組んできたこと、竹、布、紙、再生紙繊維とプラスチックの複合材といった材料の独創的な使い方、そして人道的な活動を評価しました。審査委員長のパランボ卿は、坂を自然の力のような人だと評したと、同サイトは記しています。講評は最後に、坂を、熱心な教師であり、若い世代の手本であるだけでなく、刺激を与える存在だと述べました。

同サイトによると、坂は日本人として7人目のプリツカー建築賞受賞者です。それまでの6人は、1987年の丹下健三、1993年の槇文彦、1995年の安藤忠雄、2010年の妹島和世と西沢立衛、2013年の伊東豊雄でした。坂は2006年から2009年まで、この賞の審査員を務めた経験もあります。

その後も評価は続いています。ご本人の事務所の公式サイトによると、2024年に高松宮殿下記念世界文化賞(建築部門)、2025年に文化功労者に選ばれ、同年3月には日本芸術院の会員になりました。2026年のAIA(アメリカ建築家協会)ゴールドメダルも受けています。AIAが受賞を発表したのは2025年12月4日です。事務所の公式サイトは、日本の建築家としては4人目の受賞だと記しています。

年賞・役職
2014プリツカー建築賞/フランス芸術文化勲章コマンドゥール/クーパー・ユニオン名誉博士号
2017マザー・テレサ社会正義賞/紫綬褒章
2022アストゥリアス皇太子賞(Princess of Asturias Award for Concord)
2024高松宮殿下記念世界文化賞(建築部門)
2025文化功労者/日本芸術院会員(3月から)
2026AIAゴールドメダル

作品を貫く四つの考え方

ここまで見てきた仕事から、坂の建築に共通する考え方を整理してみます。以下は、公式情報にある事実をもとに、編集部が整理した読み方です。

一つめは、身近な材料への信頼です。紙管、コンテナ、集成材のような、ありふれた部材を、構造そのものに使います。プリツカー建築賞の講評も、坂が標準的な部品やありふれた材料のなかに、新しい使い方の可能性を見いだせる人だと述べています。

二つめは、構造から考えることです。ポンピドゥー・センター・メスの屋根も、タメディア本社の梁も、構造の仕組みがそのまま建物の姿になっています。三つめは、内と外のつながりです。Curtain Wall Houseのカーテン、ハイエック・センターのガラスのシャッター、大分県立美術館の開閉できるガラス折戸は、どれも内と外の境目を動かせるものにしています。講評が、内部と外部の空間的な連続性を、坂の仕事を貫く主題の一つに挙げていることとも重なります。

四つめは、使う人への敬意です。講評は、個人の施主でも、公共の利用者でも、支援を必要とする人でも、そこに住み、使う人への敬意が、考え抜かれた計画や材料の選び方に表れている、と述べています。大分県立美術館で、あまり美術館に行かない人を引き寄せることを設計の出発点にしたことも、この考え方の一つの表れだと、編集部は考えます。

坂茂の建築の中心に、身近な材料、構造から考える、内と外のつながり、使う人への敬意の四つの考え方を円状に並べ、作品に共通する読み方として示した図
図:坂茂の建築に通じる四つの考え方(編集部の整理)

VANの活動でも、仕事の組み立て方は同じです。現地で手に入る材料を使い、現地の人や学生と一緒につくり、再生できるようにする。この方法は、住宅や美術館をつくるときにも通じる、坂の設計の姿勢の一部だと考えます。

まとめ

いかがだったでしょうか。坂茂は、大工にあこがれた少年から、ヘイダックの記事をきっかけにアメリカで建築を学び、1985年の独立後、アアルト展の会場で紙管の構造に出会いました。その後、ハノーバー国際博覧会の日本館、コンテナの美術館、木の屋根を持つポンピドゥー・センター・メス、大分県立美術館や富士山世界遺産センターへと、使う材料と建物の種類を広げてきました。

2014年のプリツカー建築賞に続き、2024年の高松宮殿下記念世界文化賞、2025年の文化功労者、2026年のAIAゴールドメダルと、評価はいまも重ねられています。坂は2026年10月時点でも活動を続けている建築家であり、新しい建物の情報は、各施設や事務所の公式サイトで確かめることができます。

Euphoric " " の視点

坂の紙管の構造は、アアルト展の会場づくりから始まりました。アアルトがよく使った木を会場に使いたいと考えたものの、予算に限りがあり、仮設の展覧会に貴重な木を使うことにもためらいがありました。代わりの材料を探すなかで目に留めたのが、事務所にあった、ファクスやトレーシングペーパーのロールの芯の紙管だったといいます。

坂は、環境にやさしい建築と呼ばれることについて、この方法を始めたころは環境のことを話す人はいなかった、自分は低コストで地域のもので再利用できる材料にずっと関心があった、と語っています。

新しい発想は、遠くの特別な材料より、すでに手元にあるものを見直すところから生まれることがあるのかもしれません。制約を前にしたとき、まず身の回りを見渡してみる。坂の出発点は、作り手にもビジネスの人にも、その一歩の価値を示してくれていると考えます。

この作品を見に行くには

記事で紹介した建物は、次の館などで公開されています。展示替えや休館があるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。

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