【展覧会】「わたしたちのルノワール ―日本が恋した永遠のほほえみ」が大分県立美術館で開催!

2026年11月23日 〜 2027年1月17日
【展覧会】「わたしたちのルノワール ―日本が恋した永遠のほほえみ」が大分県立美術館で開催!

アートコンサルティング

2026年11月23日(月・祝)より「わたしたちのルノワール ―日本が恋した永遠のほほえみ」が大分県立美術館で開催されます!

19世紀を代表するフランス印象派の画家、ピエール=オーギュスト・ルノワール。明るく幸福感に満ちたその作品は、日本でも長く親しまれてきました。なぜルノワールはこれほどまでに日本人に愛されてきたのでしょうか。その理由のひとつは、日本各地の美術館で数多くの作品を実際に鑑賞できる環境が築かれてきたことにあるのかもしれません。

国内に所蔵されるルノワール作品の多くは、戦後、公立・私立美術館の整備が進んだ昭和から平成期にかけて、各館を代表するコレクションとして収集されました。その結果、ルノワールは遠い異国の巨匠でありながら、日本人にとって最も身近な西洋画家の一人となりました。

本展では、明治・大正期に日本へもたらされたルノワール作品や、その芸術に強い影響を受けた日本の洋画家たちの作品を通して、ルノワールが日本近代美術に与えた影響をたどります。さらに、昭和・平成期を中心に全国の美術館や企業によって収集された貴重なルノワール作品を一堂に集め、日本における受容の歩みを紹介します。ルノワールがどのようにして「遠いフランスの画家」から「わたしたちのルノワール」へと変わっていったのか。ルノワールと日本人との出会いの物語を、作品を通してお楽しみください。

ピエール=オーギュスト・ルノワール Pierre-Auguste Renoir 1841-1919
「人生、辛いこと苦しいことがいっぱいある。だから楽しいことをいっぱい描くんだ」とルノワールは言った。可愛らしい少女や豊かな肉体の女性、楽しそうに踊る人々の姿を多く描いた「幸福の画家」でした。
1841年、フランス中西部のリモージュに仕立屋の息子として生まれ、3歳でパリへ移住。20歳で画家を志してグレールの画塾に入り、モネやシスレーらと知り合います。サロンでの落選が続くなか、1874年(33歳)、後に「第1回印象派展」と呼ばれるグループ展をモネやピサロとともに開催。酷評と困窮の時代を経て、40歳の旅で触れたラファエロに感銘を受け、古典主義への関心を強めます。50歳を過ぎると再び画風を転じ、温かい色調の女性裸婦を数多く制作。名声を得る一方で関節リウマチが発症し、晩年は南フランスのカーニュ=シュル=メールで病と闘いながら、1919年(78歳)に生涯を終えるまで制作を続けました。

本展のみどころ 4つの章で辿る、日本とルノワールの130年

【第1章】ルノワールとの出会い
日本に初めてピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)の作品がもたらされたのは1890年代、明治期にヨーロッパで活躍した美術商・林忠正による購入だったといいます。1900年代には、フランスに留学した梅原龍三郎や山下新太郎ら若き画家たち、松方幸次郎ら実業家たちの手で作品が次々と海を越え、展覧会や雑誌、新聞記事でも取り上げられて、ルノワールは現在進行形の美術動向として国内に知られていきました。本章では最初期に日本へもたらされた作品を、当時の雑誌記事などの資料とともにご紹介します。

【第2章】ルノワールと日本の洋画家たち
1908(明治41)年に渡仏した梅原龍三郎は、リュクサンブール美術館で目にしたルノワール作品に強い衝撃を受け、翌年カーニュ=シュル=メールに画家を訪ねて師弟関係を結びます。帰国後は師と自らの表現との間で揺れ動きながらも独自の様式を確立し、晩年の豊かな色彩感覚にはなお師の教えがうかがえます。山下新太郎、満谷国四郎、中村彝らも大きな影響を受けたといわれます。本章では、彼らがルノワールから何を学び、自らの制作にどう受け入れたのかを概観します。

【第3章】印象派の時代
1874年、パリのナダールのスタジオで、のちに「第1回印象派展」と呼ばれる展覧会が開かれます。アカデミックな絵画様式や保守的なサロン(官展)に反発した画家たちによる無鑑査の展覧会で、ルノワールもグレールのアトリエで出会った仲間たちとともに参加しました。大胆な筆致と明るい色彩の作品は賛否を呼び、批評家ルイ・ルロワの揶揄から「印象派」の名が生まれます。本章では、クロード・モネ、アルフレッド・シスレー、カミーユ・ピサロら個性豊かな画家たちの作品から、印象派が世界に提示した新しい美術の諸相をご覧いただきます。

【第4章】そして、わたしたちのルノワールへ
ルノワールの作品はいま日本各地の美術館に収蔵され、わたしたちは気軽に目にすることができます。例えば熊本県立美術館の《胸に花を飾る少女》(1900年頃)は、昭和54年度の購入以来「看板娘」として地域の人々に親しまれてきました。戦後の高度経済成長やバブル経済を追い風に多くの作品が集まり、メディアでも繰り返し取り上げられたルノワールは、日本で最もポピュラーな西洋画家の一人となっていきます。本章では国内所在の作品を一堂に集め、「わたしたちのルノワール」となるまでの道のりを辿ります。

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展覧会情報

会期2026年11月23日(月・祝)~2027年1月17日(日) 休展日なし
開場時間10:00~19:00(入場は閉館の30分前まで) ※金・土曜日は20時まで開館
会場大分県立美術館 1階 展示室A
観覧料一般・大学生 1600円(1400円) / 中高校生 1000円(800円) / 小学生以下無料
・( )内は前売料金
・大分県芸術文化友の会びびKOTOBUKIとTAKASAGOは無料。
・障害者手帳をご提示の方とその付添者(1名)は無料。
チケット販売場所大分県立美術館、ローソンチケット(Lコード:81877)、トキハ会館3Fプレイガイド(前売りのみ)
主催わたしたちのルノワール大分展実行委員会(大分県立美術館、TOSテレビ大分)
共催大分合同新聞社
後援在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ、大分県、大分県教育委員会、NPO法人大分県芸振、西日本新聞社、朝日新聞大分総局、毎日新聞社、エフエム大分、J:COM
特別協力公益財団法人ポーラ美術振興財団 ポーラ美術館
協力株式会社トーダン、株式会社リョーユーパン
企画協力TNCプロジェクト
特別協賛大分トヨタ自動車株式会社
公式サイトhttps://renoir-japan.jp/
住所大分県大分市寿町2番1号

展示内容

※画像写真の無断転載を禁じます

ピエール=オーギュスト・ルノワール《長い髪をした若い娘(あるいは麦藁帽子の若い娘)》
ピエール=オーギュスト・ルノワール《長い髪をした若い娘(あるいは麦藁帽子の若い娘)》1884年 三菱一号館美術館寄託
山下新太郎《供物》
山下新太郎《供物》1915年 石橋財団アーティゾン美術館蔵
クロード・モネ《睡蓮》
クロード・モネ《睡蓮》1907年 和泉市久保惣記念美術館蔵
ポール・セザンヌ《水の反映》
ポール・セザンヌ《水の反映》1888-90年 愛媛県美術館蔵
ピエール=オーギュスト・ルノワール《胸に花を飾る少女》
ピエール=オーギュスト・ルノワール《胸に花を飾る少女》1900年頃 熊本県立美術館蔵
ピエール=オーギュスト・ルノワール《レースの帽子の少女》
ピエール=オーギュスト・ルノワール《レースの帽子の少女》1891年 ポーラ美術館蔵
ピエール=オーギュスト・ルノワール《赤い服の女》
ピエール=オーギュスト・ルノワール《赤い服の女》1892年頃 東京富士美術館蔵 ©東京富士美術館イメージアーカイブ/DNPartcom
ピエール=オーギュスト・ルノワール《泉による女》
ピエール=オーギュスト・ルノワール《泉による女》1914年 公益財団法人大原芸術財団 大原美術館蔵

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