こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。
皆さんは谷口吉生という人物をご存知ですか?
谷口吉生は、1937年に東京で生まれ、2024年12月16日に亡くなった日本の建築家です。美術館や博物館の設計で広く知られ、香川県の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、愛知県の豊田市美術館、東京国立博物館の法隆寺宝物館、京都国立博物館の平成知新館などを手がけました。ニューヨーク近代美術館(MoMA)の改築では設計者に選ばれ、2004年に新しい建物が開館しています。
本記事ではそんな谷口吉生の人生と作品についてご紹介します。作品の写真は載せず、建物の外観写真と図解でたどります。内容は、2026年10月時点で確認できた公式情報にもとづいています。
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谷口吉生は、建築家・谷口吉郎の長男として生まれました。Praemium Imperiale(高松宮殿下記念世界文化賞)の公式サイトによると、父の吉郎(1904〜1979年)は、戦前と戦後をまたいで活躍した日本のモダン建築の先駆者です。吉生は慶應義塾大学とハーバード大学で学び、丹下健三のもとで経験を積んだのち、自分の事務所を率いました。
谷口の建築でよく語られるのは、静かで明るい空間です。慶應義塾の紹介記事(2026年5月8日公開)は、谷口の建築が幾何学的な形から出発しながらも、敷地の条件を読み込み、建築の機能との関係から形を導いていると説明しています。本記事では、そんな谷口の仕事を、時代順に作品でたどります。
基本情報
| 本名 | 谷口 吉生(たにぐち・よしお)。英語表記は Yoshio Taniguchi |
| 生年月日(没年月日) | 1937年10月17日〜2024年12月16日(87歳没) |
| 国籍・出身 | 日本。東京生まれ |
| 学歴 | 慶應義塾大学工学部機械工学科卒業(1960年)、ハーバード大学建築学科卒業・建築学修士(1964年) |
| 分野 | 建築(美術館・博物館を中心に、複合商業施設や学校なども) |
| 傾向 | 敷地の条件を読み込み、幾何学的な形から出発する。水・石・緑と組み合わせた、明るく静かな空間 |
| 師事した人物・影響を受けた人物 | 丹下健三のもとで設計に携わる。父の谷口吉郎からも影響を受けた(慶應義塾の紹介記事による) |
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谷口が設計した香川県立東山魁夷せとうち美術館にゆかりのある画家の紹介記事と、土門拳記念館の中庭に彫刻を寄せた彫刻家の紹介記事はこちらです。
経歴と作品
建築家の家に生まれて(1937〜1964年)
谷口吉生は1937年10月17日、建築家・谷口吉郎の長男として東京に生まれました(谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館の年譜)。同じ年譜によると、父の吉郎は1904年に金沢市で生まれ、東京工業大学の教授などを務めた建築家です。
吉生は、いきなり建築を学んだわけではありません。1960年に慶應義塾大学工学部機械工学科を卒業し、機械工学士になっています。その後アメリカに渡り、1964年にハーバード大学建築学科を卒業して、建築学修士を得ました。機械工学から建築へ進んだという経歴は、年譜とPraemium Imperialeの略歴のどちらにも書かれています。
丹下健三のもとで、そして独立へ(1964〜1979年)
ハーバード大学を出た谷口は、丹下健三の仕事に加わります。Praemium Imperialeの年譜は、1964〜1972年に丹下健三の事務所で働いたとし、金沢建築館の年譜は「1965〜72年、東京大学都市工学科丹下研究室および都市・建築設計研究所に在籍」としています。始まりの年は資料によって1年違いますが、1972年まで丹下のもとにいたという点は共通しています。
金沢建築館の年譜によると、谷口は1975年に、高宮眞介とともに設計事務所「計画・設計工房」を開きました。1979年には谷口建築設計研究所の所長に就いています。この間の1970〜1980年には、ケープタウン大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)、ハーバード大学、東京大学などで教えた経歴もあります(Praemium Imperiale)。
『資生堂アートハウス』(1978年)
独立後の最初の大きな仕事が、静岡県掛川市の資生堂アートハウスです。文化庁の「近代の文化遺産の保存と活用」のページによると、1978年に竣工し、設計は谷口吉生と高宮眞介です。化粧品メーカーの資生堂が、戦後に集めた美術品や、戦前からの香水瓶・宣伝意匠、企業資料を収め、展示するために建てた施設でした。
同じページは、正面入口から半円形の平面の階段を上り、正方形の展示室、円形の中庭を囲む展示室、小さな階段を降りた先の展示室へと進む順路を説明しています。線路側には広い芝生があり、通過する新幹線の車窓にも開けた印象を与える、とも書かれています。文化庁はこの建物を、「その後美術館・博物館設計を国内外に展開した設計者にとって、原点と言える存在」と位置づけています。1980年には、この設計で日本建築学会賞を受けました。
水辺の写真美術館と、駅前の現代美術館(1983〜1991年)
『土門拳記念館』(1983年)
山形県酒田市の土門拳記念館は、1983年に開館した、日本で最初の写真専門の美術館です。公式サイトによると、2025年4月から呼称は「土門拳写真美術館」に変わっています。文化庁の施設情報によると、敷地は市街地から南西に4kmの飯森山公園の中にあり、美しい自然林と丘を背景に、前面に池を配して、出羽富士と呼ばれる鳥海山を望む場所に建てられました。
設計について同じ資料は、谷口が「この美しい自然環境と建物をいかにして協調させるか」を最も重視した、と説明しています。建物は1984年に吉田五十八賞(第9回)、1987年に日本芸術院賞を受けました。また、写真家・土門拳の友人たちが、それぞれの分野から贈り物をしたことも記されています。入口正面の銘板とポスター・チケットのデザインはグラフィックデザイナーの亀倉雄策、中庭の彫刻とベンチは彫刻家のイサム・ノグチ、庭園は草月流家元の勅使河原宏によるものです。
『丸亀市猪熊弦一郎現代美術館』(1991年)
香川県丸亀市の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)は、丸亀市の市制施行90周年の記念事業として、1991年11月23日に開館しました。公式サイトによると、丸亀ゆかりの画家・猪熊弦一郎の全面的な協力のもとで生まれた美術館で、丸亀駅前に建ち、猪熊本人から寄贈を受けた約2万点の作品を所蔵しています。
この美術館の設計では、谷口と猪熊の対話が重要でした。公式サイトは、自然光を取り込んだ明るく広々とした空間が、美術館に美しい空間を求める猪熊の意思を共有して谷口が形づくったものだ、と説明しています。猪熊は、現代美術を常に紹介する美術館であること、そして子どもが美にふれることを重く見て、子どもの観覧料を無料にすることや、造形活動をする造形スタジオを置くことを提案しました。建築は、1階から3階までの3層構造で、3階には天井高が約7mの展示室があります。公式サイトによると、正面には猪熊の巨大な壁画《創造の広場》やオブジェを置いたゲートプラザがあり、伸びやかなファサードが駅前広場と内部空間をゆるやかに結んでいます。2階には対照的なプロポーションをもつ2つの展示室と、美術図書室、ミュージアムホール、造形スタジオを備えたアートセンターがあり、3階の最奥部にはカスケードプラザとカフェがあります。着工は1989年11月、竣工は1991年6月でした。
この建築は、1992年にSDA賞、1993年に建築業協会賞、1994年に村野藤吾賞、1996年に公共建築賞の特別賞を受けています(MIMOCA公式サイト)。豊田市美術館の公式サイトによると、丸亀駅の駅前広場は、アメリカのランドスケープデザイナー、ピーター・ウォーカーと谷口の協働による仕事です。
丘の上の美術館と、父の隣の宝物館(1995〜1999年)
『豊田市美術館』(1995年)

1995年に開館した豊田市美術館は、谷口の美術館建築を代表する一つです。公式サイトによると、設計は谷口建築設計研究所、庭園はピーター・ウォーカーです。敷地は丘の上にあり、美術館はすぐには姿を見せません。訪れる人は、わざと曲げて設けられたアプローチを進むうちに、不意に建物の全体が目の前に開ける、と公式サイトは説明しています。

公式サイトの説明を順にたどると、この美術館の設計は「光の順序」で組み立てられていることが分かります。天井の低い薄暗いエントランスを入ると、右側に企画展示室、左側に光にあふれた吹き抜けがあります。階段を上ると、さらに大きな明るい展示室が現れます。公式サイトは、谷口がまず光あふれる開放的な空間から始め、小さな展示室に移り、再び明るく広々とした空間に出る、という光の変化の流れを演出している、と書いています。展示室は部屋ごとに空間の広がり方や材質が違い、歩く人の感覚が常に更新されるといいます。
外観の材料は、外壁と床に米国産のスレートを使い、一部にポルトガル産のスレートも使われています。公式サイトによると、夜になると乳白色の展示室が光を放ち、大池の水面にランタンのように浮かび上がります。建築面積は6,083.21平方メートル、延床面積は11,139.64平方メートルで、庭園は円と四角、幾何学と不定形という対立する要素で構成されています。この場所にはかつて挙母藩の七州城があり、敷地の一角には隅櫓が復元されて残っています。MoMAの2004年の資料は、同じ1995年の谷口の仕事として、豊田市の茶室も挙げています。
『東京国立博物館 法隆寺宝物館』(1999年)

東京・上野の東京国立博物館にある法隆寺宝物館は、法隆寺献納宝物を、すべてまとめて保存し展示する建物です。東京国立博物館の公式サイトによると、1964年に開館した旧宝物館では、作品の保存のため公開が週1回に限られていました。保存の機能を高めながら、作品を広く公開することをめざして建て替えられたのが、1999年に開館した現在の建物です。
公式サイトは、この建物を「緑に囲まれ、人工池を配した明るい外観と、静寂な展示室」と紹介しています。展示は、1階に灌頂幡(かんじょうばん)や金銅仏、伎楽面、2階に木工・漆工、金工、絵画・書跡・染織と、分野ごとに並びます(館内のフロアマップによる)。2001年度には、この設計で日本建築学会賞を受けました。現在は他の展示館と同様に週6日公開されている、とも公式サイトは書いています。谷口の年譜(金沢建築館)にも、2001年に東京国立博物館法隆寺宝物館の設計で日本建築学会賞を受賞したと記されています。

同じ博物館の敷地には、父・谷口吉郎の設計による東洋館(1968年開館)もあります。東京国立博物館の案内ページによると、東洋館は緩やかな勾配の切妻屋根や正面の柱列、大きな広縁が印象的な和風の外観で、2013年に耐震補強工事を終えてリニューアルしました。同じ敷地に、父と子の設計した館が並ぶことになります。
ニューヨーク近代美術館の改築(1997〜2004年)

谷口の名を世界に広めたのが、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の改築です。Praemium Imperialeの年譜によると、谷口は1997年に、MoMAの増築と改修のための国際指名の設計競技に勝ちました。MoMAの2004年の資料は、谷口の事務所にとってこの仕事が初めての海外での設計だったと記しています。
新しいMoMAは、2004年11月20日に、美術館の創設75周年を記念して開館しました。資料によると、新旧あわせて約630,000平方フィート(58,527平方メートル)の空間が6つの階に広がり、展示面積は85,000平方フィートから125,000平方フィートへと増えています。建設費は4億2,500万ドルで、エグゼクティブ・アーキテクトとして、Kohn Pedersen Fox(KPF)が参加しています。
西53丁目の側では、谷口が設計した新しい正面が、フリット加工(ガラス表面に焼き付けた細かな模様)のグレーのガラスと透明なガラス、黒い花崗岩、アルミパネルでつくられています。この面は、1939年のグッドウィンとストーンによる建物、1964年のフィリップ・ジョンソンによる増築、1984年のシーザー・ペリによるタワーと並んで、MoMAの過去と未来を結ぶ、と資料は述べています。ロビーは53丁目と54丁目をつなぎ、主な入口が2か所になりました。
館内では、ロビーから階段を上がると、吹き抜けのアトリウムがあります。アトリウムから続く2階の現代美術の展示室は、柱のない広い空間で、天井の高さは22フィート近くあります。窓やカーテンウォールからは、彫刻庭園と街が見えるように設計されています。彫刻庭園は、フィリップ・ジョンソンによる1953年の設計の広さに戻されました。
Praemium Imperialeの紹介文は、谷口が上品で控えめな建物を、美術館の建物はほとんど消えてしまうほどであるべきで、収蔵品の背景として決して主役を奪ってはならない、という原則でつくったと述べています(英文の日本語訳)。同時に、ミッドタウン・マンハッタンの活力を映す大胆な建物でもある、とも評しています。彫刻庭園は、谷口が東・西・南の外壁に沿って計画を広げ、南のテラスも元の姿に戻しました。資料によると、庭園には約31点の近現代彫刻と、季節の植栽、水盤が配されています。ギャラリーの建物の上には、保存修復のスタジオとスタッフの事務室が入る7階建ての事務棟が載っています。開館に合わせて、MoMAは、谷口が設計した他の美術館の中に新しいMoMAを位置づける展覧会「Yoshio Taniguchi: Nine Museums」も開きました。
美術館のその後の仕事(2004〜2017年)
『香川県立東山魁夷せとうち美術館』(2005年開館)

香川県坂出市の香川県立東山魁夷せとうち美術館は、画家・東山魁夷の作品を収める美術館で、2005年4月に開館しました。香川県の公式サイトによると、建物は2004年11月に竣工し、鉄筋コンクリート造と鉄骨造の地上2階建て、延床面積は853.15平方メートルです。展示室は2つあり、設計は谷口建築設計研究所です。2004年11月にMoMAが開館した翌年に開いた、延床面積が約850平方メートルの小さな美術館です。
『鈴木大拙館』(2011年)

石川県金沢市の鈴木大拙館は、金沢が生んだ仏教哲学者・鈴木大拙の考えや足跡を伝え、来館者が自ら思索する場として開かれた施設です。2011年7月に竣工しました。公式サイトの施設概要によると、設計の基本方針は、小立野台地から続く斜面緑地を背景に、石垣や水景などによって金沢を象徴する景観をつくり、その中で大拙の世界を展開することでした。
建築は、「玄関棟」「展示棟」「思索空間棟」の3つの棟を回廊で結び、「玄関の庭」「露地の庭」「水鏡の庭」の3つの庭と組み合わせた構成です。この3つの棟と3つの庭を回遊することで、来館者それぞれが大拙について知り、学び、考えることが意図されている、と公式サイトは説明しています。延床面積は631.63平方メートルと小さな規模です。2020年には、この設計で村野藤吾賞を受けました(金沢建築館の年譜)。
『京都国立博物館 平成知新館』(2014年)

京都国立博物館の平成知新館は、谷口が設計した、京都の新しい展示館です。京都国立博物館の公式サイトによると、2014年9月に開館しました(竣工は2013年7月)。公式サイトは、日本的な空間構成を取り入れた直線を基本とする展示空間で、収蔵品を中心に京文化の神髄を楽しめる、と紹介しています。展示室全体を守る免震構造や、庭を眺められるレストランも備えています。
この設計では、2018年に公共建築賞を受けています(金沢建築館の年譜)。
『GINZA SIX』(2017年)
美術館以外の大きな仕事が、東京・銀座の商業施設GINZA SIXです。公式サイトによると、設計は鹿島建設と谷口建築設計研究所の共同体で、外装意匠の統括を谷口吉生が担いました。商業施設は2017年4月20日に開業しています。
母校と、ふるさとの金沢で
谷口は、母校の慶應義塾にも建物を残しました。慶應義塾の紹介記事によると、幼稚舎では、父・吉郎が設計した本館(1937年)に接続する形で、新体育館(1987年)と新館21(2002年)を設計し、景観の統一感を優先して白いモダニズムを採っています。湘南藤沢キャンパスの中等部・高等部の校舎(1992年)では、分棟型の大学の建物と対比して、中庭を囲む形を選びました。
金沢にも、谷口の仕事があります。谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館は、金沢市の名誉市民第一号となった吉郎の住まいの跡地に、吉生の設計で建てられた、建築と都市のミュージアムです(金沢建築館公式サイト)。常設展示室は、吉郎が設計した迎賓館赤坂離宮 和風別館「游心亭」の広間と茶室を忠実に再現した空間で、その外側を吉生の建築が包んでいます。親子の作品を同時に体験できる構成です。谷口は2019年に、この館の名誉館長に就きました(年譜)。

評価と受賞
谷口は、数多くの賞を受けました。主なものを、金沢建築館の年譜とPraemium Imperialeの年譜から表にまとめます。
| 年 | 受賞・称号 |
| 1980年 | 日本建築学会賞(資生堂アートハウスの設計) |
| 1984年 | 吉田五十八賞(土門拳記念館の設計) |
| 1987年 | 日本芸術院賞(土門拳記念館の設計) |
| 1990年 | 公共建築賞、毎日芸術賞(東京都葛西臨海水族園の設計) |
| 1994年 | 村野藤吾賞(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館・丸亀市立図書館の設計) |
| 1996年 | 米国建築家協会名誉会員 |
| 2001年 | 日本建築学会賞(東京国立博物館法隆寺宝物館の設計) |
| 2005年 | 高松宮殿下記念世界文化賞 |
| 2008年 | 日本芸術院会員 |
| 2015年 | イサム・ノグチ賞(米国イサム・ノグチ財団) |
| 2021年 | 文化功労者に選出 |
| 2022年 | 金沢市名誉市民 |
表のほかにも、2007年の英国王立建築家協会名誉会員、2016年のピラネージ・ローマ賞、2020年の日本建築学会名誉会員などが、年譜に記されています。教える仕事にも携わり、2003年から2010年まで、東京藝術大学美術学部建築科の客員教授を務めました。
Praemium Imperialeの紹介文は、谷口の仕事が12件を超える賞を受けていると述べ、MoMAを、約40年にわたる経歴の中での初めての海外の仕事と位置づけています。谷口は2024年12月16日、87歳で亡くなりました。
谷口吉生の建築を見るときの3つの手がかり

ここまでの内容から、谷口の建築を実際に訪ねるときの手がかりを3つにまとめてみます。
1つめは、水・石・緑です。Praemium Imperialeの紹介文は、谷口がすべての美術館で、収蔵品の性格をつかむだけでなく、それぞれの美術館を風景の中に置く比類のない力を発揮した、と述べています。水と石と緑を建物全体と組み合わせ、来館者が建物の内と外を楽しみ、光と空間を体験できるようにしている、とも書かれています。土門拳記念館の池、法隆寺宝物館の人工池、豊田市美術館の大池、鈴木大拙館の「水鏡の庭」は、いずれもこの考え方の例だと考えます。
2つめは、光の順序です。豊田市美術館の公式サイトが書くとおり、明るい空間から小さな展示室へ、そして再び明るい空間へという流れは、歩く人の感覚を何度も新しくします。慶應義塾の紹介記事も、谷口が動線と空間の連続した展開によって、鑑賞者に豊かな空間体験を与えたと述べています。展示室を出入りするたびに、光の量が変わる点に注目してみてください。
3つめは、建物が背景に退くことです。Praemium ImperialeはMoMAについて、建物が収蔵品の主役を奪わないという考え方で設計されたと述べ、慶應義塾の紹介記事も、谷口の美術館建築は作品の背景として抑制的になると述べています。建築そのものは強い存在感があるのに、展示室に入ると作品に目が向く。その順序が保たれているかを、見て確かめてみるのも一つの楽しみ方です。
このほか慶應義塾の紹介記事は、後年の谷口が、門型のような日本的なモチーフを、モダニズムの解釈のもとで自由に使うようになったと指摘しています。本記事で紹介した建物の写真や、公式サイトの図面・写真を見比べながら、どの建物にそのモチーフが見えるかを探してみるのも、建築の楽しみ方の一つだと考えます。
まとめ
いかがだったでしょうか。谷口吉生は、建築家・谷口吉郎の長男として東京に生まれ、慶應義塾大学で機械工学を学んだのちにハーバード大学で建築を学びました。丹下健三のもとで経験を積み、1975年に設計事務所を開いて、資生堂アートハウス、土門拳記念館、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、豊田市美術館、東京国立博物館法隆寺宝物館、MoMA、鈴木大拙館、京都国立博物館平成知新館と、美術館や博物館を数多く手がけました。
谷口の建築に共通するのは、水・石・緑と結びついた空間、光の順序、そして作品の背景に退く姿勢でした。2024年12月に亡くなりましたが、設計した建物の多くは、美術館や博物館として公開されています。写真や図で全体像をつかんだら、ぜひ実際の場所で、歩く順序や光の変化を確かめてみてください。
Euphoric " " の視点
谷口吉生の美術館を、そこに加わったほかの人の仕事から見てみます。
土門拳記念館では、写真家・土門拳の友人たちが、それぞれの分野から贈り物をしました。入口正面の銘板とポスター・チケットのデザインは亀倉雄策、中庭の彫刻とベンチはイサム・ノグチ、庭園は勅使河原宏によるものです。
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館では、猪熊が、子どもの観覧料を無料にすることや、造形スタジオを置くことを提案しました。公式サイトは、自然光を取り込んだ明るく広々とした空間を、美術館に美しい空間を求める猪熊の意思を共有して谷口が形づくったもの、と説明しています。丸亀駅の駅前広場も、ピーター・ウォーカーと谷口の協働による仕事です。
美術館の設計は、ほかの人の声を受け止め、その声に場所を与える仕事でもあるのかもしれません。谷口の美術館を訪ねるときは、誰の仕事や願いが入っているかを探してみると、建物がもう一段深く見えてくると考えます。
この作品を見に行くには
記事で紹介した作品は、次の館などで公開されています。展示替えがあるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。






