こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。
皆さんは『夜警』という作品をご存知ですか?
17世紀オランダの画家レンブラント・ファン・レインが1642年に描いた、アムステルダムの市民たちによる自警団(火縄銃手組合)の集団肖像画です。オランダ語では『デ・ナハトワハト(De Nachtwacht)』、英語では『The Night Watch』と呼ばれます。展示しているアムステルダム国立美術館(ライクスミュージアム)は、この絵を「オランダでもっとも有名で、もっとも重要な絵画」と紹介しています。
そして今、この絵は、美術館の展示室に設けられたガラス張りの部屋のなかで、来館者の目の前で修復されています。「オペレーション・ナイトウォッチ(Operation Night Watch)」と名づけられた、この作品の歴史上もっとも大規模な調査と修復のプロジェクトです。
本記事ではそんな『夜警』について、描かれているもの・見どころ・歴史をご紹介します。
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『夜警』に描かれているのは、アムステルダムの第2地区を受け持つ市民自警団の隊員たちです。黒い服の隊長フランス・バニング・コックが、隣の副官ウィレム・ファン・ライテンブルフに、隊を進ませるよう指示を出しています。そのまわりで、隊員たちが銃や槍を手に、隊列を組もうと動き出しています。
アムステルダム国立美術館によると、これはレンブラントの作品のなかでもっとも大きく、もっとも有名なキャンバス画です。集団肖像画でありながら、人物たちが実際に何かをしている瞬間を描いたのは、レンブラントが初めてでした。
基本情報
| 作品名 | 夜警(やけい)。オランダ語『De Nachtwacht』、英語『The Night Watch』。アムステルダム国立美術館での正式な題名は『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副官の指揮するアムステルダム第2地区の自警団(通称「夜警」)』 |
| 作者 | レンブラント・ファン・レイン(1606〜1669年) |
| 制作年 | 1642年(画面に「Rembrandt f 1642」の署名と年記) |
| 技法・素材 | 油彩、キャンバス |
| サイズ | 縦379.5cm×横453.5cm |
| 所蔵 | アムステルダム市。1808年からアムステルダム国立美術館に貸与されています(所蔵番号 SK-C-5) |
| 展示場所 | アムステルダム国立美術館「夜警の間(Night Watch Gallery)」。現在は修復のためのガラス張りの部屋のなかで公開されています |
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「夜警」はもともとの題名ではない
実は『夜警』という題名は、レンブラントが付けたものではありません。
アムステルダム国立美術館によると、この絵にはもともと題名がありませんでした。美術館の作品記録では、上の表のとおり、隊長と副官の名前を入れた『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副官の指揮するアムステルダム第2地区の自警団(通称「夜警」)』という題名が使われています。「夜警」という呼び名が文書に初めて現れるのは1797年のことで、美術館の作品記録も、18世紀の終わりからそう呼ばれるようになったと記しています。
描かれているのは、夜の見回りの場面ではなく、自警団の隊員たちが門から外へ出ていく姿です。美術館の作品記録には「門から外へ踏み出す火縄銃手組合の隊員たち」と書かれています。
何が描かれている?見どころを解説
ここからは、アムステルダム国立美術館の解説をもとに、『夜警』の見どころを見ていきます。
見どころ1:止まらない集団肖像画
アムステルダム国立美術館は、『夜警』は、レンブラントが手がけた唯一の自警団の集団肖像画であり、隊員たちを伝統的な静止した姿ではなく、活発に動く姿で描いた、生き生きとした大胆な構図で知られると説明しています。美術館の館長が作品を選んで紹介する解説では、レンブラントは集団肖像画ではなく「物語」を描いた、とまで表現されています。
隊長の合図で、隊員たちが一斉に動き出す。銃を整える者、太鼓を打つ者、旗を掲げる者。画面の右端では、鼓手が大きな太鼓を打ち鳴らしています。その足もとでは、犬が吠えています。一枚の絵のなかに、出発直前のざわめきが閉じ込められています。
見どころ2:隊長の手と、副官の服に落ちる影

アムステルダム国立美術館によると、レンブラントは光を使って、見る人の目を特定の部分に引きつけています。その一つが、隊長が差し出した手です。
美術館が「見事な細部」として挙げているのが、この手の影です。影は、隣に立つ副官ウィレム・ファン・ライテンブルフの明るい上着の上に落ちています。そして、影の親指と指のあいだには、アムステルダム市の紋章が置かれています。美術館は、これを「この街は自警団の手のなかで守られている」ことを示したものだと解説しています。
副官の豪華な上着は、絵の具の状態が今もとても良い部分の一つです。オペレーション・ナイトウォッチの調査では、この上着の、絵の具を厚く盛り上げた部分に、ヒ素を含む絵の具が使われていたこともわかりました。
見どころ3:光のなかの少女

隊長の手と並んで、光が当てられているのが、画面の左寄り、隊員たちのあいだに立つ金色の服の少女です。
アムステルダム国立美術館によると、この少女は隊の「マスコット」でした。美術館の作品記録には、腰に鶏を下げた少女として記されています。暗い背景のなかで、少女の姿だけがひときわ明るく浮かび上がり、画面に不思議な輝きを与えています。
見どころ4:弾をこめる、撃つ、手入れする
アムステルダム国立美術館は、この絵のなかで、実際に銃が撃たれていることにも注目しています。
美術館の解説によると、画面の左では銃に弾がこめられ、真ん中では銃が撃たれ、右では誰かが銃の手入れをしています。銃の扱いの流れが、一枚の画面のなかに描き分けられているのです。
隊長の頭の後ろには、もともと銃を撃ったあとの煙が描かれていました。のちにつくられた模写にははっきりと残っていますが、本物の画面では、今はわずかな跡しか見えません。これも、オペレーション・ナイトウォッチの調査で確かめられたことの一つです。
見どころ5:門の横の盾に書かれた18人の名前
門の横には盾が掛けられ、そこに描かれた人物の名前が書かれています。アムステルダム国立美術館の作品記録によると、隊長フランス・バニング・コック、副官ウィレム・ファン・ライテンブルフ、旗手ヤン・フィッセル・コルネリセン、2人の軍曹をはじめ、全部で18人の名前が並んでいます。
画面の左上では、旗手が隊旗を高く掲げています。隊員たちは、槍やマスケット銃、矛槍(ほこやり)などで武装しています。
見どころ6:吠える犬には「お手本」があった
画面の右下で吠えている犬にも、新しい発見がありました。
アムステルダム国立美術館の発表によると、レンブラントはこの犬を、画家アドリアーン・ファン・デ・フェンネが1619年に描いた素描をもとに描いていたことがわかりました。この素描は、詩人ヤーコプ・カッツの本の扉絵のための下絵で、100年以上前からアムステルダム国立美術館のコレクションにあったものです。頭のひねり方、上を見上げて口を少し開けた様子、首輪の形がよく似ています。
さらに、調査で見つかった下描きでは、犬は最初、右の前脚をもっと曲げ、胸を地面に近づけた姿で描かれていました。最初の段階では、ファン・デ・フェンネの素描にいっそう近かったのです。
見どころ7:平らではない画面と、太鼓の穴
『夜警』の画面は、実は平らではありません。アムステルダム国立美術館によると、レンブラントは絵の具を厚く盛り上げる「インパスト」の名手で、その厚みを使ってさまざまな効果を生み出しました。オペレーション・ナイトウォッチでは、デルフト工科大学が開発した3Dスキャンの技術で、画面の凹凸を地図のように記録しています。
レンブラントは、隊員たちのポーズを考えるときにも、さまざまな既存の版画や素描などを参考にしていました。先ほどの犬だけでなく、何人かの隊員の姿勢にも、手本があったことがわかっています。
画面右の鼓手が抱える太鼓の中央にも、小さな歴史が隠れています。1975年から1976年の修復のとき、太鼓の中央にあった古い継ぎ当て(さらに古い穴を修理したもの)が取り外されました。約12cm×8cmのこの布片は、修復の記録資料のあいだに保管されていて、オペレーション・ナイトウォッチで貴重な研究資料として調べられました。穴がいつ開いたのかは、まだわかっていません。1698年のアムステルダム市の帳簿には、クローフェニールスドゥーレンの絵の穴を修理した記録があり、1840年代のトリッペンハイスでは、大工のハンマーが絵を突き抜けたという記録も残っています。美術館は、どちらが原因かは確定できないとしています。
『夜警』の歴史
火縄銃手組合の大広間のために(1640〜1642年)
アムステルダムには、当時20の自警団の隊がありました。その一つが、火縄銃手組合の本部「クローフェニールスドゥーレン(Kloveniersdoelen)」に飾るために、レンブラントにこの絵を注文しました。
レンブラントがどれくらいの期間この絵に取り組んだのかは、わかっていません。アムステルダム国立美術館によると、注文を受けたのは1640年12月より前であることが、描かれた隊員の一人に関する記録からわかっています。完成は1642年なので、少なくとも1年、おそらくそれ以上かかったと考えられています。
絵が掛けられたのは、本部の新しい宴会用の大広間でした。そこには、『夜警』を含めて7点の自警団の集団肖像画がまとめて飾られていました。
オペレーション・ナイトウォッチの研究では、レンブラントが、絵を描きはじめる前のキャンバスに、鉛を含む油をしみ込ませていたことも明らかになりました。この絵が、大広間の湿った外壁の内側に掛けられることを知っていたためと考えられています。鉛を多く含む下地は、当時ふつうに使われた接着剤の層よりも、湿気やカビから絵を守る効果が高いのです。こうした鉛による下処理は、レンブラントにも、同時代の画家にも、これまで例が見つかっていなかったといいます。
市庁舎へ移され、切り詰められる(1715年)
1715年、『夜警』はダム広場の市庁舎(現在の王宮)へ移されました。ところが、新しい場所には大きすぎました。
アムステルダム国立美術館によると、2つの扉のあいだに収めるために、絵の周囲が切り取られ、特に左側が大きく切り詰められました。切り取られた部分は、今も見つかっていません。
ヘリット・ルンデンス(帰属)『夜警』の模写

もとの姿を伝えているのが、17世紀につくられたこの小さな模写です。アムステルダム国立美術館によると、隊長フランス・バニング・コック自身が注文したもので、1642年から1655年ごろにヘリット・ルンデンスが描いたと考えられています。ロンドンのナショナル・ギャラリーの所蔵品で、現在はアムステルダム国立美術館に貸し出されています。
見比べると、模写では左側に、橋の上の3人の人物(隊員2人と小さな子ども)が描かれています。隊長と副官は画面の真ん中ではなく、少し右寄りに立っていたこともわかります。
オペレーション・ナイトウォッチでは、この模写をもとに、人工知能(AI)の助けを借りて、失われた部分を再現しました。まずレンブラントの技法や色の使い方をAIに学ばせ、そのうえで足りない部分をレンブラントの画風で描き起こしています。再現した部分は板に印刷され、一時的に本物の周りに取り付けて公開されました。美術館は、失われた部分を実際の修復で絵に加えるつもりはないとしています。
美術館へ(1808年〜)
1808年、『夜警』はアムステルダムの運河沿いにある邸宅、トリッペンハイスへ移されました。アムステルダム国立美術館の作品記録によると、この年から、絵はアムステルダム市から美術館に貸し出されています。つまり『夜警』の持ち主は、今もアムステルダム市です。
1898年には、ミュージアム広場の反対側にある市立美術館(ステデリック・ミュージアム)へ運ばれました。ウィルヘルミナ女王の即位を祝う行事の一つとして開かれた、レンブラント展のためでした。
戦争中は洞窟に(1939〜1945年)
美術館には、1937年に、緊急時に『夜警』を額から素早く外す方法を示すために撮影された写真が残っています。大きな絵は、昔から綱で吊り上げて動かされてきました。
第二次世界大戦が始まった1939年9月、『夜警』はほかの3万点の作品とともに美術館から運び出され、海岸近くの地下壕に隠されました。1942年には、南部の町マーストリヒトにあるシント・ピーテルスベルフの洞窟へ移されています。絵は1945年6月に美術館へ戻り、巻かれていたキャンバスが再び広げられました。
傷と修復の歴史
アムステルダム国立美術館によると、『夜警』は少なくとも25回の処置を受けてきました。
この絵は、1911年、1975年、1990年に傷つけられる事件にも遭っています。なかでも1975年の被害は大きく、1975年から1976年にかけて本格的な修復が行われました。1947年に塗られたニスがもろくなり、黄色く変色していたため、実はその数年前から修復の計画が話し合われていたことも、美術館の記録からわかっています。
1990年の事件では、警備員がすばやく対応したため、傷ついたのはニスだけで済みました。
オペレーション・ナイトウォッチ(2019年〜)
2019年7月、アムステルダム国立美術館は「オペレーション・ナイトウォッチ」を始めました。この作品の歴史上もっとも大規模で幅広い調査と修復のプロジェクトで、目的は絵を長く未来へ残すことです。
作業はすべて、フランスの建築家ジャン=ミシェル・ヴィルモットが設計した透明なガラス張りの部屋のなかで行われ、来館者はその様子を見ることができます。デジタル画像、科学的・技術的な分析、コンピューターサイエンス、人工知能まで、最新の技術が使われています。
主な成果を、美術館の発表から整理すると次のようになります。
- 画面全体をミリ単位で調べる蛍光X線スキャンなどで、絵の具の下に隠れていたレンブラントの下描きを発見。茶色の地塗りの上に、チョークを多く含むベージュの絵の具で描かれていました。このような絵の具で下準備をしたレンブラントの作品は、ほかに見つかっていません
- 描き直しの跡も新たに確認。隊員クラース・ファン・クロイスベルヘンの兜には最初は羽根飾りが描かれていたこと、軍曹ロンバウト・ケンプの脚の位置が変えられたことなどがわかりました
- 絵の具を厚く盛り上げるレンブラントの技法(インパスト)を、鉛白、亜麻仁油、卵白など、当時手に入った材料で再現することに初めて成功
- コバルトを含むガラスからつくる青い顔料「スマルト」を使った部分は、もとはもっと鮮やかな色でした。この変色は自然な劣化によるもので、元には戻せません
- 何世紀ものあいだに、絵の具のなかには「鉛石けん」と呼ばれる小さな白い点が数千も生まれていました。17世紀の絵画ではめずらしくないもので、抜け落ちた跡の小さな穴は、隊長フランス・バニング・コックの顔などに見られます
- 717ギガピクセル(7,170億画素)という、発表当時、美術作品の写真として史上最大・最高精細とされた写真を撮影。8,439枚の写真をAIでつなぎ合わせたもので、1画素は0.005mmです
2022年1月19日には、絵を実際に扱う処置が始まりました。画面の左上に見えていた波打つようなゆがみを直すため、1975年から使われていた木の枠を外し、ばねで張りを均一に保つ新しいアルミニウムの枠に張り替えています。このゆがみは、21世紀の初めに本館の改修中、フィリップス翼で展示されていたときの、展示室の温度や湿度の大きな変化が原因と考えられています。
そして2024年の終わりから、8人の修復家による、古いニスを取り除く作業が始まりました。溶剤を含ませた特殊な薄紙を短い時間だけ画面に当ててニスを溶かし取り、そのあとに残ったさらに古いニスを、顕微鏡をのぞきながら綿棒で取り除いていきます。作業が進むにつれて、画面の一部が一時的につやのない姿に見えるのも、この期間ならではの光景です。2026年の時点でも、作業は続いています。
レンブラントの、もう一つの集団肖像画
『織物商組合の見本調査官たち(スタールメースター)』(1662年)

『夜警』の20年後に描かれた集団肖像画で、オランダ語では『デ・スタールメースター(De Staalmeesters)』と呼ばれます。こちらもアムステルダム市の所蔵で、アムステルダム国立美術館に貸し出されています。
美術館の解説によると、1650年代にお金の面で苦しい時期を過ごしたレンブラントのもとには、以前ほどアムステルダムの有力者たちからの注文が来なくなっていました。それでもレンブラントは人気を保ち、この有力な組合から集団肖像画を任されます。レンブラントは、仕事中の調査官たちが、まるで私たちが部屋に入ってきたのに気づいて顔を上げたかのように描き、生き生きとした場面に仕上げました。動きで見せた『夜警』とはまた違う方法で、集団肖像画に「瞬間」を持ち込んでいます。
『夜警』のよくある疑問
Q. 『夜警』はどこで見られる?
オランダ・アムステルダムのアムステルダム国立美術館(ライクスミュージアム)で見られます。美術館の「夜警の間(Night Watch Gallery)」に展示されています。日本語の公式案内では、「名誉の間」の目玉として紹介されています。2026年現在は修復作業中ですが、ガラス張りの部屋越しに、作品と修復の様子を見ることができます。美術館は毎日9時から17時まで開いています。
Q. 大きさはどれくらい?
縦379.5cm、横453.5cmです。1715年に周囲が切り詰められているため、もとの絵はこれよりさらに大きなものでした。
Q. 何人描かれている?
門の横の盾には、隊長と副官を含む18人の隊員の名前が書かれています。ただし画面には、少女や、名前の記されていない人物も描かれています。
Q. なぜ「夜警」という題名なの?
もともとこの絵には題名がなく、「夜警」という呼び名が文書に現れるのは1797年が最初です。描かれているのは夜の見回りではなく、自警団の隊員たちが出発しようとする場面です。アムステルダム国立美術館の作品記録では、隊長と副官の名前を入れた長い題名に「通称『夜警』」と添えられています。
Q. 『夜警』は誰のもの?
アムステルダム市のものです。アムステルダム国立美術館は1808年から、市から貸与を受けて展示しています。
Q. 修復はいつ終わる?
アムステルダム国立美術館の公式情報では、終了時期は示されていません。美術館の展覧会案内(2026〜2027年)でも、チームが顕微鏡レベルの精密さで古いニスを取り除いている最中だと紹介されています。最新の状況は、美術館の公式サイトで確認できます。
まとめ
いかがだったでしょうか。レンブラントの『夜警』をご紹介しました。
『夜警』は、アムステルダムの火縄銃手組合の大広間のために描かれた、自警団の集団肖像画です。整列した人物を並べるのではなく、隊長の合図で隊員たちが動き出す瞬間を描いたことで、集団肖像画を「物語」に変えました。差し出された手の影、光のなかの少女、弾をこめて撃って手入れをする銃手たち。細部を追うほど、場面が動き出します。
1715年には周囲を切り詰められ、戦争中は洞窟に避難し、何度も傷を受けては修復されてきました。そして今、オペレーション・ナイトウォッチによって、下描きや鉛の下地、犬のお手本など、制作の秘密が次々に明らかになっています。
アムステルダムを訪れる機会があれば、絵そのものだけでなく、ガラスの部屋のなかで進む修復にも目を向けてみてください。約400年前の絵が、今まさに未来へ引き継がれていく途中の姿を見られるのは、この時期だけかもしれません。
Euphoric " " の視点
1715年、『夜警』は市庁舎の2つの扉のあいだに収めるため、周囲を切り詰められました。切り取られた部分は、今も見つかっていません。
オペレーション・ナイトウォッチでは、AIの助けを借りて失われた部分を再現し、板に印刷して一時的に本物の周りに取り付けて公開しました。それでも美術館は、その部分を実際の修復で絵に加えるつもりはないとしています。
技術で補えるようになっても、あえて補わない。足りないところを足りないまま受け渡すことも、約400年前の絵を未来へ残す一つの方法なのかもしれません。
この作品を見に行くには
『夜警』は、アムステルダム国立美術館で公開されています。現在は修復作業中のため、ガラス張りの部屋越しの公開です。展示替えや貸し出しがあるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。







