こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。
皆さんは『神奈川沖浪裏』という作品をご存知ですか?
江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎が、富士山をテーマにした版画シリーズ『冨嶽三十六景(富嶽三十六景)』の一枚として描いた木版画です。読み方は「かながわおきなみうら」。大きくせり上がった波の向こうに小さな富士山がのぞく構図は、海外では「The Great Wave(グレート・ウェーヴ)」の名で親しまれ、2024年に発行が始まった新しい千円札の裏面の図柄にもなりました。
実はこの作品は、絵の具で描かれた1枚きりの絵ではありません。版木から何枚も摺られた版画なので、東京国立博物館やすみだ北斎美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館など、国内外の多くの美術館が、それぞれの「刷り」を所蔵しています。
本記事ではそんな『神奈川沖浪裏』について、描かれているもの・見どころ・歴史をご紹介します。
コンテンツ
Toggle『神奈川沖浪裏』って?

東京国立博物館が所蔵する『神奈川沖浪裏』の一枚です。画面の左から大きな波がせり上がり、波頭は崩れて、指先のように細かく分かれています。その下では、細長い船が波にもまれています。そして画面の奥、波のくぼみの向こうに、雪をいただいた富士山が小さく見えています。
東京国立博物館は文化遺産オンラインに載せた解説のなかで、この作品を「日本の絵画の中でも、最も世界的に知られた一枚ではないでしょうか」と紹介しています。また、すみだ北斎美術館は、シリーズ全46図のなかだけでなく、北斎の全画業においても代表作とされる作品だと説明しています。
基本情報
| 作品名 | 冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏(ふがくさんじゅうろっけい かながわおきなみうら)。「富嶽三十六景」と書かれることもあります。英語では『The Great Wave off Kanagawa』『Under the Wave off Kanagawa』などと呼ばれ、通称は「グレート・ウェーヴ(The Great Wave)」です |
| 作者 | 葛飾北斎(1760〜1849年)。画面左上の落款は「北斎改為一筆」 |
| 制作年 | 天保元〜3年(1830〜32年)頃(東京富士美術館、メトロポリタン美術館の記載)。すみだ北斎美術館は天保2年(1831年)頃としています |
| 技法・素材 | 木版多色摺り(錦絵)、紙。横大判 |
| サイズ | 刷りごとに少しずつ異なります。東京国立博物館の一枚は縦24.4×横37.0cm、すみだ北斎美術館の一枚は25.3×37.6cm、メトロポリタン美術館の一枚は25.7×37.9cm |
| 所蔵 | 版画のため、複数の館が別々の刷りを所蔵しています。国内では東京国立博物館(複数枚)、すみだ北斎美術館、東京富士美術館など。海外ではメトロポリタン美術館(ニューヨーク)、大英博物館(ロンドン)、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(ロンドン)、ハーバード美術館など |
| 展示場所 | 常に展示されているわけではありません。各館の展示替えや企画展の際に公開されます |
作者の葛飾北斎の生涯と作品や、浮世絵の楽しみ方については、以下の記事でも詳しくご紹介しています。
『冨嶽三十六景』ってどんなシリーズ?
『神奈川沖浪裏』は、『冨嶽三十六景』という連作の一枚です。各地から見た富士山を描いた風景版画のシリーズで、題名は「三十六景」ですが、実際には全46図あります。
東京国立博物館の解説によると、題名が三十六なのに46枚あるのは、人気が高く、当初の予定から10枚増えたためです。すみだ北斎美術館も、このシリーズを全46図として紹介しています。
同じシリーズのなかでもよく知られているのが、通称「赤富士」と呼ばれる『凱風快晴』です。すみだ北斎美術館は、『凱風快晴』をシリーズの代表的な3図のうちの1つと紹介しています。この作品は、のちほど関連作としてご紹介します。
何が描かれている?見どころを解説
見どころ1:「神奈川沖」はどこ?東京湾の上から見た景色
題名の「神奈川沖」とは、どこのことなのでしょうか。
すみだ北斎美術館の解説によると、「神奈川沖」は東海道の宿場町・神奈川(現在の横浜市神奈川区)の沖合を意味します。そのため、この絵は現在の東京湾の上から見た景色を描いたもの、ということになります。
では、画面を見ている私たちは、どこに立っているのでしょうか。東京富士美術館の解説は、北斎は、あたかも同じような船に乗り、そこから波と富士を見上げるイメージを見ていたのだと述べています。見る人の視点は、陸の上ではなく、波間に置かれているのです。
見どころ2:波にもまれる3艘の「押送船」
大波の下に描かれた細長い船は、ただの漁船ではありません。
すみだ北斎美術館によると、これは房総や伊豆から江戸へと鮮魚を運ぶ「押送船(おしおくりぶね)」です。東京富士美術館の解説でも、伊豆や安房の方面から江戸湾に入り、日本橋などの市場に鮮魚や野菜を運んでいた船だと説明されています。画面のなかに、船は3艘描かれています。
東京富士美術館の解説はさらに一歩踏み込み、富士山を背景に左へ向かっているこれらの船は、おそらく荷を送り終えた帰りの船だろう、と推測しています。帰りの船だとすれば、夕暮れ近い光景かもしれない、とも述べています。船の向きから時間帯を想像してみるのも、この絵の楽しみ方の一つです。
船の上には、身をかがめた漕ぎ手たちが並んでいます。東京国立博物館の解説は、房総から江戸に急ぎの荷物を運ぶ早船でしょうか、と書いたうえで、本当にこんな大波がきたら船はひとたまりもないので、現実の風景をそのまま描いたのではなく、少し大げさに、ドラマチックに表現したのだろうと述べています。

見どころ3:大きな波と小さな富士山「動と静」の対比
この絵でいちばん目を引くのは、なんといっても大波です。崩れかかった波頭は細かく枝分かれして、いまにも船に襲いかかろうとしています。
その一方で、富士山は画面の奥に小さく、静かに描かれています。すみだ北斎美術館は、力強く立ち上がる大波に、端正な姿でたたずむ富士山が向き合っており、静と動の対比によって雄大な景色を表現していると解説しています。
東京国立博物館の解説は、大きく動きのある波と、遠くで安定した三角形の富士山の対比が遠近感を生み出していると説明しています。手前の巨大な波と奥の小さな富士山の大きさの差が、そのまま距離の感覚になっているのです。
東京国立博物館が所蔵する別の一枚の解説では、渦巻のような構図の中心に、富士山が自然と人間のドラマを見ているかのように配されていると書かれています。自然をそのままに描くのではなく、誇張を加えたダイナミックな構成が高い効果をもたらしている、という評価です。
東京富士美術館の解説は、この作品を「大いなる自然とそれに立ち向かう小さな人間。動と静、遠と近、そこに描かれた無限に広がる空間」という言葉で紹介しています。巨大な自然と、そのなかで懸命に船を操る人々。一枚のなかに、いくつもの対比が重ねられています。
見どころ4:輸入された青「ベロ藍(ベルリン・ブルー)」
『神奈川沖浪裏』の印象を決めているのは、波の深い青です。
東京国立博物館の解説によると、この作品をはじめ『冨嶽三十六景』シリーズの最初のころには、「ベルリン・ブルー」と呼ばれる青い顔料が多く使われています。この時代にヨーロッパから日本に入ってきた顔料で、北斎の新しいものへの関心の高さが見てとれる、と同館は述べています。同館の別の解説では、この顔料は「ベロ」とも呼ばれたと紹介されています。
濃い青と薄い青が重なり合う波の表現は、この新しい色があってこそのものでした。波の白い泡と青の対比も、画面にリズムを生んでいます。
見どころ5:題名の枠と北斎のサイン

画面の左上には、長方形の枠のなかに「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」と、シリーズ名と作品名が摺られています。その左に書かれているのが、北斎の落款(サイン)です。
ハーバード美術館やヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の作品記録では、この落款は「北斎改為一筆(ほくさいあらためいいつひつ)」と読まれています。文字どおりには「北斎あらため為一(いいつ)の筆」と読める署名です。すみだ北斎美術館の解説にも、北斎が春朗、宗理、卍など、時期によってさまざまな号を名乗ったことが紹介されています。
題名に使われている「冨」の字は、「富」の点のない形です。作品名を「冨嶽」と書くか「富嶽」と書くかで迷うことがありますが、画面に摺られている文字は「冨嶽」です。
見どころ6:刷りによって違う空の色
版画は、同じ版木から何枚も摺られます。そのため、どの館の『神奈川沖浪裏』も、少しずつ表情が異なります。
東京富士美術館は、所蔵する一枚について、空が灰色に暗く沈んでいると述べたうえで、この版では消えてしまって見ることができないが、保存状態の良い版には、薄い黄色の空を背景とした雲も見られる、と解説しています。
東京国立博物館も、同じシリーズの『凱風快晴』の解説のなかで、同じ版木を使っていても摺りごとに違いがあらわれ、こうした摺りごとのバリエーションが見られるのも版画の面白さのひとつだと述べています。
さらに、のちの時代に版木を彫り直して摺られたものもあります。ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館は、所蔵する一枚を、彫り直した版木から摺られた後の時代の刷りで、色や細部が調整されていると記録しています。どの館の、どの刷りを見ているのか。それを意識すると、同じ絵を何度見ても新しい発見があります。

こちらはメトロポリタン美術館の一枚です。冒頭の東京国立博物館の一枚と見比べると、空の色合いや雲の見え方、船の色などに違いがあることが分かります。メトロポリタン美術館の記録によると、この一枚は1929年に、H・O・ハヴマイヤー夫人の遺贈によって同館のコレクションに入りました。
『神奈川沖浪裏』の歴史
「大波」の構想は30年ほど前から(1800年前後)
『神奈川沖浪裏』の大波は、ある日とつぜん生まれたわけではありません。
東京富士美術館の解説によると、この「大波」に対する着想は、これより30年ほど前に描かれた「おしおくりはとうつうせんのず」や「賀奈川沖本杢之図」に、すでに見ることができます。どちらも、波と船を組み合わせた図です。北斎は長い時間をかけて、波の表現を練り上げていったことになります。
すみだ北斎美術館によると、北斎は19歳で浮世絵師の勝川春章の門に入り、春朗と名乗りました。その後、狩野派、土佐派、西洋画法など、さまざまな絵を学んだといわれ、琳派の一門である宗理派に移って俵屋宗理を名乗った時期もあります。こうした経験が、北斎の多彩な画風を生んだと考えられています。
『冨嶽三十六景』の刊行(1830年代前半)
『冨嶽三十六景』のシリーズが世に出たのは、天保年間のはじめごろです。東京富士美術館は『神奈川沖浪裏』を天保元〜3年(1830〜32年)頃、すみだ北斎美術館は天保2年(1831年)頃の作品としています。1760年生まれの北斎は、このとき70歳前後でした。
すみだ北斎美術館は、『冨嶽三十六景』をはじめとする晩年の錦絵作品について、北斎は単に景観や人々の生活を描写するのではなく、ひとつの対象物にどのくらいの見かたがあり、どう変化を見せるのかに注目している、と解説しています。富士山という一つの山を、季節も場所も異なる46の視点から描き分けたこのシリーズは、まさにその試みでした。
シリーズは好評で、先ほどご紹介したとおり、当初の予定から10図が追加されて全46図になりました。
『冨嶽三十六景 凱風快晴』(1830〜32年頃)

同じシリーズの代表作の一つ、『凱風快晴』です。通称「赤富士」の名で知られています。
東京国立博物館の解説によると、題名の「凱風」とは、南から吹くおだやかな風のことです。富士山の裾野までを広くゆったりと描き、人物は描かれていません。すみだ北斎美術館は、一説に河口湖近辺から望んだ富士を描いたものとされ、夏から秋にかけての早朝、富士山が朝日を浴びて山肌を赤く染める現象をとらえたものと考えられている、と解説しています。
荒れ狂う海と小さな富士を描いた『神奈川沖浪裏』と、画面いっぱいに大きく静かな富士を描いた『凱風快晴』。同じシリーズのなかで、富士山の見せ方がまったく違うことがよく分かります。
同じ時期の「波」の作品
北斎は、『神奈川沖浪裏』のあとも波を描き続けました。東京富士美術館の解説によると、ほぼ同じ時期に描かれた『千絵の海』の「総州銚子」や、『富嶽百景』の「海上の不二」にも、荒れ狂う大波を描く北斎の並はずれた力量を見ることができます。
『富嶽百景』は、北斎が75歳のときに初編が出版された絵本です。すみだ北斎美術館によると、その初編の最後にある跋文(あとがき)で、北斎は、70歳以前に描いた絵は取るに足らないもので、73歳にしてようやく動植物の骨格や出生を悟ることができたと述べています。そして、100歳を超えてもなお絵師として向上しようとする気概を語っています。『神奈川沖浪裏』を描いたのは、この言葉に出てくる70歳前後のころでした。
海を渡った「グレート・ウェーヴ」(19世紀後半〜)
北斎の絵は、生前からすでに外国で知られていました。すみだ北斎美術館によると、オランダ商館の医師として来日したシーボルトが、1832年から出版した自著『Nippon』の挿図に『北斎漫画』の図柄を用いています。
その名がより広く知れ渡ったのは、1867年のパリ万国博覧会をきっかけに、ヨーロッパでジャポニスム(日本趣味)が起こってからです。浮世絵の大胆な構図や明るい色彩は、ヨーロッパの芸術家たちに大きな影響を与えました。
『神奈川沖浪裏』と海外の芸術家との関わりについては、次のような紹介があります。
- 東京富士美術館:画家ゴッホは弟テオにあてた手紙のなかでこの作品を激賞したことで知られています
- すみだ北斎美術館:音楽家ドビュッシーは『神奈川沖浪裏』に発想を得て、交響詩『海』を作曲したとされています
- すみだ北斎美術館:フランスの版画家アンリ・リヴィエールは、『冨嶽三十六景』を下敷きに『エッフェル塔三十六景』(1902年)という版画集を制作しました
ドビュッシーとの関わりは「とされています」という書き方で紹介されている点に注意が必要ですが、この一枚が、絵画の枠を越えて海外の芸術に刺激を与えたことがうかがえます。
北斎自身への評価も、時代とともに高まりました。すみだ北斎美術館によると、1998年にはアメリカの雑誌『LIFE』が発表した「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」のなかで、日本人で唯一、北斎が選ばれています。
世界の美術館へ
版画である『神奈川沖浪裏』は、さまざまな経路で世界各地の美術館に収められました。いくつかの館の公式の記録を見てみましょう。
- メトロポリタン美術館(ニューヨーク):1929年、H・O・ハヴマイヤー夫人の遺贈により収蔵
- ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(ロンドン):パナマ太平洋万国博覧会の日本側の委員を通じ、イギリスの木版技法を示す資料との交換で収められた、日本の木版画と版画の道具・材料のコレクションの一枚(後の時代の彫り直しの刷り)
- 東京国立博物館:文化遺産オンラインには、寸法の異なる複数の『神奈川沖浪裏』が同館の所蔵品として掲載されています
このように、どの一枚が「本物」というわけではなく、それぞれが当時の刷り(または後の刷り)として大切に守られています。
新しい千円札の図柄に(2019〜2024年)
2019年4月9日、財務省は新しい日本銀行券(お札)のデザインを発表しました。その発表資料では、新しい千円券の表面の肖像は北里柴三郎、裏面の図柄は『富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」(葛飾北斎)』とされています。
新しいお札の発行が始まったのは2024年7月3日です。国立印刷局の特設サイトでは、裏面に描かれた『富嶽三十六景(神奈川沖浪裏)』について、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎の代表作で知名度も高く、世界の芸術家に影響を与えた作品と紹介しています。
新しい千円札の大きさは、縦76mm、横150mmです。お財布のなかの千円札を取り出せば、約190年前の版画のデザインに、いつでも出会えることになります。
現在の『神奈川沖浪裏』
現在も、『神奈川沖浪裏』は国内外の美術館の展示や企画展でたびたび公開されています。ただし、どの館でも常に展示されているわけではなく、展示替えによって公開の時期が限られます。
北斎の出身地である東京都墨田区には、すみだ北斎美術館があります。同館によると、北斎は墨田区に生まれ、90年にも及ぶ長い生涯のうち、そのほとんどを「すみだ」で過ごしながら、多くの名作を残しました。「葛飾」という名前も、出生地を含む地域が武蔵国葛飾郡だったことから名乗ったといわれています。
『神奈川沖浪裏』のよくある疑問
Q. 『神奈川沖浪裏』はどこで見られる?
版画なので、国内では東京国立博物館、すみだ北斎美術館、東京富士美術館などが所蔵しています。海外では、メトロポリタン美術館、大英博物館、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館などが所蔵しています。
ただし、どの館も常設で展示しているわけではありません。見に行く前に、各館の公式サイトで展示予定を確認するのがおすすめです。
Q. 本物は何枚あるの?
『神奈川沖浪裏』は木版画なので、同じ版木から何枚も摺られました。1点しかない油彩画とは違い、世界中の美術館に「本物の刷り」が所蔵されています。ただし、現存する枚数を示す公式の統一された数字は、今回の調査では確認できませんでした。
また、後の時代に版木を彫り直して摺られたものもあり、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の一枚は、そうした後の刷りだと記録されています。
Q. 大きさはどれくらい?
「横大判」と呼ばれる版画の判型で、およそ縦25cm×横37cmです。東京国立博物館の一枚は24.4×37.0cm、すみだ北斎美術館の一枚は25.3×37.6cm、メトロポリタン美術館の一枚は25.7×37.9cmと、刷りごとにわずかに違います。A4用紙(21×29.7cm)よりひと回り大きいくらいの、意外と小さな作品です。
Q. 読み方と意味は?
「かながわおきなみうら」と読みます。シリーズ名を含めると「ふがくさんじゅうろっけい かながわおきなみうら」です。「神奈川沖」は東海道の宿場町・神奈川の沖合のことで、すみだ北斎美術館は、現在の東京湾の上から見た景色だと解説しています。
Q. 描かれている波は津波?
今回確認した所蔵館(東京国立博物館、すみだ北斎美術館、東京富士美術館)の解説では、いずれも「大波」として説明されており、津波を描いたという説明は見当たりません。東京国立博物館は、現実の風景をそのまま描いたのではなく、少し大げさにドラマチックに表現したのだろうと述べています。
Q. 船には何人乗っている?
3艘の船には、身をかがめた漕ぎ手が何人も乗っています。ただし、人数を数えた所蔵館の公式な説明は確認できませんでした。東京国立博物館の解説は「たくさんの漕ぎ手が乗った船」と表現しています。実際の作品や画像で、ご自身で数えてみるのも楽しいかもしれません。
まとめ
いかがだったでしょうか。葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』をご紹介しました。
『神奈川沖浪裏』は、70歳前後の北斎が、富士山をテーマにした版画シリーズ『冨嶽三十六景』の一枚として描いた作品です。現在の東京湾の上、鮮魚を運ぶ押送船が大波にもまれる瞬間を、遠くに小さな富士山を置いて描きました。巨大な波と静かな富士の対比、ヨーロッパから入ってきたばかりの青い顔料、30年がかりで練り上げた波の表現。そのどれもが、この一枚を特別なものにしています。
版画なので、世界中の美術館がそれぞれの刷りを大切に所蔵しています。空の色や雲の見え方は刷りによって違い、どの一枚にもその刷りだけの表情があります。2024年からは新しい千円札の裏面にもなり、私たちの暮らしのなかでも身近な作品になりました。
同じ浮世絵の風景画として、歌川広重の『東海道五十三次』も、あわせてご覧ください。北斎の富士とはまた違った、旅の風景が広がっています。
https://euphoric-arts.com/art-2/tokaido-gojusan-tsugi/
Euphoric " " の視点
『神奈川沖浪裏』の大波の着想は、30年ほど前に描かれた「おしおくりはとうつうせんのず」や「賀奈川沖本杢之図」に、すでに見られます。北斎がこの一枚を描いたのは、70歳前後のころでした。
そして75歳で初編を出した『富嶽百景』の跋文で、北斎は、70歳以前に描いた絵は取るに足らないものだったと述べ、100歳を超えてもなお向上しようとする気概を語っています。
いまは千円札の裏面にもなった一枚を、描いた本人は、まだ道の途中と考えていたのかもしれません。名作は、同じものを長く見つめ続ける時間のなかから生まれるのだと思わされます。
この作品を見に行くには
記事で紹介した作品は、次の館などが所蔵しています。展示替えや貸し出しがあるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。







