こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。
皆さんは『ひまわり』という作品をご存知ですか?
オランダ出身の画家フィンセント・ファン・ゴッホが、南フランスのアルルで描いた、花瓶に生けたひまわりの静物画です。実は『ひまわり』は1枚の絵ではありません。ゴッホは同じ主題を何度も描き、そのうち大きな画面の5点が、いまロンドン、アムステルダム、ミュンヘン、フィラデルフィア、そして東京の美術館で公開されています。
ロンドンのナショナル・ギャラリーは、ゴッホほど特定の花と強く結びつけられている画家はほかにいないと述べています。ゴッホ自身も、手紙のなかで「ひまわりは私のものだ」という意味の言葉を残しました。
なぜゴッホはひまわりを何枚も描いたのでしょうか。そして、そのうちの1枚はどうして東京にあるのでしょうか。
本記事ではそんな『ひまわり』について、描かれているもの・見どころ・歴史をご紹介します。
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Toggle『ひまわり』って?

こちらは、ロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵する『ひまわり』です。1888年8月に描かれ、淡い黄色の背景に、黄色い花瓶に生けた15本のひまわりが描かれています。のちに描かれたアムステルダム版や東京のSOMPO美術館版は、この作品をもとにしています。
ゴッホ美術館によれば、ゴッホは1888年から1889年にかけて、アルルで花瓶のひまわりを描いた大きなカンヴァスを5点制作しました。いずれも現代美術の象徴的な作品となり、世界各地の美術館で公開されています。
基本情報
| 作品名 | ひまわり(向日葵) 英題:Sunflowers/オランダ語:Zonnebloemen/ドイツ語:Sonnenblumen |
| 作者 | フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh、1853〜1890年) |
| 制作年 | 1888年8月〜1889年1月ごろ(作品により異なります) |
| 制作地 | フランス南部、アルル |
| 技法・素材 | 油彩、カンヴァス |
| 点数 | 公開されている大きな花瓶のひまわりは5点。ナショナル・ギャラリーは、個人蔵の1点と、第二次世界大戦中に失われた1点を含め、1888〜89年に7点が描かれたとしています |
| 所蔵・公開館とサイズ(公開中の5点) | ナショナル・ギャラリー(ロンドン)1888年、92.1×73cm ゴッホ美術館(アムステルダム)1889年1月、95×73cm ノイエ・ピナコテーク(ミュンヘン)1888年、92×73cm フィラデルフィア美術館(アメリカ)1889年、92.4×71.1cm SOMPO美術館(東京)1888年、100.5×76.5cm(安田火災海上〔現・損保ジャパン〕が購入し、同館が受託) |
| 展示場所 | 各館で公開。ノイエ・ピナコテークは改修のため閉館中で、作品はアルテ・ピナコテークで公開されています(2026年10月時点の各館公式ページの表記) |
作者のゴッホの生涯については、以下の記事で詳しくご紹介しています。
ゴッホがその翌年、南フランスのサン=レミで描いた『星月夜』についても、作品解説の記事をご用意しています。あわせてどうぞ。
https://euphoric-arts.com/art-2/the-starry-night/
何が描かれている?見どころを解説
ここからは、ロンドンのナショナル・ギャラリーとゴッホ美術館の解説を中心に、『ひまわり』の見どころを見ていきます。
黄色の上に黄色を重ねる
『ひまわり』を前にして、まず驚かされるのは、画面のほとんどが黄色でできていることです。ナショナル・ギャラリーの解説によれば、ゴッホはロンドン版で、使う原色を黄色ひとつに絞りました。ゴッホ自身はこれを「すべて黄色の絵」と呼んでいます。同じ黄色でも、濃いオレンジがかった黄土色から、背景の淡い緑がかった黄色まで、幅があります。
ゴッホ美術館も、ゴッホがこのひまわりを、3種類の黄色「だけ」で描いたと説明しています。一つの色の変化だけで、表現力を失わずに絵を成り立たせられることを示した、というのです。
黄色は、ゴッホにとって幸福を表す色であり、南フランス・プロヴァンスの色でもありました。ナショナル・ギャラリーは、プロヴァンスの画家モンティセリへの敬意もそこに込められていたと述べています。丸い種の部分は、まるで太陽そのもののように見え、白熱するような熱さを感じさせます。
ロンドン版をよく見ると、背景の淡い黄色と、花瓶が置かれた台の黄土色とのあいだに、細い青い線が引かれています。花瓶の上下の色の境目にも、同じように青い線があります。黄色ばかりの画面を、この細い青が引き締めています。
つぼみから種まで、花の一生
花の一つひとつにも、注目してみましょう。ナショナル・ギャラリーによると、ロンドン版に描かれた15本のひまわりは、それぞれ違う段階にあります。左下のつぼみはまだ開ききっておらず、7本は満開で、残りの7本は花びらを落として種へと変わりつつあります。
若いつぼみから、盛りを過ぎて種をつけるまで。一つの花瓶のなかに、ひまわりの一生が描かれているのです。ナショナル・ギャラリーは、この表し方が、人の営みのはかなさを伝える17世紀オランダの花の絵の伝統に連なるものだと説明しています。同時に、ひまわりは友情の象徴であり、自然の美しさと生命力をたたえるものでもあったかもしれない、とも述べています。
盛り上がる絵具と、花びらに沿う筆

近づいて見ると、絵具が厚く盛り上がっているのが分かります。ナショナル・ギャラリーの解説によれば、ゴッホは花びらや葉、茎の向きに沿って長い筆づかいを重ね、とげとげした種の部分は、小さく盛り上げた点で表しました。19世紀に登場した、硬めの練り具合の新しい絵具を生かして、厚塗り(インパスト)の効果を生み出しています。
茎や葉がうねるように伸びる線は、のちのアール・ヌーヴォーの曲線を思わせる、とナショナル・ギャラリーは述べています。ひまわりの絵は、ゴッホがアルルで描いた作品のなかで、彼らしい表現力に満ちた様式がはっきり現れた、最初期の作品群でもありました。
花瓶に書かれた「Vincent」
ロンドン版とミュンヘン版の花瓶には、青い文字で「Vincent」と書き込まれています。ナショナル・ギャラリーによると、ゴッホはこの2点を、壁に掛けるのにふさわしい出来だと考え、名前だけでサインをしました。名字の「ファン・ゴッホ」は、人々にとって発音しにくかったからです。
この2点は、ゴッホが自信を持って展覧会に出した数少ない作品の一つでもありました。くわしくは、のちほど歴史のなかで見ていきます。
ひまわりに込めた「感謝」
ひまわりは、ゴッホにとってどんな意味を持っていたのでしょうか。
ナショナル・ギャラリーは、16世紀以来、ひまわりが愛と結びつけられてきたことを紹介しています。ひまわりが太陽の動きを追うように、信仰する人はキリストに、恋する人は相手に従う、という考え方です。ゴッホにとっては、ゴーギャンとの間に結びたいと願っていた、芸術家どうしの友情や協力の意味も含まれていたかもしれない、と同館は述べています。
ゴッホは1890年2月、批評家アルベール・オーリエへの手紙で、ブリュッセルで展示していた2点のひまわり(ミュンヘン版とロンドン版)が、「感謝」という考えを象徴して表しているかもしれない、と書いています。ゴッホ美術館も、ひまわりの絵がゴッホにとって「感謝」を伝える特別な意味を持っていたと説明しています。
フィラデルフィア美術館は、ゴッホがひまわりの黄色を、太陽の光や南の土地、そして「世の光」としてのキリストと結びつけていたと述べています。
『ひまわり』の歴史
パリで描いたひまわり(1887年)
ゴッホがひまわりを描いたのは、アルルが初めてではありません。ゴッホ美術館のシンポジウムの報告によれば、ゴッホは1887年から1889年にかけてひまわりを主題にした絵を全部で11点描いており、そのうち4点はパリで、7点は南フランスのアルルで制作されました。
ナショナル・ギャラリーによると、のちにアルルで一緒に暮らすことになる画家ポール・ゴーギャンは、1887年に、自分のマルティニーク島の風景画1点と、ゴッホの小さなひまわりの習作2点を交換しています。ゴーギャンは、もともとゴッホのひまわりを気に入っていたのです。
アルルの「黄色い家」で、ゴーギャンを待ちながら(1888年8月)
1888年2月、ゴッホはパリを出て、南フランスのアルルへ向かいました。SOMPO美術館の解説によれば、ゴッホはそこで画家仲間との共同生活を計画し、指導者として敬愛するゴーギャンを招きました。ナショナル・ギャラリーは、ゴッホがゴーギャンの到着を、同じ志を持つ画家たちの「南のアトリエ」をつくる第一歩にしたいと願っていたと説明しています。
ゴッホは借りていた家「黄色い家」を、ゴーギャンを迎えるために飾ろうと考えました。弟テオへの手紙には、「アトリエの装飾をしたい。大きなひまわりだけで」と書いています。
ナショナル・ギャラリーによると、ゴッホは最初の4点のひまわりを、1888年8月のわずか1週間で描き上げました。花がしおれてしまう前に、急いで描く必要があったのです。テオへの手紙には、「マルセイユの人がブイヤベースを食べるときのような勢いで描いている」「この考えを実現できたら、12枚ほどの絵になるだろう。全体が青と黄色の交響曲になる」と書いています。
フィラデルフィア美術館は、この4点が、緑、ロイヤルブルー、ターコイズ、黄色といった背景に、黄色とオレンジの花束を浮かび上がらせた縦長の作品で、大きさもさまざまだったと説明しています。ナショナル・ギャラリーによれば、最初に仕上がった2点が、現在の個人蔵の作品と、のちに戦争で失われた作品です。続く2点、ミュンヘン版とロンドン版が、この連作のなかでもっとも重要な作品とされています。
『ひまわり』(ノイエ・ピナコテーク版、1888年)

ミュンヘンのノイエ・ピナコテークが所蔵する『ひまわり』です。フィラデルフィア美術館の解説によれば、ターコイズ色の地に12本のひまわりを描いた大胆な作品です。ナショナル・ギャラリーは、ゴッホがこのミュンヘン版とロンドン版の2点を、ゴーギャンが使う予定だった客間に掛けたと伝えています。
バイエルン州立絵画コレクションの記録では、この作品は1912年に、匿名の寄贈として収蔵されました。
ゴーギャンとの共同生活と、繰り返されたひまわり(1888年秋〜1889年1月)
ゴーギャンは1888年10月下旬にアルルに到着し、二人の共同生活が始まりました。ゴッホ美術館によれば、ゴーギャンはひまわりの絵に強い印象を受け、「完全にフィンセントだ」と感じたといいます。
SOMPO美術館は、同館の『ひまわり』を、8月に描かれたロンドン版をもとに、ゴッホがゴーギャンと共同生活を送っていた1888年11月下旬から12月上旬ごろに描かれたものと考えています。ゴッホ美術館も、ゴッホが友人の滞在中に新しい1点をすでに描いていたと説明しています。
ポール・ゴーギャン『ひまわりを描くフィンセント・ファン・ゴッホ』(1888年)

共同生活のあいだに、ゴーギャンはひまわりを描くゴッホの姿を絵にしました。ただしゴッホ美術館によれば、これは実際の場面ではありません。描かれたのは12月で、ひまわりの季節はとうに過ぎていたからです。ゴーギャンは想像で描くことを好み、自然を前にして描くゴッホとは、この違いについてよく議論していました。この絵は、その議論をほのめかしているといいます。
ゴッホは9か月後、テオへの手紙でこの肖像について「顔はあれからずいぶん明るくなったが、たしかに私だった」と振り返っています。
1888年12月下旬、二人の共同生活は2か月ほどで終わり、ゴーギャンはパリへ戻りました。二人が再び会うことはありませんでしたが、手紙のやりとりは続きました。ゴーギャンはそのなかで、ひまわりの絵を1点ほしいと頼んでいます。ゴッホ美術館によれば、ゴッホは手放すことに乗り気ではありませんでしたが、のちに自由な写しを2点描きました。
『ひまわり』(ゴッホ美術館版、1889年1月)

その写しの一つが、アムステルダムのゴッホ美術館にある『ひまわり』です。同館によれば、1889年1月の作品で、1888年夏に描かれたロンドン版をもとにしています。調査の結果、ゴッホは最終的な仕上がりをあらかじめはっきり思い描いていたことが分かりました。
ゴッホ美術館で開かれたシンポジウムでは、この作品がロンドン版のただの写しではなく、少し違う色の組み合わせを使い、より様式化された、装飾的なまとまりのある画面をめざしたものだと報告されています。
画面の上端には、黄色く塗られた木の細い板が付け足されています。ゴッホ美術館の調査で、この板はゴッホ自身が制作の途中で加えたものだと確かめられました。描いているうちに、ひまわりの一つにもっと場所が必要だと考えたのだろう、と同館は説明しています。
『ひまわり』(フィラデルフィア美術館版、1889年)

もう1点の写しが、アメリカのフィラデルフィア美術館にある『ひまわり』です。同館によれば、ゴッホはこの絵を1889年の真冬に、記憶をもとに描きました。ミュンヘン版の変奏にあたる作品ですが、単なる写しではなく、花の一つひとつにはっきりとした個性を与えた新しい解釈になっている、と同館は説明しています。
ナショナル・ギャラリーは、1889年1月に描かれた写しについて、ゴッホが「完全に同じで、そっくりな写し」と書いていたことを紹介しています。これらの写しは、もとの絵とともに、アルルの郵便配達人の妻ルーラン夫人を描いた肖像画の両脇に飾る構想もあったといいます。
なお、写しが描かれた時期や数え方は、館によって説明が少しずつ異なります。ナショナル・ギャラリーは1889年1月に3点の写しが描かれたとしていますが、SOMPO美術館は自館の作品を1888年11月下旬から12月上旬ごろの制作と考えています。
ブリュッセルでの展示と「感謝」(1889〜1890年)
ナショナル・ギャラリーによれば、ゴッホはロンドン版とミュンヘン版を、自信を持って展示できる数少ない作品として選び、1889年11月にブリュッセルでの展覧会に出すことにしました。先に紹介した、ひまわりが「感謝」を表すという言葉は、この展示のさなか、1890年2月の手紙に書かれたものです。
ゴッホは1890年に亡くなり、その後、弟テオも1891年に亡くなりました。ゴッホ美術館版は、1889年4月末にアルルからパリのテオのもとへ送られたもので、テオの没後は妻ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルと息子が受け継いでいます。ひまわりの絵は、やがて世界各地の美術館へと渡っていきました。
ロンドン版は、1905年にアムステルダム市立美術館のゴッホ展に出品されたのち、1923年にロンドンの画廊へ売られ、1924年にコートールド基金によって購入されました。1961年にテート・ギャラリーから移管され、現在はナショナル・ギャラリーの43室で公開されています。フィラデルフィア版は、キャロル・S・タイソン・ジュニア夫妻のコレクションとして1963年に同館の所蔵となりました。
ナショナル・ギャラリーは、ゴッホが亡くなってまもなく「ひまわりの画家」として知られるようになり、その結びつきが今日まで続いていると述べています。
日本にやってきた『ひまわり』(1987年〜)
東京・新宿のSOMPO美術館にある『ひまわり』は、1987年に同館のコレクションに加わりました。同館の紹介によれば、当時の安田火災海上(現・損保ジャパン)が創立100周年事業として購入したもので、美術館は会社からこの作品を受託しています。以来、アジアで唯一、ゴッホの『ひまわり』を見ることができる美術館として親しまれてきました。
『ひまわり』(SOMPO美術館版、1888年)

SOMPO美術館の解説によれば、この作品は、基本的な色や構図はロンドン版と同じですが、筆づかいや色調が異なっています。ゴッホが単に複製をつくったのではなく、考えを重ねながら取り組んだことがうかがえる、と同館は述べています。サイズは100.5×76.5cmで、公開されている5点のなかでいちばん大きな画面です。
同館は1976年に、安田火災海上の本社ビル42階に「東郷青児美術館」として開館しました。2020年7月には隣接地の新しい美術館棟へ移り、「SOMPO美術館」として再出発しています。新しい建物では、色や筆の跡を間近で見られるよう、映り込みの少ないドイツ製の特注ガラスを使った展示ケースが採用されました。正面の前庭には、『ひまわり』を陶板で複製したモニュメントが置かれています。
花瓶のひまわりのうち1点は、日本の収集家が購入して兵庫県芦屋市の邸宅にありましたが、1945年の空襲で焼失しました。
ほかの館の『ひまわり』が日本で公開されたこともあります。ゴッホ美術館版は2003年、当時の損保ジャパン東郷青児美術館で開かれたゴッホと花をテーマにした展覧会に出品されました。ロンドン版は2020年、国立西洋美術館(東京)と国立国際美術館(大阪)で開かれた「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」で、初めて日本で公開されています。
現在の『ひまわり』
ゴッホ美術館は、2019年初めにかけて行った詳しい調査の結果、同館の『ひまわり』は状態こそ安定しているものの、振動や湿度・温度の変化にとても敏感だと判断しました。そのため、この作品は今後、館の外へは貸し出さないことになっています。それまでに貸し出されたのは6回だけで、最後は2014年、ロンドンのナショナル・ギャラリーでロンドン版と並べて展示されたときでした。
調査では、色の変化の原因も明らかになりました。赤い絵具(ゼラニウムレーキ)の退色と、黄色い絵具(クロムイエロー)の暗色化が主な理由です。ゴッホ美術館はこれを受けて、展示室の照明の上限を150ルクスから50ルクスへと3分の2減らしました。
2026年6月から10月まで、フィラデルフィア美術館では、ロンドン版を借りて同館の1点と並べる展示「Van Gogh’s Sunflowers: A Symphony in Blue and Yellow」が開かれました。同館の報道資料によれば、現存する大きな5点がアメリカでそろって展示されたのは、1954年のフィラデルフィアと2001年のシカゴの2回だけです。
『ひまわり』のよくある疑問
ゴッホの『ひまわり』は何枚ある?
数え方によって変わります。ゴッホ美術館は、花瓶に生けたひまわりを描いた大きなカンヴァスを5点としています。ナショナル・ギャラリーは、1888〜89年に描かれた花瓶のひまわりを全部で7点とし、そのうち1点は個人蔵、1点は第二次世界大戦中に失われ、残る5点が美術館で公開されていると説明しています。パリ時代の作品も含めたひまわりの絵全体では、ゴッホ美術館のシンポジウムの報告で11点(パリで4点、アルルで7点)とされています。
どこで見られる?
公開されている5点は、ナショナル・ギャラリー(ロンドン)、ゴッホ美術館(アムステルダム)、ノイエ・ピナコテーク(ミュンヘン)、フィラデルフィア美術館(アメリカ)が所蔵し、東京ではSOMPO美術館が受託している1点を公開しています。ノイエ・ピナコテークは改修のため閉館中で、2026年10月時点の公式コレクションページでは、作品はアルテ・ピナコテークで展示中とされています。
日本で見られる?
東京・新宿のSOMPO美術館で見ることができます。同館の常設展示は『ひまわり』のみです。開館日や展示の状況は時期によって変わるため、出かける前に公式サイトで確認すると安心です。
なお、徳島県鳴門市の大塚国際美術館では、花瓶のひまわり7点すべてを陶板で原寸大に再現し、一つの展示室に並べています。こちらは複製ですが、7点を見比べることができます。
ひまわりは何本描かれている?
作品によって違います。ナショナル・ギャラリーによると、ロンドン版には15本のひまわりが描かれています。フィラデルフィア美術館の解説によれば、ミュンヘン版は12本です。
なぜひまわりを描いたの?
ナショナル・ギャラリーやSOMPO美術館によれば、アルルの「黄色い家」にゴーギャンを迎えるにあたり、部屋を飾るために描かれました。ゴッホはゴーギャンがひまわりの絵を気に入っていることを知っており、ゴッホ自身も花が好きでした。ひまわりには、友情や「感謝」の意味も込められていたと考えられています。
大きさはどれくらい?
各館の記載では、ロンドン版が92.1×73cm、ゴッホ美術館版が95×73cm、ミュンヘン版が92×73cm、フィラデルフィア版が92.4×71.1cm、SOMPO美術館版が100.5×76.5cmです。どれも縦長で、高さ1m前後の大きさです。
まとめ
いかがだったでしょうか。フィンセント・ファン・ゴッホの『ひまわり』について、描かれているもの・見どころ・歴史をご紹介しました。
『ひまわり』は、1888年8月、アルルの「黄色い家」にゴーギャンを迎えるために描きはじめられた連作です。黄色の上に黄色を重ね、つぼみから種までの花の一生を、盛り上がる絵具で描きました。共同生活のあいだにも、その後の冬にも、ゴッホはひまわりを繰り返し描き、そのたびに少しずつ違う絵を生み出しています。
いま、公開されている5点は、ロンドン、アムステルダム、ミュンヘン、フィラデルフィア、東京に分かれています。同じ主題の絵でも、背景の色、花の数、筆づかい、大きさはそれぞれ違います。どこかで1点に出会ったら、ほかの『ひまわり』との違いを思い浮かべてみてください。ゴッホが同じ花に何度も向き合った理由が、少し見えてくるかもしれません。
Euphoric " " の視点
ゴッホは最初の4点のひまわりを、1888年8月のわずか1週間で描き上げました。花がしおれてしまう前に、急いで描く必要があったからです。
その後も、ゴーギャンとの共同生活のあいだに、そして冬には記憶をもとに、ゴッホはひまわりを描き直しています。ゴッホ美術館は、写しの一つを、ただの写しではなく、より装飾的なまとまりをめざしたものと報告しています。
花はしおれても、絵は何度でも描き直すことができます。季節が過ぎてもひまわりに向き合い続けたことは、移ろうものを手もとに留めておこうとする営みでもあったのかもしれません。
この作品を見に行くには
『ひまわり』は、次の館で公開されています。展示替えや貸し出しがあるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。







