こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。
皆さんは『湖畔』という作品をご存知ですか?
「日本近代洋画の父」とも呼ばれる画家、黒田清輝(くろだ・せいき)が、1897(明治30)年の夏に箱根の芦ノ湖のほとりで描いた油彩画です。浴衣姿の女性が団扇を手に、湖を背にして腰かけている姿を、淡い青を基調とした色で描いています。読み方は「こはん」で、英語では『Lakeside』と呼ばれます。
中学や高校の歴史の教科書に載っていることが多く、切手の図柄にもなったため、「この絵なら見たことがある」という方も多いのではないでしょうか。現在は東京国立博物館が所蔵する重要文化財で、東京・上野の黒田記念館で公開されています。
本記事ではそんな『湖畔』について、描かれているもの・見どころ・歴史をご紹介します。
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Toggle『湖畔』って?

湖のほとりの石に、浴衣を着た女性が腰かけ、白い団扇を手にしています。背景には静かな湖面と、対岸のなだらかな山が広がっています。顔は少し横を向き、視線は画面の外に向けられています。
文化庁の文化遺産オンラインの解説によれば、本作は麻布のキャンバスに、的確なデッサンと薄めの彩色で描かれました。日本の夏の情景を、西洋の油彩画の技法で表した作品として、近代の洋画のなかで最も広く日本人に親しまれている一点とされています。
基本情報
| 作品名 | 湖畔(こはん)。英題は『Lakeside』。1897年の発表時の題は『避暑』、1927年の展覧会では『湖畔美人』の題で出品されました |
| 作者 | 黒田清輝(くろだ・せいき、1866〜1924年) |
| 制作年 | 1897(明治30)年8月。箱根に滞在中、芦ノ湖のほとりで制作 |
| 技法・素材 | カンヴァス(麻布)・油彩 |
| サイズ | 縦69.0cm×横84.7cm |
| 所蔵 | 東京国立博物館(作品番号 KU-a117)。重要文化財(1999年指定) |
| 展示場所 | 黒田記念館(東京・上野)の特別室。特別室は年3回(新年・春・秋)、各2週間ほど公開されます |
作者の黒田清輝については、以下の記事でも詳しくご紹介しています。
何が描かれている?見どころを解説
芦ノ湖と対岸の山
舞台は神奈川県の箱根にある芦ノ湖です。黒田記念館の解説は、この作品を「箱根の芦ノ湖と彼岸の山を背景にして涼をとるこの麗人の像」と紹介しています。
e国宝(国立文化財機構)の解説によると、当時の芦ノ湖のほとりは、主に外国人のあいだで避暑地として知られていました。この作品が発表されたときの題名が『避暑』だったのも、そうした土地柄を思わせます。
浴衣と団扇の女性
画面の中心にいるのは、浴衣を着て団扇を持った女性です。文化遺産オンラインの解説は、団扇を手に涼をとる婦人像という日本的な主題に、西洋画の技法を融合させる試みがなされていると述べています。
浴衣の縞模様は、淡い青と白で軽やかに描かれています。手にした団扇の白さが、画面のなかで小さな明るいアクセントになっています。
画面をまとめる淡い青
『湖畔』の大きな特徴は、画面全体を包む淡い青です。文化遺産オンラインによれば、黒田は外光を取り入れた表現を試みながらも、画面全体を薄青色を主調とする淡い寒色系の色調でまとめ、油彩画特有の光沢の強い質感を避けています。
日本郵便の切手の解説も、着物、湖水、遠くの山がいずれも淡い青で描かれ、夏の涼やかな風が伝わってくるようだと紹介しています。浴衣の青、湖の青、山の青。同じ系統の色が重なることで、画面に静かな統一感が生まれています。
スナップショットのような構図
黒田記念館の解説は、この作品が日本の夏の高地のくすんだ風景と湿った大気を、淡い色調と平らな筆づかいで、スナップショットのような構図のなかに描き出していると評しています。
女性は画面の左寄りに置かれ、顔を少し横に向けています。のちに紹介する照子夫人の回想からも、ふとした瞬間をそのまま絵にしたような成り立ちがうかがえます。
「日本の油彩画」の一つの典型
文化遺産オンラインの解説は、本作を、黒田の代表作であるだけでなく、日本的な油彩画作品として一つの典型を完成した作品だと位置づけています。
黒田自身も、油絵が日本で描かれるうちに日本化していくことについて語っています。黒田記念館が紹介している1902(明治35)年の言葉では、画法は違っても日本人の頭脳から出るものである以上、「油絵も遂に日本化させられて一種違った日本風と云ふものになることは極まって居る」と述べています。『湖畔』は、その考えを絵のかたちで示した作品だと見ることもできます。
1912(大正元)年には、西洋と日本の画家の違いについて、「一口に云へば西洋人は仕上げと云ふ事に重きを置き、日本人は画題と面白味と云ふ事に重きを置いてゐる」と語りました。そして、日本の洋画が発達して仕上げも立派にできるようになれば、そこに日本の特色のあるものが生まれるだろうと見通しています。黒田記念館が紹介している言葉です。
『湖畔』の歴史
フランス留学と画家への転向(1884〜1893年)
東京文化財研究所の年譜によれば、黒田清輝は1866年、鹿児島に生まれました。1884年、18歳でフランスに渡ります。文化遺産オンラインの解説によると、最初の目的はパリの法科大学への留学でした。
ところが1886年、パリで画家の山本芳翠らに画家になることを勧められ、黒田はフランスの画家ラファエル・コランに師事します。1891年には、ソシエテ・デザルティスト・フランセのサロンに『読書』が入選しました。
『読書』(1891年)

文化遺産オンラインの解説によると、『読書』は1890〜91年に、パリ近郊の農村グレー=シュル=ロワンで、マリア・ビョーという少女をモデルに描かれました。窓のよろい戸から差し込む光が、本を読む少女の赤い服を照らしています。黒田にとって初めてのサロン入選作となった作品で、大きさは98.2×78.8cmです。
帰国と「新派」の登場(1893〜1896年)
黒田は1893年7月、アメリカを経由して帰国しました。文化遺産オンラインの解説によれば、明度の高い色彩による新しい画風を紹介して洋画界に新風を吹き込み、それまでの洋画家たちの「旧派」に対して「新派」と呼ばれました。e国宝の解説は、変化する光と大気が織りなす明るい表現が「新派」「紫派」と呼ばれ、人々の心をとらえていったと説明しています。
『舞妓』(1893年)

帰国した年の1893年、黒田は京都を旅し、この『舞妓』を描きました。e国宝の解説によれば、窓辺に腰かけた華やかな着物の舞妓が、駆け寄ってきた少女のほうを振り向いている場面で、窓の外には鴨川の川面が広がっています。黒田は「祇園町の舞妓杯に至つては天下無類ですねへ、実に綺麗なものだと思ひました」と、その美しさへの驚きを書き残しています。大きさは80.4×65.3cmで、『湖畔』と同じく重要文化財に指定されています。
文化遺産オンラインの解説は、黒田が西洋絵画の伝統に基づく構想画を日本に根付かせようと努める一方で、『舞妓』のような日本的な風物を好んで画題に選び、油彩画の日本的な展開の可能性を探ったと述べています。『湖畔』も、その流れのなかにある作品です。
この時期の黒田は、西洋の美術教育で重んじられた人体の研究も日本に持ち込もうとし、1895年の第4回内国勧業博覧会に出品した裸体画『朝妝』や、のちの『智・感・情』をめぐって議論も呼びました。
1896年、黒田は東京美術学校の西洋画科の指導者となり、同じ年に久米桂一郎とともに美術団体「白馬会」を結成しました。1898年には同校の教授に就任しています。
その後も黒田は、美術界の中心で活動を続けました。文化遺産オンラインの解説によれば、1907年に始まった文部省美術展覧会(文展)の開設にあたって指導的な役割を果たしています。東京文化財研究所の年譜によると、1910年に帝室技芸員となり、1920年には貴族院議員に当選、1922年には帝国美術院の院長に就任しました。
1897年夏、箱根の芦ノ湖で
文化遺産オンラインの解説によれば、『湖畔』は1897年8月、黒田が箱根に滞在していたときに、芦ノ湖のほとりで制作されました。
モデルについては、所蔵館側の解説がはっきり記しています。e国宝の解説によると、モデルは、のちに黒田の夫人となる金子種子(のちに照子と改名)です。黒田記念館の解説も、この夏、黒田が照子夫人を伴って避暑のため箱根に滞在したときに描かれたと紹介しています。
黒田記念館は、照子夫人が当時のことを振り返った言葉も紹介しています。「私の二十三歳の時で、夫が湖畔で制作しているのを見に行きますと、其処の石に腰かけてみてくれと申しますので、そう致しますと、よし明日からそれを勉強するぞと申しました」。続けて、雨や霧の日もあって、制作には結局1か月ぐらいかかったと語っています。
湖のほとりの石に腰かけた何気ない姿が、そのまま作品になった。照子夫人の言葉からは、スナップショットのような構図が生まれた背景もうかがえます。
『避暑』の題で発表(1897年)
完成した作品は、同じ1897年の第2回白馬会展に『避暑』の題で出品されました。東京文化財研究所の年譜にも、黒田がこの展覧会に『湖畔』などを出品したことが記されています。
文化遺産オンラインの解説によれば、本作は発表当時から評判が高い作品でした。
1900年パリ万国博覧会へ
1900(明治33)年、『湖畔』はパリ万国博覧会に出品されました。文化遺産オンラインの解説によると、ほかの作品とともに出品されており、作者にとっても自信作だったと推測されています。東京文化財研究所の年譜によれば、黒田はこの万博に5点を出品して銀賞を受け、自らも同年7月にパリに着いています。
東京国立博物館は『湖畔』を、「黒田自身が国際的な場に送った1点」と紹介しています。
「湖畔美人」から「湖畔」へ(1927〜1935年)
黒田は1924年に亡くなりました。黒田記念館の解説によれば、黒田は遺産の一部を美術の奨励事業に役立てるよう遺言し、これを受けて1928年に黒田記念館が完成しました。館内には、遺族から寄贈された作品を展示する黒田記念室が設けられました。
1927年、明治・大正期の美術をふり返る最初の大規模な展覧会「明治大正名作展覧会」(東京府美術館・朝日新聞社主催)に、この作品は『湖畔美人』の題で出品されました。文化遺産オンラインの解説によれば、すでに明治後半期の洋画を代表する一点と評価されていたといいます。
そして1935(昭和10)年、黒田の遺言により開設された美術研究所の黒田記念室に、『湖畔』の題名で寄贈されました。私たちがいま呼んでいる『湖畔』という題は、このときのものです。
『夫人肖像』(1910年)

黒田記念館の所蔵作品には、『湖畔』から13年後の1910年に描かれた、パステルによる『夫人肖像』もあります。紙にパステルで描かれ、大きさは64.5×49.5cmです。東京文化財研究所のデータベースでは、英題が「Portrait of the Painter’s Wife(画家の妻の肖像)」とされています。
黒田記念館と東京国立博物館
東京国立博物館の解説によれば、黒田記念館は建築家・岡田信一郎の設計で1928年に完成しました。1930年から2000年までは、のちに東京文化財研究所となる美術研究所が置かれていました。2007年4月に東京国立博物館へ移管され、耐震工事のため2012年4月から休館したのち、2015年1月に公開を再開しています。
この再開にあわせて設けられたのが、黒田の代表作を展示する「特別室」です。『湖畔』は現在、この特別室で、決まった期間に公開されています。
2016年には、東京国立博物館の平成館で特別展「生誕150年 黒田清輝 日本近代絵画の巨匠」が3月23日から5月15日まで開かれました。同館はこの展覧会を、「湖畔」で広く知られ、日本美術の近代化のために力を尽くした黒田清輝の生誕150年を記念した大回顧展と紹介しています。
重要文化財、そして切手と教科書へ
『湖畔』は1999年、国の重要文化財に指定されました。
黒田記念館の解説は、この作品が画集だけでなく、子どもたちの教科書や切手(1967年発行)にもなり、「明治」という時代のイメージとして、また近代日本の「美しい女性像」のイメージとして親しまれていると紹介しています。東京文化財研究所が2025年に開いたシンポジウムの案内でも、中学や高校の歴史の教科書には必ずと言ってよいほど『湖畔』が掲載されていると書かれています。
2020年には、日本郵便の特殊切手「美術の世界シリーズ 第1集」(テーマは「青の世界」、2020年3月発行)の一枚にも、『湖畔』の部分が選ばれました。
東京文化財研究所は、この作品の調査研究を『美術研究作品資料』第5冊(2008年)にまとめています。全体図や部分図のほか、斜めから光を当てた画像、紫外線や近赤外線を使った画像なども収められ、モデルや、制作された頃の箱根についての論考も掲載されています。
『湖畔』のよくある疑問
『湖畔』はどこで見られる?
東京・上野の黒田記念館で公開されています。黒田記念館の公式サイトによれば、『湖畔』は『読書』『舞妓』などとともに、ゆっくり鑑賞できる「特別室」で展示され、特別室は年3回(新年・春・秋)、各2週間ほど公開されます。2026年度の開室日は、次のとおり案内されています。
- 2026年10月27日(火)〜11月8日(日)
- 2027年1月1日(金・祝)〜1月11日(月・祝)
- 2027年3月24日(水)〜4月4日(日)
観覧料は無料、開館時間は9時30分から17時まで(入館は閉館の30分前まで)、休館日は原則として月曜日です。予定は変わることがあるため、出かける前に公式サイトで確認しておくと安心です。
モデルは誰?
e国宝の解説によれば、モデルは、のちに黒田清輝の夫人となる金子種子(のちに照子と改名)です。東京国立博物館の展覧会紹介でも、モデルはのちに夫人となる金子種子とされ、黒田記念館の解説や日本郵便の切手の解説でも、照子夫人をモデルに描いたと紹介されています。照子夫人の回想では、当時23歳でした。
描かれている湖はどこ?
神奈川県箱根町の芦ノ湖です。文化遺産オンラインの解説によれば、黒田は1897年8月、箱根に滞在中、芦ノ湖のほとりでこの作品を制作しました。
大きさはどれくらい?
縦69.0cm、横84.7cmです。e国宝(国立文化財機構)の作品情報に記載されている寸法です。
最初の題名は何だった?
1897年の第2回白馬会展では『避暑』の題で出品されました。1927年の「明治大正名作展覧会」では『湖畔美人』の題で出品され、1935年に黒田記念室へ寄贈されたときに『湖畔』の題名となりました。
『湖畔』は国宝?
国宝ではなく、重要文化財です。1999年に指定されました。同じ黒田清輝の作品では、『舞妓』も重要文化財に指定されています。
切手になったのはいつ?
黒田記念館の解説によれば、1967年に発行された切手の図柄になりました。また、2020年3月に発行された日本郵便の特殊切手「美術の世界シリーズ 第1集」にも、『湖畔』の部分が使われています。
まとめ
いかがだったでしょうか。黒田清輝の『湖畔』をご紹介しました。
『湖畔』は、フランスで絵を学んで帰国した黒田が、1897年の夏、箱根の芦ノ湖のほとりで描いた作品です。モデルはのちに夫人となる照子で、湖畔の石に腰かけた何気ない姿が、そのまま一枚の絵になりました。
浴衣と団扇という日本の夏の情景を、西洋の油彩画の技法で描きながら、画面を淡い青でまとめ、油絵らしい強い光沢を避けている。そこに、油彩画を日本のものにしようとした黒田の試みが表れています。発表時は『避暑』、のちに『湖畔美人』と呼ばれた作品は、1935年に『湖畔』の題で黒田記念室に寄贈され、教科書や切手を通して広く親しまれるようになりました。
作品の前に立つ機会があれば、浴衣の青、湖の青、山の青を、一つずつ見比べてみてください。同じ青のなかにも、少しずつ違う夏の空気が描き分けられていることに気づくかもしれません。
Euphoric " " の視点
『湖畔』は、照子夫人が湖のほとりの石に腰かけた姿から生まれました。黒田は「よし明日からそれを勉強するぞ」と言い、雨や霧の日もあって、制作には結局1か月ぐらいかかったといいます。
黒田記念館は、この作品が日本の夏の湿った大気を、淡い色調と平らな筆づかいで、スナップショットのような構図のなかに描き出していると評しています。
一瞬をとらえたように見える構図は、ひと月をかけて描かれていました。何気なく見える一枚の軽やかさは、重ねられた時間と手間によって支えられていたのだと思われます。
この作品を見に行くには
『湖畔』は、次の館で公開されています。展示替えや貸し出しがあるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。







