【徹底解説】『真珠の耳飾りの少女』とは?モデルの謎と大きすぎる真珠を解説!

【徹底解説】『真珠の耳飾りの少女』とは?モデルの謎と大きすぎる真珠を解説!
『真珠の耳飾りの少女』の徹底解説(『真珠の耳飾りの少女』/パブリックドメイン/Wikimedia Commons)

アートコンシェルジュ|最初の一枚から、一生のコレクションまで。無料で相談する

こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。

皆さんは『真珠の耳飾りの少女』という作品をご存知ですか?

17世紀オランダの画家ヨハネス・フェルメールが描いた一枚で、暗い背景のなか、青と黄色のターバンを巻いた少女がこちらを振り向いています。耳もとには大きな真珠が光っています。所蔵するオランダ・ハーグのマウリッツハイス美術館を代表する作品で、日本ではかつて『青いターバンの少女』とも呼ばれてきました。

2026年の夏には、大阪中之島美術館で開かれた展覧会のために、14年ぶりに日本へやってきたことでも話題になりました。

本記事ではそんな『真珠の耳飾りの少女』について、描かれているもの・見どころ・歴史をご紹介します。

『真珠の耳飾りの少女』って?

ヨハネス・フェルメール『真珠の耳飾りの少女』(1665年頃)
ヨハネス・フェルメール『真珠の耳飾りの少女』(1665年頃)マウリッツハイス美術館/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

『真珠の耳飾りの少女』は、ヨハネス・フェルメール(1632〜1675年)が1665年頃に描いた油彩画です。縦44.5cm、横39cmほどの小さな画面に、肩越しにこちらを振り向く少女が描かれています。

大切なのは、この絵が特定の人物を描いた肖像画ではない、という点です。マウリッツハイス美術館は、この作品を「トローニー(tronie)」と説明しています。トローニーとは、想像上の人物を描いて、ある型や性格を表す絵のことです。この作品の場合は、異国風の衣装をまとい、東洋風のターバンを巻き、ありえないほど大きな真珠を耳につけた少女、という型です。

基本情報

作品名真珠の耳飾りの少女(英題:Girl with a Pearl Earring/オランダ語:Meisje met de parel)。日本では以前『青いターバンの少女』とも呼ばれていました
作者ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer、1632〜1675年)
制作年1665年頃
技法・素材油彩、カンヴァス
サイズ44.5×39cm
署名画面左上に「IVMeer」
所蔵マウリッツハイス美術館(オランダ・ハーグ)。作品番号670
展示場所マウリッツハイス美術館の常設展示。館外への貸し出しは原則として行われていません

作者のフェルメールについては、以下の記事で詳しくご紹介しています。フェルメールの贋作で知られるメーヘレンの記事もあわせてどうぞ。

フェルメールとは?「光の魔術師」と呼ばれる理由と生涯・代表作を解説

【徹底解説】ハン・ファン・メーヘレンとは?フェルメールの贋作で専門家を欺いた画家の人生と作品を解説!

トローニーって?

この作品を理解するいちばんの鍵が、トローニーという言葉です。

17世紀のオランダでは、注文主の顔を写す肖像画とは別に、印象的な顔立ちや珍しい衣装の人物を描いた絵が、それ自体として描かれ、売られていました。ニューヨークのメトロポリタン美術館は、こうしたトローニー(「顔」の意味)を、興味をそそる人物と珍しい衣装と見事な描写が一体になった、収集家向けの作品だったと説明しています。

マウリッツハイス美術館も、17世紀のオランダの少女はターバンを巻かなかったと書いています。ターバンは、少女に東洋風の雰囲気を与えるための小道具でした。つまりこの絵は「この人を描いてほしい」という注文に応えたものではなく、絵としての魅力そのものを見せるための作品だったと考えられています。

何が描かれている?見どころを解説

画面にあるのは、少女ひとりと、暗い背景だけです。それでも見るほどに発見があります。所蔵館の解説と調査をもとに、見どころを順に見ていきます。

振り向く一瞬と、光の描き方

ヨハネス・フェルメール『真珠の耳飾りの少女』(1665年頃)部分
ヨハネス・フェルメール『真珠の耳飾りの少女』(1665年頃)部分 マウリッツハイス美術館/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

少女は体を斜めに向けたまま、顔だけをこちらへ振り向けています。大阪中之島美術館の展覧会資料は、こちらを振り向いているだけなのに、きらりと光る瞳や半開きの濡れた唇、大きな真珠が見る者をとらえて離さない、と紹介しています。

光は画面の左から差し込み、額、頬、鼻すじ、唇を照らしています。顔の輪郭はくっきりとした線で区切られず、肌はやわらかく影に溶けていきます。唇と真珠には、小さな白い光の点が置かれています。この控えめな光の点が、濡れた唇や光る真珠の質感をつくっています。

青と黄色のターバン

この絵の色は、ほぼ青と黄色に絞られています。大阪中之島美術館の資料は、色彩が青と黄色のみにほぼ限定されていると書いています。

ターバンの青に使われているのは、ラピスラズリという鉱物から作られるウルトラマリンです。マウリッツハイス美術館は、フェルメールの絵具のなかで最も高価だったのはまちがいなくウルトラマリンだと述べ、ターバンと上着にこの上質なウルトラマリンが惜しみなく使われていることを特筆しています。同館の展示「Who’s that Girl?」では、ウルトラマリンの原料がアフガニスタン産の宝石であったことも紹介されました。

上から垂れる黄色い布は、ターバンの青と強い対比をつくっています。暗い背景のなかで、この二つの色が少女の顔を囲み、視線を顔へと集めます。日本で以前『青いターバンの少女』と呼ばれたのも、この印象的な青の布があったからでしょう。

大きすぎる真珠

ヨハネス・フェルメール『真珠の耳飾りの少女』(1665年頃)部分
ヨハネス・フェルメール『真珠の耳飾りの少女』(1665年頃)部分 マウリッツハイス美術館/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

題名にもなっている真珠は、近くで見ると驚くほど簡単に描かれています。マウリッツハイス美術館によれば、真珠は半透明の白と不透明な白の、わずかな筆のタッチだけでできています。輪郭線はなく、真珠を耳に掛けるための金具も描かれていません。真珠は、絵具がつくる錯覚だということです。

大きさについても、同館は本物の真珠にしては大きすぎると書いています。そのうえで、ニスを塗ってつや消しにしたガラスの雫を身につけていた可能性と、フェルメールの想像の産物だった可能性の、二つを挙げています。どちらとも決まってはいません。

また、真珠にはかつて「二つ目の光の点」があるように見えていました。1994年の修復の際、これははがれた絵具のかけらが裏返って真珠の上にくっついたものだと分かり、取り除かれています。

見えなかったまつ毛

肉眼で見ると、少女にはまつ毛がないように見えます。ところが2018年に行われた調査で、マクロ蛍光X線分析と顕微鏡による観察を行ったところ、フェルメールが両目のまわりに細い毛を描いていたことが分かりました。マウリッツハイス美術館によると、まつ毛は茶色の絵具で描かれていて、先端は暗くなった背景に紛れて、ほとんど見えなくなっています。

背景は「黒」ではなかった

この絵の背景は、ふつう「黒」や「暗い」と言われます。しかしマウリッツハイス美術館は、背景がもとはとても暗い緑色だったと説明しています。

さらに2018年の調査では、フェルメールが少女を、何もない暗い空間ではなく緑のカーテンの前に描いていたことが分かりました。画面の右上に、折りたたまれた布を思わせる斜めの線や色の違いが見つかったのです。半透明の緑の絵具が、数百年のあいだに物理的・化学的に変化したため、カーテンはほとんど見えなくなりました。

同じ調査では、フェルメールが描き進めるあいだに、耳、ターバンの上端、首の後ろの位置を動かしていたことも分かっています。迷いなく描かれたように見える一枚にも、描き直しの跡が残っているのです。

白い襟と上着

少女の首もとには、白い襟がのぞいています。マウリッツハイス美術館の調査では、襟や真珠、白目には鉛白(鉛からつくる白い絵具)が多く含まれていることが、X線写真で確認されています。黄土色の上着は、ターバンの黄色とも響き合い、画面全体の色調をまとめています。

同館の展示では、フェルメールがこの絵に使った10種類の顔料と、その産地を示す世界地図も紹介されました。赤の顔料の一つには、メキシコや南米のサボテンにつく虫からとるコチニールという色素も使われています。小さな一枚に、世界各地から集まった材料が使われていたことになります。

『真珠の耳飾りの少女』の歴史

フェルメールとデルフト(1650〜1660年代)

フェルメールは、オランダの町デルフトで活動した画家です。大阪中之島美術館の展覧会資料によれば、画家になった当初は聖書や古典神話に基づく歴史画を描いていましたが、24歳頃から室内の風俗画へと転じました。一枚の絵に長い時間をかけたため、残された作品は多くありません。マウリッツハイス美術館は、フェルメールの絵として知られているのは36点だけだとしています。

マウリッツハイス美術館には、フェルメールの絵が3点あります。『真珠の耳飾りの少女』のほか、『デルフトの眺望』と、あまり知られていない『ディアナとニンフたち』です。

『デルフトの眺望』(1660〜61年頃)

ヨハネス・フェルメール『デルフトの眺望』(1660〜61年頃)
ヨハネス・フェルメール『デルフトの眺望』(1660〜61年頃)マウリッツハイス美術館/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

フェルメールが暮らした町デルフトを、川の対岸から描いた作品です。マウリッツハイス美術館は、これを17世紀のオランダで最も有名な都市景観画と紹介しています。『真珠の耳飾りの少女』と同じ館で、あわせて見ることができる作品です。

制作と、謎のモデル(1665年頃)

『真珠の耳飾りの少女』は1665年頃に描かれたとされています。ただし大阪中之島美術館の資料が書くように、制作年などをはっきり示す記録はありません。

では、モデルは誰だったのでしょうか。かつては画家の娘だという説もありましたが、確かな根拠はなく、謎のままです。マウリッツハイス美術館で2018年の調査に携わった研究者も、この少女が誰だったのか、実在したのかどうかは分からなかった、と述べています。先に触れたとおり、この絵はトローニーであり、特定の人物の肖像として描かれたものではありません。

同じころのトローニー『少女』(1665〜67年頃)

ヨハネス・フェルメール『少女』(1665〜67年頃)
ヨハネス・フェルメール『少女』(Study of a Young Woman、1665〜67年頃)メトロポリタン美術館/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

フェルメールには、同じ型の作品がもう一つあります。ニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵する『少女』(Study of a Young Woman)です。1665〜67年頃の作で、大きさは44.5×40cm、『真珠の耳飾りの少女』とほぼ同じです。

メトロポリタン美術館は、この絵もマウリッツハイスの『真珠の耳飾りの少女』と同じように、注文による肖像画ではなく、トローニーだったと考えられると説明しています。暗い背景、こちらを向く若い女性、肩に掛かる布。2点を並べてみると、フェルメールがこの型の絵で何を見せようとしていたのかが、よく分かります。

2ギルダー30セントで落札(1881年)

フェルメールの死後、この絵がどのような持ち主を経たのかは、すべてが分かっているわけではありません。はっきりしているのは19世紀後半からです。

マウリッツハイス美術館によると、1881年、この絵はハーグの競売に出されました。下見の日に目を留めたのが、文化行政の役人ヴィクトール・デ・ステュエルスと、その友人で隣人の美術収集家A.A.デス・トンブです。二人は互いに競り合わないことを決め、デス・トンブがわずか2ギルダーと手数料30セントで落札しました。

当時の絵はひどく汚れ、状態も悪く、何が描かれているのか分かりにくいほどだったといいます。その後の修復によって、フェルメールの署名「IVMeer」が現れました。

秘密の遺言とマウリッツハイスへ(1902〜1903年)

デス・トンブは1902年12月に亡くなりました。マウリッツハイス美術館によれば、そのとき彼が秘密の遺言を残していたことが分かります。遺言は、『真珠の耳飾りの少女』を含む12点の絵をマウリッツハイスに遺贈するというものでした。絵が実際に美術館に入ったのは1903年です。

マウリッツハイス美術館は「この絵はいくらか」という問いに、自分たちは一銭も払っておらず、値段のつけようがない、と答えています。

マウリッツハイス美術館ってどんなところ?

作品の住まいとなったマウリッツハイス美術館についても、少し触れておきます。大阪中之島美術館の展覧会資料によると、館の建物は1644年に、ヨハン・マウリッツ伯爵(1604〜1679年)の私邸として建てられました。オランダ古典様式建築の傑作と評される建物です。

1822年に王立美術館として開館しました。コレクションの基礎となったのは、オラニエ公ウィレム5世が集めた絵画で、その息子でオランダの初代国王となったウィレム1世が美術館を創設しました。主に17世紀のオランダ・フランドル絵画で知られ、フェルメールの3点のほか、レンブラントの『ニコラース・テュルプ博士の解剖学講義』や、ルーベンス、フランス・ハルス、ヤン・ステーンらの作品を所蔵しています。

修復と調査(1994年・2018年)

1994年には、『デルフトの眺望』とともに修復が行われました。1996年にマウリッツハイスで開かれた大規模なフェルメール展に向けた修復で、作業は来館者がガラス越しに見られる仮設の工房で行われました。黄ばんだニスや変色した補彩が取り除かれ、前に述べた「二つ目の光の点」もこのとき正体が分かりました。

2018年2月から3月にかけての約2週間には、国際的な研究チームによる技術調査「Girl in the Spotlight」が行われました。館内の「黄金の間」にガラス張りの調査室が設けられ、来館者は開館時間中、調査の様子を見ることができました。まつ毛や緑のカーテンの発見は、この調査によるものです。調査は修復ではなく、絵に手を加えるものではありませんでした。

来日(2012年・2026年)

マウリッツハイス美術館は、この絵をほかの館へ貸し出すのはごく例外的な場合に限っています。その例外の一つが、美術館の大規模な改修工事が行われた2012〜2014年でした。この間、作品は世界を巡り、日本では東京都美術館と神戸で公開されました。マウリッツハイスによれば、この巡回は改修の大切な資金にもなりました。

そして2026年、マウリッツハイス美術館の改修工事による臨時休館に伴い、作品は再び日本へやってきました。展覧会「フェルメール《真珠の耳飾りの少女》展 17世紀オランダ絵画の名品、奇跡の再来日」は、2026年8月21日から9月27日まで大阪中之島美術館で開かれました。主催は大阪中之島美術館、朝日新聞社、朝日放送テレビで、他の地域への巡回はない大阪だけの開催でした。マウリッツハイスの『ディアナとニンフたち』もあわせて来日し、同館のフェルメール3点のうち2点が日本で並びました。

『ディアナとニンフたち』(1653〜54年頃、97.8×104.6cm)は、フェルメールのもっとも初期の作品で、神話に題材をとった唯一の作品です。展覧会資料によると、マウリッツハイスが1876年に入手したときには別の画家ニコラース・マースの偽の署名が入っていて、マースの作品と思われていました。19世紀末の修復で「JVMeer」という署名が見つかり、フェルメールの作品とされました。『真珠の耳飾りの少女』と同じように、修復によってフェルメールの名前が現れた作品です。

会場では、ヤン・ステーン『老いが歌えば若きが笛吹く』、パウルス・ポッテル『水に映る牛』、マリア・ファン・オーステルウェイク『装飾的な壺の花』など、マウリッツハイスが所蔵する17世紀オランダ絵画もあわせて紹介されました。

大阪中之島美術館の発表によると、この来日は2012年の「マウリッツハイス美術館展」以来14年ぶりでした。マウリッツハイス美術館のマルティネ・ゴッセリンク館長は、日本の人々に彼女を送り届けられる、おそらく最後となるであろう特別な機会だと語っています。

展覧会の詳しい内容は、Euphoric " " の展覧会記事でご紹介しています。

【展覧会】「フェルメール《真珠の耳飾りの少女》展」が大阪中之島美術館で開催!

映画と題名(2003年〜現在)

大阪中之島美術館の資料によると、この絵は日本で以前『青いターバンの少女』とも呼ばれていましたが、2003年の映画『真珠の耳飾りの少女』がヒットしたことで、現在の題名で呼ばれるようになりました。

大阪での展示を終えた作品は、マウリッツハイス美術館に戻っています(同館公式サイトの告知による)。いまも、ハーグで多くの人を迎えています。

『真珠の耳飾りの少女』のよくある疑問

どこで見られる?

オランダ・ハーグのマウリッツハイス美術館です。原則として館外に貸し出されない作品なので、本物を見るにはハーグを訪れるのが基本です。2026年8〜9月の大阪中之島美術館での展示は、同館の改修工事による臨時休館に伴う、例外的な貸し出しでした。

大きさは?

縦44.5cm、横39cmです。A3用紙(42×29.7cm)より一回り大きいくらいの、小さな作品です。

モデルは誰?

分かっていません。画家の娘だという説もありましたが、確かな根拠はありません。マウリッツハイス美術館は、この絵を特定の人物の肖像画ではなく、想像上の人物を描いたトローニーと位置づけています。

どこの国の絵?

オランダの絵です。作者のフェルメールは17世紀のオランダの画家で、デルフトの町で活動しました。所蔵するマウリッツハイス美術館も、オランダのハーグにあります。

フェルメールの絵は全部で何点ある?

マウリッツハイス美術館は、フェルメールの絵として知られているのは36点だけだとしています。大阪中之島美術館の資料も、現存する作品は30数点しか知られていないと書いています。資料によって数え方は異なりますが、いずれにしてもとても少ない数です。そのうち3点を、マウリッツハイス美術館が所蔵しています。

『青いターバンの少女』と同じ作品?

同じ作品です。日本では以前この題名でも呼ばれていましたが、2003年の映画のヒット以降、『真珠の耳飾りの少女』という題名が広まりました。

真珠は本物?

本物の真珠にしては大きすぎる、とマウリッツハイス美術館は書いています。ニスを塗ったガラスの雫だった可能性と、画家の想像だった可能性があり、どちらかは分かっていません。画面の上では、わずかな白い絵具のタッチだけで描かれています。

値段はいくら?

売りに出されたことがないため、値段はありません。1881年の競売では2ギルダーと手数料30セントで落札されましたが、マウリッツハイス美術館自身は、遺贈で受け取ったので一銭も払っておらず、値段のつけようがないと答えています。

まとめ

いかがだったでしょうか。フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』をご紹介しました。

この絵は、特定の誰かを描いた肖像画ではなく、トローニーと呼ばれる想像上の人物の絵です。青と黄色のターバン、大きすぎる真珠、こちらを振り向く一瞬。そのどれもが、絵としての魅力を見せるために選ばれています。

競売でわずかな値段で落札され、秘密の遺言でマウリッツハイスに入ったという来歴も、この絵の物語の一部です。近年の調査では、見えなかったまつ毛や、消えてしまった緑のカーテンも明らかになりました。

次にこの絵を見る機会があれば、真珠の白い光の点や、背景の暗がりにも目を向けてみてください。フェルメールが描いたもの、そして時間が隠してしまったものが、少しずつ見えてくるかもしれません。

同じフェルメールの代表作『牛乳を注ぐ女』も、徹底解説でご紹介しています。

https://euphoric-arts.com/art-2/the-milkmaid/

Euphoric " " の視点

1881年、この絵はひどく汚れ、何が描かれているのか分かりにくいほどの状態で競売に出され、2ギルダーと手数料30セントで落札されました。署名「IVMeer」が現れたのは、その後の修復によってです。

2018年の調査では、肉眼では見えないまつ毛と、背景の緑のカーテンが見つかりました。カーテンは、絵具が数百年のあいだに変化したことで、ほとんど見えなくなっていたものです。

署名も、まつ毛も、カーテンも、はじめから画面のなかにありました。名作の価値は一度に決まるものではなく、後の時代の人が少しずつ見つけ出していくものなのかもしれません。

この作品を見に行くには

『真珠の耳飾りの少女』は、オランダ・ハーグのマウリッツハイス美術館で公開されています。作品の情報は、次のページでも見ることができます。

展示替えや貸し出しがあるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。

NEW POSTS / 新着記事

開催中の展覧会いま行ける展覧会を、終了が近い順に157件 開催中/7日以内に終了 7件展覧会を探す
全国の美術館・博物館ガイド全国の美術館を、エリアから26館掲載美術館を探す