【徹底解説】エドワード・ホッパーとは?『ナイトホークス』で都市の孤独を描いた画家の人生と作品を解説!

【徹底解説】エドワード・ホッパーとは?『ナイトホークス』で都市の孤独を描いた画家の人生と作品を解説!

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こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。

皆さんはエドワード・ホッパーという人物をご存知ですか?

エドワード・ホッパー(Edward Hopper)は、1882年にアメリカ・ニューヨーク州のナイアックで生まれた画家です。深夜のダイナー、人のいない日曜の朝の商店街、夕暮れのガソリンスタンド。ありふれたアメリカの風景を、くっきりとした光と影で描き、見る人に不思議な静けさと孤独を感じさせる作品を残しました。

エドワード・ホッパーの代表作は、シカゴ美術館が所蔵する『Nighthawks(ナイトホークス)』(1942年)です。ほかにも『House by the Railroad』(1925年)や『Early Sunday Morning』(1930年)など、20世紀のアメリカ美術を語るうえで欠かせない絵がいくつもあります。本記事ではそんなエドワード・ホッパーの人生と作品についてご紹介します。

エドワード・ホッパーって?

ハリス・アンド・ユーイング撮影『Edward Hopper, New York artist』(1937年)。窓辺の椅子に腰かけ、スーツ姿で手に冊子を持つエドワード・ホッパー
ハリス・アンド・ユーイング撮影『Edward Hopper, New York artist』(1937年)米国議会図書館/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

基本情報

本名エドワード・ホッパー(Edward Hopper)。「エドワードホッパー」「エドワード ホッパー」と書かれることもあります
生年月日(没年月日)1882年7月22日〜1967年5月15日
国籍・出身アメリカ/ニューヨーク州ナイアック(マンハッタンの北、ハドソン川沿いの町)
学歴1899年からニューヨークのイラストの学校、1900年からニューヨーク美術学校(New York School of Art)で学ぶ
分野油彩画、水彩画、版画(エッチング)、素描、イラストレーション
傾向20世紀アメリカの写実主義(リアリズム)。都市や郊外の日常の風景を、単純化した形と光と影で描く
師事した人物・影響を受けた人物ロバート・ヘンライ、ウィリアム・メリット・チェイス(ニューヨーク美術学校で師事)。エドガー・ドガ、エドゥアール・マネの影響を受けたとメトロポリタン美術館は紹介しています

ホッパーの師や学校、影響を受けた画家については、以下の記事でも詳しくご紹介しています。

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経歴と作品

ナイアックに生まれ、イラストを学ぶ(1882年〜1906年)

エドワード・ホッパーは1882年7月22日、ニューヨーク州ナイアックに生まれました。メトロポリタン美術館の解説によると、ナイアックはハドソン川の西岸にある町で、ホッパーの家は中流家庭でした。両親はホッパーの絵の才能を応援していたといいます。

ナイアックには、今もホッパーゆかりの家が残っています。この家は1858年にホッパーの母方の祖父が建てたもので、1908年までホッパーが主に暮らした場所でした。ホッパーの没後に荒れ果てましたが、地元の人々によって取り壊しを免れて修復され、アメリカの国家歴史登録財にも登録されています。現在は「エドワード・ホッパー・ハウス・ミュージアム&スタディ・センター」として、ハドソン川沿いの町ナイアックがホッパーの光や色、題材の考え方を育んだことを伝える活動をしています。

ホイットニー美術館によると、ホッパーは1899年、マンハッタンから50キロ足らず北にあるナイアックから街へ通い、イラストの学校で学び始めました。その1年後にはニューヨーク美術学校に進みます。同校でホッパーは、アメリカ印象派の画家ウィリアム・メリット・チェイスや、身の回りの現実を描くよう学生を励ましたロバート・ヘンライに学びました。メトロポリタン美術館は、同じ学校の同級生に、ジョージ・ベローズ、ギイ・ペーヌ・デュ・ボワ、ロックウェル・ケントがいたと紹介しています。

ブリタニカ百科事典によると、ホッパーがヘンライのもとで絵を学んだのは1901年から1906年までです。はじめは商業イラストの道を考えていたホッパーが、このころ美術としての絵画へ大きく舵を切りました。

3度のパリ滞在(1906年〜1910年)

学校を出たホッパーは、フリーランスのイラストの仕事をしながら絵を描き続けました。ホイットニー美術館によると、その仕事で得たお金で、1906年から1910年までのあいだに3度、長期間パリに滞在しています。滞在中は屋外でスケッチや油彩を描き、光にあふれ、のびのびとした筆づかいの街の風景を残しました。この経験が、身の回りの建物をどう画面に切り取るかという感覚を育てたと、同館は説明しています。

当時のパリでは、フォーヴィスムやキュビスムといった新しい絵画が生まれていました。けれどもメトロポリタン美術館によると、ホッパーはそうした前衛の動きにはあまり関心を示さず、むしろエドガー・ドガやエドゥアール・マネの作品に強くひかれました。近代の都市の暮らしを描いた2人の構図の工夫は、その後長くホッパーの絵に影響を与えたといいます。ブリタニカも、ホッパーがフランスで花開いていた実験的な絵画に染まらず、生涯自分の道を歩んだと書いています。

イラストレーターとして働きながら(1910年代)

ニューヨークに戻ったホッパーは、なかなか画家として認められませんでした。メトロポリタン美術館によると、1910年代のホッパーは評価を得るのに苦労し、さまざまなグループ展に作品を出しました。1913年には、ニューヨークの大規模な展覧会「アーモリー・ショー」に油彩画『Sailing』(1911年、カーネギー美術館所蔵)を出品しています。

ブリタニカによると、ホッパーは1924年ごろまで、主に広告の絵やイラストのためのエッチングに時間を費やしていました。生活のための仕事が続く一方で、のちに大きな意味を持つ版画の仕事も、この時期に始まります。

暮らしの場も、このころ定まりました。ホイットニー美術館によると、ホッパーは1913年から亡くなる1967年まで、ニューヨークのワシントン・スクエアにある同じアパートで暮らし、制作しました。グリニッジ・ヴィレッジにアトリエを持ち、夏はニューイングランドで過ごすという生活のかたちは、生涯変わりませんでした。

版画で磨いた光と影(1915年〜1920年代初め)

ホイットニー美術館によると、ホッパーは1915年から1920年代初めにかけて、版画の制作に本格的に取り組みました。都市で見たものを白と黒だけの画面にまとめ、光と影を試すことで、構図の腕を磨いたのです。メトロポリタン美術館は、ホッパーが油彩を中心にしながらもエッチングの技法を身につけ、版画のほうが早く売れるようになったと紹介しています。

この時期にホッパーの絵の大切な記号になったのが「窓」でした。ホイットニー美術館は、窓が、ホッパーが長く心ひかれてきた都市の建物の正面と、その内側で営まれる私的な暮らしをひとつの画面につなぐ役割を果たしたと説明しています。

『Night Shadows』(1921年)

『Night Shadows』は、夜の街角を高い位置から見下ろしたエッチングです。白く光る歩道を、小さな人影がひとり横切っていきます。画面の右から左へ、街灯の柱の長い影が路面を斜めに走り、上の方には建物の角が黒々と迫っています。ホイットニー美術館の記録では、版の大きさは縦17.5センチ、横21センチほどです。

エドワード・ホッパー『Night Shadows』。夜の街角を高い位置から見下ろしたエッチングで、白く光る歩道を小さな人影がひとり横切り、街灯の柱の長い影が路面を斜めに走る
エドワード・ホッパー『Night Shadows』(1921年)、エッチング、版17.5×21cm、所蔵:ホイットニー美術館(Gift of Gertrude Vanderbilt Whitney)。© Heirs of Josephine N. Hopper/Licensed by Artists Rights Society (ARS), New York。画像出典:ホイットニー美術館公式サイト「Night Shadows」作品ページ(引用)

この版画は「Six American Etchings」という版画集の1点で、雑誌『New Republic』から出版されました。真上に近い視点、人物の小ささ、そして長くのびる影。のちの油彩画で見られるホッパーらしい緊張感が、すでにここに表れています。

最初の個展と画家としての成功(1920年代)

メトロポリタン美術館によると、ホッパーは1920年、37歳で初めての個展を開きました。会場は、彫刻家で美術の支援者でもあったガートルード・ヴァンダービルト・ホイットニーがつくった「ホイットニー・スタジオ・クラブ」で、16点の油彩画が並びました。この展覧会では1点も売れませんでしたが、ホッパーの経歴の上では象徴的な節目になったと、同館は書いています。

状況はその数年後に大きく変わります。ニューヨークのフランク・K・M・レーン画廊での2度目の個展は、出品した絵がすべて売れるほどの成功を収め、以後この画廊が生涯ホッパーの作品を扱いました。ブリタニカは、ホッパーの成熟した画風は1920年代半ばにはすでに形づくられていたと書いています。

ホイットニー美術館によると、ホッパーは1924年に画家のジョセフィン(ジョー)・ヴァースティル・ニヴィソンと結婚しました。ジョーはホッパーの絵のただ一人のモデルをつとめ、役になりきった服装をしたり、小道具をそろえたりして、場面づくりに積極的に関わりました。夫婦で場面を組み立てることは、ホッパーの制作の欠かせない一部だったと、同館は説明しています。

メトロポリタン美術館によると、ジョーはホッパーに水彩画にもっと取り組むよう勧め、完成した作品や展覧会、売れた作品の記録を細かくつけていました。ブリタニカも、1924年以降のホッパーが『Model Reading』(1925年)のような水彩画や油彩画に取り組み始めたと書いています。夏を過ごしたメイン州やマサチューセッツ州の海辺の町で描いた作品には、自然をじっくり観察した跡が表れていると、ホイットニー美術館は紹介しています。

『House by the Railroad』(1925年)

『House by the Railroad』には、マンサード屋根をもつ背の高いヴィクトリア様式の家が、夕方の光の中に立つ姿が描かれています。家の手前を線路が横切り、その土手が家の土台や庭を隠しています。空は青く、家のまわりには人の気配がありません。

エドワード・ホッパー『House by the Railroad』。青い空を背に、マンサード屋根の背の高いヴィクトリア様式の白い家が夕方の光を受けて立ち、手前を線路の土手が横切って家の土台を隠している
エドワード・ホッパー『House by the Railroad』(1925年)、油彩・カンヴァス、61×73.7cm、所蔵:ニューヨーク近代美術館(MoMA。Given anonymously)。画像出典:MoMA公式サイト「House by the Railroad」作品ページ(引用)

所蔵するニューヨーク近代美術館(MoMA)の解説によると、線路は家への道をふさぐ視覚的な壁となり、家はがらんとした風景の中に孤立して見えます。家と線路の組み合わせは、20世紀初めのアメリカにおける「動かない伝統」と「移動の可能性」との対決として読むこともできるといいます。MoMAは、この静かでありながら張りつめた空気が、ホッパーの作品の特徴になっていったと書いています。

この絵は、1929年から30年にMoMAで開かれた「Paintings by 19 Living Americans」に出品されました。同館が初めてアメリカ美術だけを扱った展覧会です。そして1930年、開館まもないMoMAのコレクションに入った最初期の作品の一つになりました。

ニューヨークの街を描く(1930年代)

『Early Sunday Morning』(1930年)

『Early Sunday Morning』は、横に長い画面いっぱいに、2階建ての商店が連なる通りを描いた油彩画です。1階には緑や赤の店先が並び、2階のれんが色の壁には同じ大きさの窓が10個続きます。歩道には消火栓と、赤・白・青の縞の床屋のサインポールが立ち、どちらも右からの低い朝日を受けて、左へ長い影をのばしています。人の姿はどこにもありません。

エドワード・ホッパー『Early Sunday Morning』。2階建ての商店が横に連なる無人の通りで、緑と赤の店先、れんが色の壁の窓、消火栓と床屋のサインポールが朝日を受けて左へ長い影をのばす
エドワード・ホッパー『Early Sunday Morning』(1930年)、油彩・カンヴァス、89.4×153cm、所蔵:ホイットニー美術館(Purchase, with funds from Gertrude Vanderbilt Whitney)。© Heirs of Josephine N. Hopper/Licensed by Artists Rights Society (ARS), New York。画像出典:ホイットニー美術館公式サイト「Early Sunday Morning」作品ページ(引用)

所蔵するホイットニー美術館によると、ホッパーはこの絵を「七番街(セブンス・アベニュー)をほとんどそのまま写したもの」と語りました。けれども実際には、窓の看板の文字は読めず、建物の装飾はざっくりと描かれ、人の存在はアパートごとに違うカーテンでほのめかされるだけです。南北に走る七番街では、絵のように長い朝の影ができることはありません。こうした光と影の対比、縦と横の線の連なりが、劇場の舞台のような張りつめた空気を生んでいると、同館は説明しています。

この絵は完成からわずか数か月後に購入され、ホイットニー美術館の設立時のコレクションの一部になりました。モデルになった七番街の建物は、ワシントン・スクエアのアトリエから歩いてすぐの場所にありました。ホッパーはその後、1932年の第1回ホイットニー・ビエンナーレに参加し、その後も1965年まで、ビエンナーレと年次展に29回出品しています。

1933年には、MoMAで回顧展が開かれ、ホッパーは批評家からさらに高い評価を受けました。ホイットニー美術館によると、1950年には同館がホッパーの2度目の回顧展を企画しています。

エドワード・ホッパーの絵の3つの特徴を示した図。現地で事実を集めるスケッチ、複数の場所を組み合わせて想像でつくる画面、場面を決める光と影の3点を番号つきで並べている。
図:ホッパーの絵づくりの3つの特徴

ホイットニー美術館によると、ホッパーはスケッチブックを手に街を歩き、現地で描くことを「事実から(from the fact)」描くと表現しました。一方で、特定の場所をもとにした作品もあるものの、多くの絵はいくつもの場所の要素を組み合わせ、想像によってひとつの場面にまとめたものだといいます。見たものを集め、そこから余計なものを取り除いていく。ホッパーの絵の静けさは、この作り方から生まれています。

ケープコッドと道路の風景(1930年代〜1940年代)

ホイットニー美術館によると、ホッパーは1934年から、マサチューセッツ州のケープコッドに2つ目の家とアトリエを持ちました。夫婦はケープコッドに出かけ、アメリカ各地やメキシコへも車で旅をしています。メトロポリタン美術館は、ホッパーがケープコッドのトゥルーロに自分たちの家を建て、近くの場所を何度もくり返し描いたと紹介しています。

同館によると、ホッパーは新しい題材を求めて、さらに遠くへも旅するようになりました。バーモント州からサウスカロライナ州のチャールストンまで、南西部を抜けてカリフォルニアへ向かう自動車旅行、そして4度のメキシコ訪問です。けれども、どこへ行ってもホッパーが追い求めたテーマは変わりませんでした。

『Gas』(1940年)

『Gas』は、夕暮れの田舎道に面したガソリンスタンドを描いた油彩画です。赤い給油機が3台並び、その脇で白いシャツの男性がひとり作業をしています。道の向こうには暗い森が広がり、右側には明かりのともった白い建物があり、高い柱の上に看板が掲げられています。

エドワード・ホッパー『Gas』。夕暮れの田舎道に面したガソリンスタンドで、赤い給油機3台の脇に白いシャツの男性がひとり立つ。奥に暗い森、右に明かりのともる白い建物と柱の上の看板
エドワード・ホッパー『Gas』(1940年)、油彩・カンヴァス、66.7×102.2cm、所蔵:ニューヨーク近代美術館(MoMA。Mrs. Simon Guggenheim Fund)。画像出典:MoMA公式サイト「Gas」作品ページ(引用)

MoMAの解説によると、この絵はホッパーが見たいくつものガソリンスタンドを組み合わせて描いたものです。自然の光と人工の光の両方が、夕暮れのガソリンスタンドとひとりの係員の場面に、底に流れるドラマを与えています。MoMAは、ホッパーの目的が「自然についての私のもっとも内なる印象を、できるかぎり正確に写すこと」であり、この絵ではそれがアメリカの田舎道の孤独だったと説明しています。同じく画家のチャールズ・バーチフィールドは、ホッパーは見る人が何を感じるべきかを押しつけない、と評しました。

エドワード・ホッパーの代表作『Nighthawks』(1942年)

『Nighthawks』(1942年)

エドワード・ホッパーの代表作として、まず名前が挙がるのが『Nighthawks(ナイトホークス)』です。ブリタニカは、終夜営業の軽食店の不気味な光の中で人物と物を空間から切り離すホッパーの光の使い方を示す例として、この絵を挙げています。

所蔵するシカゴ美術館によると、画面には深夜のダイナーが描かれ、カウンターに座る3人の客と、その向かいの店員が、それぞれ物思いにふけり、互いに関わり合わないように見えます。構図は引き締まり、細部は少なく、店には入り口がなく、通りにはごみ一つ落ちていません。調和のとれた幾何学的な形と、店内の電灯の輝きによって、静かで美しく、それでいて謎めいた場面が生まれています。

ホッパー自身はこの絵について、「無意識のうちに、たぶん、私は大都会の孤独を描いていたのだろう」と振り返っています。ニューヨークのグリニッジ・アベニューで見たレストランから着想を得たものの、実在の場所をそのまま写したわけではないと、同館は説明しています。ホイットニー美術館も、この絵がホッパーの暮らした界隈を参照していると紹介しています。人物たちの関係やこの想像上の世界について、見る人は思いをめぐらせることになります。

シカゴ美術館の記録によると、『Nighthawks』は油彩・カンヴァスで、大きさは縦84.1センチ、横152.4センチ。「フレンズ・オブ・アメリカン・アート・コレクション(Friends of American Art Collection)」として所蔵され、作品番号は1942.51です。2026年10月時点で、同館の公式サイトでは展示中(262展示室)と表示されています。

シカゴ美術館の公式YouTubeでは、この絵を間近で紹介する動画を見ることができます。

Edward Hopper’s Nighthawks | Art Institute Essentials Tour(The Art Institute of Chicago公式YouTube)

晩年の作品と評価(1940年代半ば〜1967年)

ホイットニー美術館によると、1940年代半ばから1960年代にかけて、ホッパーは形を思い切って単純化した、夢の中のような場面の大作に取り組みました。具体的な場所から着想を得ながらも、そこから離れて、謎と予感と不安に満ちたあいまいな空間へと変わっていく絵です。ニューヨークの多くの画家が抽象絵画に向かっていた時代に、ホッパーはカフェテリア、劇場、オフィス、アパートの寝室といった場面で、構図をそれまで以上に押し進めました。

ブリタニカは、1960年の『Second-Story Sunlight』のような晩年の作品に、きわめて繊細な空間の関係と、1920年代の作品以上に熟達した光の扱いが見られると書いています。

ホッパーは1967年5月15日、ニューヨークで亡くなりました。ブリタニカによると、ホッパーの絵は1960年代から70年代のポップ・アートや新しい写実主義の画家たちに強い影響を与えました。ホイットニー美術館は、ホッパーの没後も数多くの個展を企画し、グループ展にも他のどの作家より多く作品を出してきたと紹介しています。同館の所蔵品には、素描を中心に3,000点を超えるホッパーの作品があります。

ホイットニー美術館の公式YouTubeでは、学芸員がホッパーの絵のもとになったニューヨークの街を歩いて紹介する動画を見ることができます。

Edward Hopper’s New York: A Walking Tour(Whitney Museum of American Art公式YouTube)

ホッパーが描いたテーマ

メトロポリタン美術館の解説は、ホッパーの成熟期の絵について、都市の風景もニューイングランドの風景も室内も、静けさと疎遠さに満たされていると説明しています。選ばれた場所には人の営みがないことが多く、現代の暮らしのうつろいやすさをほのめかしています。人けのないガソリンスタンド、線路、橋といった場所では、旅をするという考えそのものが、孤独と謎を帯びて見えます。

人物が描かれる場合も、物思いにふける1人か、言葉を交わしていないように見える2人であることがほとんどです。しかも人物が自分の家にいる場面はまれで、映画館やホテルの部屋、レストランといった仮の居場所で時を過ごしています。同館は、ホッパーが追い求めたテーマとして、人と人のあいだの緊張、田舎と都市の両方における伝統と進歩のせめぎ合い、そして一日のさまざまな時間が呼び起こす気分を挙げています。

本記事で紹介した主な作品と所蔵先を、表にまとめました。

作品名制作年技法・大きさ所蔵
Night Shadows1921年エッチング(版17.5×21cm)ホイットニー美術館ほか
House by the Railroad1925年油彩・カンヴァス(61×73.7cm)ニューヨーク近代美術館
Early Sunday Morning1930年油彩・カンヴァス(89.4×153cm)ホイットニー美術館
Gas1940年油彩・カンヴァス(66.7×102.2cm)ニューヨーク近代美術館
Nighthawks1942年油彩・カンヴァス(84.1×152.4cm)シカゴ美術館

アメリカの写実主義(リアリズム)とホッパー

ホッパーはしばしば、20世紀アメリカの写実主義(リアリズム)を代表する画家と呼ばれます。ホイットニー美術館も、ホッパーを「典型的な20世紀アメリカの写実主義者」として知られる画家と紹介しています。

ブリタニカによると、ホッパーの師ロバート・ヘンライは「アッシュカン派」と呼ばれる画家のグループの一員でした。アッシュカン派の画家たちと同じように、ホッパーも都市の暮らしのありふれた場面を描きました。けれども、ゆるやかにまとめられた生き生きとした彼らの絵とは違い、ホッパーの『House by the Railroad』や『Room in Brooklyn』(1932年)は、名もない人物が静止し、厳格な幾何学的な形がスナップ写真のような構図の中に置かれていて、逃れようのない孤独を感じさせると、ブリタニカは説明しています。

アッシュカン派の絵とホッパーの絵を比べた図。どちらも都市の暮らしのありふれた場面を描くが、アッシュカン派はゆるやかで生き生きとした画面、ホッパーは静止した人物と厳格な幾何学的な形で孤独を感じさせる画面だと示している。
図:アッシュカン派とホッパー

一方でホイットニー美術館は、ホッパーの絵は基本的に現実を描いたものでありながら、形を単純化し、絵具の質感を生かし、構図を入念に組み立てていることを、『Early Sunday Morning』が示していると書いています。MoMAも、ホッパー自身は自分の絵を現実世界をそのまま写したものだと主張していたが、その簡素さが孤独や疎外感、静けさを帯びさせていると説明しています。目に見えるものを描きながら、見る人の心の中の風景にまで届く。そこに、ホッパーの写実の特徴があります。

まとめ

いかがだったでしょうか。エドワード・ホッパーの人生と作品について、ご紹介してきました。

ホッパーは1882年にニューヨーク州ナイアックで生まれ、ニューヨーク美術学校でロバート・ヘンライらに学びました。3度のパリ滞在を経て、イラストの仕事で生計を立てながら版画で光と影を磨き、1920年の初個展、レーン画廊での成功を経て、1920年代半ばには自分の画風を確立しました。

『House by the Railroad』は開館まもないMoMAのコレクションに入り、『Early Sunday Morning』はホイットニー美術館の設立時のコレクションに加わりました。そして1942年の『Nighthawks』は、エドワード・ホッパーの代表作として、今もシカゴ美術館で多くの人に見られています。晩年まで形を単純化し続けたホッパーの絵は、のちのポップ・アートや写実主義の画家たちにも影響を与えました。

誰もいない朝の通りや、夜のダイナーの明かり。ホッパーの絵の前に立つと、見慣れた街の風景が、急に知らない場所のように見えてきます。日々の通勤路や、夜の窓の明かりを眺めるとき、ふとホッパーの絵を思い出してみるのも楽しいかもしれません。

Euphoric " " の視点

ホッパーが37歳で開いた初めての個展では、絵は1点も売れませんでした。1924年ごろまでは広告やイラストの仕事で暮らしを支えています。それでも、その時期に版画で磨いた光と影、スケッチブックを手に街を歩いて集めた細部が、のちの『Early Sunday Morning』や『Nighthawks』の土台になりました。

誰もいない朝の通りや夜のダイナーは、特別な場所ではありません。ありふれた景色を自分の見方で描き続けたことが、いまも多くの人の心に届く絵を生んだのだと考えます。すぐに評価されなくても、積み重ねた時間は作品の中に確かに残る。ホッパーの歩みは、そのことを伝えています。

この作品を見に行くには

記事で紹介した作品は、次の館などで公開されています。展示替えがあるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。2026年10月時点で、各館の公式サイトでは『Nighthawks』『House by the Railroad』『Early Sunday Morning』『Gas』が展示中と表示されていますが、『Night Shadows』は展示されていません。

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