こんにちは。ユアムーン株式会社 編集部です。
皆さんは伊東豊雄という人物をご存知ですか?
伊東豊雄は、1941年生まれの日本の建築家です。図書館やギャラリーなどをひとつの建物に収めたせんだいメディアテーク(宮城県仙台市)、岐阜市のみんなの森 ぎふメディアコスモス、台湾の台中国家歌劇院など、人が集まる公共の建物を数多く手がけてきました。2013年には、世界で建築の最高の栄誉として知られるプリツカー建築賞を受けています。
本記事ではそんな伊東豊雄の人生と作品についてご紹介します。現在の肩書や活動は、2026年10月時点で確認できた公式情報にもとづいています。
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伊東豊雄は、東京を拠点に活動する建築家です。公式プロフィールによると、1965年に東京大学工学部建築学科を卒業し、2011年には若い世代に建築を伝える私塾「伊東建築塾」を設立しました。建築そのものだけでなく、「これからのまちや建築をどう考えるか」を人と一緒に考える場づくりにも力を入れています。
伊東の建築には、いくつかの特徴があります。パイプ(チューブ)や網状の金属板、穴をあけたアルミ板、通気性のある布といった既製の工業製品を使った軽やかな構造、樹木や自然のしくみに学んだ形、そして誰でも出入りできる公共の空間づくりです。本記事では、これらが育ってきた道のりを時代ごとにたどります。
基本情報
| 本名 | 伊東 豊雄(いとう・とよお)。英語表記は Toyo Ito |
| 生年月日(没年月日) | 1941年6月1日生まれ(存命。2026年10月時点で85歳) |
| 国籍・出身 | 日本。京城(現在のソウル)生まれで、長野県下諏訪町で育つ |
| 学歴 | 東京大学工学部建築学科卒業(1965年) |
| 分野 | 建築(公共建築、住宅、仮設のパヴィリオンなど) |
| 傾向 | 軽やかな構造、自然のしくみに学んだ形、人が集まる公共空間 |
| 師事した人物・影響を受けた人物 | 菊竹清訓建築設計事務所に勤務(1965〜1969年) |
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経歴と作品
諏訪の少年が建築家になるまで(1941〜1971年)
伊東豊雄は1941年6月1日、当時日本の統治下にあった京城(現在のソウル)で生まれました。プリツカー建築賞の公式資料によると、幼いころに日本へ戻り、長野県下諏訪町で育ちました。
中学3年生のときに東京へ移り、日比谷高校に通います。同じ資料で伊東は、少年のころは建築にあまり関心がなく、夢中だったのは野球だったと語っています。建築が自分の中心になったのは、東京大学に進んでからでした。卒業設計では上野公園の再建案を提出し、大学の最優秀賞にあたる賞を受けています。
1965年に東京大学を卒業すると、菊竹清訓建築設計事務所で働き始めました。伊東は1969年まで在籍しています。そして1971年、東京で自分の事務所を開き、アーバンロボット(URBOT)と名づけました。1979年には事務所名を現在の「伊東豊雄建築設計事務所」に改めています。
空気や風のような軽さを探した1970〜80年代
独立してすぐの1971年に手がけたのが、東京郊外の住宅「アルミの家」です。木の骨組みを、全面アルミで覆った家でした。初期の作品は住宅が中心で、1976年には住宅「White U(ホワイトユー)」を設計します。プリツカー建築賞の公式資料は、この住宅が伊東の仕事への大きな関心を集めたと記しており、1997年に解体されています。
1980年代の仕事について、伊東は、従来の建築がもつ意味をできるだけ消し、ミニマルな手法で、空気や風のような軽さを建築にもたらそうとしていたと説明しています(プリツカー建築賞の公式資料)。壁や柱の重たさを減らし、建物が周りの環境にすっと溶け込むようなあり方を探っていた時期だといえます。
『シルバーハット』(1984年)
この時期を代表する作品が、東京都中野区に建てた自邸『シルバーハット』です。1986年に日本建築学会賞の作品賞を受けました。この建物は後に、愛媛県今治市の大三島で再生されています。再生された建物の公式説明によると、3.6m間隔のコンクリートの柱の上に鉄骨の梁をかけ、浅いアーチ状の屋根を載せた構成で、大小7つのアーチ屋根は、アングル(L字形の鋼材)と丸いパイプでつくった菱形のフレームをつなげて形づくられています。オリジナルと同じつくり方だと説明されています。
同じ1986年には、神奈川県横浜市に「横浜風の塔」も完成しています。プリツカー建築賞の審査員は、大館市のドーム(Dome in Odate)とともに、新しい技術的な工夫にあふれた例としてこの塔をあげています。
公共建築へ。『せんだいメディアテーク』(1995〜2001年)
伊東豊雄の名を世界に広めた作品が、仙台市の『せんだいメディアテーク』です。きっかけは公開の設計競技(コンペ)でした。せんだいメディアテークの公式サイトに残る設計競技の記録によると、主催は仙台市で、審査委員長は建築家の磯崎新でした。応募登録は1,261件、実際に設計図書が提出されたのは235件です。最優秀賞に選ばれたのが、伊東豊雄建築設計事務所の案でした。優秀賞には古谷誠章氏と田島夏樹氏の案が選ばれています。最終的な審査は1995年3月に行われました。
建物は1997年12月に着工し、2000年8月に引き渡されました。公式サイトによると、地下2階・地上7階で、高さは約36.5m、延べ床面積は約2万1,682平方メートルです。その後、2001年に開館し、仙台市民図書館とともに運営が始まりました。

この建物のしくみは、とてもシンプルです。公式サイトによると、建物全体は13本の鉄骨の独立したシャフト(チューブ)と、6枚の鉄骨のフラットスラブ(平らな床板)でできています。床板は鋼板を使ったサンドイッチ構造で、各階で平面の計画が違います。チューブは構造を支えるだけでなく、配管や配線、エレベーター、階段を通す筒としても使われています。南側にはガラスの二重の面(ダブルスキン)があり、夏は上部の開閉機構を開けて上昇気流を起こし、ガラス面を冷やします。冬は閉めて、断熱性の高い空気の層をつくります。

伊東自身は、この建物を自分の仕事のなかでも大きな到達点のひとつと呼んでいます(プリツカー建築賞の公式資料)。同じ資料に引用された本人の説明では、この建物は図書館とギャラリーを主な機能としながら、運営側が多様なプログラムのあいだの仕切りをゆるめ、さまざまなメディアのあいだにある固定的な壁を取り除いてきました。その開放性は、13本のチューブが貫く平らな床板という単純な構造の、直接の結果だといいます。各階の壁は最小限に抑えられ、さまざまな機能が、チューブのあいだの広い空間に自由に配置されています。
館の理念も、この建物の性格をよく表しています。公式サイトは、せんだいメディアテークを「端末(ターミナル)ではなく節点(ノード)である」と表現しています。人がここで止まって終わるのではなく、ここから外へ、そして多様なものへと関心を広げていく場所、という意味です。
評価も高く、2001年にはグッドデザイン賞のグッドデザイン大賞、2003年には日本建築学会賞の作品賞を受けました(公式サイトの受賞一覧)。
世界へ広がった2000年代
せんだいメディアテークのあと、伊東は日本国内にとどまらず、アジア、ヨーロッパ、北米、南米にまで仕事を広げていきます。プリツカー建築賞の公式資料は、この時期に伊東が国際的に重要な建築家になったと紹介しています。
『サーペンタイン・ギャラリー・パヴィリオン2002』(2002年)
ロンドンのサーペンタイン・ギャラリーは、2000年から、建築家にパヴィリオン(小さな建物)の設計を委嘱してきました。2002年の設計者が伊東で、セシル・バルモンド、アラップと共同で取り組みました。プリツカー建築賞の公式資料はこれを、ハイド・パークに建てられた仮設のパヴィリオンとして紹介しています。会期は2002年7月12日から9月29日までです。
公式ページによると、この建物は一見ランダムな複雑な模様に見えて、よく調べると、立方体が回転しながら広がっていくアルゴリズム(計算の手順)から生まれた形でした。交差する線がつくる多数の三角形や台形は、透明または半透明の素材でふさがれ、限りなく続く動きのような印象を生んでいたと説明されています。
『TOD’S表参道ビル』(2004年)
東京・表参道に、イタリアの靴・バッグのブランド「TOD’S」のために設計した建物です。プリツカー建築賞の審査員は、この建物を、外皮が同時に構造としても働く例としてあげています。着想のもとになったのは木でした。同じ公式資料に引用された伊東事務所の説明では、木の形には本来、構造としての合理性があり、重なり合う木のシルエットは力の流れにも合っています。枝分かれした木の図を取り入れ、上の階へ行くほど枝が細く、数が多くなり、開口の割合も増える、という考え方が使われました。
『瞑想の森 市営斎場』(2006年)
岐阜県各務原市にある市営の施設です。各務原市は「静けさと自然に帰る」をコンセプトにこの一帯を整備し、その中心施設の設計を担ったのが伊東です。構造は鉄筋コンクリート造の自由曲面シェル(薄い曲面の殻)で、2008年度の建築業協会賞(BCS賞)では、「空を悠々と流れる雲をイメージした」大屋根と、周囲の自然になじむたたずまいが評価されました。
プリツカー建築賞の審査員は、伊東が人々とそこで行われる活動を深く理解している例として、この建物、後で紹介する多摩美術大学図書館、そしてサーペンタインのパヴィリオンの3つをあげています。
『多摩美術大学図書館(八王子キャンパス)』(2007年)
東京都八王子市の多摩美術大学のキャンパスにある図書館です。大学の公式サイトは、2007年に新しい図書館などがオープンしたと記しています。図書館のページによると、正門から続くゆるやかなスロープを建物のなかまで引き込み、アーチ構造を主役にした、ガラスとコンクリートの壁面が一体になった外観が特徴です。
図書館のウェブサイトは、バスの終点に近づくと見えてくる彫刻のようになめらかな建物で、みんなが必ず使うバス停のすぐそばを敷地に選んだのは、学科や専攻を超えた交流の拠点にするためだと説明しています。館内に入ると、自然の森のように連なるアーチをくぐりながら、そのまま建物の反対側へ抜けられる「アーケードギャラリー」が広がります。
構造を担当したのは、せんだいメディアテークの構造設計も手がけた佐々木睦朗です。アーチはコンクリートに見えますが、芯には丈夫な鉄板が入っていて、荷重は鉄が支え、コンクリートは鉄を錆や火災の熱から守る役目を担っています。アーチは「固い形」で、しなやかさに欠けるため、地下には24個の積層ゴムと27個のすべり支承(水平方向に自由に滑る部品)を取り付け、建物を揺れから守っています。蔵書は約22万5千冊です(2025年3月末現在)。
大三島と伊東建築塾(2011年〜)
2011年以降の伊東は、若い世代とともに建築を考える場づくりにも力を入れています。その一つが「みんなの家」です。公式サイトの説明によると、地域の人が集まる小さな拠点を、伊東、妹島和世、山本理顕らが若い世代の建築家に呼びかけてつくる活動で、現在はNPO法人「HOME-FOR-ALL」がそれぞれの家をつなぐ役割を担っています。みんなの家は伊東ひとりの作品ではなく、多くの建築家がそれぞれの土地で設計しています。
『今治市伊東豊雄建築ミュージアム』(2011年)
同じ2011年、瀬戸内海に浮かぶ愛媛県今治市の大三島に、伊東の名を冠した建築ミュージアムが開館しました。ミュージアムの公式サイトに載る伊東本人のあいさつ(2011年6月28日付)によると、始まりは2004年でした。所敦夫氏とギャラリー長谷川の長谷川浩司氏が伊東の事務所を訪れ、所さんが大三島に寄付した「ところミュージアム」の隣に、新館を設計してほしいと依頼しました。
初めて大三島を訪れた伊東は、島の美しさと、土地そのものに宿るような不思議な力に圧倒されたといいます。みかん畑の斜面からは瀬戸内の島々を見下ろす絶景が広がりましたが、建物を置けるほどの平地はほとんどなく、設計は二転三転しました。そのあいだ、伊東が「若い建築家を育てるための塾をつくりたい」と話すと、2人は「それならばここでやればいいじゃないか」と応じたそうです。今治は建築家・丹下健三の出身地でもあり、自分の名前のミュージアムをつくることに大きなためらいがあったものの、市の人々の温かい勧めを受けて引き受けた、と伊東は書いています。

ミュージアムは2棟でできています。展示のためのスティールハットは、4種類の多面体が結晶のようにつながった形で、一辺3mの正三角形と正方形の面でできています。構造は鉄骨のブレース(斜めの補強材)で、外装を兼ねる6mmの鋼板と骨組みが、溶接で一体になっています。もう1棟は、かつての自邸を再生したシルバーハットです。シルバーハットのなかの「伊東豊雄建築アーカイヴ」には、伊東が選んだ約155件のプロジェクトの図面が収められています。住宅から大規模な建築、家具などのプロダクト、舞台デザインまでを含みます。
伊東建築塾は、この大三島を拠点のひとつに活動しています。公式サイトの紹介によると、塾生や地域の人々とともに、まちづくりの活動にも取り組んでいます。2026年10月時点の塾のブログでは、「子ども建築塾」の2026年度前期の発表会が開かれたことが紹介されています。また、ミュージアムは2026年に開館15周年を迎え、展覧会「再び、大三島を元気にしよう!」は2027年1月11日まで会期が延長されています。
木の屋根と曲面の壁(2010年代)
『みんなの森 ぎふメディアコスモス』(2015年)
岐阜市の『みんなの森 ぎふメディアコスモス』は、「知の拠点」としての市立中央図書館、「絆の拠点」となる市民活動交流センター、多文化交流プラザ、「文化の拠点」の展示ギャラリーなどが集まった複合文化施設です。設計期間は2011年2月から2012年3月、工事期間は2013年7月から2015年2月で、2015年7月にオープニングイベントが始まりました(公式サイト)。図書館は最大90万冊を所蔵でき、座席数は910席です。

この建物の考え方を、公式サイトは「大きな家と小さな家」と説明しています。敷地いっぱいに低く広がる大きな屋根が全体を包み込み、そのなかに、個性をもった小さな家のような空間が点在する、まちのような建築です。大きな家にあたるのが木製格子屋根、小さな家にあたるのが「グローブ」と呼ばれる半透明の傘のような形の部分です。
木製格子屋根は、仕上げ材ではなく構造材として働きます。街なかで流通しているのと同じ120mm×20mmのヒノキ材を、現地で重ねてつくりました。いちばん厚いところでは、この材を3方向に7枚ずつ、合計21枚重ねています。材料にはすべて岐阜県産の「東濃ひのき」が使われ、木のしなりを生かして、曲面の形に沿わせるように積み上げられました。屋根の形は、岐阜の山々の稜線を思わせるものだと説明されています。
グローブは、半透明の大きな逆さ漏斗形の傘です。上部のトップライトからの自然光をおだやかに室内へ広げ、夜は内部の照明のシェードにもなります。上部の窓を開閉することで、機械の空調に頼らずに、2階の大きな空間を換気できます。さらに、建物の下を流れる長良川の伏流水の熱を利用し、床からの輻射で冷暖房する方式などを組み合わせて、1990年の同規模の建物と比べて消費エネルギーを50%削減することを計画に掲げました。

施設の理念は、「根から知を 枝葉でふれあい花さかせ 明日への種を創り育む」という言葉で表されています。
『台中国家歌劇院』(2016年)
台湾中部の台中市にある台中国家歌劇院(ナショナル・タイチュン・シアター)も、伊東の代表作です。公式サイトによると、伊東がポルトガルを旅行中に野外コンサートに居合わせ、演奏と観客がひとつにとけ合う様子に触れた体験が出発点です。そこから、聴くことのできる建築、という発想が生まれました。伊東は、この建物の外観を、従来の直線や四角を大きく超えた「有機的」な空間として思い描いたと説明されています。
公式サイトは、曲面の壁が主な構造を支える世界初の建物だと紹介しています。全体は58の曲面の壁のユニットと、大小29の「サウンド・ケーブ(音の洞窟)」でできていて、それぞれが独立しながらつながっています。外壁には「ブリージング・ホール(呼吸する穴)」が点在し、昼は日光を取り込み、夜は館内の光が外にもれて、建物と街がいっしょに呼吸していることを表しています。外観がワインボトルを思わせることから、伊東はこの設計を「Bottle the Art(芸術をボトルに詰める)」と呼んだそうです。
台中市政府の英語版ページによると、計画から完成までに10年がかかり、2016年8月25日に台中市から文化部へ引き渡され、同年9月30日に開幕式が開かれました。プリツカー建築賞の審査員は、建設中だったこの劇場について、水平と垂直に広がる空間のネットワークが、人と人のコミュニケーションやつながりの機会を生むと評価しています。

プリツカー建築賞と、いまの活動(2013年〜)
2013年、伊東豊雄はプリツカー建築賞を受賞しました。日本人としては、1987年の丹下健三、1993年の槇文彦、1995年の安藤忠雄、2010年の妹島和世と西沢立衛(SANAA)に続く6人目です。授賞式は2013年5月29日、アメリカ・ボストンのジョン・F・ケネディ大統領図書館・博物館で開かれました。
審査員の評価は、次のように整理できます(公式資料の要約)。概念の革新と、見事に実現された建物を両立させていること。構造、空間、環境、技術、場所を同じ重さで扱えること。伝統的な素材をふつうとは違うやり方で使う革新性。楽観、軽やかさ、喜びを感じさせる建築であること。そして、若い建築家の教育への貢献です。審査員は伊東を、時を超える建物をつくる人と評し、設計に精神的な次元を与え、すべての作品に通じる詩情をもたらしていると述べました。公式資料はさらに、伊東の事務所自体が、若い建築家が働きながら学ぶ学校のようなものだとも紹介しています。

上の図の4つの鍵は、公式資料の評価を手がかりに編集部が整理したもので、伊東本人や審査員の言葉ではありません。本記事で見てきた作品とも重なります。編集部の見方では、軽さは、1980年代のシルバーハットから、せんだいメディアテークの平らな床板まで続いています。自然のしくみは、TOD’S表参道ビルの木のシルエットや、ぎふメディアコスモスの木製格子屋根に表れています。公共への責任は、せんだいメディアテークやぎふメディアコスモスのような、誰でも出入りできる公共建築と、「みんなの家」の活動に表れています。そして次の世代の育成は、伊東建築塾や今治のミュージアムにつながっています。
伊東自身は、2009年にアメリカのプリンストン大学で行った講演で、建築の考え方をこう語っています(プリツカー建築賞の公式資料に収録)。自然は複雑で変化に富み、流動的なのに対して、建築はこれまで安定した体系をつくろうとしてきた。20世紀に確立された「グリッド(格子状の体系)」は、大量の建築を短期間でつくることを可能にしたが、同時に世界の都市を均質にした。そこで、グリッドを少し変えることで、建物を周りの環境、特に自然環境に近づける関係をつくろうとしてきた、という内容です。曲面の壁や、うねる屋根は、その試みの流れのなかにあると考えられます。
主な受賞歴
| 1986年 | 日本建築学会賞作品賞(シルバーハット) |
| 1992年 | 毎日芸術賞(八代市立博物館) |
| 1998年 | 芸術選奨文部大臣賞(大館樹海ドーム) |
| 2002年 | ヴェネツィア・ビエンナーレ 金獅子賞(建築展の生涯功労) |
| 2003年 | 日本建築学会賞作品賞(せんだいメディアテーク) |
| 2006年 | 王立英国建築家協会(RIBA)ロイヤルゴールドメダル |
| 2010年 | 朝日賞(2009年度)、高松宮殿下記念世界文化賞(第22回) |
| 2012年 | ヴェネツィア・ビエンナーレ 金獅子賞(コミッショナーを務めた日本館が受賞) |
| 2013年 | プリツカー建築賞 |
| 2017年 | UIAゴールドメダル |
表は、伊東豊雄建築設計事務所と今治市伊東豊雄建築ミュージアムの公式プロフィールをもとにしています。
『茨木市文化・子育て複合施設 おにクル』(2023年)
近年の仕事のひとつが、大阪府茨木市の「おにクル」です。大阪府が公開している資料によると、設計と施工を一括で発注する公募型プロポーザル方式で、竹中工務店と伊東豊雄建築設計事務所の共同企業体が担当しました。7階建てで、ホール、図書館、子育て支援センター、プラネタリウム、広場などが入る複合施設です。壁のないフラットスラブの床で構成された公共空間を「立体的な公園」のようにつくる、という考え方が示されています。資料の工程表では、2023年に開館しています。
今治市伊東豊雄建築ミュージアムの告知(2026年1月)によると、このおにクルは、せんだいメディアテーク、ぎふメディアコスモスと並べて、シドニー日本文化センターの個展「Nature Within: The Architecture of Toyo Ito」で紹介されました(国際交流基金主催、2026年1月31日から4月18日)。3つの公共建築をとおして、デザインや建物の機能だけではない、新しい公共建築のあり方がテーマとして紹介されています。
2026年10月時点で公式サイトから確認できる動きは、ほかにもあります。2026年7月25日には、今治市民会館で、内田道子氏との対談「父、丹下健三を語る」が開かれました(今治市伊東豊雄建築ミュージアムの告知)。ミュージアムの展覧会「再び、大三島を元気にしよう!」は会期が延長されて続いており、伊東建築塾の子ども向け講座や、「みんなの家」の活動も続いています。
主な作品の年表
| 1971年 | アルミの家(東京郊外) |
| 1976年 | White U(住宅。1997年に解体) |
| 1984年 | シルバーハット(東京都中野区。自邸) |
| 1986年 | 横浜風の塔(神奈川県横浜市) |
| 2001年 | せんだいメディアテーク(宮城県仙台市。2000年に竣工、2001年に開館) |
| 2002年 | サーペンタイン・ギャラリー・パヴィリオン(ロンドン。仮設) |
| 2004年 | TOD’S表参道ビル(東京都渋谷区) |
| 2006年 | 瞑想の森 市営斎場(岐阜県各務原市。市営の施設) |
| 2007年 | 多摩美術大学図書館(東京都八王子市) |
| 2009年 | ワールドゲームズ2009 主競技場(台湾・高雄) |
| 2011年 | 今治市伊東豊雄建築ミュージアム(愛媛県今治市) |
| 2015年 | みんなの森 ぎふメディアコスモス(岐阜県岐阜市) |
| 2016年 | 台中国家歌劇院(台湾・台中市) |
| 2023年 | 茨木市文化・子育て複合施設 おにクル(大阪府茨木市) |
まとめ
いかがだったでしょうか。伊東豊雄は、1971年に独立してから50年以上、軽やかな構造と、自然のしくみに学んだ形、そして人が集まる公共の空間をつくり続けてきた建築家です。せんだいメディアテークでは平らな床と13本のチューブで、ぎふメディアコスモスでは木製格子屋根とグローブで、台中国家歌劇院では曲面の壁で、それぞれ「ひらかれた建物」をつくりました。
その一方で、小さな拠点をつくる「みんなの家」の活動をつうじて、建築とは何かという根本的な問いにも向き合っています。2013年のプリツカー建築賞も、建物のかたちだけでなく、公共への責任や、若い世代の育成まで含めた仕事として評価されました。2026年10月時点でも、今治のミュージアムや伊東建築塾を拠点に、活動は続いています。
伊東の建築は、光や空気の流れ、人の集まり方まで含めて設計されています。写真だけでなく、実際の場所で歩いて確かめてみるのもおすすめです。
Euphoric " " の視点
せんだいメディアテークは、13本のチューブと6枚のフラットスラブ(平らな床板)という、とてもシンプルなしくみでできています。伊東自身の説明では、この建物では運営側が多様なプログラムのあいだの仕切りをゆるめ、さまざまなメディアのあいだにある固定的な壁を取り除いてきました。その開放性は、単純な構造の直接の結果だといいます。
「ひらかれた場所にしたい」という願いは、言葉や運営の努力だけで支えようとすると、続けるのが難しくなることもあるかもしれません。伊東の説明からは、壁の少ない骨組みを先に用意しておくことで、運営する人たちが仕切りをゆるめていける余地が生まれる、という見方が読み取れると考えます。
公式サイトは、この館を「端末(ターミナル)ではなく節点(ノード)である」と表現しています。理念を形の側から支えるという考え方は、建物に限らず、人が集まる場をつくるときの手がかりにもなるのかもしれません。
この作品を見に行くには
記事で紹介した作品は、次の館などで公開されています。展示替えがあるため、最新の情報は公式サイトをご確認ください。






